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#98

 マリが校舎に入ってすぐ、エイイチは“そういえばビーチくんに会うんだった”と大事な用件を思い出した。

 エイイチはジーンズのポケットに手を突っ込みながら余裕の態度で、マリの後を追うように堂々と校内へ侵入したのだが、直後には屈強な二人の体育教師によって取り押さえられてしまう。


「――いてて、ち、ちがうんだって! 俺はちょっと用事があって! スカートめくってパンツ見たんじゃないって! だからちが……っ、そもそも毎日マリちゃんのパンツ洗ってるし! マリちゃんだって自分から見せつけてくるようなとこあるし!」


 ますます誤解が深まる言い訳を並べ立てるエイイチ。どうもここ数日、付近を不審な人物がうろついているとマークされていたらしい。マリはクラスに溶け込めていないため、エイイチが送迎を担当していることなどだれも知らないのだ。


 教室の窓からは生徒達が何事かと顔を覗かせており、騒ぎが大きくなっていく。無表情に見下ろすマリも事態は把握しているはずだったが、他人のフリをしてやり過ごそうと決めた様子。自分の立場を守ることを優先したのだろう。薄情な話である。


「その方を離していただけますか」


 孤立無援のエイイチへ救いの手が差し伸べられたのはそんな折だった。今まさに警察へ通報しようとスマートフォンを握る体育教師の腕を、細い指が掴んだのだ。


「ア、アヤメさぁん!」


 元ラガーマンのマッチョが驚くほどの力だったが、なにより寒気がする指の冷たさに体育教師は思わず腕を引っ込める。

 アヤメはいつものメイド服姿で姿勢よく、礼儀正しく礼をした。


「お世話になっております。待雪の者です。お騒がせして申し訳ございません。まず、この度の事情をご説明いたします」


 理性的な申し出には教員もうなずく他はない。

 マリは病弱であり、不測の事態に備えてエイイチが通学に付き添っていること。互いによく知った仲ゆえに少々過激なスキンシップも見られるが、今後は控えるように諭すこと。通る声で丁寧に二人の関係性を伝え、教職員を引き下がらせることに成功したアヤメだった。


 このちょっとした騒動、普段あまり目にすることがないメイドの登場もあって、生徒達は興味津々に耳をそばだてていた。アヤメの通る声からなんとか内容を拾った生徒が、他の生徒へと情報を共有していく。おかげでエイイチの冤罪は晴れたのだ。

 しかし事情が知れ渡ったことによる弊害もあった。当事者であるはずのマリは、なぜ助け船も出さずに傍観していたのかと。ざわざわとマリへ白い視線が集まる中、病弱設定が機能してかろうじて同情が上回ったことは救いだろう。


