119 神への感謝
朝になって目が覚めると1通のメールが届いていた。
そこには昨日ハクレイと話したナノマシンの運用方法が書かれており、それに目を通すと先に起きて朝食の準備をしているアズサへと声を掛けた。
「おはようアズサ。昨日はよく寝れたか?」
「う、うん。もう快眠だったよ、ハハハハハ~。」
「そうか。俺は昨日の夜に変な夢を見たんだけどな。」
「ギクリ・・・。そうなんだね。いったいどんな夢なの。」
「なんだかアズサと大きなマシュマロを食べてる夢なんだ。でもなんか感触がもう少し張りがあって極上だったような・・・・。」
「き、きっと極上のマシュマロだったんだよ!それよりもご飯にしようよ。私お腹空いちゃった。」
「それもそうだな。誰か来ない内に食べてしまおう。」
なんだかアズサの様子がおかしく見えるけど同じ夢でも見ていたのだろうか。
でもアズサなら肉まんよりも少し大きいくらいのマシュマロなら完食間違いなしだな。
そう言えばアズサに付いてる2つのマシュマロと大きさが似ていた様な・・・。
「どうしたの?」
「いや、何でもない。それよりも早く食べて外に出よう。今日は忙しくなるからな。」
そして俺達は食事を終えるとオメガを連れて家を出た。
しかし、オメガの視線が何故か俺に向けられているのに気が付き、何か忘れ物でもしているのかと思い声を掛けた。
「何かあったのか?」
「ワン!」
するとオメガは頷くと尻尾を振りながら肯定を示した。
しかし、足を止めない所を見ると忘れものでは無いようだと思い、もう1つの可能性へと思い至る
「もしかして昨夜の見張りをしていた時に何かがあったのか?」
「ワン!ワン!」
どうやら俺が寝ている間に何かがあったらしく再び肯定のサインをしてきた。
これはアズサの安全にも関わる事なので何があったのか確認しなければならない。
最近はリリーの教育が人と同じレベルまで上がってオメガも平仮名まで書けるようになっている。
人語を理解している時点で文字さえ覚えれば書くのは簡単なので足を止めると地面を使って字を字を書き始めた。
しかし、そんなオメガの前にアズサはしゃがむと太陽よりも眩しい笑顔を向けて声を掛ける。
「ど・う・し・た・の・か・な?」
「ワワ・・ワン。」
すると突然の事に意識を根こそぎ持っていかれてしまったらしくオメガの動きがピタリと止まった。
そしてアズサの手によって抱き上げられると、まるで子犬の様に全身を震わせ尻尾を股に挟み込んでいる。
更に俺へ助けを求めるような目を向けて来るけどハッキリ言うとこちらもそれどころではない。
アズサの笑顔を見た直後から背中に冷汗が止まらず、その背後に般若の幻が見えるので声を出したくても声帯が機能してくれない。
見た目は菩薩なのだけど、これは絶対に話しかけてはいけない状況だ。
現に周りの家からこちらを見ていた人々も一斉に隠れるように姿を消してしまい視線を一切感じなくなった。
きっとここの人達は日本人に比べ危険察知能力が高いに違いない。
「ねえ、オメガ・・・。昨日の夜に何か見たのかな?」
『フルフルフル!』
そしてアズサの問いかけにオメガの首は素直に横へと振られ、何も見ていないと答えた。
俺としてもアズサが知られたくない事だと言うなら別に追及するつもりはない。
それに、こうなった以上はオメガに後で聞いたとしても答えてはくれないだろう。
たとえ答えたとしても俺が何かの拍子に言ってしまうと俺とオメガがどんな目に合うか分からない。
知らない事が身を護る事もあるのだと俺は胸に深く刻み込んだ。
その後もアズサはオメガを威圧し続け、覆面の許へ辿り着いた頃にはピクピクと痙攣しながら気を失っていた。
その間にも悲鳴のような鳴き声や、足をバタバタと動かしているのでどんな夢を見ているのかが想像できる。
まさに口は災いの元なのが良く分かる光景なので、俺も今からは言葉には気を付けようと思う。
