二柱の片割れ
静かな部屋で私と久恩は見つめあった。
赤い瞳を見つめていると、吸い込まれそうな気分になってくる。
「まず、どこから説明しようかの? そうだ、妖界が一つの王を崇拝していることは知っているな?」
久恩の質問に私は思考を巡らせた。
聞いたことがある。入りたての私に乃愛が基本知識として私に叩き込んでくれたのだ。
「はい、妖怪王のことですよね?」
聞き返せば、久恩が満足気に頷いた。
妖怪王。単語でしか知らないが、きっと凄いお方なのだろう。だって、種族も考え方も違う妖たちをまとめているのだから。
「数百年前まで、妖怪王には孫がいた。孫が後に王座に就くことになっていた。それは知っておるか?」
思考を巡らせていた私に久恩が問いかけてきた。
聞いたことがない話に、今度は首を横に振る。
社長が再び、煙管に火を付けた。
「そうか。実は先の話の通り、孫が『居た』のだ。しかし、王座が引き継がれるというところで、孫は姿を消した。いや、行方を眩ませたと言った方が正しいの」
そんなおとぎ話みたいなことが本当にあり得るのだろうか。俄かには信じがたい話だ。
そもそも、人間界との勝手が違いすぎる、というのも大きいのだろうが。
「人間界に降りて、それきり、姿を消した。生きているのか死んでいるのかも分からないのが現状だ」
久恩が俯いた。
銀色の髪が久恩の肩から滑り落ち、それが色っぽい。童の姿をしているというのに、香り立つ色香に女でもやらそうだ。
聞いている話も相まって、自分が物語の中に迷い込んでしまったような気がしてくる。
「だが、妖怪王の老化は待ってくれるものではない。美しかった鱗もいまでは少しずつ、硬化が始まり、白くなりつつある」
久恩の語る言葉はまるで、妖怪の王を知っているような口ぶりで、何とも変な感じがした。
赤い瞳は私を見据えていない。窓から差し込む、月光を見つめている。
「きっと、もう、あと百年も生きられまいよ……。それが定めなのじゃから言っても詮無いことじゃがな」
悲しそうに微笑む久恩の顔が私の網膜を刺激した。
なんで、こんなに胸が締め付けられるのか言葉では説明できない。
「とにかく、このまま妖界を無法の地にはできない。それで、妖怪王は決定を下したのだ」
久恩の隣で社長が煙を吐き出した。
一瞬、社長の顔が白い煙で隠される。
「『妖界で一番信頼を集めた百鬼夜行の長を新たな跡継ぎとする』」
低い社長の声が脳内に響き渡った。
一体、妖怪王はどんな気持ちでそのお触れを出したのか。私には想像を絶する。
「それが、ほんの百年前の話じゃ。その当時、妖界は大いに荒れまくったものよ……」
久恩が赤い瞳を細めた。
目は私を映しているが瞳に移っているのは私の知らない、過去のできことなのだろう。
何が起きたのか、何を思ったのか。きっと百億の言葉で語られたとしても私にはきっと完全に理解することなどできない。
それが悲しくて。でも、とても、美しいとも思った。
「書くいう、妾もその波に乗っておってな。妖怪王の友達だというのに、色々暴れまわっておった」
くすくすと笑う久恩。
だが、私にとっては耳を疑うような話が飛び出てきた。
妖怪王の友達、と確かに久恩はそう言ったのだ。
「気にすんな。妖界では稀に聞く話だ。その手の話は半分が本当で、半分が嘘だ。自分で聞き分けな」
社長が面白そうに笑いつつ、口を開いた。
物も言えない私の様子が面白いようだ。
「何、気にするでない」
もったいぶった久恩が付け足す。
顔を赤らめ、恥じらって見せてくれたがわざとらしい。
「まあ、妾もあの当時はまだまだ子供じゃったということだな、うむ」
必死に胡麻化している感じがすごい。言葉にしがたいのだが、変な感じだ。なんだろう、憧れの先輩の知りたくもない一面を見せられたような、そんな感情に近い。
