胸を張って
「お主は仮にも『相談屋』の代表として今ここに立っているのじゃろ?」
久恩の声が私の脳内に響き渡る。
ここに来てから、久恩に今の私の話はしていない。だというのに、久恩は私が置かれている状況が分かっているようだった。
それは長年の知識と経験というものだろうか。
もしかしたら、私が勝手についてきてしまったことすら、気が付いているのかもしれない。
小雪によって、徐々に壁際に追い詰められていく私。
そんな私に向かって、久恩は真っすぐ視線を投げてくれていた。
「良いか、堂々とするのじゃ。胸を張れ」
久恩の言葉に小雪が動きを止める。
そして、ゆっくりと久恩の方向を振り返った。
「胸を張れ? よくそんなことが言えるわね?」
小雪の目にははっきりと憎悪の炎が灯っている。覗き込めば、戻れなくなりそうな印象を抱く。
私の恐怖とはそっちのけに小雪は久恩にどんどん近づいていく。
「裏切り者のお前がよくそんなことを言えたわね? お前が私たちのことを裏切らなければ、私たちはもっと長く続いたのに! 胸を張れる要素なんてどこにあるのっ!?」
叫び声は大きくて耳をふさぎたくなる。
聞いていて耳も心も痛くなる。
目をそらしかける。
「お願いだ、見ててほしい」
耳元でシロの声が聞こえた。
死んでしまって、周りに姿も認知されないシロの声。聞こえるのは私だけ。
シロの切なる願いを聞き届けられるのは私なのだ。妙な責任感を感じて、私は静かに目を開いた。
小雪のことを見つめる。
そして、久恩もまた、小雪をまっすぐ見つめていた。
縛られていても、しゃんとして背中は曲がることはない。
「胸を張れるとも。妾はやましいことなど何一つしておらんでの」
凛とした声がその場に響いた。
小雪の形相が鬼のようになっていく。美しかった顔が怒りと絶望で歪む。
何だか、とても痛々しく思えた。
「裏切りをやましいことではない、というのか!」
小雪が叫ぶ。
それに呼応するかのように、“穢れ”た部分が熱を持つ。崩れ落ちそうな体を賢明に支えながら、私はそれでも、小雪を見つめ続ける。
「妾は裏切ったつもりなど毛頭ないのでの。後悔も懺悔も反省もあるものか。悔いなど一つしてして残っておらんわ」
久恩はそう言い放った。
悔いなどない――、その言葉は強くて、同時に私の心の傷をも抉る凶器でもあった。
私の感情はきっと小雪にとっても変わらないのだろう。
小雪は目を見開いて、固まってしまった。
赤い涙がこぼれ出す。
「小雪……。小雪、もう、いいんだ。僕は誰も恨んでいないから。悲しんでなんかいないから。仕方なかったんだ。……しょうがないことだったんだ」
シロが狐の面の下から必死に小雪に呼びかける。
でも、死者の言葉じゃ届かない。
だからと言って私も動くことは出来ず。
「誰が間違ってたとか、そんなのじゃない。いや、僕が間違えたのかもしれない。でも、でもね、……僕は小雪が笑ってればそれで良かったんだ。それだけで、良かったんだよ、“藤白”」
シロがかすれた声で名を呼んだ。
藤白――、それはきっと小雪の真名だ。
百鬼夜行の長が、自分のグループに入れるときに付ける、もう一つの名前。その名前で、組織の仲間の暴走を止めることができる。その名、一つで縛られる。
そんな大事なもう一つの名前。
長以外が口にすることは許されない。
だけど、もし、長が死んでしまったら。
その名前はどうなるのだろう。
私には分からない。
分からないことが多くなって嫌になる。
不意に小雪が姿を変えた。
妖格化したのだろう。
水色の髪と同じで光沢のある、二本の狐の尾。同じ色の耳。そして、真っ赤な瞳。
やっぱり息をのむほど綺麗なのに、どこかもの悲しさを覚えて胸が締め付けられる。
悲しい二尾の姿がそこにあった。




