28話 俺様王子が悪役令嬢を賭けて決闘ってマジですか? 下
俺は、レオナルドの才覚を甘く見ていたらしい。まさか、この場で俺が発明した魔法に対応してくるとは思わないだろう。
というか、マジで言ってる? 以前のやり取りと言い、俺の天敵かもしれんなこいつ……。
などと考えている暇はない。レオは幻影に足を取られることはなくなり、ゆっくりと俺の下に近寄ってくる。
マズイ、と俺は顔が強張るのを感じる。ここまでの実力者だったかレオナルド。俺は剣を握りしめながら、まんじりともせず奴を睨みつけるしかない。
「さて、どうする。他の策があるならぶつけてこい。無ければ降参することだな。それとも、最後の最後で、そのままみっともなくぶつかってくるか?」
十メートルもない距離。すぐに詰められる。俺は剣を構えながら震えていた。このままでは負ける。覆す策はない。負けるのか? ただ実力差で。そして負けて―――サーニャを失うのか。
後悔が、走馬灯のように押し寄せる。上手くいく想定だった。失敗はないと思っていた。前世の知識を利用した魔法なら負けないと高をくくっていた。
油断。慢心。これを機に、サーニャがもっと学園で生きていきやすくなればいいと思った。だが、たった一つの計算違いで、ここまで追い込まれるようになった。
レオナルドが近寄ってくるたびに、俺は一歩、また一歩と後じさった。奴は勝ち誇ったように淡々と近づいてくる。ドン、と背中にぶつかるものがあった。壁。訓練場の隅に、俺は追いやられていた。
そこで。
声が、聞こえた。
「――――で」
聞きなれた、涼やかな声。以前とは違い、感情を見せてくれるようになった声。
「――ないで、ロレンシウス様」
サーニャがすぐそばで俺に呼びかける。
「負けないでっ、ロレンシウス様! 勝ってください! 私は、まだ愛され足りていません!」
震える叫びに、俺はハッとした。
寸前までの視野狭窄が解ける。それから、「そうだな」と笑った。
「約束したことは、守ろう。お前はもう、正妃に足る女だ」
ならば、全ての愛を注ぐ前で負けられないな。
俺は正面から、剣を構え直した。小声で詠唱し、再び幻影がレオナルドを襲い始める。
「またこの手か? もう効かんと言っているだろうに」
レオナルドは、俺の手を破ったことで得意になっている。ここまでで消耗しているのは事実だろうに、今ひと時の優位がそれを忘れさせているのだ。
だから、それを思い出させてやろう。俺は光の矢の詠唱に交えて、異なる魔法を詠唱する。
「光よ、我が身に、その速さの一片を貸し与えたまえ」
光が全身に宿る。だが、俺の姿は幻影に紛れてレオナルドには分からない。俺は深呼吸し、そして駆けた。
時間が遅くなる。俺とて、魔力は前の戦いに比べて消耗していたらしい。だが、十分だ。俺の身体がレオナルドの水膜を破る。レオは僅かに瞠目するも、むしろ大きく笑みを浮かべて俺に剣を振るってきた。
激突。ああ。確かにレオナルドは天才だ。だが、ここまでで疲れ切っている奴よりも、光の速度を一部とて借り受けている俺の方が強い。
鍔迫り合いは発生しない。俺の剣に押され、レオナルドの剣が後退していく。レオは表情を焦りにゆがめ、しかしその卓越した剣技によって受け流しを図ろうとし―――
「レオナルド。お前は本当に強かった」
俺は思う。
「だが、賭けたものが悪かったな。俺は、サーニャを失わないためなら、何だってできるんだ」
剣が受け流されるなら、拳がある。俺は剣を流されるのはそのままに、右手を固め、奴の右頬に叩き込んだ。
時間が戻る。俺の手に、確かな感触が残る。直後、レオナルドは吹っ飛んだ。かなりの速度でぶつかってきた敵が顔をぶん殴ったのだ、当然だろう。
だがやはり剣聖は伊達ではなかったらしく、吹っ飛びながらも受け身を何度かとって、奴は可能な限りダメージを少なく流したらしい。
最後にはちゃんと地に足をつけて、ズザザザ……と土煙を上げながら耐えきった。すげぇな、と思う。思うが、もう終わりだ。
「ふ、はは、はははははは! 素晴らしい! 流石だロレンシウス! ああ、ノッてきたぞ。さぁ、ここからが本番―――」
