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#97

 夕食後。マリが入浴へ向かったのを見計らって、アヤメはダイニングテーブルに領収書と例の写真を並べて置いた。


「ご覧ください」


 ツキハは顎に手をあてて二枚を見下ろし、センジュも椅子から身を乗り出して模様を見比べる。

 アヤメの隣へ立ったエイイチは、写真を手に取ると驚いた表情を浮かべた。


「本当にまったく一緒だ……。身近にこんな模様ないと思ってたのに、まさかマリちゃんの鼻血が合致するなんて」

「え?」


 なぜか己以上の驚きをみせるアヤメへ、訝しげに目を向けるエイイチ。見つめ合ったまま、しばし時が流れる。


「ど、どうしたんですか? アヤメさん」

「いえ。……鼻血」


 アヤメが言えるわけはない。おびただしい量の出血を破瓜によるものだと思い込んでいたとは、とても。

 アヤメの心情など知る由もないエイイチは、まっとうな疑問を遠慮なくぶつける。


「それにしても、なんでこんな写真を撮ってたんですか? アヤメさん」

「……後学のためです」


 アヤメが言えるわけはない。性知識においてマウントを取られまいと空回った結果だとは、とても。

 後学とは何の? と情け容赦ない追及をエイイチが口にする寸前、見かねたツキハは軌道修正という名の助け船を出してやる。


「重要なことは模様が一致した、という一点のみね。その教職員が言うには、マリの余命は九十日にも満たないと」

「そんなの何かの間違いに決まってますよ! ……でもあいつ、ビーチなんてふざけた名前だけど、嘘をついてるように俺には思えなくて」


 そもそもエイイチ以外の住人は、マリがなんらかの呪いに侵されているだろうことは察しがついている。だがそれでも、具体的なタイムリミットまで示唆されたとなれば内容を精査する必要がある。


「たったこんだけの情報じゃあな。模様の意味もわかんねーし、どうすんだよ」

「センジュ様でもわからないのですか?」


 アヤメにたずねられて、センジュは小さく首を振った。センジュとて元々はビーチと同じく猟幽會だ。ビーチが得た知見を共有していてもおかしくないはずだが、当てが外れたようだ。


「あの頃のあたしは、他に目を向ける余裕なんてなかったから……」


 椅子に片膝を立て、視線を落とすセンジュ。

 重苦しくなった空気を払拭するように、エイイチが声を張りあげる。


「俺、明日またビーチくんに詳しい話を聞いてきます。出し惜しみするようなら、淫行をネタに脅してやる覚悟でね!」


 善性のかたまりのような男が、罪をでっち上げ脅迫してでも聞き出すと言うのだ。言葉通り並々ならぬ覚悟があるのだろう。


「……ほどほどになさいね」


 しかしエイイチが公的機関などの厄介にならないか、そちらの方がよほどツキハは心配だった。


 話が一応のまとまりをみせたところで、風呂上がりのマリがダイニングルームへ入ってくる。

 Tシャツ姿で首にはタオル。ヒップラインの目立つホットパンツを履いたマリの格好に、ツキハは眉をひそめる。


「男性もいらっしゃるのよ。もう少しふさわしい服装というものがあるでしょう」


 お説教もどこ吹く風。スリッパをぺたぺた鳴らしてテーブルまで歩みを進め、マリは住人一同を見渡した。エイイチが舐めるような視線を自身へ向けていることに満足し、キューティクルな黒髪をかき上げてフレグランスオイルの香りを振り撒く。


