始まりの時
蝉が煩いくらいに鳴いている。
私は久恩に言われて社長の部屋に冷えたお茶を持って行く。
社長の部屋の前で一度、息を吐きだした。
「美姫です、入ります」
声をかけて障子を開ける。
社長は脇息にもたれかかり、窓の外を眺めている。社長の部屋の窓からは母屋から遠い離れの一角が見える。
昨日、燃えた離れ。
今は天狗警団が原因や証拠探しをしている様を見ることができる。
「どうした?」
落ち着きのある低い声で問いかけられる。
私はそれで我に返った。
「あ、お茶を届けに来ました」
お盆から冷えたガラスを持ち上げ社長に差し出す。
社長は静かにガラスを受け取り、短くお礼を言ってくれた。しかし、社長にしては珍しく、視線を合わせてくれない。隻眼は未だ、離れに縫い付けられたまま。
私も視線を離れに移した。
柱の一本も立っていない。全てが炭と灰になってしまった。触れれば全て砂になって消えてしまう脆い物に作り変えられてしまったようだ。たった一晩で。
「お前さんには、どう見える?」
不意に社長が呟いた。
言われた意味が分からず、瞬きを繰り返す。
「あの火事の話さ」
社長が付け足して言った。相変わらず、外を向いたままの視線。
一体、何を見据えているのだろう。私何かには分からない物を見据えている気がする。
「……不自然、だったなってことしか分からない、です」
社長の言葉に何かしら答えを出したくて、言葉に詰まりながら当たり前のことを言ってしまった。
我ながら、なんて凡人な言葉なんだと呆れ返ってしまう。
「違ぇない」
呆れられてしまったと思っていたが、社長から返答があった。驚いて視線を上げれば、切れ長の瞳と目があった。
「宣戦布告だろうな」
私の目を見たまま、社長が言葉をこぼした。
言われた言葉が脳内を巡る。誰が、誰に何のために――。
それに、何故、社長は私にだけそんなことを言ったのか。
全てが分からない。
聞き返したいことは山ほどあるはずなのに、どれも言葉にならず消えていった。意味もなく、同じ疑問だけが頭の中を巡る。
呆然としていると社長が立ち上がった。
「何でも無ぇよ。忘れな」
それだけを呟いて、社長は部屋を後にしていく。
私は一人、部屋に残された。
火事のこと。社長の言ったこと。何が起きようとしているのか。
何も分からない。
ただ、何か大きなことが始まろうとしている、といことだけが漠然とした予感として転がっていた。




