55.繋がれた希望② -繋がれた子-
前回:とどろく雷鳴、降りしきる雨。イチヘイたちの家を占拠した胡乱な客たちは軽い世間話を始めましたが、どうやら一枚岩ではないような雰囲気。
しかし本来の住人であるイチヘイとフィーは依然として部屋の隅に追いやられ、2人の目前には商品として捕まった花登が立っています。
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イチヘイは答えに窮する。嘘をついても正直に答えても、結局はこの相棒を傷付けそうでどうにも口を開けなかった。
しかしそこで、ちゃらり、と微かに鳴った鎖の音。
フィーの囁きで名を呼ばれたと思った花登がわずかにこちらを振り返った音だった。
控えめにたれた榛色の瞳が作るそれは、子供に許されるような表情ではなかった。憔悴しきって丸まった背中は、絶望しているようにしか見えない。
そしてどこにもない救いを――――上から蜘蛛の糸が垂らされることを――呼ばれた名の響きにわずかに期待しているような表情だった。
今まで足首にだけ纏わりついていた鎖も、いまや両手と首にまで追加され、小さな身体に対してはあまりに執拗な拘束だ。
ソルスガは、ここに足を運んだ理由を『商談の後始末』と述べていた。
花登は先ほどから、あの狐目の客に対しても明らかな拒否反応を見せているし、書き記していた証言にも、『狐目の男』のこと、そいつが見せていた金貨の話があった。
――それを加味するならば、彼女はこの男の所有として既に売買済みなのだろう。
そして正式な持ち主になるための必要な手続きをこの男が済ませる前に、花登は眇目たちの元から逃げ出した。……そう推論するのが妥当だった。
花登はこの後、おそらくあの狐目の男の元に引き渡される。
また自分の中の、花登に自分を重ねる心がどうしようもない焦燥と共にざわざわと胸を撫でる。
どうしてもハナトを、あの鎖から解き放ちたいと思っているらしい、幼く道理もわきまえない心が「また聖宣を利用してフィーに『命令』すればいい」等と勝手な考えを過らせてくるが、さすがにそんなこと、一考の価値すらない筈だった。
相棒はやはり何も覚えていないようだが、あんな、フィーの心を弄ぶようなことは、今のイチヘイは二度とごめんだ。
それに現状、護衛二体に武器も預かられてしまっている。いくらイチヘイが強化魔法まで使える特異な祝福持ちだとしても、戦えない者を抱えてこの状況で全員に立ち向かうなど、さすがに自殺行為だ。
「イチ……?」
けれど返事がないのが心許なかったのだろう。フィーがまだ返答を催促してくる。
「~~~っ」
イチヘイは思わず額に手を置いた。できればなにも知らせないまま終わらせたい。それでもグッと奥歯を噛むと、ちゃんとフィーに向き直り、ためらいと共に薄い唇を開く。
そうでもしないとこの狂った相棒は、思い詰めて花登のために飛び出していってしまいそうだった。この場に立たせることだって、本当は避けたかったのに嫌だと言って譲らなかったのだ。
向こうの会話を邪魔しないよう、なんならいっそ花登本人にも聞かれないことを願って、ほとんど吐息で囁く。
「……フィー、花登は元々、この場にいる兆嘴商会と、そこの客のものだった。……いや、花登の話を聞く限りは『ものにされた』、んだ。
アイツの胸にある『生首の焼き印』は、たぶんフィーが思ってる以上に重い。あれは単なる『目印』じゃない。
……最初に言ったよな、俺? 『奴隷は人間じゃない』って。
あの焼き印は、法的にも社会的にも、身体に押された時点で文字通りの『終わり』、だ。その時点で、ソイツの所有権は押した印を持ってるヤツのものになる」
「そうな、の……?」
この囁きでも、耳のいい相棒にはやはり聞こえる。肝心の花登は、途中から鎖を持つ男に『前を向け』と手振りで穏やかに促され、もう表情は分からない。
「いや、本来は、そうなっても後腐れ無いように色々 前段階に手続きがある筈なんだが、恐らく全部すっ飛ばされてんだよ……」
それを横目にして眉根に皺を寄せながら、イチヘイは密やかに続ける。戦争捕虜なら、虜になった段階で一旦は身代金の要求をしたりする。
「……それでも、効力は変わらねえんだ。
例えばそこに座ってる偉いやつらでも、もしあの焼き印をを押されたらそれで、」
――オホン ゴホン!!
