227 試練その5 ①
俺は僅かな時間を闇の中で過ごしていると再び光が目に差し込んで来るのを感じた。
そして、目を開けるとそこは獣舎のような場所で周りにはお世辞にも立派とは言えない壁がある。
剥き出しの地面には枯れ草が敷かれており、明らかにここは人が暮らす領域だろう。
一瞬、あの有名な神様みたいに人間としてはあり得ない生まれ方でもしたのかと想像してしまったけど、その妄想はすぐに現実の母親によって打ち砕かれてしまった。
「なんだ、今回は山羊の子供か。」
誰かが頻りに頭を撫でている様な気がすると思っていれば、母山羊が俺の体を舐めて汚れを綺麗にしていたようだ。
そして粗方綺麗になると鼻先で俺の体を突き上げて立つ様に促して来る。
そう言えば山羊は生物としてのヒエラルキーが低いので早く立てる様にならないと他の肉食動物の餌食になってしまう。
俺達は恐らく家畜だろうからその心配は無いけど立つまで止めそうにないので一旦は言う事を聞く事にした。
それに生まれたばかりはとてもお腹が空いているので早く乳が飲みたい。
なので俺は生まれてすぐとは思えない自然さで立ち上がると母親のお腹へと向かって行った。
「ん?なんだかアフリカで見た山羊に比べると様子がおかしいな。」
なんだか体は痩せているし元気がない。
乳房は赤く腫れていて明らかに炎症を起こしているようだ。
俺は気になって鑑定してみると見事に寄生虫と感染症に侵されていたので、これでは俺を産むのも命懸けだったのではないだろうか?
それに、よく見ると何とか立ってはいるけど、生まれたての子山羊の俺よりも足が震えている。
どうやら、この母親の命は俺を産んだ事で風前の灯のようだ。
「まあ、それも俺が唯の山羊であったらだけどな。」
恐らくは俺でなければ子山羊も死産で終わっていたかもしれない。
しかし、この母山羊は見事に俺という大当たりを引き当てて今も生きている。
なので、まずは体を浄化してやり寄生虫やウイルスを除去し、体内の毒なども消し去ってやる。
そして最後に回復魔法を使えば元気な母山羊の出来上がりだ。
でも元気になったからと言って体の衰えまでは回復させる事は出来ない。
乳は飲ましてもらうけど以前に飲んだ物よりも薄い気がする。
初乳は通常と比べると濃いと聞いていたけど、これでは意味が無さそうだ。
「まあ、母山羊の回復はのんびり待つとして、まずは状況の確認だな。」
俺はアフリカで手に入れておいた山羊のミルクを飲みながら壁の隙間から外を覗き込む。
これが缶コーヒーなら何処かのスパイみたいでカッコいいかもしれないけど、俺は子山羊で手に持っているのはミルクでしかない。
上から下まで見直してもそんな要素は一欠けらもないだろう。
そして外を見るとここは町と言うよりも村に近いかもしれない。
剥き出しの地面を複数の人間が歩き、見える範囲では建物も立派とは言い難い。
人相も良いとは言えず、まるでゴロツキの様にも見える。
中には疲れ切った顔の者も多く男女問わず目付きが悪い。
ただ見た目から言ってアフリカ人ではなく、ヨーロッパ人の様だ。
しかし俺の居ない10年程度でこれ程の変化が起きているとは考えられず、疑問に思っていると扉を開けて15歳ほどの少女が姿を現した。
その少女は外の連中よりかは擦れた顔はしておらず、俺の姿に軽く笑うと母山羊へと声を掛けながら近づいて行く。
「ごめんね。今日もお乳を頂戴ね。」
そう言って片手に持っている容器を母山羊の下に置くと汚れている手で乳を絞り始めた。
きっとアレが母山羊の乳房にウイルスが感染して炎症を起こした原因だろう。
俺はそれを止めさせるために頭から布をスッポリ被ると少女の背後へと忍び寄った。
そして半獣の姿で口を塞ぎ、周りに聞こえない様に耳元で小さな声で囁きかける。