そして覆面もこちらに気付いたので互いに挨拶を交わして本題に入った。
「今日も朝に配給をやるんだよな。」
「そうだよ。朝と夜の2回に分けて配給を行ってるからね。そこのアズサのおかげで食料の安全も確保できて安心してみんなに配ってやれるよ。」
「それに関してなんだけど今日は面白いイベントをするから全員に残ってもらう様に伝えてくれ。」
「それは別に良いんだけどね。何をするのか事前に教えてくれないか?お前たちのすることは突拍子もないからね。」
「まあ、どうせ実演するのは俺じゃないから説明はしておくよ。」
俺は周囲に目がない事を確認すると透明なグラスを取り出してそれを覆面へと見せる。
その中には何も入っておらず、逆さにしても何かが零れる事はない。
それを覆面にも渡すと自分でも角度を変えたり、ひっくり返したりしてタネや仕掛けが無いことを確認させる。
「唯のグラスみたいだけどこれで手品でもするのかい?」
「今から神の奇跡を見せるんだ。」
俺はグラスを返してもらうと先程のメールに書かれていたキーワードを唱える。
「大いなる神サラスヴァティーよ~。我に渇きを癒す清水をお与えくださ~い。」
(・・・何が大いなる神だ!俺にあんな称号を寄こしやがって!!お前が大いなる神ならユカリは最高神で確定だろ!!!)
ハクレイは弁才天と話し合えとは言ってたけど、もう少し真面なキーワードにして欲しかった。
そして俺が言葉を言い終わるとコップに一口にも満たない量の水が底の方へと満たされる。
「み!水が勝手に!?」
「あ、ああ。これが神の奇跡ってやつだ。」
ちなみにこの水は無から作り出された物ではなく、ナノマシンがここに到着するまでに海水を真水にして異空間に収納し、それをグラスの中に出しているだけだ。
ただし水の量は信仰心に左右され、敬う気持ちの無い俺ではこの程度しか出す事は出来ない。
何度も唱えれば問題なくコップを満たす事が出来るので俺は水を喉へと流し込むとそれを覆面へと差し出した。
「お前も試してみるか。信仰心が残っているなら水が湧いてくるぞ。」
すると俺の言葉を受けて覆面は震える手でコップを受け取ると両手で包むように握り締めた。
「そんな・・・今更・・・神なんて。」
やっぱりこの国の人間は感情的な面で神に対して否定的になっているようだ。
でも苦しくてどんなに助けて欲しい時に祈りを捧げても何もしてくれなければ神を信じなくなるのも当然だと思う。
俺もあの夜にユカリが何もしなければ世界が滅んでも構わないと本気で考えていたから分かる。
だから神が居て限定的でも願いが届くと知っている身としては1度だけでも良いので試してもらいたい。
「神を信じなくなった後でも一度くらいは感謝した時があるんじゃないのか。例えば子供が生まれた時とかな。」
「子供・・・確かにあの時は神を信じて何度も祈っていたさ。でも運命はそれを引き裂いたんだよ。それに私はその子に名前も付けてやれない弱い母親なのさ。今となってはその子が生きてるかも私には分からないよ。」
そう言って覆面越しに顔を歪めると憎々しげに空を見上げた。
しかし、手元を見て溜息を吐き出すと俺と同じ呪文を唱え始める。
「大いなる神サラスヴァティーよ。我に渇きを癒す清水をお与えください。」
すると俺の時よりは少し多く、2倍の量がコップに満たされた。
しかし、それでも水は一口分しか湧いてきておらず、やはり一度失った神への信仰を回復させるのは難しいかもしれないな。
「何をしているのですか?」
「ああ、エリスか。」
すると少し遅れてエリスも起きて来たらしく、ここで集まっているのが気になった様で声を掛けて来た。。
顔を見ると昨日よりもスッキリしているようなので昨夜はしっかりと眠れたみたいだ。
「そう言えば、その子は誰なんだ。見た目から言ってこの国の人間みたいだけど。もしかして飛行機に乗っていた王族の侍女か何かかい?」
もしかしてエリスが王族だと知らずに受け入れたのだろうか?
