42話 実行
陽嶺高校には、僕らが普段学校生活で利用する新館と、現状ほとんど使用されていない旧館がある。まだ生徒数が少なかった頃、この建物だけでまかり通っていたみたいだが、生徒数が増えるに従い大きな新館を建て、今や旧館はお払い箱状態である。文化系の部活の一部や同好会が1階や2階を利用する程度で、3階や4階はほとんど人がいない。やろうと思えば、男女が大人の階段を登ることもわけないと思われる。
そんな不埒な妄想は一旦横に置いて、僕は旧館の階段を登っていく。放課後の部活を営む時間なのに、人の声が響いてこない。季節が冬であれば日はほぼ沈み、不気味な雰囲気を醸し出していたことだろう。
普段より少し多い荷物を持ちながら、僕は4階の教室前で足を止める。スライド式のドアのサッシには『超常研究会』と書かれた紙が貼られており、中の様子を見ることができない。まあこれを貼ったのは僕なんだが。
さて、目的の人物は来ているだろうか。来ていなければ今日の準備が全てパーになる。とまあ不安を煽るようなことを考えたところで、ここに来ているのは事前に雨竜から聞いてるんですがね。
僕は律儀にノックをしてからドアを開けて中に入る。
僕らの教室とほほ同じ大きさでありながら、長机と椅子2つが部屋の中心にぽつんとあるだけの空間。
目的の人物――――名取真宵は、窓と窓の間にある大きな柱を背に佇んでいた。
「よお」
「はあ?」
普段ならふざけた返答に怒りが芽生えるところだが、今回ばかりは仕方ない。
名取真宵は、雨竜に呼び出されてここに来ているのだから。
「悪いな、雨竜に頼んでここに来てもらった」
「何それ、意味分かんないんだけど」
「僕がお前に用があるってことだ」
「帰る、あたしはあんたに用はない」
「残念ながら帰らせるわけにはいかない」
呆れてドアの方へと向かおうとした名取真宵の前に立つ僕。
「聞け。お前に非がなきゃすぐに帰してやる」
「……はぁ、うざ」
大きく溜息をつくと、名取真宵は先程までいた柱に寄りかかるように立った。どうやら耳を傾ける気にはなったらしい。
「何? さっさと終わらせて欲しいんだけど」
面倒くさそうに腕を組む名取真宵。そりゃこんなところまで足を運んで雨竜が居ないんじゃ腹も立つだろう。
だが心配するな、すぐにそんな考えは沸かなくなる。
「単刀直入に聞く。蘭童空に水をぶっかけたのはお前か?」
その言葉で、名取真宵はピクリとも反応しなかった。さすがはポーカーフェイス最強女、この程度で動揺は誘えないか。
「……はは、あのチビ。自分じゃどうにもできないからってちくりやがったな」
数秒後、名取真宵はボソボソと何かを呟きながら、誰かを侮るように嗤った。
「で、行き着く先がコイツって、どれだけ知り合い足りてないのよ」
「質問に答えろ。お前が犯人か?」
「はあ? まったく身に覚えがないんだけど、本人があたしって言ってるわけ?」
名取真宵は、びっくりするほど僕が想定していた返答をしてきた、これはこれは、こちらとしても非常に進めやすくて助かるな。
「それじゃあ、蘭童空に水をかけたのはお前じゃないと?」
「そう言ってるでしょうが、なんか証拠でもあるわけ?」
随分と自信があるようで、名取真宵は僕を煽るようなトーンで質問してきた。
そうか、そこまで言ってくれるならこちらとしても気になる資料を出してあげなくてはならないな。
「じゃあ聞いてもらっていいか、これらが証拠になり得るかどうかをさ」
「はっ?」
面を食らったような声を出す名取真宵をよそに、僕は持ってきた荷物からあるものを取り出して彼女に見せた。
「何それ、ただのペンじゃない」
僕が取り出したのはボールペンの形をした何か。だが勿論、普通のボールペンをこの場で出すことなどない。未だにピンときていない名取真宵へ僕は説明してやることにした。
「残念ながらこれはペンじゃない、ボイスレコーダーだ」
「ボイスレコーダー?」
「なんだ知らないのか、社会人必須のアイテムだぞ」
そう前置きしてから、僕は話を進める。
「名前の通り、このボタンを押すと周囲の音や会話を録音してくれる優れものだ。契約先と言った言わないで問題になることを防ぐし、パワハラしてくる上司を密告することができる。まあパワハラしてくる上司が野放しになっている会社なんて未来があるとは思えないけどな」
「なんでそんなに会社のこと知ってんのよ」
「どうしてお前こそ知らないんだよ。契約ごとはともかくパワハラならけっこう前に話題になったろ、『このハゲー!』ってやつ知らない?」
「ああそれ、ハゲが重罪って事件よね」