「動くな!」
「ん!?」
「こちらを向かずにゆっくりと手を離せ。」
すると少女は体を震わせて怯えながら母山羊から手を引いた。
それを見て俺は再び母山羊に浄化を掛け、少女にも浄化を掛ける。
「よし。お前に今からヤギの乳搾りをどうやるが教えてやる俺の言うとおりにやってみろ。」
「ん?・・・『コク。』」
俺も前世で村に居る間に山羊の乳搾りはマスターしている。
だってミミには自分で搾ったミルクを与えたいと思っていたからで、その為ならどんな苦行にも打ち勝って見せた。
だからこんな雑な搾り方をされるとその努力を馬鹿にされた様で無性に腹が立つ。
そして30分ほどの練習の末に母山羊から見事に乳が搾れるよういなった。
「そうだ。そんな感じだ。その動きと方法を忘れるな。それと山羊は個体によって微妙にコツが要る。これからも精進を忘れるなよ。」
そして少女から離れると山羊へと戻って布を収納する。
その少し後に少女は背後に振り向き、俺と視線を合わせた。
「メェ~~~。」
「・・・アナタ、なはずはないわよね。でも、それなら今のは何だったんだろ?」
少女は白昼夢でも見ていたかのように首を捻ると乳搾りを再開した。
しかし、ちゃんと教えた事は覚えている様で母山羊も最初に比べて気持ち良さそうだ。
「さてと。今日はこれくらいあれば十分だよね。餌は後で持って来るから待っててね。」
そう言って少女は扉から出て行くとミルクを持って去って行った。
どうやら見た目以上に肝が据わっていた様で今回の事はあまり気にしていないみたいだ。
しかし食事になる前にこの小屋を少しは改善しないといけない。
ここにはエサ入れとなる桶が無いので地面にそのまま餌が置かれると仮定し、まずは地面の環境を整えるのが先だ。
母山羊を強化した棚の上に避難させ地面を固めて表面を丸ごと収納する。
なにせ掃除が不十分な様で糞尿が混ざり合ってかなり汚くニオイが酷く、浄化で綺麗に出来るけど気分の問題がある。
そして無くなった部分には魔法で土を追加し、その上に前世ではベット代わりにしていた草を引き詰めていく。
水の侵入を防ぐために周りの地面よりも少し高くして、これで少しは居住環境が良くなるだろう。
あとはアフリカで入手したけど結局は食べなかったサツマイモの葉を取り出した。
「食べるのは初めてだけど以前は肉食のライオンだったからな。」
そして生のまま口に入れて食べてみると意外と美味しい。
山羊だからか青臭さも気にならず、逆に食欲が刺激されてしまう。
見れば母山羊も欲しそうに見ているので目の前に積んでやると大喜びで食べ始めた。
どうやら親子であるので味覚も似ているみたいだ。
それにしても生まれて1日目で草が食べれる様になってるな。
意外と山羊の授乳期間は短いのかも知れない。
そう思っているとさっきの少女が草を持って戻って来た。
「さあ、美味しい草だよ。しっかりお食べ・・・。」
すると少女の目はモリモリとサツマイモの葉を食べる母山羊を見て完全に停止する。
しかし、すぐに意識を復帰させると我関せずと食べ続ける母山羊へと詰め寄って行った。
もしかすると山羊も飼われたら飼い主に似て来るのだろうか。
この神経の図太さは何処となく似ている気がする。
「こ、これってまさかサツマイモなの!どうしてこれがこんな所にあるのよ。これは去年に最後の苗が枯れたはずなのに。・・・お父さん!これを見てー!」
少女は母山羊からサツマイモの葉を奪うとそれを持って再び外へと走り去っていった。
でも、今の会話で分かったけど、この地域ではサツマイモの移植に失敗しているらしい。
それにあの少女が全てを持って行ってしまったので母山羊が訴えるような目でこちらを見ている。
しかし与えるのは母山羊の仕事のはずなのに息子にせがむとはこれは如何に?
