58.繋がれた希望⑤ -鎖の喝采-
前回:商会主のソルスガは、奴隷の子を必死な様子で持ち帰ろうとする怪しい客、ハウ=アザラの目的と素性を、会話の中から探ろうとする。アザラとの対話の中で見えてくるのは、この男が隠している素性、商会の腐敗の証拠、そして商品としての花登に付けられた、相場の5倍近くの異常な高値だった。
しかし、今日はその金を支払いに来たとアザラが告げた時、沈黙していたイチヘイが突如ソルスガに、「そのガキはその客のものではないのか?」と、質問をよこす……。
(※現状、主人公のイチヘイは、ソルスガを敵対者だと思っている)
読了目安 4~7分
―~*✣*✣*~―
「いいよ。許そう」
息をする自然さで笑みかけられる。
その思惑の掴めなさにやはり寒いものを覚えるが、イチヘイも負ける気はなかった。そのまま花登の所有主について問うた。
返ってきたのは不思議そうなソルスガの表情である。そうして何を思うのか、彼は張り付けたような笑顔で隣に「五分、」と呼びかけた。
イチヘイへ事情の説明を促された男は、震える声で口を開く。しかしその表情にはやはり隠しきれない負のオーラが漂っている。先ほどからそうだったように、これもソルスガに対してなのだろう。
イチヘイは怪訝に思いながらも話を聞いた。
「……こ、この金のたまご……いや子供を見て、お目が高いこちらのアザラ氏が是非に、と……。だが、捕らえた時に調べてみれば元の出自が稀少だったゆえ、こちらも易々とお売りするわけにも行かなかった」
「……ただその、提示した値段をだな、その日はお客様がお持ちではなかったため……、取り置きと言う形で保管することになったのだ……。しかし、その、約束の日に、子供が逃げ出し、結果、この場での売買に……」
「なるほどー? はは、ありがとう五分、もういいよ」
朗らかに乾いた声を上げたのは、彼の後ろで微笑むソルスガだった。
それを耳にし、『全く、こちらもいい迷惑だったぞ、ガハハ』と笑いだす狐目。
それに向かって、『アザラ氏にはこちらの手違いでお手数をおかけし、大変申し訳ございませんでした』などと謝罪しながら、なぜだろう、ソルスガのその声は少し満足そうである。
「……さて、そういうわけだそうだが、それがどうしたのかね?」
再びこちらに向き直る銀鼠色。
彼はその演技がましい瞳から視線を落とした。
そのままイチヘイの鋭い面差しが、諦めきった背中でこちらを振り返らないその子を包む。
さっきフィーにも話した通り、イチヘイはずっと、既に花登はこのハウアザラと名乗った狐目の所有となっているのだと思っていた。ゆえに商会も信用をかけて血眼になり、こうして彼女を連れ戻しに来ているのだと思っていた。
このまま引き渡されるものだと、思っていたのだ。
しかし違った。
口を開く。
「――――このガキ、俺が買っても?」
……一瞬、室内が静まり返る。
楽しい社交の場に突然現れた闖入者に呆気に取られたかのような、そんな異物を見る目が周囲から刺さる。
あまりに突拍子もなかったのだろう、裏で話を聞いていたらしいカナイナまでもが、出入り口から四つん這いになってイチヘイの横顔を見上げに来た。呆気にとられた顔をしている。
「ほう……?」
途端、愉快そうな顔をしだすソルスガ。
アナイが仮にも貴人の前にへお行儀悪く顔を出した部外者を追い払いだす。
「イチ、ヘイ……?」
その気配と叱責に被さり同じく隣から耳に入る、聞きなれたその声に彼は顔を向けた。
杏色の耳を斜めにし、翡翠の瞳がこちらを見ている。呆気に――というよりは、不思議そうな表情だった。
そこで初めて慌てて彼を見上げだす花登も、似たような顔をしている。
見つめてくるその四つの瞳に、彼は強い瞳で力強く返す。
「大丈夫だ。……事情が変わったからな」
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雷が響く。雨が降る。
まとわりつく手枷と首枷は、足首のそれより太く冷たい。
そこから提がる鉄鎖の重みも加わって、体はずんと重たかった。まるでその場に花登を縫いとめようとしているかのようだ。
大人より背の低い花登は、人いきれに混じって玄関から入り込む雨と土の匂いを感じている。
『前を向いてくれ』
そこで横に立つ、痩せて小柄な男にやんわりと手振りだけで促される。
あっという間に拘束され、花登は後ろに立つ二人とはほとんど話せていない。
名前が聞こえた気がして振り返ったけれど、そのあと後ろで もそもそ と話すイチヘイとフィーゼィの声を聞き取ることは、前で話す大人たちの声のほうが大きくてほとんど叶わなかった。
花登は震えながら、ずっと大人たちの話を聞いていた。