「エイイチくん。つぎ、お風呂入ったら?」

「え? あ、ああ……いや、居候みたいなもんだし、俺は最後でいいよ」


 本当は残り湯を楽しみたいくせに。魂胆は見抜いているぞと、マリは半開きの瞳でエイイチを値踏みする。


「な、なんだよそんな目で人を見て」

「べつに。素直じゃないなぁって」

「マリちゃんにだけは言われたくないぜ」

「ふふん」


 たじろぐエイイチを前に、ますます勝ち誇るマリである。彼らの間では何かしらの勝ち負けが成立しているのだろうか。


「エイイチ様、遠慮なさる必要はございません。我が家のようにくつろいで下さいませ」

「ええ、そうね。本来なら一番風呂を浴びていただきたいところよ。慣れない仕事ばかりでお疲れでしょう? 先に入ってらして」

「そ、そうですか? アヤメさんとツキハさんがそう言うなら……じゃあお言葉に甘えて、お風呂いただきますね」

「ほらほらエイイチくん、早く行った行った」


 こうして半ば追いたてられるように、エイイチは二番風呂へと向かったのだった。


 ダイニングルームは四名となる。先ほどのやり取りを黙って見ていたセンジュが、頬杖をついたまま不自然なマリの態度へ言及する。


「……で? わざわざエイイチを追い出して、聞かれたくない話でもあるわけ?」


 よくぞたずねてくれました、とばかりにマリは胸を張る。秘密を明かす少女のごとく得意気な顔で、マリは楕円形の小さな機器をテーブルへ四つ並べた。


「わたしね、すごいこと思いついちゃった――」



◇◇◇



 翌朝、ゲストルームの壁掛け時計を確認したエイイチは跳ね起きた。学校までは距離があるため、マリの登校は時間がかかる。遅刻ぎりぎりのラインである。


「やっべぇ!」


 急いで身支度を済ませ、廊下へ飛び出すエイイチ。待機していたアヤメとぶつかりそうになってしまう。


「申し訳ありません、何度かノックをしたのですが」

「いえいえ、寝坊した俺が悪いんです! 行ってきます!」

「よろしければ、道中でこちらを」


 ストレッチフィルムに包まれたサンドイッチを受け取り、エイイチはアヤメに微笑みを返した。


「いつもありがとうございます! ……あれ? アヤメさん、髪ちょっと切りました?」

「はい。前髪を多少整えました」


 ティンティロリン――と。


「ん?」

「どうされました? エイイチ様」

「い、いえ。今度こそ行ってきます!」


 たしかに甲高い電子音のようなものが聴こえた気がしたのだが、今は空耳を気にしてる場合ではない。エイイチは階段を駆け下りてエントランスホールへ向かう。


「遅いよエイイチくん、何してるの!」

「ごめんごめん! 間に合うかな!?」

「まあ、軽く走れば大丈夫でしょ」


 すでに玄関で待ち構えていたマリと合流し、二人は揃って外へ出た。


 本日も晴れ晴れとした春らしい天気だ。けれど陽気にかまけてのんびりとはしていられない。急がなくてはならないのに、だがマリはエイイチの顔を覗き込むように後ろ歩きしている。


「な、何してんのマリちゃん? 走らないと」


 デデドン――と。


「んん?」


 今度は重低音な電子音が響き、エイイチは思わず辺りを見渡した。いつもの山道。木々や草花以外に何もない。

 首をひねるエイイチへ、マリが問いかける。


「今日のわたし。いつもと違うところ、ない?」

「え? 違うところって……べ、べつに何も」


 デデドン。


「ほらまた!? 変な音聴こえない? マリちゃん!」

「聴こえない。それより、もっとちゃんと見て。あるでしょ何か」


 マリは顔を寄せてくる。数十センチ先の赤い瞳。睫毛は長く、鼻は小さく、唇は柔らかそうで艶がある。エイイチが激しくなる胸の鼓動を自覚して固まっていると、トンビが空をピーヒョロロと横切っていく。


「か……髪切った?」


 デデドン。


「リ、リップ変えた?」


 デデドン。


「カラコン? ファンデーション!?」


 デデドン。


「ネイルッ!!」


 ティンティロリン。


 マリはにっこり笑うと、反転してようやく普通に歩き始める。どうやら正解したらしい。

 プレッシャーからか、まだ走ってもいないのにハァハァとエイイチは息を切らしていた。顔を間近に寄せておいて、爪の変化に気づけというのが非常にずるい。そしてさっきから響く電子音はいったい何なのだと困惑している様子。


