183 北の地 ⑤
朝になると俺達は旅の準備を整えていた。
ウシュラからは既に力の回収を終え、シアヌと一緒にこの地を去る事になっている。
それに山の神を自称していた魔物が死んだと言っても、村の奴等がそれを信じるとは限らない。
逆に復活の為にとか殺した罪を被せられて生贄にされる可能性もある。
あちらからすれば自分達に良い気持ちを抱いていない不穏分子を始末する良い口実だろう。
そうなれば邪神は喜んで新しい魔物をここに寄こすはずだ。
それを防ぐ為にここには母熊が残ってくれる事になった。
お誂え向きと言うかこちらも熊であると同時に今回の事でその体も7メートルに届こうかという程に巨大化している。
どの道この地の魔物の駆除を任せないといけないので立候補してくれて助かった。
アイヌは熊を神聖な存在としているらしいのでその点でも丁度良いだろう。
「ここは任せたからな。何かあったらすぐにこっちに来いよ。」
「ゴフ!『コクリ』」
人材不足もあるけど母熊に死なれると色々と困る。
言っては悪いけど、この北海道に住んでいる全人命よりも母熊の命の方が大事だ。
アケとユウもしばらく会えないと分かっているので、しっかりと撫でて毛の触り心地を存分に堪能している。
熊の毛並みは剛毛のはずなんだけど今ではダックスフンド顔負けのサラサラ触感で、どうしてこうなったと言いたくなるほどの変わり様だ。
確かに最初はちゃんと熊らしいゴワゴワした毛並みだったはずなんだけどレベルとスキルを得た結果だろうと気にしない事にした。
そして母熊は俺達に背を向けると村のある方向へと去って行った。
これからこの地の人間はあの母熊を中心に回っていくかもしれない。
きっと色々と変革が起きるかもしれないけど悪い様にはならないだろう。
「それじゃあ足が無いから歩いて行くか。ミズメは辛くなったらすぐに言えよ。」
「うん。でもなるべく頑張ってみるね。」
「ウシュラは兄ちゃんが負ぶってやるからな。」
「人前で変な所を触らないでくださいね。」
2人は昨日からとても仲良しで仲睦まじい感じになっており、兄と妹でなければ夫婦と言っても良いだろう。
昨日も寝る前に俺達が真剣な話をしている横で乳繰り合ってたしな。
「そう言えばハルの提案で朝食は歩きながらとか言ってたが何を食べるんだ?」
「昨日から魚をガッツリ食ったからな。そろそろ朝くらいは甘めな物を食おうと思ったんだ。」
そういえば、こうして同い年くらいの奴と話すのも久しぶりな気がする。
普段から気はあまり使わないけどやっぱり気楽に喋れるのが良い。
そして俺は手頃で簡単で種類も多いパンシリーズを取り出した。
「今日は皆の友達。美味しいお昼パックだ。」
「お昼?今は朝だろ。」
「細かい事は気にするな。食えばそんな疑問も吹き飛ぶはずだ。」
「あ、ああ。そうなのか?なんだか昨日と感じが変わったな。」
俺は皆にパンを配って色々と勧めながらシアヌの言葉に納得する。
確かに昨日までに比べたら他人に対しても少しだけ楽しいと感じるようになっている。
もしかするとこれは過去の俺を取り込んだ影響かもしれない。
