37話 天然地雷
風呂から上がった後、僕は更衣室の前にある休憩スペースで身体を休めていた。
明日の朝までここの浴衣を使用してもいいと通達が出たので服装はかなり楽だが、頭は少しばかりクラクラしている。
というのも、雨竜がカッコを付けてサウナから出ていくものだから、僕が外へ出るに出られなくなったのだ。いかにもしばらく顔を合わせなさそうな立ち振る舞いをしてきたので、そこで僕があっさりサウナを出て雨竜と顔を合わせたらさすがに気まずいと思ったのである。僕は空気を読める男だからな。
「雪矢、アイス食うか? 今なら100円奢ってやるぞ?」
「100円で買えるアイスがねえじゃねえか……」
そんな僕の配慮も虚しく、浴衣も完璧に着こなす男性フェロモン漏れ漏れ男こと青八木雨竜は、先ほどの僕との会話などなかったように絡んでくる。どうしてこんなに空気を読めない男がモテてしまうのか、所詮ヒトなど見た目が9割なのだ。軟弱者には悲しい現実ではあるが。
「お待たせしましたー!」
雨竜から6個入りのチョコアイスを奪おうと画策していると、女性陣がようやく更衣室の方から顔を出した。僕らと同じように浴衣を身につけているのだが、女子が着るとどうしてこうも色っぽく見えるのか。お風呂上がりだからかもしれないが。
「遅い。いつまで待たせるんだ」
「雪矢さんこそ早いですね、もっとゆっくり浸かってるかと思ったんですが」
「長湯したかったが人が多かったからな。露天風呂の空気は堪能できたし充分だ」
「喜んでもらえました?」
「ああ、すごく良かった」
「えへへ、それなら良かったです」
僕の返事を聞いて、それはもう嬉しそうに梅雨は笑った。相変わらず感情表現が真っ直ぐな奴だな、僕も人のことは言えないが。
「ん?」
何やら視線を感じたのでそちらに目を向けると、分かりやすくニヤついている神代晴華と名取真宵の姿があった。
「何だよ」
「いや別に、大層仲がよろしいと思いましてなぁ」
「なんだその口調」
商売人のように両手を揉みながら近寄ってくる神代晴華。どうやら口調だけでなく挙動もおかしかった。ついでに頭も。
「というかお前、風呂の後もポニーテールなの?」
先程まで温泉を堪能していたはずだが、神代晴華はいつものポニーテール姿だった。普通風呂の後って髪を下ろすものだと思っていたが。
「ん? あたしからしたら普通だけど?」
「そうなのか」
「ユッキー、話を逸らそうとしたってダメダメ。いまは梅雨ちゃんのことだよ?」
別に話を逸らしたつもりはないが、神代晴華はニヤニヤしながら梅雨との関係を追及してくる。
そういえば、梅雨と知り合いってことは桐田朱里にしか言ってなかった気がするな。
「別に仲良くない、雨竜の家に行ったときに何度か顔を合わせてるってだけだ」
「えっ、わたしたち仲良くないですか?」
いつもの調子でそう答えると、梅雨が僕の浴衣を裾を掴みながら今にも泣き出しそうな瞳をこちらに向けてきた。
ちょっと待て、予想外だ。今の発言で泣いちゃうのか? そりゃ素っ気ない言い方をしてしまったとは思うけど。
「落ち着け梅雨。3度もゲームを通じて語らった仲じゃないか、答えなど最初から出ているようなものだ」
「……仲良し?」
「まあ、うん。仲良しだ」
ちょっとだけ口ごもりながら返答すると、梅雨の表情は180度一変した。先ほどの泣き顔が嘘だったのではと思いたくなるような笑顔を浮かべている。
まったく、売れ残りそうな子犬みたいな目をしやがって、ズルいじゃないか。
「あらあらまあまあ」
「公共の広場でいちゃつかないで欲しいのよねぇ」