 事の発端は昨夜の事だ――。



◇◇◇



「……何だよこれ? 防犯ブザー?」


 楕円形の機器を手に取ったセンジュは、眉間にしわを作る。小さな機器には簡素なボタンが二つ付いているだけだ。


「駄菓子売ってるお店に、ガチャガチャがあったの。ボタン押してみて」


 マリに促され、他の三名はボタンを交互に押す。ティンティロリン、デデドン、と。三つの電子音が重なってとてもやかましい。


「四つ当てるのに、二千六百円も使ったんだから」

「……あなた、こんなおもちゃに何を考えているの? 高校生にもなって」


 異形の中で若輩とはいえ、実際には高校生どころか半世紀を優に越えて生きている次女である。ツキハが呆れ返るのも当然だろう。


「わたし達の目的は、エイイチくんに狼戻館をアダルトゲームの館だと勘違いさせること。だよね?」

「ええ、そうよ。それが何か――……あなた、まさか」

「前にお姉ちゃん、言ってたでしょ。昔の恋愛ゲームは、好感度をわかりやすく効果音で表してるゲームも多かったって」


 つまりはエイイチの言動に好感を持ったならティンティロリン。萎えてしまったならデデドン。ゲーム的な演出を叶えるための道具であると。


「お姉ちゃんが作った、洋館住んでなんたら。とは仕様が違うかもしれないけど、まずはエイイチくんをゲーム空間に引きずり込むのが大事」


 一理ある。何よりツキハの計画に乗ろうとしているのだから、頭ごなしに否定はできない。

 しかしアヤメがもっともな疑問を口にする。


「その……さすがに子供騙しでは?」


 マリはわかってないなと首を振り、自信満々な笑みを浮かべるのだった。


「子供でも騙せるのが、エイイチくんでしょ」



◇◇◇



 さて。野山を駆けながらエイイチは、電子音の正体を探っていた。

 どうもマリが気に入りそうなことを言えば高い音が鳴り、その逆ならば低い音が鳴る。単純明快な反応だ。

 そして電子音の発生源はマリの手中にある。なぜなら音が鳴る直前、握り込んだマリの拳がピクリと動いているからだ。

 今朝の出来事から察するにアヤメも持っているし、他の住人もおそらく所持しているのだろう。


 アヤメの危惧した通り、子供騙しはとっくにバレていた。マリはエイイチを馬鹿にしすぎだった。


 ただ、エイイチに証拠を突き止めるつもりは毛頭ない。なぜこんなことをするのか腹の内はわからないが、心情をわかりやすく教えてくれるなら却って都合がいいのである。


「ハァ、ハァ――てか、マリちゃん足速くない!?」

「遅刻しちゃうでしょ。エイイチくんが遅いんだよ」


 体力無尽蔵のマリへ追いつけるわけもなく、エイイチは必死に食らいついていく。どこが病弱なんだと毒づきたくもなる。

 先を行くマリは飛ぶような軽やかさで山道を走っていたのだが、ふと違和感を覚えて自身の足もとを見下ろした。


「……あれ。なんか……」

「どうしたの!? ハァ! ハァ! どこかトラブった!?」

「ううん。何でもないよ」


 結局いつもとの感覚の違いには気づけぬまま、無事に登校を果たしたのだった。




 校門前で、エイイチはぜぇぜぇと荒い息を整える。安堵の表情で駆け込む生徒がちらほら見受けられ、マリもどうやらその一員には加わることができたらしい。


「ふぅ。間に合ったね」

「あ、あぁ……いって、らっしゃい……」


 お見送りのため、エイイチは声を絞り出した。

 するとマリは影踏み遊びをするかのように、楽しげに踵を返す。ひるがえったスカートを後ろ手に押さえ、じっとエイイチを見つめている。


「? 始業のチャイム鳴っちゃうよ?」


 まばらにいた生徒達も、さっさと教室へ向かったのだろう。いつの間にか周囲の人影は消えていた。


「わたしに、何か言うことない?」

「ま、またそれ!?」


 マリの眼差しは期待に満ちている。だがエイイチが目を凝らしても、マリが喜びそうな変化はもう見つけられない。


「エイイチくんは、わたしに告白したよね。好きだって」

「う、うん。それはまあ……したけど」

「なら、言いたいことあるでしょ、いっぱい。胸の中の本音、なんでもいいから言うといいよ」


 きっと“かわいい”だとか“綺麗”だとか、なんでもいいのだ。マリは喜ぶ。ありきたりでも、エイイチの本音には違いないのだから。読み尽くした【ノベルティック・ラブ】にだって、愛を伝える言葉に余計な装飾はいらないと描かれていた。


 エイイチはマリとの距離を一歩詰めると、そんな女心を理解しているのか、穏やかな表情で告げる。


「マリちゃんってさ。本当は化物なんだろ?」


 マリの瞳が大きく見開かれた。

 絶句して息も吐けなかった。

 いくらホラーゲームに取り憑かれているからといって、この場で出てくる台詞だろうか。怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ鈍器で殴られたようなショックを受けていた。はじめてエイイチという男のことが、本気でわからなくなった。


 エイイチの顔色は一切変わらない。


「だけど、たとえそうでも、俺は――」


 いかにも春らしい、とても強い風が吹きつける。マリが後ろ手に押さえることも忘れていた制服スカートは、強風に勢いよく巻き上げられた。

 下へ泳ぐエイイチの目が、マリの瞳以上にガン開きとなる。


「お、俺は……えと、マリちゃんて、やっぱり何履いても似合うなって思う。今日のもサイドのリボンがかわいいし、黒でも大人過ぎないっていうか。ピンクの差し色がいい仕事してるっていうか……。なんか、気づいたら今日はマリちゃんどんなパンツ履いてんのかなって、毎日考えてて――」


 生まれてはじめて抱いたショックすら失せてしまった。とんでもないエイイチの本音だった。

 棒立ちで、風でぱたぱた捲れるスカートもそのままに。色の消えた瞳で、マリは呟く。


「……エイイチくんって本当……最低の変態だね」


 下衆が極まったエイイチには、当然返す言葉もなかったが――。


 ティンティロリン。と、なぜかマリの好感度は上がった。


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