39話 ズルい男
大変お待たせしました。
「みんな、ちょっといい?」
廣瀬家を後にした9人は駅へ向かいながら歩いていた。雪矢とは和やかに別れたはずだったが、神代晴華の表情は強張っていた。
「ユッキーの話、どう思った?」
その言葉が皮切りに、他の面々にも影が差し始める。
雪矢の話とは中学時代のことであり、今の雪矢の性格を形成する根幹が詰まったものであった。
「ユッキーは気にするなって言ってたけど、だからさっきまでは明るく振る舞ってたけど、そんな簡単に割り切れる話じゃなくって」
晴華の瞳には今にも溢れ落ちそうな程の涙が浮かんでいた。
「ユッキーは友達を助けただけなのに、そのせいで独りぼっちになるなんて、いくらなんでも可哀想すぎるよ……!」
「……そうね」
晴華の吐露に出雲が同意する。
「雪矢とはしょっちゅう言い合いをしてきて、その度に少なくない理不尽を覚えたものだけど、あんな大きなバックボーンがあったんじゃ仕方がなかったのね」
「廣瀬先輩って、そんなに皆さんのこと避けてる感じだったんですか? 私たちには優しかったですし、皆さんと話してるときもそうは感じなかったというか」
「そうだね、特に雨竜君と話すようになる前は必要最低限の会話しかしてないんじゃないかな」
「青八木とつるみ始めてからも似たようなものよ。1年の終わりくらいから少し緩くなってきたように思えたけど、もしかしたら今日聞いた過去の件のことで葛藤してたかもしれないわね」
各々が、雪矢の過去についてコメントしていく。1年の時に同じクラスだったメンバーからすれば、雪矢の行動と過去の出来事は分かりやすいくらいに連動していた。
だからこそ、雪矢から放たれた嘘のような話が本物であると実感する。
「でも廣瀬君は、優しかったよ。じゃなきゃ僕は救われなかった。目に見える態度なんて関係ない、根本の廣瀬君はきっと変わってない」
「……分かる。言い方のせいで誤解が生まれるけど、廣瀬君は真摯に向き合ってくれる人だから」
雪矢に恩義を感じる面々の表情には影はなく、自分たちが与えられた彼の温かさを誇らしげに伝えていた。
過去があろうとなかろうと、各々が雪矢に何かしらの優しさを感じていた。
「でも、次はないな」
ーーーーだからこそ、青八木雨竜はつとめて冷静に言い放つ。
「どういう意味?」
「そのままだよ。今回あいつは踏みとどまってくれたけど、もし同じようなことが起これば、あいつは二度と俺たちとは関わらない」
「ーーーーっ」
皆が皆、一斉に息を呑むのが分かった。円満に解決したと思われた事件に、再度闇が立ち込める。
「分かるだろ、そういう奴だよ。仮に俺たちの誰かが傷付こうものなら、傷つけた奴を病院送りにしてそのまま自分は退学、なんてことだってあり得る」
あまりに突飛な意見にも関わらず、そんなわけないと誰も言わないのは、雨竜が言った行動を起こす雪矢を容易に想像ができたからだ。やることはやって自分は誰とも絡むことのないようフェードアウト、雪矢にとっては一石二鳥だろう。
「青八木君さ、なんでそんな平気そうなわけ? 廣瀬君が離れていくかもしれないってことなのに」
「喚いたって解決しない。それだけ雪矢の中で凝り固まってるんだから」
「だったら解決させようよ! 心当たりはあるんだ、今から対策すれば!」
「それこそ雪矢が望んじゃいない、俺たちが加害者側に立つことなんか」
妙に冷静な振る舞いをする雨竜に口を挟む翔輝だったが、正論で返され言葉を失ってしまう。
「じゃあさ、あたしたちは、これから卒業まで何も起こらないことを祈るしかないの?」
震える晴華の言葉に、何も答えられない面々。深くなる闇を晴らせないまま時間が過ぎて行く、そう思った矢先。
「ーーーー心配はいらない」
沈黙を破ったのは、自ら重い空気を作り出した張本人だった。
いつもいろんな人から頼りにされる男が、自信を持って断言する。
「俺だからできることがある。俺にしかできないやり方で」
根拠のない言葉にも関わらず、一同はスッと胸がすいていくのを感じた。
ー※ー
「はあ」
みんなが帰るのを見送ってから、僕は溜息をついた。
疲れた。精神的に。いい奴らなのは今更言うまでもないが、あんな大勢で押し寄せてくるかね。
それほど僕の態度が危うかったということなんだろう、実際関わりを断つことを考えていたんだから間違ってはいない。
あらためて、僕には過ぎた連中だと思う。僕が居なくたって新たなコミュニティで輪を作れる奴らだと思う。
