10話 競走
僕らに居場所を与えてくれた名誉保健委員に別れを告げ、僕と晴華は校庭へ足を運んだ。
普通に部活動を営んでいる生徒たちがいるせいか、僕らの存在が浮いている気がする。そもそもの話、隣の女子高生に向けられている視線が多い。
「おい、お前のせいでめちゃめちゃ見られてるんだが」
「えー、校庭に制服で来てるユッキーのせいでしょ?」
コイツめ、己の罪を僕に押しつけてきやがった。僕が仏の生まれ変わりでなかったらダブルチョップが晴華の脳天に突き刺さっているところである。
「というかユッキー、なんで制服なの?」
「体育がない日に体操服はいらないだろ」
「運動系の部活組はみんな持ってきてるけどね」
「ああ? 僕が相撲部次期部長と知っての言い分か?」
「いや、だからなんで持ってきてないのかなって聞いてるわけで」
「確かに、お前頭いいな」
「全然褒められてる気がしない……」
ふん、相撲をやるのに体操服などいらん。ましてや相撲の訓練など全裸でだってやれる、晴華に言いくるめられそうになったが僕間違ってないな。人とは全裸が戦闘スタイルだ。
「はあ」
「どうした溜息なんてついて、今から雨竜勝利に向けて励むところだろう」
わざわざ体操服に着替えているというのに、微妙に表情が浮かない晴華。
「なんだ、雑草でも拾い食いしたのか?」
「ユッキーはあたしをどういう目で見てるわけ!?」
「食べた分乳に栄養がいってる女」
制服姿より強調された胸元を見て言うと、晴華はもう1度大きな溜息をついた。
「まさかユッキーがああいうこと言ってくると思わなかったから」
ああいうことというのは女性のデリケートな箇所に関わる発言についてだろう。相当逡巡していたようだが、最終了承したのはこの女である。
「あのな、その言葉そっくりお返しするぞ」
僕の価値観に異議申し立てをしたいのか知らないが、晴華が不健全な発言をしなければ生まれていない事態である。
「だって、あのままじゃユッキー、二人三脚してくれなさそうだったし」
「だとしても言うことが極端すぎるだろ、普段からあんなこと言ってんのか?」
「言うわけないよ! ユッキーだったら、その、いやらしい要求とかしないと思って」
「おいおい、男性ホルモンむんむん男である僕を捕まえておいてなんだって?」
「男性ホルモンむんむん男……? どなたが……?」
反射的に、僕の右手が真っ直ぐ晴華の頭の上に落とされた。見事な一撃だった。
「加減を! 加減を覚えてユッキー!」
「黙れ! 僕に精神的苦痛を与えた罰だ!」
「前も言ったけどユッキーからエッチな視線感じないんだもん! だから大丈夫かなって思って!」
「はあ!? そんなわけないだろ! そこまで言うならお前の胸と太股だけ見て生活する、それで僕を男性ホルモンむんむん男と認めるんだな!?」
「認めないよ!? なんで不名誉な称号を得ようとするの!?」
くそう、この女おかしいだろ。僕ほどの男の中の男を前にしてどうしてその偉大さを認めようとしないのか、これが男女の違いというやつなのか。
「はあ、ユッキーとやり取りしてたら真面目に悩んでるの馬鹿らしくなってきた」
えっ、もしかして僕、舐められてる? 男として認められないわ挙げ句の果てに馬鹿扱いされるわ、裁判で訴えれば勝利できるのでは?
……ダメだ、男たちの同情を得られる気がしない。美少女ってズルくないですか。
「いいや、そういうのはウルルンに勝ってから考えよ。まずはウルルンに勝たなきゃ始まらないし」
そう言って、一人準備運動を始める晴華。確かに、このやり取りだって雨竜に勝たなきゃ何の意味もない。晴華に言うことを聞かせられるのは最高ランクのミッションをクリアしてからだ。
「えっさ、ほいさ」
声を出しながら身体のあちこちを伸ばす晴華だが、なかなかどうして扇情的である。これが真宵だったらもっと狙って男共を殺しに掛かるんだろうが、コイツはコイツで子どもっぽい無邪気さが加点対象になっている。僕はいったい何を審査しているんだ。
「さてと、身体も温まってきたところだし、ユッキー競走しよ?」
時間をしっかりかけて準備運動を済ませた晴華が、唐突に世迷い言を言い出した。
「ユッキーがどれくらい走れるか知りたいしさ」
「いや、僕制服姿なんだが」
「大丈夫大丈夫、裾めくれば全然支障ないから」
この女、既に乗り気である。僕のズボンの裾を勝手に折り曲げると、「オッケー!」と言いながら僕に親指を立てた。先程までのやり取りが嘘のようにニコニコだ。
制服で校庭に降り立った時点で嫌な予感はしていたが、いきなり全力で走らされるとは。まあいい、雨竜に勝つことは僕にとってもメリットだからな。付き合ってやろうじゃないか。
軽くストレッチをしてから晴華の横で構える。こうして全力で走るのなんて、青八木家の別荘でケイドロして以来になるか。あれは壮絶すぎて死ねた。
「位置について。よーい、ドン!」
晴華の合図で、僕は両手両足をとにかく素早く動かした。良いスタートだと思ったが、そんな余裕は一瞬でなくなる。
隣を走る晴華と一切距離が開かない。僕とてそこまで速くはないが、こうも差を広げられないとは思わなかった。てか、気を抜いた瞬間一気に追い抜かれるぞこれ。
最初に決めたゴールラインを、僕は僅かに晴華より早く割ることができた。スピードを緩めたことで一気に疲労が肺に来る。成る程、晴華が雨竜との勝負に拘る理由が少し見えた。これだけ動けりゃ戦って勝ちたくもなるわ。
「すごいユッキー! ほとんどあたしと同速じゃん!」
どう見ても僕より疲労を感じていない晴華が、拍手しながら近付いてくる。
「ウルルンだったら女の子に合わせてゆっくり走らなきゃいけないでしょ、でもあたしたちならお互い全力で駆けることができる。ユッキー! あたしたち練習したら勝てるよ!」
「あっ、うん、そうね」
盛り上がってるところ悪いけど落ち着いて、こちとら全力疾走の後なんだから。
お嬢さんなんでそんなに元気なの?