聞こえたのは、大仰なアナイの咳払いだった。驚いたことに、恐らく話を聞かれていたらしい。
顔を上げると、『我が主君に対してなんたる不敬か』とでも言わんばかりに睨み付けられる。耳長族なみの地獄耳だ。
イチヘイはわずかに肩をすくめて仏頂面でその顔を見つめかえすだけで、一切媚びる姿勢は見せなかった。
……そのうち向こうが視線を外す。メンチの切り合いでなら『勝った』ということになろうが、大局を前に勝ち得た勝利は小さすぎて、一切喜べなかった。続きを語る舌は重い。
「……ともかく、どんな手で花登が奴隷に落とされたかは関係なく、俺たちは最初から商会の奴らにしてみれば『簒奪者』だ。
俺たちがいまここに、生きて立ってるのも正直、奇跡と言っていい。その……、花登、は……」
吸った息で一瞬ためらい、重苦しくフィーを見つめた。
「……おそらく最初から、あの客の男の手に渡る手筈になってた、んだ……」
「んんぇ……そん、な……そんなの、嫌だよぅ…………」
話を理解できたのか、フィーの耳も眉も尻尾も、先程より増してしおしおと下がる。泣きだしそうな顔でいやいやと緩く首を振っているが、この場面で妙な行動を起こさないだけ偉かった。
しかしイチヘイもフィーがした聖宣の内容を思い、内心では非常に焦っている。また自分で言っていて、あまりの不条理に腸が煮えくり返りそうだった。
彼自身も、本当は花登がどんな経緯でコイツらに捕まったかを本人に聞かされたときから、既に薄々 彼女が正式な手順を踏んだ奴隷ではないのではないかと、気付いてはいた。
気付いた所でどうでも良かったし、ついでに言えばどうしようもなかったのだ。
しかしそれが今になって、こんなに心に重たく響くとは重いもしない。
たった半日で明らかに、イチヘイの中では何か、新しい感情の回路が繋がっていた。
彼自身も、人らしく怒りを覚えているその変化に新鮮さを感じてはいる。そして自身と『同じ』であるこの子供を、もはや聖宣で交わされた約束やフィーの意向がなかったとしても、イチヘイの意思で手元に置き続けたいと思っている。
「――……ねえ、これに何の得があるのかな?」
と、そのとき不意にイチヘイの耳が、壁のすぐ裏から聞こえてきた、ささやき声での短い発話を拾う。穏やかで不穏さのあるその声は、まだ話している。
「――きみは『向こう側』の人でしょうが」
「とっ、得があるとかないとかじゃ、ないだろう……こういうのは……」
続く、女の割には低めな、ビビり感満載のハスキーボイス。
一瞬耳を疑った。
いや、確かにあの三人と彼女が同じ場所に待機させられているのは気にはなっていたが、その声は、どう考え直してもやはり眇目と、やや怯えた様子のカナイナ先生のものにちがいなかった。
思わずくるりと身体を翻し、すぐ脇にあった出入口の壁の厚み越しに、半身で廊下を覗き込む。
薄暗い廊下に、人間と獣人の男三人、若い獣人の娘が一人、揃ってうずくまっている。といっても、ぼろぼろの玄関が半開きになっているため外の光は差し込み、ともすれば今よりは幾分か明るかった。
腕に清潔な包帯を巻かれた鱗の横で、眇目の折れた腕へ添え木をして固定しているカナイナと目があった。
コイツらが花登にしたことを思うと、彼の欠けた心では説明のつかない、背中を駆け抜けるようなざわつきが胸を覆う。
一方カナイナ自身も、自分のしていることへの認識はあるのか、気まずそうな顔で返される。
「そ、その、なんでか誰も手を貸さないんだ、見ていられなくて……」
別に止めはしないが、一度殺そうとしてきた相手に情けをかけるなど、イチヘイなら絶対しない行いだった。
遅れて顔を上げた眇目とまで目があってしまう。だが、敵意のない表情でこちらを見上げる彼の顔は思った以上に『ただの獣人』であり、かけあう言葉などあるべくもない儘、数瞬の短い間、気まずい空気を抱えて見つめあってしまった。
――「ところで、イチヘイ?」
しかしそこで、後ろから名前を呼ばれる。ソルスガだった。
慌てて向き直り、彼は面従腹背とばかりに、慣れない言葉づかいで反応する。
「失礼しました。……なんですか」
「良く確認もせず、ウチの手のものがすまなかったね」
突然の謝罪。意味が分からず黙すイチヘイを前に、ソルスガは穏やかな笑顔で続ける。眇目とはまた違った意味での不穏さがあるように、イチヘイには受け取れてならなかった。
「君たちがここにいる『品物』を保護してくれたこと、とても感謝している。
しかしどうやら、こちらの手違いのせいで君はだいぶ手傷を負ってしまったようだ。本当に申し訳ない。
……もし良ければ、私からいい治療院を紹介するぞ。もちろん費用はこちら持ちだ」
「は……?」
突然の提案だった。思わず胡乱な視線を向けてしまい、慌ててその眼差しを引っ込める。
――何を考えている?
一見、敵意の無さそうな笑顔だが、どうしてもその裏を考えてしまう。
善良な主君が慈悲を垂れてやると言っているだけなのであれば、そうなのだろう。
しかしこの男は、この場の空気を一人で全て掌握し、必要とあらば一瞬ですり潰せるほどの立場にいる。今見たばかりの光景が、気持ちの悪いほど思考の角に引っ掛かる。
(こいつ、正気か? 戦場でもあるまいし、負傷している自分の手下を差し置いて、赤の他人の俺には治療の提案をするのか……?)
背後で踞っている彼らに微塵も哀れさは覚えなくとも、道理が通らないことだけはハッキリとわかる。
なによりこの男は、花登を向かいの席の男に売り渡そうとしている。そんな人間の手のひらの上に、自ら乗りに行くなど――。
ピシャン! と響いた雷の直後、イチヘイは頑なな声でゆっくりと噛み締めるように返した。
「……ソルスガ様の手を煩わせるまでもないので、辞退します」
「……なんだ、そうか」
『師匠は不在だ』と告げたときと同様に、ソルスガは残念そうな表情をした。
一話はこちらから!
https://book1.adouzi.eu.org/n5835kq/2
※【小噺】
ハウ=アザラは出番こそそんなにないクソ小物なんですけど忘れた頃にもっかい出てくるので、覚えやすい名前にしました。
……ソルスガも呼んでましたね、アザラ氏と。......そうです、狐目ですけどアザラシ_(•ω• _ )3 と覚えてください。