これは後で自分の感情がどれほど変化しているのか確認をしておく必要が有りそうだ。
(いざとなった時に敵が殺せないと困るからな。)
そして皆でイチゴジャムやブルーベリージャム。
それ以外にも卵にツナ、ピーナッツクリームを堪能する。
「この赤いの美味し~よ。」
「私はこの紫のが良いです。」
「私は断然このお肉が入ってる奴ね。」
こちらのアケ、ユウ、ミズメは全部を食べてから一番のお気に入りを決めたみたいだ。
俺はピーナッツが良いんだけど好みが分かれるのもこれはこれで面白い。
「俺はこのツナってのが一番だな。」
「私もこれが好きですね。2人で仲良く分けられる所が良いです。」
こちらは味の好みが一緒みたいで幾つもあるのだからそれぞれに開けて食べれば良いのに1つずつ開けてわざわざ分け合って食べている。
(羨ましくないからな。)
しかし、それを見て俺の背後から忍び寄る気配を感じる。
そちらに視線を向けるとアケとユウは笑顔で残った半分を、ミズメは千切ってパンの部分だけを差し出している。
こちらもある意味では普段通りでブレないなと思いながらアケとユウからパンを受け取ると順番に頭を撫でてやる。
「ありがとな。」
「半分こ~。」
「これが同じ袋のパンを食べた仲ですね。」
もしかして同じ釜の飯って言いたいのかな。
確か苦楽を共にした仲って意味だった気がするけど、状況としてはあながち間違いではないだろう。
そして俺は2人から手を離すとミズメへと向きを変える。
「お前はもう少し2人を見習った方が良いぞ。」
「・・・今はこれが精一杯なの。」
そういうのはパンではなく手品で花を出しながら言って欲しかった。
俺は仕方なく中身が空のパンを受け取る・・・フリをして反対の手にあるパンへと噛みついた。
そちらにはパンの具がはみ出しているのでその部分だけを素早く頂く。
そしてパンを受け取って口の中でミックスしてやれば元通りのお昼パックだ。
「あぁ~~~!」
「フッフッフ!油断大敵。」
するとミズメは残っている半分を見詰めて顔を赤くしたりこちらを睨んだりと忙しく表情を変える。
そう言えば魚の食べかけを俺が食べただけでも気にしてたのに俺が食べた後のパンを食べれるのだろうか?
嫌なら新しいのを出して俺がそれを食べても良いんだけどな。
そう思って手を伸ばそうとするとミズメの手の中にあったパンが一瞬で消えてしまった。
(オイオイ!今の速度は音速を越えてたぞ。)
そしてパンの行方は言うまでもなくミズメ自身の口の中で、いつもよりもしっかり味わって食べてるけど大丈夫なのだろうか?
まるでトマトみたいに顔が真っ赤で、今にも血管が切れて倒れてしまいそうだ。
「大丈夫か?」
「だいびょうぶ!ハルひゃって昨日食べひゃでしょ。」
本人が良いと言うなら俺から言う事は何もない。
それに食欲に負けて無理をしている様子もないので口の周りの汚れだけ拭き取ってやる。
「あまり頬張ると可愛い顔が台無しだぞ。」
「%&$W#P*~~~!!!」
するとミズメは真っ赤な顔で口を押えて逃げて行ってしまった。
それにしても最後の悲鳴にも似た声にならない叫びは何だったんだ?
