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泡沫  作者: 若葉 美咲
2.過去からの復讐者
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炎上した離れ


 翌朝、炎は消えていた。社員が集まって、いろいろな憶測を飛ばし合っている。

 焼けたのは幸いにも母屋からは遠く離れた離れの一つで『相談屋』には大きな被害はなかった。とはいえ、ここは普段使われていない場所。何故、燃えだしたのか。皆、そこを不思議がっている。

 野次馬の中に私は見知った姿を認めて近寄った。女中の格好をした乃愛のあだ。珍しい。彼女は元気で明るくて、常に自分のペースを持った穏やかな女の鬼だ。こんな野次馬が集まりそうな場所に来てくる事自体、とても驚きだった。

「乃愛、どうしたの?」

 声をかけても、乃愛は返事をしてくれない。ただ、焼けたあとを見つめている。何だか、遠くへ行ってしまいそうな気がしてその肩を叩いた。

「あ、美姫みき。どうしたの?」

 いつもの覇気がない。不安になった。顔を覗き込んだらそらされた。

 乃愛らしくないと言うのは簡単だったかもしれない。しかし、それを言ったら何か壊れてしまうような気がして、私は口をつぐんで首を振った。

 そこへ、風を切る音を翼の音が聞こえてきた。

「現場から離れろ!! ごちゃごちゃ荒らすんじゃねえ」

 聞き覚えのある鋭い声に私の体は強張った。どっしり重みがある気配。恐る恐る上空を見上げれば天狗警団の団長であるくろがねがそこに居た。傍らには見たこともない天狗が居た。

 何か言わなければと思うほど体はこわばり動けなくなった。いい思い出がないからだろう。特に鐡の赤い瞳は怖い。

 乃愛に呼ばれているのが聞こえても、私の体は動かなかった。

 鐡が近づいてくる。足は震え、勝手に妖怪化してしまいそうになる。セーラ服から経帷子に変わり始めた時だった。

和音わおん

 落ち着きのある声が私のもう一つの名を読んだ。攻撃的になりかけていた怯えの心が凪いだように落ち着いていくのを感じた。

 低くて優しい声音。振り向けば、そこに社長が立っていた。

「社長……」

 恥ずかしくなって顔を伏せた。社長はその白くてきれいな手で私の頭を撫でくれた。

「落ち着け。取って食われたりしねぇよ。ちと下がってろ」

 何度も頷いて、私はその場からようやく逃れることができた。数歩後ろへ下がり、乃愛の隣に並ぶ。

 乃愛が手を差し出してくれたので、私はその手をありがたく握らせてもらうことにした。乃愛の温度が手の平に伝わってくる。

 ゆっくりと息を吐きだすことができた。

 そのままこの先の展開を見守る。

 社長は左手で煙管を遊ばせながら、鐡率いる一行に近づいていく。黒い羽織が翻り、紫がかった黒髪を揺らしている。口元から余裕そうな笑みが消えることはない。

 鐡が面倒そうに目を細めた。

 いつしかの時のようにが雰囲気が悪くなってしまうのではないのだろうか。

「相変わらずムカつく顔してんな。自分の家が燃えたときくらいもっと落ち込めよ」

 鐡が息を深々と吐き出しながら呟いた。

 今回は争いにはならなそうだ。いや、どちらかと言えば鐡が折れたもかもしれない。

 対して社長はいつもと変わらない笑みを浮かべていた。

 社長も今回は喧嘩腰ではないらしい。

「今回は災難だったな」

 鐵が横を向きながら言葉を発した。

 彼の視線の先には見るも無残な焼け跡。綺麗さっぱり燃えてしまった離れは彼の目にはどう映っているのだろうか。

 少しだけそんなことを思ってしまった。

「どうしたもんかねぇ」

 社長も焼け跡を隻眼で見つめている。しかし、言葉とは違い、大して困っているようには見えない。

 確かに『相談屋』は開けた土地に作られており、この一角が燃えたからと言ってさして支障はないのかもしれない。誰かが怪我をしたわけでもない。

 それでも、社長のこの落ち着き方はこの時の私には妙なものに見えた。

「いや、斜めに構えすぎだろ」

 鐵が適切な突っ込みをれてくれた。

 周りもうんうん、と頷いている。どうやら、皆、私と同じような意見らしい。

「そうは言われてもなぁ」

 社長が喉奥でくすくすと笑う。家、いや、敷地が燃えたのにも関わらず、やはりどこか余裕があるようだ。

「燃えちまったんだから、慌てても仕方ねぇだろうがよ」

 確かに今更取り乱したところで燃え尽きてしまったものが蘇るわけではない。

 社長には何かが欠落しているのではないか、そんな不安が一瞬よぎった。気のせいかもしれない。それでも、その不安は私の中に染みのように広がっていった。

「確かにそうだけどよ……」

 鐵が言葉を濁す。

 それから、面倒臭そうに舌打ちを鳴らした。

「おい、お前ら! 調べるぞ!」

 後ろに待機していた天狗警団に鐵が声をかける。その言葉で警団の天狗たちが一斉に動き出した。

 立ち入り禁止のテープが張られていくのを私は、『相談屋』の職員達とただぼんやりと眺めていた。

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