「ふん。べつに警察がきたって、わたしがぶちのめしてやったのに」


 舌打ちを我慢する代わりに鼻を鳴らし、マリは物騒な台詞をつぶやいた。着々と悪役令嬢の道を歩んでいるが、これではエイイチのマリへ対する好感度がデデドンである。


「ありがとうございます! 助かりましたよ本当! ……でも、なんでアヤメさんが学校に?」


 逆にエイイチの株が爆上がりしたアヤメは、礼には及ばずと小さくうなずくのみ。所作からしてマリとは違う。


「急を要する事態が起こりまして。じつは――」

「いやぁ大変だったねエイイチ君!」


 渡り廊下の通用口から登場したビーチが金髪をかきあげ、へらへらと軽薄な笑みを浮かべて近づいてくる。


「なんでもっとはやく来てくんなかったんだよビーチくんよお! 友達ってんならよお!」


 態度がよほど癪に障ったらしい。エイイチが胸ぐらを掴みあげるも、ビーチは何食わぬ顔で受け流す。


「言ったろ? 僕だって忙しいんだ、あらかじめ連絡くらいはしてくれよ」

「これは都合がいい。私もあなたに用があって来たのです」

「え!? あ、そうなんですか?」


 アヤメの言葉を受け、エイイチはビーチから手を離した。

 しばらくアヤメの瞳を覗き込むように見つめたビーチは、やがて先ほどよりも強烈に、端正な顔が歪むほどに口端を吊り上げる。


「へぇ……? 一度ならず二度までも、狼戻館が僕に借りを作るとはね。どうやら楽しくなってきたみたいだ。でも残念だな、すぐに授業がはじまってしまう」


 踵を返し、ビーチは窓へ向かって手の甲を振る。間もなくチャイムが鳴り響き、生徒達は教室へと引っ込んでいった。


「裏手の用務員室へ行くといい。話は通してある。今度は捕まるようなことは無いはずさ」


 言いたいことだけ述べると、ビーチは振り返らずに校舎の中へ消えていくのだった。


「……なんか、やっぱりあいつムカつきませんかアヤメさん」

「ええ。淫行の件、教育委員会に報告いたしましょうか」


 エイイチもアヤメも、ビーチに対してまるで容赦がなかった。




 正門から校舎を回ると、グラウンドの奥に古びた建物がある。おもに文化部の部活棟として使われ、一階の端に用務員室も存在する。


「エイイチ様、ここのようです」

「じゃあ、ノックしますよ」


 コココンと小刻みにドアを打ち、返事を待たずにノブをひねるエイイチ。室内は畳敷きの和室となっており、ちゃぶ台を前にあぐらをかいて座る、小太りな男の背があった。


「なんだぁ? 入っていいなんて言ってねぇべ」


 振り返った男はアヤメ、そしてエイイチへと視線を移して目を見開く。男は頬をヒクつかせながら、作業着の中に着込んだシャツのネクタイを緩めた。臨戦態勢へ移行するかのような動作だ。


「おめぇは……」

「あーー! あんたは!?」


 エイイチは叫ぶと同時、睨めあげる中年男性を指さした。


「知ってる! Y氏! Y氏だろ!? 猟幽會の!」


 ホラーゲーム【豺狼の宴】に登場するキャラクターは余さず覚えているエイイチだ。もっともゲーム本編ではY氏の遺した封印部屋のトラップが登場するだけなのだが、回想シーンで遠目からのほぼシルエットな一枚絵のみ出番がある。


 Y氏ことY4も、エイイチが記憶喪失に至った経緯は把握しているのだろう。だからこそ茶番に付き合う気はないと、エイイチの傍らに立つメイドへ目で訴えかける。


 だがアヤメは許さなかった。鬼気迫る眼力で、逆にY氏を見据えたのだ。


「ぐっ……。……Y氏だぁ? 知らね、そんなやつ。おらぁ山氏(やまうじ)だ」


 苦虫を噛み潰したように、山氏と名乗った。イレヴンによる洗脳から解き放たれはしたが、それが幸福なことだとは決して言えない者もいる。山氏ことY氏もその一人だ。

 猟幽會は命を賭した戦いに負けた。完膚なきまでに。戦士として死ぬのはまだいい。だがY氏の執念は狼戻館に捕えられ、あまつさえ館の礎と利用されたのだ。

 おまけにエイイチ。この男だ。封印部屋のロシアンルーレットにて、本来味方であるはずの男に徹底的に魂を穢された過去。とうてい赦せるものではない。


「ああ、はいはい。イニシャルのYから“山”を名乗ってるわけね。もうちょっと捻らないとバレバレだって、おっさん」


 空気を読まないエイイチの発言に、山氏はわなわなと震えた。この耐えがたき屈辱までもが敗者の有り様ということなのだろう。

 しかし放っておいては、ブチギレた山氏がすべてをエイイチに暴露しかねない。


「いささか失礼かと、エイイチ様。山氏様もお困りのようです」

「え? でもこのおっさん【豺狼の宴】に出てくる猟幽會のY――」

「山氏様、ご協力を願えますでしょうか。当館主より言伝です。“クロユリ”という女性を探して欲しいと」


 聞き覚えのある名に、エイイチがハッと顔をあげる。


「たしかそれって、俺の先生……ですよね。でも俺、ぜんぜん思い出せなくて」

「エイイチ様なら見ればわかるはず、とツキハ様はおっしゃっていました。ですがクロユリ様が町へと帰ってこられた直後、連絡が途絶えたとのことです」


 黙って話を聞いていた山氏は「はん」と笑い捨てて背を向けた。片手をひらひら振ってみせる。


「クロユリなんて女ぁ知らね。おらぁ忙しんだ。とっとと失せろや」

「はて、忙しいとは。ジェイク様をお探しになるからでしょうか」

「――っ!?」


 勢いよく振り返った山氏は立ち上がり、怒りをあらわにした形相でずかずかとアヤメへと詰め寄る。

 山氏の迫力に若干腰が引けつつも、エイイチがアヤメを庇うように立ち塞がった。


 ティンティロリン。


 いまぜったい鳴らすとこじゃねえだろ空気読めよ! と、声なき声で訴えるエイイチ。アヤメは涼しい顔をしている。


「なんでそれを知ってる。まさか……狼戻館(おめぇら)か?」

「いいえ、違います。本日はお取引の日でした。ですがジェイク様は当館へお越しにならなかった。私共との約束を、連絡もなしに違えるとは思いません」


 ジェイクは猟幽會が瓦解したのちも、狼戻館と良好な関係を築けている一人だ。食肉の消費が激しい狼戻館において、定期的に新鮮なジビエを届けてくれるジェイクは重宝されているのである。

