1話 朝から姫子
季節は秋。冬の訪れを感じさせるかのごとく気温が少し下がり、ブレザーともう1枚上着が欲しくなる時期になった。
そんな季節の流れにも負けない丈夫な身体を持っている僕こと廣瀬雪矢は、プラス1枚身につけたいなどと思わず登校していた。端的に言うならいつも通りである。
ただ、心の持ちようはいつも通りではない。生徒会選挙期間を経て、僕はたくさんのことを考えさせられた。
1つは彼女を作るということ。待たせている人もいるし、雨竜の言うことが正しいなら更なる想いに巻き込まれるかもしれない。そうなる前にデートを重ねて、自分の答えを見つけたい。今や立派な僕の目標だ。
そしてもう1つが自分のレベルアップ。例え彼女が作ることが成功したとして、フラれてしまっては意味がない。身近なところから自分を育み、相手に相応しい自分になっていきたいと思う。
勿論雨竜の恋人作りも忘れていない。生徒会選挙で雨竜は無事生徒会長になったのだ、この状況を逃す手はない。
今までの僕なら何か1つに注力していたかもしれないが、全て同時にこなしていくと決めた。それも含めて自分のレベルアップに繋がると感じたからだ。
忙しくなるのは目に見えているが、とはいえ引くという選択肢はない。
やるだけやって、立ち止まるのは失敗してから。明確な終了が見えてこない分、道のりは厳しいがやってやる。
結局のところ、こういった経験全てが僕のレベルアップに繋がるのだから。
ー※ー
「あれ、廣瀬君じゃん!」
いつもより早い登校を済ませると、生徒玄関でバッタリとお騒がせガールと遭遇した。
元生徒会長こと、藤宮姫子先輩である。
「おはようございます」
「おはよー、廣瀬君いつもこの時間?」
「たまたまです、なんか早く来たくなって」
「分かる! いつもと違った風景が見えていいよね」
なんてことない朝の会話だが、藤宮先輩はニコニコと嬉しそうだった。
「先輩もたまたまですか?」
「そう! って言いたいところだけど、一応理由あってね」
そう前置きすると、藤宮先輩は勢いよくピースサインをこちらに向けた。
「なんと! 第一志望の大学に推薦で受かりました!」
「へえ、おめでとうございます」
「ありがと。ホントは昨日の昼には家に連絡入ってたみたいなんだけど、テストやら生徒会選挙やらで忘れててさ。だから朝早く報告に参ったってわけ」
朝からハイテンションだと思っていたが、どうやら志望校合格が理由らしい。受験戦争は人生の一部を壊しかねないハードなものらしいし、その安心も一入だろう。
「というわけで、私の受験勉強は終了! 他の3年生には悪いけど、私は残りの学校生活を気楽に楽しませてもらいますよと。勿論邪魔したりはしないけど」
「自動車免許でも取りに行ったらどうです?」
「それは3学期に考えてる、あたしたちは自由登校になるし」
考えなしのライブ感で生きているように思っていたが、意外にもしっかりと人生設計をしているらしい。
そういえばこの人、腐っても元生徒会長なんだった。勢いだけで選ばれるようなものじゃないし、そもそも推薦合格できるスペックを持ち合わせてるんだった。日頃の態度だけで判断したことを反省しなくては。
「そういえば、生徒会選挙お疲れ様。信任投票だってのに盛り上がっちゃうなんてやっぱり2人はすごいね!」
急に大人びて見えた藤宮先輩に心の中で謝罪していると、話題が昨日の生徒会選挙へ切り替わった。
「いやいや。雨竜はともかく、僕のスピーチなんて酷いものだったでしょ」
「それが良かったんじゃん! もしかして止めに入った方がいいんじゃ、って思わせてからの上げスピーチだからね。お姉さん一本取られちったよ」
にししと笑う先輩の表情は、言葉通り僕に気を遣ったものではなかった。つまりあのスピーチを評価してくれているということなのだが、こちとら気持ちの整理がつかないままがむしゃらに吐露したものだったので、正直複雑な心境である。雨竜のファンにも怒られそうな内容だったし。まあ怒られたところで僕には1ミリも刺さらないのだが。
「というわけで、頑張った2人にはご褒美をあげたいんだけど何か欲しいものある?」
そんな僕の内心など露知らず、藤宮先輩はイベントを盛り上げた僕らに施したいらしい。
とはいえ咄嗟に思い付くものはない。紙飛行機を作るにしても何かの裏紙でいいし、昔断念したペットボトルロケットも飲み終わったペットボトルでいいしな。僕ったら遊び方までエコ。
「あれ? もしかして何にもない感じ?」
「そうですね。物でパッと思い付くのがないというか」
「まあ物じゃなくてもいいんだけど、それだと私があげられるものなんて…………はっ!」
何を閃いたのか、いきなり僕から数歩距離を取る藤宮先輩。
そしてもじもじとしながら頬を赤らめる。
「な、なるほどね。物欲がないなんて珍しいなんて思ってたけど、男の子だもんね。それよりも欲してるものがあるってことね」
「いや、あの」
「前は受験勉強を盾にうやむやにしたけど、何の因果か、その障害はちょうど昨日奇麗さっぱりなくなってしまった。廣瀬君が言葉を詰まらせるのも分かるよ、あまりに運命が過ぎるって」
「…………」
「だけど話はそう簡単じゃない。いくら私が自由だからって周りは受験戦争の真っ只中。間違いなく後ろ指を差される関係になるし、それを乗り越えても半年後には卒業という物理的な別れが待っている。困難は濁流のように何度も押し寄せてくるの」
僕に物欲がなかったというただの事実から、藤宮先輩は壮大な妄想を声に出しながら演出していく。呆気に取られている僕の顔になんて当然気付いていないんだろう。
忘れてた忘れてた、この人頭おかしいんだった。
「でもね、その波を乗り越えることができれば、きっと幸せを掴むことができる。私1人じゃ無理でも、2人ならきっと乗り越えられる!」
そう言って藤宮先輩は、覚悟を決めたような顔つきで僕の方へ手を伸ばした。
「廣瀬君、私と一緒に波越えてくれる!?」
「僕は高台に避難します」
「安全第一!!」
会話は難しい、僕は世界の真理を知った。




