12. ノイズとステップ その⑤
場面は中華菜店『紅棗楼』の玄関ホール(ノイズとステップその②の続き)へと戻ります。
エミユ・ランバーは、目の前の眼鏡をかけた長身の青年デヴィン・モレッツの後頭部に銃口を突き付けたまま、視線だけは狐顔の支配人に動きを封じられたもうひとりの青年アダム・エルキンを捕えていた。
「大人しく外で待っていればよかったのよ。困った人たちね」
目を細めた彼女の薄い唇が、ククッと吊り上る。妖艶だがどこか残酷な微笑に、アダムは背筋に震えを覚えた。そんな相棒の顔色を横目で見ていたディーの緊張も高まるのを禁じ得ない。
「そう言われても、こっちにも都合ちうもんがあるんで――」
「――なんもせん訳にはいかんのや」
憮然とした青年たちの口から、愚痴とも受け取れる言葉がこぼれたのである。
「エミユ。こちらの方々は?」
静かな声で支配人が問う。
「バクラヴァ郊外から提督の後を――正確にはあの娘の後かしら――を付けてきた、『レチェル4』側の追っ手ね。招かれざるお客様の一組目よ」
アダムとディーは、エミユの言い回しに引っかかりを感じていた。
<やっぱ、このおねえさん、全部承知してんねん>
<きれいなおねえさんは、なんでもお見通しなんやな。……ちうことは、や>
「あー、エミユさん言うたよな。じゃ、あんたも感じてんのやろ。――雑音」
アダムが誘い水を向けたが、エミユは話に乗ってこなかった。すかさず攻めどころを変える。
「俺らは逃げ出した仔犬を連れ戻しに来ただけや」
「ここのお客に拾われて、この店に保護されてンのやろ。そいつを渡してくれたら、おとなしう帰るわ」
ニナ・レーゼンバーグと云う部外者がいるので、テスの名前は出さないようにする。なぜならばニナはテスと接触のある人間であり、テスの能力は不用意に口外されてはならないものであったからだ。
その辺りの苦しい事情は、エミユも察してくれたらしい。元軍属であり、現在は要人の警護を任される人物であるから、機密事項の厳守と云う非常にデリケートな問題の取り扱いには慣れているのだろう。
なれ合いにならない程度に、青年たちの都合を汲み取る余裕を見せた。
「ええ。返すつもりだったのよ。でも、そうも言っていられなくなったわ」
エミユが銀髪を揺らした。
「なんでやねん」
大胆にもディーが聞き返した。するとエミユの返答より先に、人質のニナが消え入りそうな悲鳴を漏らし、ビクビクと身体を震わす。
その拍子に、首元にあてがわれたトランプの札のふちが皮膚をかすめ、うっすらと赤いラインが引かれていた。
「おっと、動かんといてや。さっき言うたやろ、この札はただの札やないって。もう少し、いい子にしとき」
崩れそうになるニナの身体を引き上げ抱えなおしたディーの後頭部を、エミユの突きつける銃口がグイと押す。答えが欲しいなら、人質に突き付けている凶器をどうにかしろということだろう。
冷たい感触に表情も凍る。
わかったと小さく頭を揺らした青年は、拘束するニナの首元から札をスローモーションのような遅い動きで離していった。
そして彼の右手は、後方に立つエミユにもはっきりとわかるように、札を掴んだまま頭上より高く掲げられていた。
こんな場面でも、エミユのベルベットボイスは魅惑的に聞こえる。青年たちの耳は彼女の声の虜で、次の言葉を息を吞んで待っていた。
「今から騒ぎが起こるからよ。ねぇ、あなたたち。この雑音の発信源は特定できているの?」
アダムとディーの視線が動く。
<……今から騒ぎが起こる……って、どういうこっちゃ?>
<予知なんやろか>
わずかに生じた戸惑いを、彼らは巧みに隠した。
「いや、まだやけどな。そいでも、発信源は迷子の仔犬を探して移動してンのやないか思うとる」
おそらく発信源は未確認の潜在能力者であると推察していたが、半分はアダムのアドリブで口から飛び出したでまかせである。
「エミユさんは、発信源が誰なんかわかってんのやろか?」
返事はない。そう簡単に情報の提供をしてはもらえないようだ。
<あー、答えハズしてしもたか!>
落胆するアダムに対し、ディーは、
<……いや、そうでもなさそな気ィするんやけど……>
指先がなにかをかすめたような感触を味わっていた。