まあ、今では幾らでもあるので好きなだけ食べれるんだけど。
そして先程の5倍の量を出して置くと母山羊は再び美味しそうに食べ始めた。
「そう言えばサツマイモは刈り取った蔦から栽培をするんだったな。ちゃんと知識はあるみたいだけど何で失敗してるんだろう。」
するとドタドタと足音が聞こえ再び誰かがやって来た。
そして扉を開けて現れたのは先程の少女とエプロン姿の男性だ。
その目は再び母山羊が食べている芋の葉へと向けられる。
「ど、どうなってるんだカリーナ!?本当に芋の苗があるぞ!」
「だから見せたでしょお父さん!でも誰が持ってたんだろ。それにこんなに元気なのなんてここじゃあ初めて見たよ。」
「そりゃあ、ここまで運ぶにしても長い船旅の後だからな。植える頃には疲れて萎びてるんだ。そんな事よりも早くこれを皆の所へ持って行くぞ!」
「そうだね!」
そう言って親子で同じように母山羊から葉を奪い取ると獣舎から去って行った。
それにしてもかなり状況が変わっているのに気付かないとは本当に細かい事を気にしないと言うか鈍感と言うか。
しかし再び母山羊から物欲しそうな視線が向けられてしまった。
なので先程の倍ほどの量を出して置いてやると美味しそうに食事を再開する。
「は~・・・こっちはこっちで本当に図太いな。」
そして、その日は誰も獣舎へと戻って来る者は居なかったので問題の畑へと向かい状況を確認してみる。
するとそこにはこの村を賄うには小さ過ぎる畑が広がっていた。
どうやら、この村はまだまだ移住して来たばかりで開墾も間に合っていないようだ。
しかも森には複数の殺気を放つ何者かが潜み村を常に監視している。
どうやら、この地にも色々と問題が山積みみたいだ。
しかし状況も分からないままでは動きようがないので、まずは情報収集から始めることにした。
お誂え向きに俺達を世話しているカリーナの父親は飲み屋を営んでいる。
その店も獣舎と隣接していて耳を澄ませば盗み聞きは可能だ。
今のところ分かっているのはここは開拓村の1つで他にも幾つか同じ様な所が在るそうだ。
ここに居る人の多くはヨーロッパから送り出された人達でその中にはあちらに居られなくなった犯罪者なども含まれているらしく俺がさっき見たのもその人たちだろう。
どうやらここに来る時に嵐に遭い、農業の知識がある物の多くが死んでしまったそうだ。
そのため村の外にある農業従事者が減り今のような状況となっているらしい。
そして、ここはアメリカ大陸の何処かでさっき見た森の奴らは見た目からするとこの大陸の先住民である可能性が高く、見た目も似てたから大きく間違っていないだろう。
俺に対してどういった反応を示すかは分からないけど、あちらの話を聞いてみる必要もありそうだ。
その後、獣舎を魔法で綺麗にすると今日の所は眠りについた。
そして次の日からも俺は子山羊の姿を利用して情報収集を続けた。
村の外では芋の苗植えが行われ順調に葉を伸ばしている。
しかしそれも長くは続かず、数日後には畑の苗が荒らされ滅茶苦茶にされていた。
「クソー!また奴らの仕業か!」
「インディアン共め!こうなったら皆殺しにしてやる!」
しかし俺は夜に目を覚まして見ていたけどこれはアイツ等の仕業ではない。
そして真の犯人はこの中に居る!
と、叫べれば良いんだけど今の俺は角も生えていない子山羊に過ぎないので一計を案じて犯人を炙り出す事にした。
俺は村の連中が失意に沈んで村に帰った後に畑に赴くと千切られた茎を合わせて回復魔法を使う。
するとまるで挿し木の様に繋がり元通りに戻っていった。
それを素早く全ての苗に行い、更に土が少し硬く、粘土質で粘ついているので魔法で土壌を根本から作り変えておく。
これで俺の知るサツマイモに適した土になっているだろう。
この地方は雨も多いみたいなので水はけを良くしておかないと芋が水に浸かっている時間が長くなって発育が悪くなったり腐ってしまう。
「これで犯人が再び動いてくれると良いんだけどな。」
そして、しばらくして村人が戻って来るとその光景に驚き空へ向かって祈り始めた。
「おお、我らが神よ!貴方様の慈悲に感謝します!」
「遠く離れた地でも我らを助けて頂けるのですね。」
どうやら神が自分達を助けてくれたとでも思ったみたいだ。
神聖魔法なら成長もある程度は促進させてあるので、あと1月もすれば収穫が出来るだろう。
そして、その情報は瞬く間に広がり多くの人を喜ばせた。
しかし問題の犯人だけはその場では笑みを浮かべ、人が居なくなった夜になると1人で家を出て畑へと向かって行る。
俺はそれを追いかけると鍬を持って畑を荒らしている男の背後へと忍び寄り声を掛けた。
「動くな!」
「誰だ!」
俺は半獣の姿で大きな布を頭から被り飛翔で宙に浮いている。
それによって身長を誤魔化し顔は仮面を被って誤魔化しているけど、これは人間様なので少し被り難い。
それでもまだ俺は成長途中で顔が小さいので何とか被れている。
そして、逃げられない様に不動の魔眼で足を拘束し、ナイフをチラつかせて恐怖を煽ってやる。
「ヒィ!どうなってるんだ。足が動かねえ!」
「言った事を聞かない奴だ。それよりも答えてもらおうか。ここで何をするつもりだった?」
「は、畑仕事に決まてるだろ。」
「こんな夜中にか。・・・嘘をつくな!」
「ヒャーーー!」
おっと、この仮面を被ると時々スキルの咆哮が自動発動するんだよな。
危うく男を木端微塵に吹き飛ばして畑の肥やしにしてしまう所だった。
「俺はお前が昨日ここで何をしたのか全て見ていたぞ。どうせ畑を荒らし、それを先住民の仕業だとか言い出すつもりなんだろ。」
「ど、どうしてそれを!」
コイツは畑を荒らされた事を真っ先に彼らの仕業だと言い出した奴だからな。
その後も何かと周りを煽っては彼らを根絶やしにしようと吹き込んでいた。
それにしても、こんな奴が仲間の中に潜んでいたんじゃあ開拓も進まないだろう。
しかし、俺がしっかりと恐訓を作ってやったのに20年程度でこんな奴らが出て来るとは残念だ。
それとも土地が変わってしまえば俺の事なんて関係ないとでも思ったのか?