それでも表面上は、彼らの言葉はわからないふりをしている――――『この家の中にいる花登にはこちらの言葉がわかることを、彼らは知らない』のだと、あの猫獣人の言葉で気付いた時からずっとそうしていた。
だって何も判らずあんな目に遇わされのである。確かに吐きそうなほどは怖かったが、少しでもその理由を知りたかった。それに話しかけられても無視できるだけで、怖いのも少しだけ薄れた。
けれどやはり、片目の耳長族。大きいとかげ。がっしりした壮年の男。尻尾と片耳が半分ない耳長族。痩せて小柄な男。
それから狐目の男。
見たことのある顔ぶれを前にすれば、それだけではどうにもできない恐怖が心をめぐる。陰惨な記憶が絶望と共に甦ってしまう。
だから彼らを前にして、花登は窓の向こうの明るい光に縋るように、この家に来てからあったわずかな出来事をずっと思い返してもいた。
そうしなければ、吐きそうだった。本当なら立っていることすら辛かった。
――『大丈夫ですよ、血縁がないのに拾ってくださったのですから。無理に仲良くしなくても、その方たちはハンバニさまのことがきっと好きです』
シーナバーナの言葉が心をめぐる。
夢の中では『本当かな?』と思っていた花登だ。
今だってただの夢だったのか、夢を通して本当にシーナバーナという人と話したのか、花登には判然としない。
それでも彼女にもらったその意味は、二人が花登たちを守ろうと戦ってくれていた時も、今、こうして捕らえられてしまった後も、ずっと花登に響いていた。
アナイの手で、再び壁の裏側まで追い返される狛晶族の医者を目の端で見る。
カナイナと名乗ったシーナバーナに顔だけそっくりなその人も、花登のために二人が呼んでくれたらしかった。
それから牢屋に捕まっている間、どこかから時々聞こえていた『イヘヘヘ』という特徴的すぎる笑い声が、あの猫獣人のものだと気付いたあの瞬間。そのダミ声に恫喝されたとき、フィーゼィリタスは
『ハナトを怖がらせるな』
と、本気で怒ってくれていた。彼女に触られるのも怖いと思っていたのに、あの時、きっと一番怖い顔をしたフィーゼィを花登は少しも怖いと思わなかった。
イチヘイもあんな戦いのさなかに、怯える花登に気付いて「後で一緒に夕飯も食べよう」などと、怖い目付きで優しく言ってくれた。
わざわざ日本語で話してくれたのだ。嫌われていたと思っていたのに、嬉しかった。うれしかったのだ。
こんな異世界で、家族ではない花登を想ってそんな風に言ってくれたことが。
……でも、この後自分がどうなるのか。
聡い花登は察っしてしまっている。
花登はもうきっと確実にこの二人とは一緒に居られなくなる。
大人たちの話を聞いていて、この世界では人間を売り買いするのかと、衝撃を受けていた彼女だ。そしてその当の商品として、自分が捕まっていたという事実にも。
(――そう。なんだ……、あの時見たお金も、あたしを買おうとしてたんだ……)
このテーブルを囲んで色々教えてくれた二人だったけれど、花登が『売り物』なことだけは本人も聞かされていなかった。ただこの様子だと、二人はそれも知っていて花登を匿ってくれていたらしい。
だから二人は、花登のことで森であんなに言い合っていたのかもしれない。
それでも家に入れてくれて、結局はあんなになってまでこの男達から花登を護ろうとしてくれた……。
……でも結局、『力』だけでは敵わなかった。これでお別れなのだ。
この世界のお金の価値は花登にはよくわからないけど、あの量の金ピカのお金なんて、もし全部 本物の金でできているなら絶対にすごい金額になるだろう。
花登が父親にねだっていたゲーム機が、何個買えるかわからない。
小さい左右の拳が、フィーゼィから借りた引きずりそうに長い服の裾を握り込む。胸が苦しい。痛い。
カウントダウンはもう始まっている。一枚、二枚。今もチャリチャリというお金の音が部屋の隅から聞こえる。アナイというらしいこの背筋がしゃきっとした髭のお爺さんが、受け取ったお金を数え終えたら、花登はそれで……――――。
――――「このガキ、俺が買っても……?」
じゃらりと騒ぐ鎖。
耳に入った言葉に思わず花登は振り返ってしまっていたた。言葉がわからない演技をするのなんて、一瞬で忘れていた。
(――、……え、ほんとに……?)
「大丈夫だ。……事情が変わったからな」
花登は、花登を見るその強い瞳を、目を丸くして見つめる。絶望と諦めに染まった心に落とされるその言葉は、具体的には意味を理解しきれなくとも彼女にも十分に輝いて見えた。
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