34話 ちょっとした進歩
「雪矢、久しぶりに授業に遅刻したな」
「うるさい、髪の毛校則違反男のお前に言われたくないね」
「地毛だけどな」
5限を終えて一休みすると、隣から何とも弾んだ声で話しかけてくる男が1人。言わずもがな青八木雨竜であるが、人の遅刻で楽しそうにするのはいかがなものか。
「先生の呆れた顔見たか、毎度毎度よく思い付くなあんな話」
「実話だっつーの」
「嘘だろ、あいちゃんとやらはたまに透けるのか?」
「そこじゃねえよ、相談乗ってて遅れたってところだよ」
「嘘をつくな、お前にそんな殊勝なことできるわけないだろ」
おいおい雨竜君、いつも僕が君を好きだという女子たちの相手をしてるのを知らないわけではないな?
よくもまあそんな返答ができたものだ、僕の頑張りをプロフェッショナル風にまとめてお前の目玉に焼き付けてくれようか。スガさん頼みます、僕のために一曲歌ってください。
「廣瀬雪矢」
人間格差と戦う平和を生きる男、というサブタイトルを思い付いたタイミングで、普段の仏頂面をどこかに潜めた委員長様が僕に声をかけてきた。
「何だ? 遅刻のことなら作り話じゃないぞ?」
「だとしたら最低よ、実在する人物を錯乱状態だなんて」
「仕方あるまい、あいちゃんと会って事情を聞かれたくなかったんだよ」
「それよそれ、そこが気になったの」
「はっ?」
唐突に僕の言葉を止めた御園出雲は、本題に入ろうと一度喉を鳴らした。
「すごい身近で聞き覚えのあるフレーズだから気になったんだけど、あなたが言うあいちゃんって茶道部所属のあいちゃんのことじゃないでしょうね?」
ああ、はいはい。それが気になっていたのか。そういえばあいちゃんと茶道部の話をしたな、出雲先輩が廣瀬先輩を出禁にしたとか……
「おいお前、僕が茶道室出禁とはどういうことだ?」
「はっ? まずは私の質問に答えなさいよ」
「ちっ、せっかちな奴だな。茶道部のあいちゃんで合ってる、僕のワビサビ捌きに感動してぜひ抹茶を飲みに来て欲しいって誘われたんだ」
「どんな状況よそれ!? というかワビサビ捌きって何よ、変な造語作らないでくれる!?」
「頭の固い女だな、造語なんてのはお前ら女子の方がよく作ってるじゃないか」
「えっ、そうなの?」
「彼ピとジモってるのにウザベルでマジさげぽよ~」
「はあ?」
こっわ、すごい低いトーンでガン付けられたんですけど。この学校ってこういう言葉使う女子っていないんだっけ。
「って話逸れちゃったじゃない! なんとかぽよは置いといて、なんであなたがあいちゃんと知り合ってるのよ」
「さっき言っただろ、僕の溢れんばかりの茶道知識に感服したあいちゃんが抹茶を飲みに来いと」
「さっきと言ってること違うじゃない! どれだけあいちゃんは抹茶を飲ませたいのよ!?」
「茶道を愛する者同士が抹茶を点て合いワビサビを語る、実に風流じゃないか」
「あなたが愛してるのは茶道じゃなくて抹茶でしょうが!」
まったく、ピーピーうるさい女だな。休み時間を静かに過ごしたいクラスメートへの配慮が欠けているじゃないか、委員長のくせに。
これ以上居座られるとさらにヒートアップするような気がしたので、さっさとあいちゃんとの馴れ初めを話すことにした。クラスメートよ、僕に感謝することだ。
「蘭童殿と友達だったからそれで少し話しただけだ」
「蘭童、ああ、今日教室に来てた娘ね。あなたに宣戦布告してた」
「それは忘れろ、今では小粋なジョークも言い合える間柄だ」
「それはそれで今日一日で何があったのって話だけど。そっか、あいちゃんは蘭童さんと仲が良いのね」
「どうやら2人はとてもいいコンビらしい。全盛期のアライバ並のようだ」
「アライバ……? シンク?」
その洗い場じゃねえよ。
嘘だろ、名コンビと言えばアライバって共通認識だろ、スポーツ見てないのか。そりゃ僕も幼かったけど、まさか同い年の人間にジェネレーションギャップを感じるとは。
まあいい、これで御園出雲の疑問は解消した。こうなれば「あいちゃんに迷惑かけるんじゃないわよ」と余計な一言を添えてから自分の席へ戻るだろう。少なくとも今まではそうだった。
「……青八木君は、あいちゃんと交流はあるの?」
――――だから一瞬、話を膨らませようと僕の隣へ視線を移した御園出雲を見て眼を疑った。
「直接はないけど蘭童さんから話に聞いたことはあったよ、仲の良い友達だって」
「あっ、そうなんだ」
「まさか雪矢と知り合ってるとは思わなかったけど、たまに透けるってホント?」
「ちょっと、青八木君まで本気にしないでよ」
「あはは」
……へえ。意外にもしっかり話せてるじゃないか。コミュニケーション能力さえも人智を超越した雨竜はともかく、御園出雲も冗談を言う雨竜に返答ができている。これは僕にとって悪くない光景だ。
「……何よ」
雨竜と話し終えて僕の視線が気になったのか、少し照れ臭そうに僕を睨む御園出雲。
「いや、遂に桐田朱里を蹴落とすことを決めたんだと思ってな」
「嫌な言い方しないでよ、ただの会話でしょ?」
「ただの会話さえ今までほとんどなかったように思うが?」
僕がニヤニヤしながらそう言うと、御園出雲はカッと頬を赤らめて視線を逸らした。
「べ、別に、あなたに言われたからってわけじゃないからね?」
「僕何か言ったっけ?」
「はあ!? あなたが言ったんでしょう、勝手に諦めるなって! その、えっと……」
「ああ、お前を綺麗って言ったやつか」
「だから堂々と言わないでよ! 恥ずかしがってる私が馬鹿みたいじゃない!」
「堂々と言うだろ、事実なんだから」
「~~~っ!! もういい! もういいから!」
顔を沸騰させた御園出雲は、最後に僕の声を遮るように声を上げて自分の席へ戻ってしまう。
「何なんだあいつは……」
僕に言われたから動いたわけではないとか言いながら、思い切り僕の言葉を意識してるじゃないか。まあ別にそれはいいんだが、初っ端からこんな調子だと先が思いやられるな。
とはいえスタートラインに立とうとしたのは良いことだ。僕の大本命は蘭童殿だが、雨竜との交際を望む人間が多いに越したことはない。恋愛は短距離走じゃないんだ、スタートが遅れても後からじわじわ追い抜いてくれれば何ら問題はない。……今の御園出雲に期待できるかどうかは別として。
「あっ」
そういえば何故僕を茶道部出禁にしたのか聞けていなかった。あの女、一方的に言いたいことだけ言って戻りやがったな。今すぐ問い質したいところだが急な朗報に僕は機嫌が良い、またの機会にしてやろう。
そんなことを思いながら、慌ただしい5限目後の休み時間が終了した。