でも、望まれたのは紛れもなく僕なんだ。他の誰でもなく廣瀬雪矢。だったら、その思いに報いるのが筋だろう。少なくとも、あんな事件がもう一度起こってしまうまでは。
「さて」
自分の気持ちに一区切り着いたところで、雨竜に言われたことを思い出す。
梅雨に連絡を入れろと言っていたな。
今日の事件のことは、遅かれ早かれ梅雨の耳にも入る。そうなった時、何も知らされていないというのは可哀想、という雨竜の言い分。
とはいえ僕からそのことを語るつもりはない、雨竜に頼まれたのは梅雨にも僕の思いを伝えろってだけだ。
『もしもーし!』
梅雨に電話を掛けると、2コール程で元気な声が耳に届いた。
「僕だ。勉強中だったか?」
『いえいえ、今家に着いたばっかりだったので。お勉強はこれからです!』
「そうか。それなら邪魔できないな」
『何を言ってるんですか雪矢さんは。例えお電話で10分勉強時間を削られたところで、上がったモチベーションで取り返すだけですよ!』
梅雨の独自理論により、このまま通話を許された僕。どう話を切り出そうか考えていると、梅雨から先に言葉を紡いだ。
『というか雪矢さんらしくないですよ、自分から掛けといてすぐ切ろうとするなんて』
「確かに。なんで梅雨に気を遣わなくちゃいけないんだ」
『いや、そこまで言われるとわたしも悲しくなっちゃうんですが』
「複雑な乙女心だ」
『それは違うと思います』
全く生産性のない会話に花を咲かせる僕と梅雨。まったく、コイツと話してるとウジウジ考えてるのが馬鹿らしくなるな。
「電話したのは、ちょっとした報告だ」
『報告?』
「うむ。僕の身にちょっとしたいざこざがあってな、僕はあんまり気にしてなかったんだが、いつもの連中が心配して僕の見舞いに来てたんだ」
『見舞い? 雪矢さん怪我でもしたんですか!?』
「してないしてない、僕自身あんまり気にしてないってさっき言ったろ」
『雪矢さんが気にしてなかろうと、世間一般的には大事だから皆さん見舞われたんじゃないんですか?』
「まあそうなんだろうな。意識の違いにさっきまで驚いてたところだ」
彼らの心配そうな表情を思い出しながら一呼吸置き、僕は話を続ける。
「良い奴らだと思う。僕のことを自分事のように心配してくれた。そんな奴らのことを、僕も大切だって思えた。なくしたくないものだって思えたんだ」
いつからこんな風に心が入れ替わったのかと、自分で苦笑したくなる。一匹狼で平然とできていた廣瀬雪矢はもういないんだ。
「学校で遭ったことだから梅雨には伝えられなかったが、お前に対しても一緒だ。大切に思ってる、それをちゃんと伝えたかった」
雨竜のアシストがなかったとしても、結局梅雨には自分から伝えていたと思う。それくらい、照れも憂いもなく真っ直ぐ伝えることができた。
『……い』
「はっ?」
梅雨の反応を待っていたが、最初にポツリと言った言葉が聞き取れなかった。思わず聞き返すと、梅雨は「ムキー!」と怒声を上げて捲し立ててきた。
『ズルいですよ! 学校でそういうイベント起きたらわたし絶対出遅れるじゃないですか! 蚊帳の外なのに温情で声かけられた感あってすっごく悔しいんですが!』
「温情って、僕の気持ちに嘘偽りはないぞ」
『だからそれがズルズルパート2だって言ってるんです! いきなり大切に思ってるなんて言われて心の準備ができてると思ってるんですか! というかそれも直接伝えて欲しかった、なんでわたしは雪矢さんと同じ学校じゃないんだ……!』
携帯越しに拳で机をゴツく音が聞こえ、梅雨の悔しさが伝わってくるようだった。
いや、やっぱりよく分からない。年齢違うんだから同じ学校にいれないタイミングの方が多いだろ。
『さすが雪矢さんです。まさかこんな形でわたしの受験勉強に刺激を与えてくれるとは思わなかったです。世間が許すなら飛び級して陽嶺高校に入ってるところでした』
相変わらず素っ頓狂なことをのたまうお嬢さんだったが、勉強のモチベーションは上がったらしい。終わりよければ全て良しというやつだ。
『いざこざの中身は分かりませんが、雪矢さんの中で解決されてるんですよね?』
「ああ、そうだ」
『ならわたしから言うことはありません。雪矢さんの後輩目指して頑張るのみです!』
「だな」
『だから雪矢さんも、己の道を突き進んでくださいね! 追いかけますから!』
「……抜かせ。追いかけたところで僕は追い抜けん」
『追い抜きませんよ、寄り添って一緒に進むんですから』
結局、本題が終わっても会話を続けてしまい、梅雨の勉強時間を30分ほど奪うことになるのであった。




