59.繋がれた希望⑥ -浮上-
前回:既にハナトの『支払い』は済み、彼女はハウアザラのものだと思っていたイチヘイ。しかしそうではなかった。絶望に沈み、イチヘイ達との別れを覚悟するハナトの耳を、イチヘイの声が打つ。
『――――このガキ、俺が買っても?』
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―~*✣*✣*~―
しかしそこへソルスガが、さらに愉快そうな表情を浮かべ問いかけて来る。その微笑みはまるで、彼と言う人物像を丸ごとを値踏みしてきているかのようにイチヘイには思えた。
「イチヘイ? すまないが生憎とこの奴隷の子供は高額でね。
失礼ながら、君のような一介の傭兵に払えるとは思えないのだが――……、ああ、勿論、うちはよほど瑕疵のある人物でなければ、お金がある限りは誰でもお客様にはなれるよ?」
『金さえあれば客にはなれる』
そう言い放たれた瞬間、そこまで臭い匂いでも嗅いだような顔でイチヘイを睨んでいた狐目の男が、今度はソルスガの正気を疑うように彼へと視線を向けた。
それを左の視界の端に捉えながら、イチヘイは力強く反応した。
「本当ですか? ならよかった。
――――……金ならある」
すると今度は右下の方から、信じきれない、といった顔で花登がぽかんとイチヘイを見つめてきた。
そしてそれは当惑したように薄く笑むソルスガも、無言で鼻であしらうような表情をしていたアザラも同じであるようだった。
「ふふ、イチヘイすまないが、冗談に付き合う暇は」
「――冗談を言う場ぐらいは俺も弁えてるつもりだが?」
敬語も忘れて、思わずピシャリと返していた。
アナイが気に入らなさそうなしかめっ面でイチヘイを睨むが、彼が意に介することはなかったし、ソルスガもまたそれを目と手で制している。その眼差しが目の前の客人に向けるよりよほど親しげなことに、イチヘイは気付かない。
そんな中で淀みなく動き出した長身は、フィーの前まで来てかがんだ。翠の目が彼の背中と後ろ頭に注がれている。
開けた開き戸はフィーの左隣、壁際にある背の高い本棚に付いているものだった。
目的のものを取り出して彼が立ち上がったとき、気づけばカナイナまでが壁の陰から顔だけを覗かせている。
部屋にいる全員の視線はいまや、イチヘイが手にする手のひらサイズの箱に集まっている。
口は広く、色は薄汚れた飴色。芯材には木の板、開ければ蓋の裏側に魔石が埋め込まれているのを、コレの製作風景から目にしていたイチヘイは知っている。
少しくたびれているが、付いた傷や擦り切れ具合には年季の入った風格があった。
「それは何かな?」
ソルスガが尋ねるのと同時に、フィーが「んええ」と声をあげた。
「お師匠さまの手作りのやつだぁー」
「師から貰った魔石具です」
低い音と高い音、二人分の声が綺麗に被る。
「ま。魔石具っ……?」
とたん、興味深そうに身を乗り出したカナイナはアナイの咳払いで息を飲むような悲鳴と共に縮こまる。食卓でフィーと話すのを見て薄々そちらの系統に興味があるようには見えていたが、相変わらず変な医者である。
ただ、その道具に興味津々なのはソルスガも同じ様子だった。
「ほう? 魔石具?? モニスス様のお手製かい? 実は私も今、興味があってね……これはどういう機能の物かな……?」
その脇で、沸き立つ大人たちを花登が静かに見上げて不思議そうな顔をしている。そういえばこういう道具があることはまだ話していない。
(ま、見ればわかるだろ……)
イチヘイは周囲の声も花登の視線も全部無視して、「ここに置いても?」という、返事も待たない断りの声と共にそれを取引の食卓へ乗せる。木と木が打ち合う硬く乾いた音がした。
別に大したものではない。単なる箱だ。
ただ単に、口から入るサイズであれば中にいくらでも物を収納できて、二階のイチヘイの自室においてある彼の財布と中身を共有しているだけだ。その上で持ち主でなければ鍵があるなしに関係なく開かないし、誰かが持ち去ろうとすればそいつに石化の呪いをかけはじめる質の悪さはあるが。
これはこの家を巣立つ日に、旅立ちのはなむけにと師匠がイチヘイにくれたものだった。
イチヘイは、これを金庫として利用していた。金遣いは荒いほうではなかったゆえ、請けた仕事の報酬は暮らすのに必要な金以外、ほとんど使われることなく溜め込まれていた。
――――良いだろう。
イチヘイは昏い赤色から、わずかに鮮やかさを増した深紅の瞳をチラリと小さな同胞に向ける。
『あれは、自分とおなじ。』
そのように、自らに重ねてしまった子供をここに留められるならば……――その子供にもう、あんな死人より酷い顔をさせずに済むのならば――――イチヘイは別に、金を惜しむことはない。
手を翳し、箱を開けるための短い詠唱をする。
『おまえの主が挿す鑰を
おまえは疾くと受け容れよ』
それはフィーの為でもあり、そして今や、イチヘイ自身が、自分のために望むことだった。
スッと横滑りに開く木の蓋。
中は良く見えない。何も知らなければ手を入れることすらためらいそうな暗闇だった。腕を入れれば、肘より深く呑み込まれる。