 またジェイクとて、狼戻館の恐ろしさは身に染みて理解している。アヤメの言うように、ジェイク自ら取引を反故にすることはないだろう。


「同時期に、お二人が失踪したのです。関連性が高いとみるのは当然では? ここは協力すべきと存じますが」


 歯を噛みしめて俯く山氏は、やがて頭をがりがり掻いた。忌々しいとばかりに、またエイイチを睨みつける。


「おめぇのツラも見たくねぇってのに、マリとかいうあの女まで学校(うち)に来やがって。いつか、おらぁのコレクションの餌食にしてやっからな」


 Y氏といえば、言わずと知れた銃器コレクター。人の社会に溶け込みながら現在も大小様々な火器を収集し、用務員室に隠し持つ銃も十丁を超えている。


「コレクション?」


 エイイチが興味を示していた。突つけば藪蛇。

 アヤメは機転を利かせ、すぐさまエイイチへボソボソと耳打ちする。


「その……盗撮です。校内の女生徒だけを狙ったスナップ写真」

「な!? は、犯罪じゃないですか!」

「け。犯罪がどうした。んなもんで気後れするおらぁじゃねえべ!」

「……なんてやつ。それで、マリちゃんを餌食にって……」


 思いのほか上手くいったと、アヤメは心中で自画自賛する。何気に“盗撮”という、エロゲーにふさわしいワードを盛り込めたところもポイントが高い。

 アヤメの行為をひどいと感じることだろう。けれど相手に恨みを持つのは山氏だけではない。アヤメもまた筆舌に尽くしがたい恥辱を山氏から受けている。


 在りし日、Y氏が狼戻館を訪れた日だ。寝取られ現場だと確信しながらエイイチがプレイルームを覗いていた、あの時。

 銃口で下乳を押し込まれるアヤメの姿を覚えているだろうか。アヤメは忘れていない。衝撃を吸収するような脂肪もなく、あばらがごりごりと擦れる痛みをいまだ根に持っていたのである。


「おい山氏のおっさん! 俺の目が黒いうちに、マリちゃんにそんなことしてみろ!」


 そんなアヤメも、エイイチの憤りまでは計算外だったようだ。迷わず山氏に掴みかかるエイイチを前に、アヤメは万事休すと覚悟する。


「はん。したら、どうだってんだ」

「そしたら、その、いいアングルのやつがあったら……俺が検閲? して、没収? みたいな」


 アヤメは無表情で、デデドンの三連発をエイイチへ浴びせかけた。仕切り直すかのように、声のトーンを落とす。


「それで山氏様。どこか心当たりなどは、おありでしょうか」

「知らね。……けんど、ジェイクの奴ぁ最後に山で目撃されてる。くくり罠の確認じゃねぇべか」


 そもそもが山に囲まれた町なのだ。広範囲が過ぎる。しかし、それでも山のすべては狼戻館の縄張りと呼んでいいだろう。あり得るのだろうか。何者かの気配すら察知できないなど、そんな失態をこれまで狼戻館が犯した事実はない。


 アヤメは山氏へ猜疑の目を向ける。相手は腐っても元猟幽會。謀ろうとしているのではないか。

 そして山氏もまた、アヤメを信用してはいない。なぜならジェイクは山で消えたのだから、一帯を支配する狼戻館が噛んでいる可能性は高いと。

 奇しくも両者とも同じ理由で、互いに不信感を募らせていく。


「まぁいい。おらぁには、こいつがある」


 山氏は畳敷きを素足で歩き、クローゼットから猟銃を取り出した。

 あからさまにエイイチがうろたえる。


「そ、それ本物?」

「あたりめぇだ。なにビビってんだぁ? おらぁは今でも“猟友会”よ。――鉄砲撃ちに関しちゃ、右に出るもんはいねぇ」

「……なるほど。だからスナップショットが得意なんだな……」


 ティンティロリン。と電子音でエイイチの呟きを肯定するアヤメ。

 いかなる状況にあっても、エイイチをエロゲ沼へ沈めるミッションに忠実なメイドである。

 だがこれも山氏から見れば、二人が暗号でやり取りしているようにしか思えないのだ。


「……チ。ついてくんなら勝手にしろや。もたもたすんな」

「ええ。まいりましょう、エイイチ様」

「でもやっぱりな……他人にマリちゃんのパンツ見られるのはイヤだな……」


 こうして確執も認識のズレも埋まらないまま、異色の三名は校外へ向かうのだった。


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