全然違う上に各所に喧嘩を売り始めたな。突っ込んでやりたいが今日の趣旨から外れるため割愛、未だ危機感を覚えていない様子の名取真宵のために話を戻す。
「これを使えば簡単に会話を録音できる。ちなみに僕はこれを学校内に3箇所、念のため箱形のレコーダーも含めて計6箇所配置した」
「学校内……てか6って、なんでそんなに持ってんのよ」
「正確には電池切れ対策で9コだけどな。中学の時に英会話を覚えたいと思って自分の声を録音してたときがあったんだよ、その時に趣味でいろんなのを集めてた。あとはうちの母親から黙って拝借してきた。まあそんなことはどうでもいい」
「……っ」
「なあ名取真宵、これがどういう意味か理解できるか?」
ここで名取真宵の表情に初めて焦りの色が見て取れた。
そこに追い打ちをかけるように、僕は1つのレコーダーの音声を再生する。
『知ってる? さっき聞いたんだけどあの後輩、青八木へのアプローチやめたらしいよ!?』
『マジ!? 水かけ効果あったじゃん!』
『てかあれ被ってあっさり沈黙とかウケるんですけど!』
『確かに、メンタル弱すぎ!』
『あははは!!』
音源を耳にした名取真宵の顔が強張っていく。ポーカーフェイスの鬼といえど、ここまで確固たる証拠を提示されれば隠すことなどできないだろう。
「お前の声だよな、これ」
優位性を確かに感じながら、僕はゆっくりと名取真宵を追い詰める。
こんなピンポイントの会話がよく録音されていると思うかもしれないが、実はこうなるように僕が名取真宵を誘導していた。
雨竜と歩いているときに廊下で彼女とすれ違った際、わざと聞こえるように会話をしていた。
『最近お前に引っ付いてる後輩の子、教室に来なくない?』
『確かに、部活でもあんまり声かけられなくなったな』
『なんだ、お前のこと諦めたのかよ』
『そうなのかもなあ』
これが取り巻きと話す話題になればと雨竜に協力してもらったが、まさかここまで綺麗に決まるとは思わなかった。何のことか分からず協力してくれた雨竜には一応感謝しておく、なんやかんや2つも手を貸してくれたわけだし。
「さてと、何か言い訳はあるか? 音源ならもう1つあるが」
9つのうちの1つを手に持ちながら、僕は名取真宵に問い正す。
正直無数にある会話から名取真宵関連を抜き取り調べる作業は苦行だった。その上関係ない話が9割であまり耳にしたくない内容もちらほら。こんなに寝不足なのは『恋するシュリちゃん』を作って以来だ。
できればさっさと自供してくれると助かると思っていると、名取真宵が歪に笑いながら一言漏らす。
「……だから?」
それは事実上の自供だった。名取真宵は自分がやったと認めた。
だがしかし、声のイントネーションだけでまったく反省してないことを容易にくみ取ることができた。
「だから何なわけ? ムカついたんだからそりゃやるでしょ、別に普通じゃん? あんただってイライラしたらものに当たりたくならない? それと一緒なわけ、何もおかしくないって分からない?」
自分を擁護するだけの薄っぺらい言葉の数々。無茶苦茶な理由で自分を正当化して、指摘をされたら子どものように言い訳を並べる。――――心の底から吐き気がした。
『こんな私が、青八木先輩の隣に立つ資格なんてないんだよぉ!』
後輩にあんな言葉を吐かせて、普通? 何もおかしくない? 一体どういう神経をしたら笑いながらそんなことを言えるんだ。虚勢だろうと何だろうと、ここまで開き直られれば同情の余地はない。
それがお前の本音ならば、分かりやすくお前の土俵で闘ってやるよ。
「そうか」
怒りで声が震えないよう、平静を装って僕は頷いた。
「お前の考えは理解した。蘭童空がイライラのはけ口にちょうどよかったと、だからひと思いにやってやったと、お前はそう言いたいんだな」
「……何が言いたいのよ?」
「ただの確認さ。別にいいんじゃないか、何かしら人は不満を抱えるもんだ。お前の言うとおり僕だってイライラすることはある。問題はその不満を他人にぶつけるか抱え込むか、そしてさらなる不満を生んでいないかどうか」
「だからさっきから何を」
「お前は前者を選んだ。自身の欲求のために他人を巻き込んだ。お前は気持ちよくスッキリできたかもしれないが、当然巻き込まれた人間はお前に不満を抱く。名取真宵、僕が何を言いたいか分かるか?」
そう言って僕は、名取真宵お得意の歪な笑顔を返してやった。
「当然お前は、そいつらにやり返される覚悟があるってことだよな?」
名取真宵から、僅かに恐怖の感情が漏れ出していた。




