52.望まぬままに与えられ、④ -望まぬままに与えられ。-
前回:迫る命の危機の中、それでも死に抗わない相棒に、イチヘイは心にもないことを『命じ』てしまいました。
そして発動する魔法の誓い、『耳長族の神への聖宣』。
『何でも言うことをきくのよぅ!』
と、フィーが無邪気と狂気で自身を無理やりイチヘイの隷属とした、その真の意味に、イチヘイは気付いてしまいました。
読了目安 3~5分
ぞわりと背を伝うものを感じながら、それでも彼はいまだなにも声をだせず、目も離せない。
イチヘイの相棒はいまだ動きを止めていない。体格に合わない三日月刀の切っ先でぞるぞると庭の石畳を引っ掻き、次に向かうのは動かない左腕をぶら下げて、すらりと立ち上がった眇目のところだ。
ためらいなく振るわれる暴力。隻眼の彼の目前まできて、フィー自身の腕で振り上げられる、その刃。
――――やはりフィーの意思では、確実にない。
彼女の右眉の端で、青い三日月はいまだ燐光を失わない。同様にイチヘイの左のこめかみにも、彼にじわりと熱を感じさせながら光る欠け闇がある。
……相棒にこんなことをさせているのは、自分なのかもしれない。
その可能性には確かに思い至っているのに、いまだイチヘイはフィーに向かって声を上げることができない。
――――いや、本当は口を開いて、それが確たる事実だと知ってしまうのが怖かったのだ。
「……なに、このイカれたお嬢ちゃんは……」
一方、目の前に突如現れた怪物に圧倒されたかのように、眇目は斜に構えた微笑みを引き攣らせている。彼の櫛刃は、片腕では支えきれない重さのようだった。一度は構えようと踠いていたが、どうやらギリギリ持ち上がらない。本職ではない、といっていたのは本当なのかもしれない。ならば無事な両足でさっさと遁走することも出来たはずだが、……しかし眇目はなぜかそれもしなかった。
イチヘイはいまだに、眇目に接近したフィーの一挙手一投足――それこそ呼吸ひとつで動く胸の動きにまで――意識を向けている。
『――ぶち殺してみろ――』
確かに言ってしまった、その言葉が頭にこだまするが、それでもイチヘイは心のどこかでまだ『まさか』と思っている。
半狂乱になって罪悪感に苛まれるほど、相棒は殺しを全身全霊で拒んでいた。この胡散臭い耳長すらも殺り損ねていた。
しかし、上がりきった三日月刀の軌道が、相手の急所に確実にかかっていることを疑えなくなったとき、――そして、
「……戦えないものは不要。狗よ、その柔順さを美徳とせり」
急に真顔で何事か呟きだす眇目が、やはり仁王立ちのまま一歩も退かないことを悟ったとき――イチヘイはもう、動かざるを得なかった。
「――――っ、フィー!!」
いよいよ顔から血の気が引いていた。
飛び出す。肋骨から襲う軋むような痛みに堪えながら、短刀を盾のようにその軌道上に差し入れる。必死に相棒の顔を覗き込んだ。
背後では、眇目が目前に星が落ちてきたかのような表情で、彼の背中を見つめだしている。
「ーーーーっ、とまれっ! もういい、とまれフィー!! っ、命令だっ!!! 殺すな!!」
鋭く叫んで言葉を紡いだ。『命令だ』と明確に口にする瞬間、フィーとの間に何か違う関係が生まれてしまったようで無性に怖くなる。
イチヘイは、それで相棒が動きを止めることを期待した。
そして同じぐらいの気持ちで、どうか止まらないでくれとも願っていた。
「俺の声聞こえてるか? フィー!」
確かに殺せば面倒だが、眇目の命など、イチヘイは今もどうでも良い。むしろ何をされたかを思えば、殺してしまっても一向に構わなかった。
けれどそのためにこの相棒の手が汚されてしまうのは、違う。
これで止まってくれるなら、イチヘイは人を傷つけることに怯えるフィーのその意思を、その内側に抱えた傷を、これ以上穢さずにすむ。
……けれど本当に止まってしまったら、それはまたよほど重たい軛に化け、イチヘイの胸を苛むことになるのだ――――。
「――……んぇ……?」
だからその一瞬は……、永遠のようにも思えた。
二律背反の深紅の瞳が覗き込むなか、そっと、翠の瞳に光が戻ってくる。きょろりと動き出した目が、すぐに目前の相棒の姿をとらえた。
「……あれ? イチぃ? どうしたの……?」
白昼夢から醒める瞬間を見ているかのようだった。
そこにいたのは、いつもの『昼間のフィー』だった。
自然な仕草でスッと下がる、杏色の毛並みをした腕。けれど地面に切っ先が着いたとたん、ぞり、と伝わる振動と重みに驚いたのか、フィーは目を見張りながら自らが手にする剣に視線を落としている。
「んんえぇ? なんでこんなの持ってるの、ボク……」
「……フィー…………」
イチヘイは、何か言おうとして見慣れた翡翠のドングリ眼をみつめ、そして――――それ以上は、何も言えなかった。
――……安堵と歓喜と絶望は、同じ心中に共存する。
生まれて初めて、それを知った。
己が口にしてしまったことと、この耳長族の相棒に背負わされたものの重さ……今がどんな状況かも頭から吹き飛んで、無様に脚からへたり込みそうになる。
しかしそこへ、
「――いやぁ、素晴らしい戦いぶりだった、モニススさまの愛弟子たち」
パチパチと場違いな拍手が聞こえた。
裏庭に続く家の角から、突如として見知らぬ人間の男が現れた。
堂々とした歩みでこちらに向かってくる。
いつからそこにいたのだろう。
自らの罪に打ちのめされながらも、イチヘイは必要に駆られてのろのろと首をむけた。
年は二十代半ばほど。女が好みそうな険のない華やかな顔立ちだった。
真ん中分けでやや長めの頭髪はくすんだ金色、卵形の輪郭に埋まる控えめな大きさの垂れ目は銀鼠色である。
小さな羽根と繊細な銀線細工がついた鍔なし帽をかぶり、羽織る衣装も見るからに仕立てが良く、更に後ろに、供の者なのか六人程度を引き連れている。
……だがその中にまたもや武器を携行するものたちの姿を複数見留め、イチヘイは一気に現実に引き戻された。しかし警戒心剥き出しに誰何しようとした矢先、この家を襲いにきた三人が、満身創痍の体を引きずりながらも規律正しく最敬礼をとりはじめる。
それは片ひざを突き両腕を後ろに組んで頭を垂れる――市民身分以下の者が、貴族に対して跪く時に使われる姿勢だった。
そうして爺の口から、どこか焦ったような口調でぽろりとこぼれた。
「……よ、ようこそおいでで、アフェイーグの若旦那」
(アフェイーグ……?)
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