31話 波乱の予感
「ああ~、もう無理勉強できなーい!」
休憩時間を挟み、その後3時間の勉強を経て、日中の勉強タイムは無事終わりを告げた。
泣き言を言いながら机に突っ伏してしまう神代晴華だが無理もない、それほどまでに引き締まった空気の中で勉強会は行われていた。
「みんなお疲れさま」
その中でも1番集中していたと思われる御園出雲が、労いの言葉を周りに掛ける。
「1番お疲れは青八木でしょ、ずっと質問対応してたし」
「確かに。すみません、何度も分からないところ質問しちゃって」
「大丈夫、俺もいい復習になったし」
名取真宵や蘭童殿の言葉を受けても平然と返す雨竜。勉強会後半戦もあまり自学の時間が取れていなかったように思えたが、本人的にはそれほど堪えていないらしい。それが本当なら雨竜と御園出雲との差はそれほど詰まっていないのかもしれないが、こればっかりは試験で白黒付けるしかないだろう。
「みなさーん、勉強会お疲れ様です!」
パンパンと両手を弾いてから皆の視線を集めたのは、御園出雲と同等の集中力で受験勉強に取り組んでいた梅雨だ。
「これからお夕食の時間なのですが、少し移動したいと思うので荷物を持ってロビーに再集合してもらっていいですか?」
現在時刻は午後6時20分。夕飯を食すにはちょうどいい時間ではあるが、どうやら外食をするようだ。鳥谷さんが作るのは昼食と明日の朝食と聞いていたので気になっていたのだが、こういうことだったか。
「じゃあみんな、勉強道具片付けて外出る支度が終わったらロビー集合で!」
「「はーい!」」
雨竜の声掛けに、声を弾ませて反応するメンバー一同。勉強会を終えた反動とはいえ、随分ノリの良い連中だった。
ー✳︎ー
財布や着替えなどを持って再びロビーに集まると、梅雨をしんがりとして青八木家別荘を出発する。
夏の始まりとはいえ外はすでに薄暗く、すぐそばに迫る山の木々たちは不気味に映って見えた。昼ごろに聞こえた人の賑わいは消え、川に流れる水の音がよく聞こえる。自然の真っ只中にいることを再認識させられ、僕は少しだけ興奮していた。
「雨竜との勉強会、どうだったんだ?」
僕は、珍しく会話に入らず皆の後方を歩く名取真宵に話しかけた。
彼女は、トレードマークの金髪を揺らしながら僕の方へ視線を向ける。
「どうって?」
「進展はあったか?」
「進展ねえ‥‥‥」
名取真宵は、気落ちしたかのようにガクリと頭を垂れた。
「もしかしてあたし、色気がないのかもしれない」
「はっ?」
想定していない返答に思わず声を漏らしてしまう僕。どうして色気の話になったのかと思ったが、その理由を早速彼女は語ってくれた。
「勉強はね、すこぶる捗ったわよ。青八木ってやっぱスゴくて、どんな質問しても必ず分かりやすい解説付きで説明してくれるのよね。おかげさまで今日教えてもらった内容なら、あたしが誰かに教えられそうよ」
「それはまあ良いことなんじゃないのか?」
正確な順位までは知らないが、名取真宵の成績は下から数えた方が早かったはずだ。そんな彼女がこの勉強会を経て、誰かに教えられそうなほど真剣に取り組めたというなら、それは間違いなく良いことだろう。
……ただまあ、そんなことを言いたいんじゃないのは最初から分かっているわけで。
「でも、それだけよ」
「それだけ?」
「そう! こちとら少し屈めばチラリズムな服装してるっていうのに全く反応なし! わざとらしく身を寄せて屈んでみせても視線1つ感じない! 少しでも注意を引ければそれをダシにからかうつもりだったのにねえ……」
名取真宵は、自分の人差し指を上着の胸元辺りに引っ掛けると、クイクイと衣服を引っ張り始めた。そのおかげで、ハイアングルから彼女の谷間を覗くことができた。
「どうよ、結構エロいでしょ?」
「ああ、色気ムンムンだ」