ただリバースしていたり喉に詰まらせた訳では無さそうなので大丈夫だろう。
周囲に危険な魔物や生物も居ないから落ち着くまで待ってれば良いので、その間に俺の方も用事を済ませてしまおうと思う。
「お兄ちゃん何してるの~?」
「もしかして釣りですか?」
「ああ、さっきから来てるみたいだけど、そこの木の陰でずっと隠れてるんだよな。」
「そうだよね~。でも隠れる気があるのかな?」
「さっきから服とか顔がチラチラ見えてるよね。」
俺は2人に頷きを返すと長い紐にお昼パックの袋を結び付けソイツが隠れている木の根元へと投げる。
すると木の陰から手が伸びて餌を掴もうと体を乗り出し姿を現した。
さっきからチラチラ見えていたので分かっていたけどやっぱりコイツか。
しかし掴もうとした瞬間に餌をこちらへと引き寄せ簡単には掴ませない。
「あ~待って~!」
「「「・・・。」」」
「逃げないで~!」
「「「・・・」」」
「やった~。ゲットだ・・・ぜ?」
「先日ぶりですねイチキシマヒメ。先日はここまで送ってくれて助かりました。」
そしてお昼パックを追って目の前までやって来たのはあの時に俺達をここに突然飛ばしたイチキシマヒメだ。
送ってくれるのはとても助かるのだけどその前に突然という単語が付いているのが問題と言える。
そうでなければお礼だけで済ませられるんだけど、今後の事も考えて少しだけお話をさせてもらわなければならない。
「それで今日は何が目的で来たのかな?」
俺はそう言って彼女の鼻を摘まんで立たせてやる。
一瞬ピノキオみたいに伸びないかなと期待したけどそんな事は無さそうだ。
「ひたい!ひたい!言うから離して~!」
「素直でよろしい。それとこれは前回の礼だから受け取ってくれ。」
すると鼻を擦りながら上目遣いに睨んでいた顔に笑顔が灯るけど、ミズメ以上にチョロくて助かる。
「それと出来れば弁財天とも話がしたいのだけど代われるか?」
「良いわよ。ちょっと待っててね。」
そう言って彼女はクルリと回ると簡単に弁才天と入れ替わった。
しかし、その顔は不機嫌そうで気配が明らかに刺々している。
そして手に持っているパンの袋を開けると大きな口を開けて豪快に嚙り付いた。
それはイチキシマヒメに渡した物なんだけど後で別のを渡せば良いだろう。
「美味しいけどこれじゃあ腹の虫が収まらないわね。」
どうやら何かに怒っているのは確かな様だけど、愚痴が言いたそうなのでそこから有用な話が聞けるかもしれない。
「何かあったのか?」
「腹いせに話してあげるわ。実は私が今回立てた計画にアマテラスが勝手に変更を加えたのよ!囮は人間から1人、私達からも1人を選別して送り出す事になっていたのにそれを人間だけで良いなんて言い出したのよ。明らかに危険な行為でしかないのに、しかもいつの間にか5つに分けておいた力の統合の指示も出してるの。もう腹が立って堪らないないわ!」
「そうかそうか。もっと喰いねえ。」
その後も色々な甘味を食べさせ、それを潤滑剤にして弁財天の口を滑らかにさせて行く。
神の間で行われている作戦に関しては知る機会はまず無いだろうから、こういうチャンスを逃さないために甘味くらいは幾らでも消費しても構わない。
それでなくても邪神との決戦についての情報が全くない中でこんな愚痴でも重要な情報源になる。
そして話によるとツクヨミは遊び歩いていたのが兄のアマテラスに見つかって謹慎中らしい。
そして、その見張りをスサノオがさせられているようなので、しばらく現れていない理由も分かった。
それと最近は黄泉のシステムを一新した事と俺の渡した剣のおかげであちらも落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
それにアンドウさんのおかげで死者が格段に減り、よほど大量虐殺をしなければ問題ない状況らしい。
(だから誰も文句を言って来ないんだな。)
それにしてもアマテラスが何かを企てているだろうとは思っていたけど目的は何だろうか。
ユカリの発見も出来ていないし何か関係があるのかもしれない。
「それじゃあ、これをやるからイチキシマヒメに戻っても良いぞ。」
「まあ、おかげで少しスッキリしてお腹も膨らんだから良いわ。でも私が言ったって誰にも言うんじゃないわよ。」
