32話 球技大会7
「そういえば、ちゃんと話すのって初めてかな?」
僕がステージの床に指でひらがなを順番に書いていると、神代晴華が桐田朱里に向けて声を掛けた。
「2年Cクラスの神代晴華です、よろしくね!」
「こ、こちらこそ! 2年Dクラスの桐田朱里です!」
「ズーちんと仲良いんでしょ? よく2人で歩いてるの見かけるよ?」
「あっ、はい。部活が同じでそこから仲良くなって」
「そっか茶道部か! 今度お茶飲みに行っていい?」
「あなたまで廣瀬雪矢みたいなこと言わないでちょうだい、来ても何も出さないわよ」
「むう、ズーちんのケチ!」
「いいですよ1回くらいなら、ぜひ体験に来てください」
「ホント!? 朱里ちゃんは優しいなぁ、誰かさんと違って」
「あららそういうこと言うの。神代晴華は茶道部出禁ね」
「嘘嘘!! 1年の時からいつも助けてくれる委員長さまでした!」
「あはは、神代さんってすごい元気だね」
ちりぬるを、まで書き終えたところで、早速仲良く話す3人の声が聞こえてきた。さすが神代晴華のコミュニケーション能力、桐田朱里ともあっさり仲良くなったようだ。
「一応あたしも挨拶しとこうかしら。2-Aの名取真宵よ」
「あっ、はい。2-Dの桐田朱里です!」
この会話に入らなさそうな名取真宵が、意外にも桐田朱里に対して握手を求めた。ステージの上にいた桐田朱里はすぐさまステージから下り、名取真宵の握手に応じる。何というか、僕に対して毒を吐いてたのが随分昔に感じるな。人はこうも変わるものなのか。
「ちなみに訊きたいんだけど、廣瀬に何か相談してたりする?」
握手を交わしたまま、名取真宵はどこか様子を探るように桐田朱里に尋ねた。相談というのは雨竜のことだろうか。
「えっと、そうなりますね、はい」
「だよね。じゃなきゃコイツと絡むことないもんね。訊いといてよかった」
「って、ちょ、いたた!」
名取真宵は満面の笑みを浮かべ、握手する手に力を入れたようだ。桐田朱里が苦痛に表情を歪める。
「ちょっと真宵! いきなり何してるのよ!」
異変に気付いた御園出雲が割って入り、握手はすぐに中断された。桐田朱里が右手を押さえるが、そこまで強く握られたわけではなさそうだ。
「何って、ちょっとした挨拶よ。いろんなところにライバルはいるみたいだからね」
「ライバル?」
「こっちの話よ。まあ一番負けたくないのはあのちびっ子だけどね」
「?」
……成る程な。
何のことだか分からず首を傾げる桐田朱里と御園出雲だが、名取真宵の事情を知る僕には容易に理解することができた。
自分の知らない女子生徒、この場合は桐田朱里のことだが、その生徒が僕と一緒にいたから雨竜に好意を持っていると推察したのだろう。僕が女子と絡む時なんて、大抵雨竜絡みだからな。だからこそ神代晴華が作った輪にわざわざ突っ込んで挨拶なんかしたわけだ。それどころかちょっとした攻撃まで仕掛けるなんて、コイツやっぱり根本的には変わってないな。陰湿って感じがしないだけ良しとするが。
「真宵ちゃんって雪矢君と仲良かったっけ?」
名取真宵の口から僕の名前が出たのが意外だったのか、月影美晴がそう彼女に質問した。
確かに、さっきの身長の下りもそうだったが、僕と名取真宵が普通に話す光景に違和感を覚えたのかもしれない。どちらかと言えば険悪だったからな、僕とコイツは。
「そういえば、ユッキーとマヨねえが話すのって久しぶりに見るかも」
月影美晴に同調するように神代晴華が追随した。少し前に体育館で堂々と話していたのだが、コイツは堀本翔輝へのバスケ指導で見ていなかった。「そういえばそうね」と御園出雲も同意する。
まさかコイツらも、僕が改めて名取真宵の恋愛相談に乗り始めたとは思っていないだろう。そこに至る経緯を聞けば目から鱗が飛び出るかもしれない。さすがにそのことは話さないだろうが、名取真宵はどこか状況を楽しむように笑みを浮かべた。
「まああたしたちにもいろいろあったから。ねえ廣瀬?」
おーおー、まさかこういう展開に持ってくるとは。
名取真宵は自分では曖昧に濁すだけで、返答を僕に委ねてきた。
視線は当然、回答権を持った僕に集中する。女子4人の視線は、心なしか先ほど会話していたときより鋭く感じた。確実に名取真宵が意味深な言い方をしたせいである。
さて、なんて答えようか。
