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泡沫  作者: 若葉 美咲
2.過去からの復讐者
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幸いなるかな


 夜がやってきた。

 離れが燃えてから三日目。

 久恩が倒れて半日以上。それでも、『相談屋』は組織として機能していた。

 それは社長がそれだけ凄いということだろう。

 だけど。

「ごめんなさい」

 素直じゃない私。

 人間だったころは絶対にやらなかったであろう行動。言われていないことをやろうとしている。それは、駄目だと言われたことで。

 でも、私にとっては最優先なことで。

 だから、私は言いつけを破った。

 部屋で待機だと言われていたのに。

「乃愛も、ごめんね」

 純粋な乃愛を出し抜いているようでとても申し訳ない。

 久恩が心配だから、落ち着いたらお見舞いに行きたいのだと言った。久恩の居場所を聞き出すために。

 乃愛は私の言葉を疑いもせずに久恩の寝ている部屋を教えてくれた。

 私を信頼してくれていたのかもしれない。

 だからこそ、乃愛へは申し訳なく思う。

 だけど。

 私はそれでも行かなければいけない。

 だって、私が久恩を傷つけようとしている小雪という人ならば、今日という日を逃さない。

 この日を狙って襲撃するだろう。

 私は久恩の部屋まで進む。

 誰にも追われていないかを確かめつつ、久恩の部屋をひたすら目指す。

 もし、久恩が朝まで無事だったのなら、大丈夫だ。私が怒られれば済む話だ。

 だけど、何かあったら。その時は私は久恩を守りたい。

 社長の右腕のような人だ。密かに久恩に憧れているのだ。

「私だっていつか社長の隣に立ってみたい」

 呟いて唇をかみしめる。

 こんな勝手な行動していて何が隣か。怒られて終わる可能性だってあるというのに。

 その時だ。

 久恩が寝かされているという部屋から、大きな物音がした。

 誰かのうめき声と、襲撃を知らす鐘の音。

 私は足に力を込めて全力で走り出した。この際、人の目なんか気にしていられない。

「久恩さん!」

 部屋に飛び込めば、見知らぬ黒い影が久恩を闇へと引きずり込もうとしているのが見えた。

 見たことのない影に一瞬怯む。

「おやおや、見たことのない餓鬼だねぇ」

 部屋の中央で水色の髪を靡かせた美人が笑っていた。

 背筋が凍り付くくらい美しく恐ろしい人だった。

 微笑まれているのに、何故だか冷や汗が止まらない。じっと視線を交わしているだけでこの人が相当、危険な人だということが分かった。

 いや、今更だか、彼女は人ではないのだろう。

 人間とはかけ離れた美貌だ。

 艶があり、癖の一つもない水色の髪。海を映したような青い瞳。うっすらと桃色の唇。そのすべてが計算されたように配置されている。

「ふふ、まあいいわ。目的は果たせたも同然よ」

 女性が笑う。

 それで、私はここに来た理由を思い出した。

 久恩へと視線を向ければ、久恩の体は半分以上、闇に飲まれていた。

「久恩さん!」

 もう一度、叫んで手を伸ばす。

 その手を女性が扇子で私の手をたたいた

「お止し。この闇はあたしが許可していない者が触れると“穢れる”よ」

 そう告げて、女性が闇の中へ飛び込んでいく。

 “穢れ”――蓄積された負の感情。ある程度の“穢れ”は皆が持っているものだ。だが、それは日常の中で浄化されていく。だけど、日々の浄化が“穢れ”に追いつけなかった時、溜めすぎた者は“闇堕ち”してしまう。周囲にいる者に呪いと害を与えるようになってしまうのだ。

 しかも、“闇堕ち”した者から“穢れ”はどんどん広まっていく。

 妖界で最初に教わった基礎の基礎の話だ。

 嫌というぐらい頭に叩き込まれた。

 それでも、闇に沈みゆく久恩を私が放置する理由になどならない。

 私は咄嗟に久恩の腕へと手を伸ばす。

 あと少しというところで、私の手は空を切った。何も掴むことができなかった。

 闇が消えていこうとする。私に戸惑っている時間なんて無い。

 消えゆく闇を見据えて、私は立ち上がった。

「駄目だ!」

 誰かが私を止めようと叫んだ。

 聞いたことのない声。社員の一人だろう。

 だけど、私はその言葉で止まるわけにはいかなかったのだ。

 ここで止まったら、何のために私が来たのか分からなくなってしまう。ここで止まるぐらいなら最初から部屋で待機していた。

 唇を噛みしめ、私は闇の中へと身を投げた。

 夜よりも黒い色が私の体を包む。

 瞬間、熱さが体を覆った。いや、猛烈な痛みが私に襲い掛かった。

 感じたことのある痛み。かつて、私が怨霊だったころの痛みに酷似している。

 “穢れ”が侵食してきているのだと気が付くのに時間はそうかからなかった。

「大丈夫」

 心の中で唱える。

 例えこの身が“穢れ”きってしまったとしても。私がやるべきことは一つだけ。

 久恩を助ける。

 真っ暗な中、どちらへ進めばいいのかも分からない。

 だけど、私は久恩を求めて必死に手足をバタバタさせてみた。

 “穢れ”の痛みに堪えながら。

 だが、所詮は私は何にもできない半人前だったということだ。

 意識は次第に飲まれて消えていった。激痛だけが眠るなと促してくれていたが、私の瞼はついに落ち切ったのだった。


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