それに俺達に対するよりも親切に対応していたし、見た目から気付いていると思っていたのだけど俺の早とちりだったようだ。
「もしかしてエリスは王族として知られてないのか?」
「ええ、まあ。私は赤ん坊の時に国から出されて数年前に連れ戻された後は宮殿に幽閉されていましたから知っているのは一部の者だけだと思います。」
「そうだったのか。」
「はい。あの時は偶然兄に連れられて日本に居ただけで、何でも私を売り飛ばす先が決まりそうだから躾けの最終確認だと言っていました。」
まあ、人によっては何処の国でも良いから王家の血を引いた姫を嫁にしたいと言う奴が居るのかもしれない。
ただ、ほとんど知られていない姫を娶るとすれば、それがまともな理由であるかは疑問が残る。
輸送機に居た奴らにエリスを殺せと命令する程だから、もしかすると拷問好きな変態の所に売るつもりだった可能性もある。
手元にある情報から考えると碌な事にはならないだろう。
そして覆面に視線を戻すと唯一見えるその目が大きく見開かれエリスへと固定されている。
しかし、その口からは小さく声が漏れ聞こえ、手にあるグラスからは止めどなく水が溢れ出していた。
「神様・・ありがとうございます。」
そして感謝の言葉が漏れるとグラスをその場に落として覆面はエリスを抱きしめた。
「あの・・・どうかしましたか?」
「何でもないよ。少しだけ神に感謝してるだけさ。」
「はあ?」
しかし覆面が嘘を付いているのは明らかだ。
少しの感謝であんなに水が湧き出る事は無いので、きっと昔の様に神に対する感謝の気持ちを取り戻したのだろう。
そして、しばらくすると覆面はエリスから体を離して落ちたグラスを拾い上げる。
「私はもう一度だけ神って奴を信じてみるよ。」
「気を付けろよ。神なんてその大半が碌で無しだからな。」
「否定はしないよ。でも稀に良い事を川の様に運んで来てくれるもんさ。私は今日から神への祈りを再開するよ。」
本人がそれで良いなら俺から言う事は何もない。
それに世界には今も手すら差し伸べない神が幾らでもいる事を考えれば弁才天はまだ良い方の神なのだろう。
(認めたくはないけどな!)
「あの、それでさっきのは何だったのですか?コップから水が湧いている様に見えたのですが。」
「そうだった。これをエリスから皆に伝えてもらうのが目的だった。」
俺はエリスの言葉に目的を思い出すと覆面にしたのと同じように説明を行った。
ちなみにそれ以外にも塩の出し方や乾いて荒れてしまった大地の戻し方など幾つかの事をメールに沿って教えて行く。
そして、試したところ即効性があるのは水と塩で大地の再生は時間が掛かるらしい。
さすがの超化学もコス〇クリー〇ーの様に瞬く間に肥沃な大地を取り戻すとまではいかないようだ。
ただし荒れた土地でもナノマシンが植物の育成を助け、かなりの速度で成長させてくれると書いてある。
味はどうか分からないけど覆面にグラフを見せると1週間もすれば収穫が可能だろうと言う事だ。
「これなら人手さえあれば町ごとにどうにか出来そうだね。それでこれはこの町だけなのかい?」
「一応この国全土だな。」
そして俺は覆面を連れて少し離れると周りに聞かれない様に小さな声で話題を変える。
「それと出来ればお前らにはエリスの名前でこの事を広げてもらいたい。その意味が分かるな。」
「・・・アンタ。こんな死にかけた国をあの子に押し付けるつもりかい!?」
「でもこれが神の意志だ。アンタも既に知ってるだろ。」
「・・・。」
「沈黙は肯定と受け取るぞ。それじゃあ任せたからな。」
そして続々と集まる人々の前でエリスは奇跡を披露した。