名取真宵の恋愛相談に乗るようになったと答えるのは簡単だ。僕がこの状況で臆すると思ったら大間違いだ、何の躊躇いなくコイツの恋愛事情を言ってやることができる。
しかしながら、それを聞いて桐田朱里がどう思うかが気がかりなのである。
少し前、桐田朱里は僕とのデートの後、雨竜へアプローチするのを止めたことがあった。何が原因か未だ分からないが、ふとしたことでそういう気持ちになったのだとしたら今回も油断できない。名取真宵の気持ちを聞いて身を引くだなんて言い出したら全てがおじゃんだ。僕としては桐田朱里にも雨竜争奪レースに参加してもらわなければならないのだから。
そうなると返答に困ってしまう。何と答えるのが正解なのか、適当に和解したとか言っておけばいいのだろうか。いや、それだとマスコミばりの勢いでその経緯を聞いてくるだろう。ただでさえアウェー過ぎるこの環境、僕に逃げ場があるとは思えない。
あーもう! なんで僕がこんなにうじうじ悩まなきゃいけんのだ! 1対1なら容赦なく説き伏せる自信はあるというのに、こんなにも人の目があると鬱陶しくて敵わない。
もういいや、ひと思いに言ってやろう。いろいろ考えるのが面倒になった、今はニヤニヤ笑う名取真宵に一泡吹かせなきゃ気が済まん。桐田朱里へのフォローは今度すればいい、そもそもまったく気にしない可能性だってあるんだから。
そう思って、僕が返答してやろうと思っていたときだった。
「やっと見つけたぞ雪矢!!」
第一体育館にいるはずのイケてるメンズ、青八木雨竜が僕を見つけてそう言った。大きな声を上げたせいか周りの女子の視線を釘付けにしている。僕の周りに居た奴らも例外ではなく、こちらへ向かってくる雨竜へ視線を送っていた。さすが歩く男性フェロモン、いい仕事するじゃないか。
って思ったが、そもそもなんでコイツここに来たんだ? 自由時間にこっちの空間に来ないランキング堂々の1位であるコイツがどうして?
「ゴメン、何か大事な話してた?」
「えっ、ただの雑談だけど」
「良かった。雪矢借りてくよ」
2年美少女軍団の輪に平然と入り受け答えをすると、雨竜はステージの角に座る僕の腕を取ってそのまま引っ張っていった。
「おわっ!」
いきなり宙に放り出されバランスを崩すが何とか着地。この馬鹿野郎、なんちゅう危ない真似をしやがるんだ。
「おい雨竜! なんだ突然、僕は試合に出ないぞ!?」
コイツが急に来た理由を考えるならこれしかないが、それは最初から断固として断っている。いくら言われても僕は絶対に試合に出ないぞ。
「別に出なくていい」
「はっ? じゃあなんで僕が行く必要があるんだ?」
「先生がチームメンバー全員揃ってないチームは不戦敗とか言い出したんだ、後1分もないし急いでるんだよ」
成る程、雨竜が来たくもない第二体育館にわざわざ来た理由がようやく分かった。とりあえず僕は試合には出なくてもいいらしい。
「いっそ不戦敗でよくないか? その後試合でボコボコにして勝敗を変えさせるという少年漫画にありそうな展開を」
「アホなこと言ってないハキハキ歩け!」
怒られた。球技大会ごとき、そこまでピリピリしなくていいだろうに。まあイライラしてるのはタイムリミットが迫ってるからだろうが。
「ちょっと待て雨竜、先行っててくれ」
「おい! 時間ないって言ってるだろ!?」
「ちゃんと行く。お前が急すぎて挨拶しそこねたからな」
僕は雨竜の手を振り払って、呆然と僕らの様子を見ていた2年美少女軍団の元へ戻ってきた。
「すまん月影美晴、一緒にサボれなくなった。了承しといて悪いが」
僕はすぐさま、月影美晴に向けて頭を下げた。
理由ができたとはいえ、1度約束したことを反故にするのだ。謝罪するのが筋というものだろう。
僕の行動に月影美晴は目を丸くして驚いていたが、やがていつものように穏やかな笑みを浮かべた。
「ううん、わざわざ言いに来てくれてありがとう」
「お礼を言われることじゃないがな」
「試合、頑張ってね」
「頑張らないぞ、僕は秘密兵器としてベンチを温め続けるだけだ」
「あはは、じゃあ雨竜君に頑張ってって言っといて」
「自分で言え」
「うん、気が向いたら」
月影美晴との会話を終え、僕は急いで雨竜の元へ向かう。
正直助かった、さすがにあの場所は女子成分が濃すぎた。いろんな意味で酸欠になる。
月影美晴には悪いがこれからしばらくは男子臭がする空間で大人しくさせてもらうぞ。
何はともあれ、僕はようやく完全アウェーから抜け出すことができた。