またはコイツの年齢からすると俺の事は子供の頃か、又は生まれていなかったのだろう。
人は過ちを繰り返すと言うけど本当に困ったものだ。
出来れば他人に迷惑の掛からない事で過ちを繰り返してくれれば良いのに、ここは再び俺の出番なのかもしれない。
「フッフッフ。お前のような輩のおかげで我は僅かばかりの力を取り戻す事が出来た。感謝の印に貴様には俺の正体を見せてやろう。」
『ゴクリ!』
すると男は顔中に汗を浮かべると音を立てて生唾を飲み込んだ。
そして仮面をズラして半分ほど見せると人間の姿をしていない事に気が付いた。
その途端に顔が恐怖一色に染まり周囲へと響く程の絶叫を上げ村全体がその声に気付いて動き始めた。
「お、おおお、お前は悪魔王!」
「その通りだ。今は力も弱くこの姿だがいずれは完全に力を取り戻し元の姿となってくれる。さあ、正体を見たお前にはここで石となってもらおう。」
そう言って俺は男に近寄るとナイフの切っ先で軽く触れ、石化攻撃のスキルを使う。
するとその部分から次第に石となり始め、男は更なる恐怖に暴れ始めた。
「た、助けてくれ!俺は誰にもアンタの事は言わねえから!」
「誰がこんな事をする者を信じるというのだ。仲間を裏切り罪を他人に擦り付ける卑怯者。貴様が悔い改め神に許される時までお前はその姿のまま永遠の孤独の中で生き続けるのだ。ハハハハハ!」
「か、神様!俺が悪かった!もうこんな事はしないから助けてくれ!」
しかし、その叫びに神の助けは無く、次第に石化が進んで行く。
すると村から人がやってきて男に気が付くと急いで駆け寄って来た。
そして、その姿を見て足を止めると驚愕と恐怖に身を竦ませた。
その頃には俺は見つからない様に空へと上がりその様子を上空から観察している。
状況によってはもう一度姿を晒してあの男を殺さないといけないからだ。
「お前・・・その姿はいったいどうしたんだ!?」
「す、すまねえ皆!昨日の事は全部俺がやらかしたんだ。それで、悪魔王が現れて俺をこんな姿に!」
しかし、意外と男は素直に自白を始めた。
それを集まってきている者達は静かに受け止め、最後まで聞き続ける。
すると涙する男の前で全員が地面に膝をつくと空に向かって祈りを捧げ始めた。
「ああ、我らが主よ。この者の罪を許したまえ。今一度この者に生きるチャンスをお与えください。」
「もうこんな事をしない様に我らでしっかりと戒めます。」
「主の慈悲を今一度お与えください。」
「みんな・・・。すまねえ。俺が馬鹿だったんだ・・・。」
そして男は皆の前で自身を卑下し、後悔の涙を流した。
すると夜の空に不自然な光が溢れると男へと降り注いでいく。
その光は男を完全に包み込むと次第に光を強めて石化した体を元に戻し始める。
それと同時に周囲の苗たちも急速に成長させ大きなサツマイモが地面から顔を覗かせた。
「ああ、我らが主よ。ありがとうございます。」
「主に感謝を。」
「「「感謝を。」」」
そして男は元に戻ると周りと同じ様に地面に膝をつき祈りを捧げた。
その姿は先程までとは近い少し輝いて見えるので、あれならきっと心を入れ替えてくれるだろう。
それにこの地でも神の目がある事を知らせる事が出来たので上手く作用すれば今回のような事は減るはずだ。
その後、男は命の恩人とも言える仲間たちに連れられて村へと帰って行った。
あちらは成り行きに任せるとして、こちらは上の奴と話をしておく事にした。
そして雲の上に居る神の許へと向かって上昇を始め、雲を突き抜けると満天の星空の下に出た。