それはまさに手から噴水を噴き上げる勢いで水を溢れさせ周囲を驚愕させる。
しかし、それを呆然と覆面は眺めその顔を歪めていた。
「お前が名乗り出れば少しはエリスの支えに成れるぞ。」
「私は・・・一度は子供を諦めた女だよ。そんな資格は端から無いのさ。」
「そう言えば昨日の夜にエリスと話をした時にも同じように資格が無いって言ってたな。離れていても親子は似るんだな。」
「・・・。」
「だからアイツには資格が無くても踏み出す意志があれば行動できると伝えた。さて、お前はこんな大変な国を一人に押し付けるのか、それとも苦労を分かち合うのか。決めるのはお前自身だ。どの道このままお前が伝えなくても別な方法で伝達される。その変わらない結果を過程でどうするかは伝える側の判断次第だぞ。」
「子供のくせに言ってくれるね。こんな私にも国を任せようって言うのかい。」
「どう受け取るかはそちらに任せるよ。」
しかし俺の言っている事はまさにその通りだ。
ハッキリ言ってこんなにボロボロで滅亡寸前の国が立ち直るにはエリスだけの力でどうにかなるとは考え難い。
それに覆面なら反乱軍のノウハウを生かして軍の運用や問題が起きた時の鎮圧など嫌われ仕事を任せられる。
それらは大いにエリスを裏から支える事に繋がるだろう。
それに今のままエリスが王になれば我儘を言えるようになるまでに何年掛かるか分からない。
漫画でも王が優秀な側近に仕事を押し付けて遊びに行くのはよくあるシチュエーションなので、きっと良い感じに仕事をこなしてくれるだろう。
そして覆面からは溜息と共に呆れを含んだ視線が向けられた。
「どうなっても知らないよ。」
「また何かあれば少しくらい協力するさ。」
「言質は取ったからね。」
そして話を終えた俺達は何でもない様に戻るとそれぞれの行動へと移って行った。
あちらは今の情報を国中へと伝達するために反乱軍を搔き集め、俺達は魔物退治へと向かうために町の出口へと向かって行く。
そして歩きながら横に居るエリスが声を掛けて来た。
昨日までは必ず少し後ろを歩いていたので良い変化だと受け取っておこう。
「あの、先程は何を話していたのですか?」
「今後についてだな。情報の拡散や今回の事が上手くいった後の事だ。まだ分からない事も多いから覆面に言ってどうするのかを考えてもらう事にしたんだ。」
「そうなのですね。しかし先程はいきなり抱きしめられて少し驚きました。嫌と言う意味ではないのですが懐かしい様なとても不思議な気分でした。私にも子供が出来ればああして優しく抱きしめてあげたいです。」
エリスはそう言って優しい笑みを零すと真っ直ぐに前を向いて歩き始める。
すると反対の手が引かれ、そちらを向けばアズサが子供の様に頬を膨らませていた。
「ム~!」
「どうしたんだ?」
「・・・知らない!」
そう言って頬を膨らませたまま俺の腕を抱きしめて視線を逸らせてしまった。
すると逆の腕に何かが触れる感触があり、そちらに視線を向けるとエリスが体を寄せて服を少しだけ摘まんでいる。
そして今度は背後から視線を感じ、振り向くとそこにはハバルとラウドが俺の様子を見ながら笑いを噛み殺していた。
俺は昨日とはまるで違う状況に首を傾げ、車を出して後部座背へと逃げ込む。
しかし、それはどうも間違った判断だったらしく、俺は後ろの席で左右から挟まれ逃げ道を完全に失ってしまった。
そして、まるで天使と悪魔に睨まれている様な気分で次の目的地へと進み始める。
それにしても車の速度が昨日よりも遅い気がするのは俺の気のせいだろうか。
出来ればもっとアクセルを踏み込んで速度を上げてもらいたいんだけどな・・・。