レオが言葉を言い切るよりも早く、奴の鼻からポタポタと垂れる真っ赤な液体があった。鼻血。レオナルドは、俺の拳の威力を可能な限り殺して立ち上がったが、流石に傷一つ負わないとはいかなかったらしい。
僅かな静寂。そして、歓声が上がった。
『―――決まったぁぁぁぁぁああああ! 決まりました! レオ兄さんはまだまだ戦意旺盛のようですが、今回の決闘のルールは「ケガをしたら敗北」というカジュアルルール! そのため、軽微ではあるものの、鼻血を垂らしてしまったレオ兄さんの敗北となります』
「え……あ、本当だ。なんだよぉー! チクショー! これからだろうがー!」
『という事で、今回の決闘は見事、兄上の勝利となりました! 皆様! 剣聖という強大な敵に勝利した兄上に、是非割れんばかりの拍手をお願いいたします!』
ルーデルの煽りを受けて、また歓声が大きくなった。俺は一気に肩の荷が下りた気持ちになって、脱力そのままに崩れ落ちてしまう。
「ロレンシウス様!」
そこに、サーニャが駆け寄ってきてくれた。勢いそのままに抱き着かれ、俺は何も言えなくなる。
「ご無事で、ご無事で本当によかったです……! お疲れ様でした。本当にお疲れ様でした……!」
「……ああ、途中はヒヤリとさせられた。こんな賭けを行うものではないな。もっと安全な策を練るべきだった」
「本当です……! あなたは、王族なのですよッ? 大切な体を、もう危険にさらさないでください……!」
レオがここまで強いとは、俺もサーニャも思っていなかったが故の、今回の流れである。序盤の蹴りとか、打ちどころがひどかったら割と骨折とか平気で行ってたかもしれんな、と今更になって思った。
「そうだな、すまなかった。」
抱き着いて離れる様子のないサーニャの頭を撫でる。相当心配したのだろう。サーニャは今まで見たことがないくらい、ボロボロと涙をこぼしていた。
そうして健闘をたたえられていると、ここまでで戦ってきた四人、そしてリーナさんが現れる。
「……お疲れ様でした、ロレンシウス様」
リーナさんは周囲から見られているのもあって、おしとやかモードだ。俺へのねぎらいもそこそこに、彼女は本題を切り出した。
「まず、お伝えすることがあります。昨日サルバドール様がおっしゃった証拠ですが、あれらは事実無根であることが判明いたしました」
リーナさんの言い方は、良く声が訓練場一体に響いた。観衆は周囲と顔を見合わせながら、ざわざわし始める。
「直接私の髪をサーニャ様が引っ張った、という報告がございましたが、私にはそんなことはされた記憶はございません。これは怪しいと調べてみれば、匿名なことを利用した、サーニャ様に反感を抱くものの虚言であるとの裏付けが取れました」
ざわめきは大きくなる。サルバドールは、これ見よがしに「なん……だと……?」と目を剥いている。もうお前その演技は楽しんでるだろ。
「である以上、サーニャ様は何も悪くはございません。私をいじめた方々が言っていた『アレクサンドラ様が命じた~』というのもどうせ嘘でしょう。何より、私たちはすでに和解しています。以降そのようなことがあれば、きっとロレンシウス様がお許しになりません」
硬直して動けなくなる令嬢たちが、観衆の中にはチラホラと。だが、彼女らは一旦裁かないと決めたのだ。だからこうして、偽の血の雨を降らせ、これを警告とした。
「そして―――サーニャ様」
リーナさんは腰を下ろして、サーニャへと向かった。リーナさんは視線を落として、静かな声で言う。
「こうして仲良くなれたからこそ、本音でお話させてください。―――私は入学当初、あなたが嫌いでした」
サーニャは瞠目したが、意外な事実ではなかったのだろう。ただ黙して頷く。
「当初、私の目には、サーニャ様がご自身の身分の高さ、ロレンシウス様の婚約者であるということに胡坐をかき、努力もせず居丈高に振舞う傲慢な方に見えました。ロレンシウス様にも上から目線で注意するばかりで、本当に相手のことを想って言っているのではないと」
「……」
「それは、サーニャ様だけではございません。そういった権力を笠に着た女性に付きまとわれて困っている方が、たくさんいました。私は、そんな皆さんを見て、ただ、こう思いました。『本当は、要らないのでしょう?』と」