相変わらず、男心をくすぐることに関しては天才的な才能を発揮するな。
「いやちょっと、いくらなんでも堂々と見過ぎでしょ」
「見ろ見ろアピールしてるのに見ない方が失礼だろ。とはいえ眼福だったことも否めないな、ごちそうさまです」
「成る程、夕食前のオカズってことね」
「女から出たとは思えない最低のセリフだな」
「はあ、なんで青八木には通じないのかしら。ケイン・コスギにも負けないパーフェクトボディなのに」
「張り合う相手間違えてないか?」
僕のツッコミに反応することなく、大きな溜息をつく名取真宵。それ程までに、自分のプロポーションに自信を持っているのだろう。
名取真宵には悪いが、雨竜に通用しないのは仕方ないのかもしれない。
それは勉強モードの雨竜が集中し切って視野が狭くなったから、ではない。
哀しかな、青八木雨竜には現在『6歳好き』の容疑がかけられているからである。
そんな特殊性癖相手では、パーフェクトボディを持つ名取真宵でも勝利するのは難しいだろう。
その哀しき事実を教えてあげたく思ったが、それを知って名取真宵が雨竜に失望、アプローチを止めるなんて言ったら僕に全くメリットがない。
名取真宵には悪いが、青八木雨竜ロリコン疑惑をこれ以上広めるわけにはいかない。
「名取真宵よ、僕は君の身体を評価してるからな」
「何堂々と変態宣言してんのよ、大気圏までぶっ飛べ」
「……」
気落ちしている名取真宵を元気付けようとしたのだが、容赦ないカウンターが飛んできて言葉を失う僕。慣れないことなんてするものじゃないと心に誓うのであった。
ー✳︎ー
「……雨竜、ホントのホントにいいんだな?」
青八木家別荘から歩くこと約10分、とある旅館にやってきた僕たちはその温かいおもてなしに面食らっていた。
「心配するな。ここのオーナーは梅雨のことが大好きでな、両親との付き合いもあってこういうことはたまにあるんだ」
「マジかよ……」
着いて早々梅雨と楽しそうに話す40代後半くらいの男性。愛想良く話す梅雨にそれはもうデレデレで、10人以上のメンツを無料で通してくれた。これを驚かずして何を驚けと言うのか。
そして現在、2階にあったレストランで食事を終えた僕は、注文した天ぷら蕎麦のお値段に仰天させられていた。これも無料でいいと言っているのだから、青八木家のコネクションというのはつくづく恐ろしい。
「梅雨はあの年でいろんなお偉いさんと顔が利くからな、逆玉乗っかれるぞ?」
「兄が変なこと吹き込むな」
どういう推し方だと心底呆れ返っていると、同じく食事を終えた梅雨がこちらへ歩み寄ってきた。
「どうですか雪矢さん、美味しかったですか?」
「ああ、梅雨はいいところ知ってるな」
「えへへ、ここの社長さんがお父さんと知り合いで、わたしも仲良くさせてもらってて」
ちょうど雨竜から聞いたような説明をする梅雨。とはいえ、さらっと10人強を旅館の中へ通してしまうのだから凄まじいよな。
「どうですかわたし、こんな風に美味しいものを雪矢さんに食べさせてあげられますよ?」
「兄妹揃ってどうしたいったい」
えっへんと胸を張る梅雨が心配になってしまう僕。好意を持った相手にこういうアピールをするのは構わないが、詐欺やら壺売りに騙されてお金を使ってしまわないか不安である。
「それより雪矢さん、ずっとお待たせして申し訳ありません」
話を切り替え、梅雨はニコニコと微笑みながら僕へ優しく声をかける。
「いよいよか」
「いよいよです」
僕は目を閉じ穏やかに笑う。
この勉強合宿、僕の楽しみは最初から1つしかなかった。
その楽しみのために、僕は長くて苦痛な勉強会の時間を大人しく過ごしていたのだ。
そしてようやく僕の念願が成就する。
梅雨は皆が食事を終えたことを確認して、言った。
「それでは皆さん、続いては温泉の時間ですよ!」
温泉の時間がついにきたぜええええ!!