僕らのやり取りがお気に召したのか、神代晴華と名取真宵は近所のおばちゃんを連想させる、手振りの大きい会話をこちらにむけて放ってくる。何だよコイツら、いつにも増して鬱陶しいんだが。
「ちょっと梅雨ちゃん、私を忘れてもらっちゃ困るよ!」
梅雨を納得させ、女子2人を無視してその場を終わらせようとしたところで、第三の勢力が梅雨と向き合うように立ちはだかった。
「廣瀬先輩と1番仲がいいのは私たちなんだから!」
恥ずかしがることなく堂々と言ってのけたのは、雨竜へのアプローチにおいて右に出るものはいない蘭童殿だった。
一時期は僕をライバル扱いして警戒されまくっていたのだが、もはやその間柄は風化し、今では蘭童殿の口から1番仲良しだと言ってくれている状況である。あかん、経緯を辿るとなかなか涙を誘う展開じゃないか。このタイミングで登場した理由はちょっと存じ上げないんだけど。
「何言ってるんですか、1番仲良しはわたしです!」
何かが譲れないのか、梅雨はムッとして僕の腕を取ると蘭童殿へ反論を始めた。
おい、身体を寄せるな。いろいろと感触が伝わってくるだろ。堪能するぞこんにゃろめ。
「でも、梅雨ちゃんはまだ両手で数えられる程度しか会ってないんだよね? 私たちは学校で毎日会ってるんだよ?」
蘭童殿? どうして話を盛ったんだい? 交流はあるけど、毎日会うほどではないよね。
「蘭童さんこそ、入学してからって考えても、仲良くなったのは2ヶ月ちょっと前ですよね? わたしはもっと前から雪矢さんと仲良いですもん!」
しかしながら、梅雨さんも梅雨さんでまったく退く素振りを見せません。1年年上である蘭童殿に対してもガンガン攻撃の手を緩めないのです。
「ふふ、甘いよ梅雨ちゃん。確かに出会ったのは私たちの方が遅いかもしれないけど、こっちはあいちゃんと2人分! 仲良し度合いも2倍なんだよ!」
「っ!?」
だが、ついに蘭童殿も奥の手を使ってしまう。
突如蘭童殿の影から現れたあいちゃんを見て、驚きの表情を見せる梅雨。確かにずっと『私たち』って言ってたけど、ここであいちゃんが登場するとは。はっきり言って大人げないな。
「ご、ごめんね梅雨ちゃん。仲良し度で負けるわけにいかないの!」
大々的な登場が恥ずかしかったのか、頬を赤らめて敵対の意志を見せるあいちゃん。どうしてこうなってしまったのか、僕が誰よりも知りたい。
「ぐ、ぐぬぬ……!」
僕の腕に縋り付きながら、梅雨は静かにぐぬぬっていた。仲良し2倍攻撃に対抗したいが、妙案が思い付かないらしい。
まあなんだろう。僕との仲の良さなんて瑣末な問題だし、そこまでこだわる必要なんて皆無である。梅雨はその、僕に好意があるから簡単には引き下がりたくないんだろうけど、大人げない先輩たちなど無視すれば良い。わざわざ同じ土俵に立つことなどないのだから。
そう思い、梅雨へフォローの言葉を掛けようとした時だった。
「に、2倍でもやっぱり負けません! わたしなんか、同じベッドで雪矢さんと一夜を共にしたんですから!」
とても大声で発すべきではない内容が周りに飛散し、皆の時間を強引に止めてしまう梅雨。
「あっ……」
そして遅れて、自分の発言の軽率さに気付き、梅雨は顔を真っ赤にして僕から離れた。
それが石化を解く合図になったのか、ギロリと厳しい視線が360度全方位から向けられた。仲良し戦争をしていた蘭童殿やあいちゃんも例外なく。
……雨竜だけは、顔を背けて笑いを堪えるように震えていたが。
「さて、法廷の準備をしなくちゃ」
何度も言うよ、どうしてこうなった。