ならばと、ディーはエミユの思考を読もうと脳内に侵入を試みた。自分よりも上級の能力者であろう相手に、勝算があった訳ではない。
この正体不明の美女がなにを考えているのか、少しでも知りたかったからだ。
――が、あっさり返り討ちにあい、彼は雷に打たれたような衝撃を味わうこととなる。身体は小刻みに激しく震え、苦痛の声を堪えることは出来なかった。
「だから、おとなしくしていなさいと言ったでしょ。あまり悪戯が過ぎると、こちらにも考えがあるわよ」
「……あ、はは。往生際が悪いんは生まれつきなんで、今更治しようも無いんやわ」
額にあぶら汗をにじませても、負け惜しみだけは忘れない。必死で足を踏ん張るディーに、アダムが「ご愁傷様や」と苦い顔をしてみせた。
「エミユ。雑音とは、この気の乱れのことですか?」
「ええ、そうよ。ルォ」
ルォと呼ばれた支配人は、煩わしそうに目を細めた。この男は能力者ではない。だが気の乱れとして、違和感を感じているらしい。
アダムは眉間にしわを寄せた。
このルォ支配人も正体が知れない。柔らかな物腰とは裏腹に、武術の腕前は相当なものであることは、先程の一件で知れている。
訓練を積んだ諜報員であるアダムを、あっという間に叩き伏せてしまったのだ。
そしてアダムも、ディー同様進退窮まっていた。ルォの銃口が、アダムの額の真ん中に狙いを定めているからだ。
エミユとの会話の最中も、照準はズレることが無い。
<嘘やろ。こいつ、拳銃も手練れなんやで。どないしよか?>
相棒に向かって弱気な発言を吐いてみたが、
<自分に任す!>
けんもほろろに突き返されてしまった。
ルォ支配人――この男も隙が無い。
相手は被能力者なのだ。A級能力者のアダムが心理操作攻撃を仕掛け、無理矢理チャンスを作り出そうとしたのだが、その手段は見事にルォ支配人に拒絶された。
非能力者でも、訓練によって感応攻撃を防御できる人間がいるということは知っていた。が、現実に直面することは非常にまれだったので、アダムは焦りに似た感情を感じていた。
<ちゃうな。攻撃が効かへんと焦ってんのやない。このルォちう男の気迫に吞まれてンのや!>
どこまでも静かだが揺るがないルォの精神は深い沼のようで、探っているうちに足を取られ、アダムの闘争心は底の見えない淵にはまり溺れようとしていた。
<ビビッてどうすンねん! しっかりせえや!>
ディーの叱咤が飛ぶ。
<ああ、ホンマに面倒なのに当たってもうた。今日は厄日やな>
<トラブル大繁盛の、最悪の日や!>
ふたりは同時に武者震いをした。
<そんじゃ、トラブルついでに、もう一騒ぎいきまっか!>
<この交信かて、おねえさんに読まれているハズやしなぁ>
案の定、引き金に掛かったエミユの指に力がかかる気配がする。
<仕掛けるんなら、今や。なにより人質のお嬢さんも、そろそろ限界みたいやしなぁ>
<そんなら!>
アダムとディーの目が悪戯な光を帯びた時――。
拘束中のニナがとうとう意識を失った。赤いチャイナドレスを纏った肢体が、ずるりと崩れ落ちる。
「おっとぉ!」
わざとらしく驚いた声を出したディーは、抱えていたニナの身体を取り落しそうなそぶりをしてみせた。
「ニナ!」
ルォ支配人が視線を動かし、心配そうな声を上げる。これにエミユがわずかに反応したのを感じ取ったディーは、もう一度しっかりと左腕でニナの身体を抱きかかえると、くるりと反転し彼女に向き直った。
そして驚く表情のエミユに、ぐったりした人質の身柄を押し付けたのである。
さらに掲げていた右手の指に挟んでいた札を、手首のスナップを利かせ、相棒の動きを封じているルォ支配人に向かって投げ放つ。
一方、エミユは瞬時に引き金から指を離すと、倒れ込んできたニナの身体を受け止める。
ふたたび銃口を向けようとしたとき――まばたきの何分の一にも満たない時間の損失にもかかわらず、眼鏡をかけた青年の姿は彼女の目の前から消えていた。
絶体絶命のアダムとディー。
VSエミユ&ルォ支配人。
例によって例のごとく、アダムとディーが張り切ってくれたおかげで、一話で終わる話が二話に延びてしまいました。
引き続き『紅棗楼』玄関ホールの攻防戦をお楽しみください。