……さらにイチヘイが鷲掴みにしたものを卓上に広げ始めれば、フィー以外のこの場の全員が目を瞪り出した。
エラ金貨ばかりがじゃらりとでてくる。一度に二〇枚程度は引っ張り出した筈だった。そのまま数度その行為を繰り返し、時折混じりだすビニー銀貨を含めても、目算でざっと百エラ程度が取引の卓上に広がった。
皮肉なのか本気なのかわからない言葉がソルスガの口から漏れる。
「……良く、こんなに持っているものだ」
「……まだある。必要ならこれもひっくり返して全部出しますが?」
イチヘイは抑揚のない押さえた声で返し、顔を上げた。視線の先で、胡散臭い微笑みが剥がれた底から、一瞬だけ本気で目を見開いている表情と目が合った。
……が、次の瞬間にはまた元の仮面が張り付いている。イチヘイの手元の箱を、すらりとした人差し指で指してくる。
「……いいや? 君が本気なのはわかったから良しとしよう。
つまり即金払いでこれを買ってくれるという認識でいいのかな? その金はここにある、と」
「嗚呼」
彼は短く答えた。
「……なるほど。伊達や酔狂ではないようだね……?」
その向かい席では予想外の成り行きに、眉間に皺を寄せ信じがたい顔をして、イチヘイの手元の金貨と彼の顔を交互にガンを飛ばすハウアザラがいる。
と、その瞬間からだった。
ソルスガがイチヘイに向ける笑みと声は、今の今までこのハウアザラという客に向けていたのと全く同じ、慇懃な態度に切り替わる。
唐突についていた頬杖の姿勢をただし、座ったまま胸に手を当てる礼の姿勢を取りはじめた。
「ははは、失礼いたしましたイチヘイ氏。
――――では、こちらの品に、イチヘイ氏はいくらお出しいただけるのでしょうか? 例えビニー銅貨一枚分でも多くお支払いいただけるならば、この品物はすぐにお客様のものとなりますが」
「は……」
あまりの切り替わりの早さに、さすがのイチヘイも一瞬引く。
その隙をつくかのように、慌てて立ち上がった男がいた。もちろんこの成り行きを見守っていたハウアザラだ。
「―――はっ、まさか冗談であろう?
どういうことだね、店主? そのような下民を、客扱いなど。うちの方が先にその奴隷を買う約束をしていたではないか!?!」
「まあまあ、落ち着いてくださいアザラ氏……」
卓上に飛び散る唾にちらと目を落としながらも、ソルスガはハウアザラをやんわりと宥めはじめる。
「こちらの方にも申し上げました通りですよ。兆嘴商会は、支払い能力をお持ちであれば貴賤問わずどんな方でもお客様として扱います。
……もし先に売買が成立しておりましたら、アザラ氏の顔をお立てしたのですが……、申し訳ございません」
それから笑んだままほんの僅かに鋭く細まって、銀鼠の瞳がアザラを、それから脇でゴツい体格を萎縮させる五分を意味ありげにみやる。
「それにこちらのお客様も、当家と永くお付き合いのある方との縁も深く、お支払いの意志がある以上は、無碍にすることは失礼でございますので……」
「っ、くっ!」
途端ハウアザラは、道の真ん中に避けきれない汚物を発見したような顔で鼻に皺を寄せ、イチヘイを睨んで来る。ずいぶん高慢な男だ。
椅子から離れていた尻を再び座面に落ち着けると、彼は組んだ手の後ろで嘲るような笑みを口許に張り付け、言い放つ。
「なら、いいだろう。実はまだこちらも手持ちは預けられてはいるのだ。値を上げようじゃないか。二二〇でどうだ」
「ほう?」
途端ソルスガの瞳が、面白いおもちゃでも見つけたようにそっと見開かれた。それからすぐに、彼はイチヘイへと向き直る。
「……イチヘイ氏、こちらのお客様はこうおっしゃっていますが」
イチヘイは静かにアザラを睨み返した。
三エラ。微妙な上がり値だ。
この男の額の吊り上げ方がせせこましいのは、もしやこちらの持ち金を推し測るためだろうか。
……いいだろう。どちらにせよその勝負、乗らねば始まらない。
イチヘイはわずかに目を泳がせるような素振りをあえて見せながら、絞るように呟いた。
あえて刻む。
「……二ニ一」
目の前に大金は積んだが、ここにあるのは全額ではない。この男のこちらへの見下しは、そのままこちらの資本金を侮っているからだとイチヘイは踏んでいる。
一介の傭兵風情が、まさかそんなに金を持っている訳がないと。
しかし先ほどの会話を聞くに、この男もまた一度目に花登を買おうとしたときには手持ちでは金が足りなかったらしい。
誰かの使いで来ているようだが、主人から預けられている金額の裁量に余裕がない可能性は十分にありえた。
……全て憶測でしかないが、仮説にするだけの価値はある。
なればこそ刻む。様子を見た。
「むっ、ならば二ニ五でどうだ」
「二ニ六」
スパンとかえす。
「――んえぇ……」
そこへ、じりじりとつり上がっている金額を不安に思うのか、ふと気付けばイチヘイのすぐ隣にはフィーが寄り添うように立っていた。共に成り行きを見守るように、長い尻尾がイチヘイの右脛の辺りに巻き付いてくる。
イチヘイの背後でも、不安と希望をない交ぜにしたような光を瞳に浮かべ、花登がじっと彼の背中を見上げていた。
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