俺が大量のお菓子を渡すと弁財天はそれを収納し、最後に情報漏洩の件を口止めしてからクルリと回った。
きっと自分で収納しておけば別の人格であるイチキシマヒメに取られて食べられる事が無いのだろう。
そして、さっき渡したジャムパンを食べられてしまったイチキシマヒメは手の中に何も無い事を確認するとこちらに向かって首を傾げる。
「あれ?さっき貰ったお菓子は?」
「弁財天が食べて消えてったぞ。ほら、そこに残骸が残ってる。」
他のゴミは片付けたけどそれだけは地面に落ちた形で残してある。
後で魔法の練習ついでにゴミは焼却処分にする予定だけど弁財天は食べた後のゴミを全てポイ捨てしてたからだ。
これも下手をすると戦国時代のオーパーツとか言われて困ることになるのでしっかりと後処理をしておく予定だ。
そしてイチキシマヒメはと言えばその場で膝と手をついてガックリと項垂れると目をウルウルさせ始めている。
まるで姉にお菓子を取られた妹みたいだけど、アケはそんな事はしないのでユウがこういった顔をした事は一度もない。
ただ、俺は妹という存在に甘いので泣き出す前に新しいお昼パックを渡しておく。
「まだあるから泣くなよ。飴ちゃんもやるから。」
完全に近所に住んでいる子供にするような扱いだけど今までの感じからコイツは中身はかなり幼く、おおよそで小学生くらいと言って良いだろう。
喜怒哀楽も激しくてすぐに泣くしすぐに笑う。
だから俺がさっき渡したのと同じ物を見てすぐに笑顔を取り戻して立ち上がった。
「やった~!ありがとうハル。」
「しっかりと食べなさい。まだまだたくさんあるからな。」
「うん!」
「それでなんだけど一つお願いを聞いてくれないか?」
「良いよ。」
「それならあの2人を九州まで送ってくれないか。ここからだと連れて行くだけで大変なんだ。」
「それくらいならお安御用~。」
「そうかそうか。もっと食べなさい。」
「わ~い!」
これでシアヌのとウシュラをここから一番遠くて安全な所へ送る事が出来る。
それにあそこは知り合いも多いから任せられるだろう。
美しい翼の里も近いので何かあればすぐに連絡も来るはずだ。
「そう言う事だからお前らはこれから向かう土地で平和に暮らせ。」
「色々とすまないな。」
「いつかこの恩は返します。」
「そんなに気にするな。それに人の紹介は出来てもその後が本当の闘いだ。人も文化も違うからその辺を気を付けてな。」
「おう!」
「はい!」
俺はそう言ってヒルコとハナへの紹介状を渡し、イチキシマヒメにゲートを開いてもらって2人を送り出した。
どちらも大きな決意と期待の籠った顔で俺達に手を振るとゲートの先へと消えて行く。
「これで後は俺達だな。」
「ハルたちは京で良かったよね。なんだか色々ありそうだから気を付けた方が良いよ。」
「それは既に起こっているのか?それとも旅人の道を示すと言うお前の神としての勘か?」
「どちらかと言えば後者だね。」
ならば気を引き締めて行くとしよう。
人間ならともかく、俺達よりも高位の存在である神が言うならそうなる確率も高そうだ。
「ミズメ~。そろそろ出発するぞ~。戻ってこ~い。」
「うぅ~。なんだかハルが優しくて意地悪だよ~。」
俺は常に優しいと思うんだけど、それは主観的な意見で客観的な意見ではない。
相手がどう受け取るかだけどアケとユウは我先にと俺の手を握って来た。
「俺って意地悪か?」
「お兄ちゃんは優しいよ。」
「ちょっとヘタレてるけど優しいです。」
なんか何処かで聞いた様な気がする返答だけど俺はヘタレてるのではなく節度を守っているだけだ。
そしてミズメもこちらにやって来たので俺はイチキシマヒメに頷きを送った。
既に一食では食べ切れない程のお菓子を渡しているので彼女は何も言わずに頷いてゲートを開いてくれる。
「これを潜れば最後の場所だな。」
「そうだね。私も頑張るからね!」
ただ、ミズメの言葉には何処となく重みを感じるけど以前までは無かった生きようとする強い意志が伝わってくる。
だからその思いを貫かせてやれるように頑張らないといけない。
そして俺を先頭にしてゲートを潜るとそこは煌びやかとは程遠い荒れた都が広がっていた。
「これが1000年の都と言われた京都なのか。てっきりもっと綺麗な所を想像していたけど大違いだ。」
確かにこれは見た感じから言って面倒そうな事がたくさん待ち受けていそうだ。