私は、恋に生きる女です。リーナは躊躇いのない瞳で断言する。
「簡単に人を好きになります。好きになった方が幸せであることを望みます。もしその方が独り身なら私が愛します。もし誰かと相思相愛で幸せならば、そっと祝福します。そしてふさわしくない方と共にあって苦しんでいるのなら、奪います」
かつてロレンシウス様も、サーニャ様から奪いました。
その言葉に、サーニャはただ「そうですね」と肯定するばかり。
「サーニャ様は形ばかりの抵抗しかしませんでした。女を磨くことも、ロレンシウス様が本当に求めるものが何かを考えることもしませんでした。ちょうどサーニャ様に反感を持っている方が、サーニャ様の醜聞の証拠をでっちあげていましたので、都合よくつかわせてもらおうとすら思いました」
ですが、いざというタイミングで、ロレンシウス様はサーニャ様の魅力に気づかれました。
リーナさんの言葉に、震えが混じる。そこで俺はようやく、演出ではなく、リーナさんが本当の本音を吐露しているのだと知った。
「そこから一気に、ロレンシウス様の心はサーニャ様に傾いていきました。私はそれがひどく不可解で、一時期はあなたを恨みすらしました。私は努力をしていて、あなたはしていなくて、なのにロレンシウス様の心はあなたの近くにあって」
俺は、ただ気圧されていた。リーナさんの凄まじさを目の当たりにしていると、そう思った。掛け値なしの真実として、恋に生きる女。それは、他にも男を囲っていながら、その内のたった一人を奪われただけで嫉妬に狂えるのだと。
でも、とリーナさんは語る。
「でも、サーニャ様をからかって笑うロレンシウス様のお顔は、私には引き出せないものでした。あまりに魅力的で、自由で、自立した殿方の愛が、サーニャ様へと向かっていました」
そこからサーニャ様は、段々とお変わりになられましたね。
リーナさんは、サーニャの手を握る。
「人付き合いが苦手なのに、恋敵であるはずの私とお話をしてくれるようになりました。少しずつ自信も身に着けていって、気付けば殿方の愛らしさに気付けるほど余裕のある、立派な女性になられました。先ほどなんて、負けるはずだったロレンシウス様の運命が、サーニャ様のお言葉一つで変わったんです」
サーニャ様。リーナさんはサーニャを呼ぶ。
「もうロレンシウス様は、私なんかよりずっとサーニャ様にお似合いです。謹んで、お返しいたします……!」
リーナさんは、曇りなき眼で、涙をこぼして言った。サーニャはその言葉の重さをかみしめて、「……はい」と受け止める。
「ロレンシウス様は、私のものです。もう一生、誰にも明け渡すことはありません」
サーニャの宣言に、誰もが面食らった。ただでさえ男尊女卑のこの世界でその宣言をするのは、余りにも強気すぎた。
だが、続く行動がさらに強気で、そこに誰も意見を挟むことなんてできなかった。
だってサーニャは、言うや否や俺の顔を挟んで、熱烈なキスをしてきたんだから。
「――――ッ」
俺は目を剥くほど驚く。だが必死に俺を引き寄せようと震えるその手を知って、抵抗を止めて受け入れることとした。
周囲の反応も似ていた。人前でのキスという過激な出来事に、息を飲んだり口笛を吹いたりと騒がしい。そうして俺の唇から離れたサーニャの顔は、真っ赤で、必死で、愛おしさに溢れていて―――
俺は言った。
「バカモノ。こう言うのはな、男からするものだ」
俺は体勢を変え、サーニャを抱きかかえるようにして、上からキスを返した。歓声が大きくなる。「負けたよ」とか「こりゃ、最初から勝負は決まってたな」とか逆ハー四人衆が好き勝手言っている。
サーニャを見ると俺と全く同じ反応をしていた。最初に目を見開いて、そしてそっと受け入れてくれる。
俺は、一度離れて言った。
「サーニャ。お前は、一生俺をお前のものにすると言ったがな、アレだって俺のセリフだ。生涯、お前だけを見る。お前だけを愛する。お前以上の女などいない」
「それこそ、私のセリフです」
俺たちは張り合い、そしてまた、どちらともなくキスをした。周囲から祝福の声が聞こえる。今はただ、それに浸っていたい。
そうして、俺たちは長い間ずっと、キスをしていた。周囲が呆れかえるほど、ずっと、ずっと―――。