「それでな、妾も調子に乗って百鬼夜行に参戦したのだ。もっとも、組を率いる質ではないのでの、手近な百鬼夜行に加わっただけじゃが」
久恩の表情がすうっと冷えていく。
「その百鬼夜行は義賊のような活動をして居っての、金持ちから貧しい者へと物流を流しておってな。ま、言わば強盗だの、一揆だの……ま、手が付いたところから、壊しまわるようなおとをして居った」
久恩が眉根を寄せながら笑った。
社長は口を閉ざし、壁に寄りかかっている。
私は何も言えず、久恩の話を黙って聞いていた。
「まあ、そんなやんちゃをしておれば、とっつかまるのも時間の問題ということじゃな」
「そんな! だって、貧しい人の為を思って行動していたんでしょう!?」
思わず、言ってしまった。
私の言葉に久恩は小さくお礼を言った。
「お主は優しい子じゃの。そうじゃ、最初は優しさから生まれた行動だ。だが、金を持っている奴がそれで納得するか? 盗まれた者が黙っていられるか?」
久恩が目を伏せた。
「答えは簡単じゃ。許せるはずもあるまい。そうやって活動しにくくなっていったんじゃ。後は堕ちるだけじゃった」
うっすらと開かれた赤い瞳はもう、私を見ることはしない。床に縫い留められたようにそこから動くことはない。
「賭博場でのいかさま、殺しに押し入り、闇討ちなんてのもやったの。いつの間にか、ただのごろつきと変わらない集団に成り下がっておった。同時に妾はいつの間にかその百鬼夜行の右腕とも呼ばれる存在になってしまっておった」
久恩の両手は固く握りしめられ、膝の上で震えていた。
だかど、かける言葉が見つからない。
「左腕と呼ばれる者と二柱なんて呼ばれておってな。だが、それも続かぬ。妾がその百鬼夜行を脱退したのだ」
いつの間にか呼ばれ始めてしまった、あだ名。
お前はいい子だから――、その言葉が脳裏をよぎる。
いつの間にか他人の思い込みが自分を象っていく。その重さを私は知っている。
「何、お主とはちと違う。妾は自分に付けられた呼び名を当時は重荷になど感じもしなかった。だが、出会ってしまったのじゃ」
誰に、という問いは直ぐに掻き消えた。
久恩の瞳が社長に向けられている。
信頼しきった瞳だ。光を見る時のように目を細めて。きっと久恩にとっては社長が希望だったのだろう。
いや、社長の中に何かを見つけてしまったのかもしれない。何かの拍子に。
それは私の知るところではないし、触れてはいけないことだろう。
「だが、妾の退団でバラバラになりかけていた百鬼夜行はすぐに潰れたらしい。その時のことは人づてに聞いただけじゃがな」
久恩が再び、私の方に目を向けた。
「中には妾を裏切り者と思うものも居た様じゃ」
久恩が眉根を寄せる。
きっと、そんなこと百も承知だったろう。それでも、一度、時を共にした者達にそんな言葉を投げつけられるのは苦しいことだ。
私は何も言えない。
その場にいたわけじゃない。上手い言葉も見つけられない。関係者でもない。増してや、私はその時代に生まれてすらいない。
唇を引き結ぶ。
社長が久恩の頭に手を置いた。
「そうじゃの、まだ話は終わっておらんよ、お前様」
久恩が震える声で言った。
長い銀髪が久恩の表情を隠す。それと同時に雲が月を隠したらしい。部屋の中が暗くなった。
「妾が所属しておった百鬼夜行の名は、『桜蘭白夜』と言っての、皆、花の名前が真名の中に含まれておった。そして、白い藤の名をもらったのは嘗て妾と並べて称された二柱の片割れ――、小雪じゃろうな」
久恩の言葉に私は目を見開いた。
社長が労わるように久恩の頭を撫でているのが、どこか遠い景色のように感じられた。




