16話 前を向いて
僕は溜息をつきそうになったのをグッと堪え、分かりやすくあたふたしている桐田朱里に伝える。
「とりあえず分かったが、雨竜とはちゃんと話してくれ。前も言ったが、雨竜がお前を好きになったら大変だからな」
好意を持たれてるからこそ、その相手に好意を抱く可能性は0じゃない。雨竜と桐田朱里の間で事故が起こる前に、そこは話し合うべきだろう。雨竜が本気で桐田朱里を好きになったというなら話は別だが。
「青八木くんが私を好きになるとは思えないんだけど」
「僕もお前に好かれるとは思わなかったけどな」
「そ、そうだよね、ごめんなさい……」
「いや、謝る必要はないんだが」
シュンとしてしまう桐田朱里に思わずフォローを入れてしまう僕。何だろう、素直に謝られると僕を好いてること自体が間違いみたいで微妙に悲しくなるな。
しかしながら、桐田朱里が僕を好いている理由は分からないまま。ネガティブな考えとかではなく、彼女と接していた中で心が変わっていくような行動に心当たりがないのだ。
優しいとか抽象的なことを言われても僕は首を捻るだけ。正直、どの時のどの行動が良かったかなど、具体的に教えてもらえると助かるのだが。
とはいえ、桐田朱里が僕を異性として好いているのは事実。僕が理解してようがしてなかろうがそれが動きようのない現実。
それならば、僕としても1つの回答を出さなければならない。
「その、告白のことなんだが」
切り出した瞬間、桐田朱里の表情が一気に引き締まる。お互い地べたに座りながら、緊張の面持ちで見つめ合った。
「今すぐに返答した方がいいか?」
「……それは、どういう意味?」
質問に質問で返してくる桐田朱里。それはダメだと言っているのに、それほどまでに余裕がないのだろう。
「今返答しても、お前にとって良い返事はできないってことだ」
だから僕は、はっきり彼女に今の気持ちを伝えた。桐田朱里を恋愛対象として見たことはない、好かれているからといって付き合うことはできない。付き合っている間に好きになればいいなんて考えもない、そんな僕に彼女と付き合う資格はないのだ。
「……そっか」
厳しい言葉を投げたと思ったが、意外にも桐田朱里はフッと笑った。無理をしているようにも見えず、僕に対して穏やかに微笑む。
「でもそれって、今返答もらわなかったら可能性はあるってことだよね?」
「……そうだな、真剣に向き合った上で返答したいと思う」
一瞬言葉に詰まったが、僕は首を縦に振った。待たせてしまっていいものなのかと思ってしまうが、桐田朱里の表情に憂いの色はない。
「なら全然アリだよ、元々すぐにオッケーもらえると思ってなかったし。今の言い方だと、梅雨ちゃんと付き合おうと思ってるわけじゃないんでしょ?」
梅雨の名前が出てきて驚くが、桐田朱里は梅雨が僕に告白してきたことを知ってるんだ。梅雨のことを意識するのは当然のことだろう。
「そうだな、梅雨の方もお前と一緒だ」
梅雨のことは、妹のようにしか思っていなかった僕。そういう意味では、桐田朱里と同じスタート、同じ境遇なのかもしれない。
「良かった、勇気を出した甲斐はあったんだ。同じ土俵に立つことができたんだ」
桐田朱里は瞳を閉じて、両手を胸の前に重ねた。梅雨との状況を聞けて安心したのか、小さく息を漏らす。
「やっぱり私、廣瀬君を好きになれて良かった。心からそう思うよ」
「そ、そうか……」
こんな近距離で真っ直ぐ気持ちをぶつけられると、さすがの僕も照れ臭くなってしまう。悲しみも苦しみも消え去った純粋な笑顔はこうも綺麗なのかと、思わずハッとさせられた。
「それじゃあ私もこれからアプローチするね。ぼやぼやしてたら梅雨ちゃんに置いてかれそうだし」
