怨霊の利点
衝撃音が響いた。
私が先ほどぶつかってしまったせいで凹んでいた壁に、穴が開いた。
砂煙が消えて、小雪と目があった。
「な、何で?」
呆然とした小雪の声が私の耳に届いた。
それはそうだろう。最もな感想だと思う。
確実に殺すつもりで放たれた蹴り。しかし、その足が柔らかな肉を捉えることはなく。
私の体を通り抜けて、壁に突き刺さった足。
自分の意志では妖格化なんてできないと思っていた。
だけど、ピンチなれば、体は嫌でも動いてくれるらしい。私は自分の本来の姿である怨霊となって、その場に居た。
全ての物理法則を無視してそこに存在していた。
「どうしてよ、おかしいでしょ?」
震える声で小雪が私を睨みつけてくる。
私はすくっと立ち上がった。
頭から血が流れたせいか、少し落ち着いてきていた。
「すいません、私、怨霊なもので」
そう言えば、小雪がギリッと歯を食いしばった。
「そうか。幽霊同士だから、僕の姿が君には見えるんだね」
シロがぽつりと呟いた言葉が耳に刺さった。
それは違う。
「波長があっただえですよ」
ぽつりとつぶやき返せば。
シロが驚いたようにこちらを見た。
そして、小雪が私を睨みつけてきた。
「餓鬼のくせに、お頭様をみてるのね?」
小雪の吊り上がった瞳に涙が溜まっていく。
「頭領じゃと? 何を寝ぼけているのじゃ、小雪。頭領は死んだのじゃぞ?」
久恩が不思議な顔をして、小雪を見つめる。
小雪がキッと久恩を睨む。
「死んだと知ってたのね? 知ってたくせに来なかったのね? やっぱりあんたは裏切り者じゃない!」
金切声で小雪が叫ぶ。
久恩がハッとしたかおをして、傷ついたように目を伏せる。長い睫毛が細かに揺れた。
シロが数歩下がって、首を振る。見ていられないと言いたいのだろう。
確かに。見てはいられないだろう。
見苦しいのもある。だけど、それ以上に胸が占められるぐらい苦しいのだろう。
「あんたを恨んでやる!」
そう叫んだ小雪の体がじわり、と紫色に染まった。
やっぱりか。頭のどこかでそう思った。
小雪はすでに“穢れ”を体内に宿している。いや、“闇堕ち”していると書いたほうが正しいかもしれない。
穢れの大元である闇落ち。
根源は清めの水でも落とすことは出来ない。根本から腐った部分を切り取らねば治らない。つまりは、根本的な治療が必要になってくるのだ。
しかも、ただの治療ではない。
心の治療だ。
一歩間違えれば、相手をより深く傷つけ状況を悪化させることもある。
私は小雪と正面から対峙して、ごくりと生唾を飲み込んだのだった。
背中を冷や汗が流れ落ちていくのを感じていた。
何をどうしたらいいのだろう。頭が次第に真っ白になっていく。
やらねばならないことがあるのに、どうしたらいいのか分からない。脳みそはとっくに容量を超えていると叫んでいる。
「落ち着くのじゃ、美姫」
そんな中、久恩の声だけが不思議とはっきり聞こえた。