「アプローチ……」
そういえば、僕もよくアプローチをしろと言っていたものだが、一体何をされるのだろうか。
「アプローチって何をするんだ?」
気になったので率直に聞いてみると、桐田朱里は1度思考が停止したかのように動きを止め、ボンッという擬音が響くように顔を赤く染めた。
「そ、それはアレだよ! いろいろだよ! いろいろ攻めるんだよ!」
相変わらず抽象的すぎて何をされるかまったく分からない。分からなさすぎて、若干恐怖を覚えるレベルである。
「お、お手柔らかに頼む」
「それで梅雨ちゃんが止まるならね」
「梅雨が?」
想像してみる。何かを企む梅雨に『お手柔らかに頼む』とお願いして何て返答が来るか。
『あはは、今何か言いました?』
「止まる気がしないな……」
「ふふっ」
本音を漏らすと、桐田朱里は声を出して笑った。
今度は僕が安堵する番だった。僕のせいで傷ついていた彼女だったけど、楽しそうな笑顔が戻ってきたように思う。これならば、一旦僕の目的は達成されたと言っていいだろう。
「あっ」
目的で思い出す。今日の目的は1つではない。桐田朱里と同様に、謝りたい人間はもう1人居るのだ。
「どうしたの?」
僕が立ち上がると、桐田朱里はスカートの埃を払いながら立ち上がって僕を見た。
「すまん、実は頼みたいことが2つあるんだが」
「私に?」
「ああ」
そう言って、僕は彼女の友人である御園出雲を傷つけた旨も話した。それが関係あるか分からないが、学校を休んでおり、今日の授業で出た試験範囲を彼女に伝えたいこと。
そして、彼女の傷つけた部分を修復させるための頼み事も。
「そっか、出雲ちゃんが今日休んでたのは知ってたけど、そんなことが……」
「悪い。僕が未熟だったばっかりに招いたことだ」
「そんな、別に怒ってないよ私?」
「えっ?」
桐田朱里の予想外の返答に僕は呆けてしまう。友人が酷いことを言われたというのに、どうして怒ってないんだ。
「勿論廣瀬君が言いすぎだって思う部分もあるけどね、出雲ちゃんが出しゃばりすぎだって思うところもあるから。どっちかだけ悪いってことはないし、廣瀬君は今謝ろうとしてる。それなのに怒ってたら私、すごくイヤな子だよ」
苦笑いする桐田朱里。呆然と立ち尽くしていると、「それに」と彼女は付け足した。
「友達なんだから、喧嘩して当たり前だよ。喧嘩せずに仲良くなるなんて無理だもん。それで言い過ぎだと思ったら謝るだけ、難しいことは何もないよ」
心が洗われたような気分だった。
当たり前なわけない、そんな言葉で許されるような物言いをしたつもりはない。
でも、第三者からの意見だからこそ、公平な意見をもらえた。言い合うことが悪いわけではないと、あって当たり前だと言ってもらえた。
「僕と御園出雲は、友達に見えるんだろうか」
僕はそう思ってなかった。そう思う資格もないと思っていた。僕の視点では、それが当たり前だと思ってたのに。
「うん。友達じゃなきゃあんなに楽しそうにお話しないと思うよ」
桐田朱里の言葉で目が覚める。当人同士がどう思っているかは一旦置いておく。
少なくとも僕らは、周りから友達に見えていたんだ。
喧嘩して、言い合って、謝って、許されて、そんな関係に。
「そうか」
これ以上迷うことはない。後は御園出雲と向き合って、気持ちを伝えるだけだ。
「さっきの件、頼めるか?」
「うん、ちょっと照れ臭いけど」
桐田朱里と無事和解を終えた僕は、彼女へ頼み事を依頼し、御園出雲へ会う準備を進めていく。
その後教室やら食堂やらを駆け回り、同じように頼み事をした。
夏の暖かい季節、走り回れば当然汗も搔く。拭いながら次へ次へと進む。
しかしながら、今の僕は滲み出る汗が決して嫌ではなかった。




