心命
少し前までの肌寒さは何処へやら、会社の屋上を燦々と照らす太陽が眩しい。
今年初の20度台を記録した今日、春の訪れを肌で感じながら、安上がりの弁当に箸を付けた。
巷でのニュースといえば《VR》の話題が、そしてゲームといえば《Frontier World》の覇権が止まらない。
販売本数は――いくつって言ってたっけな。とにかく、全世界単位でバカ売れが続いているらしい。
「――なあ大樹」
四人掛けのベンチをたっぷり三人分占領し寝そべる謙也は、片手に持ったタブレットをじっと見つめながら呟くように俺を呼んだ。
「なんだ? また後輩からの相談メールか?」
「そっちはもう解決したっての」
じゃなくて。と、ベンチから起き上がり、こちらに顔を向ける。
「遂に《カプセル型VRダイブ機》が発売されるらしいぜ。……んで、いくらだと思う?」
「100」
「ぶー。300万だとよ」
決して安くはないが……本気でやる人なら買いかねない額だな。――ともあれ、遂に発売か。かねてからプレイヤーに対してのアナウンスはあったからな、このカプセルについて。
廃人ホイホイと呼ばれるこのアイテムは、高さ100センチ、幅120センチ、奥行き230センチの大型VRダイブ機だ。俺たちが使っているヘルメットタイプのVRダイブ機を、更にグレードアップしたモデルがこれになる。
俺が見た内容だと、カプセル内は常に一定の温度が保たれており、酸素濃度も管理されている。プレイヤーはカプセルの中に全身を入れ、仰向けで寝そべる体勢になり、ゲームをプレイできるらしい。
中では排泄行為等も徹底的に処理されるらしく、トイレ落ち等でログアウトや一時退出をする必要がなくなる。正に廃人仕様。
処理の関係で設置場所は色々と限られるようだが、購入を検討している人は問題視していないだろう。
プレイヤーの体に異常があればSOS信号が発信され、衛星を通して病院や警察に連絡が入るという優れもの。
極め付けは、象に踏まれても壊れないらしい。昔の筆箱のようなキャッチコピーだ。
「壱号機と呼ばれる《カプセル型VRダイブ機壱式》は日本用の初期販売台数1000に対し、注文数はその50倍。――金はある所にはあるもんだな」
「謙也も買いたい派か?」
「バカ言え。こんなの置く場所ねーって」
噂によればカプセル型VRダイブ機壱式を購入したプレイヤー限定のレア職業があるらしいが……俺たちには縁のない話なのかもしれない。
ログインと同時にオルさんへ『装備品ができていたら取りに行きます』という内容のメールを送る。
今日一日ログインしていると言っていたので、既に完成して待っていてくれているかもしれないな。
足元に現れたダリアと部長を交互に撫でてやり、二人を連れて王都へと転移した。
冒険の町みたく、中世ヨーロッパの町並みに機械が調和したような不思議な風景漂う王都は、既に多くのプレイヤーの拠点となりつつあった。
王都ギルドのクエストや、高レベルプレイヤー用のダンジョン。また、掲示板等で言われている様々なストーリークエストも多く存在しているらしい。
俺が起こしたストーリークエストは砂の町の一つだけなので、落ち着いたら巡ってみても良いかもしれない。
機人族の父親と亜人族の母親に手を引かれながら歩く、機人と亜人のハーフの子供が俺たちの横を通り抜けた。
おおっぴらに歩けるという事は、どうやら王都では異種婚も認められているようだな……異種同士から生まれた子はハーフになったりするのか。
――なかなか興味深いな。
様々な種族とすれ違いながら、俺は肩車されるダリアとその上に乗る部長にシンクロを使う。
『二人は何食べたい?』
『野菜がいいー』
『お肉』
うん、うちの娘達はこればっかりだな。具体的な料理名は無いので決めやすいといえば決めやすいが……。
オルさんからの返信がまだ届いてないのを確認しつつ、高級肉料理専門店を通り過ぎ、その先にあった食べ放題の店に入っていく。
高級肉料理専門店の前でしばらくダリアとのバトルがあったものの、部長にも満足してもらいたいので食べ放題に決定した。
ダリアに『部長が可哀想でしょ』と、囁くと『我慢する』と、なんともお姉さんらしく引き下がっていたのが涙ぐましい。
レベルや諸々もそうだが、人としてもかなり成長しているな。やはり妹分ができてからは姉として振舞ってるように思える。
「いらっしゃいませ」
店員NPCも、ここでは様々な種族が働いている。目の前で接客スマイルをしているのは、先ほどすれ違った家族の母親と同じ、尖った耳が特徴的な亜人族の《エルフ》。
他にも人族や機人族、魚人族が店員としてパタパタと忙しなく動き回っているのが見える。
冒険の町等の他の町で働く人の殆どが人族だっただけに、ここまで種族の違う人々が働いている場所も珍しく思えるな。
店員に通されたボックス席に着くと、ダリアと部長は向かい側の木の椅子に腰をかけて、ダリアがいそいそとナイフとフォークを準備し始めた。
『えらいな』と、褒めてやると『お肉と野菜 持ってきて』と返される。
――移動用召喚士からパシリに降格かな?
二人に留守番をしてもらい、料理を取りに行く。
この店は一人1000Gのバイキング形式であり、俺は少なくない人の群れに大皿を持って入っていった。
すると――。
「ってーな! 何してくれてんだ!」
突然、NPCと思われるヤンチャな服装の男性が、声を荒らげて俺に向かってきた。
血管が浮き上がり、今にも殴りかかってきそうな勢いだ。
正直、彼に面識はない。
完全に言いがかりだが、見るからに怖そうな男性に気圧され周りの客達が距離を置き、ちょっとした晒し者状態となっている。
鐘のような音と共に、視界の隅に『【名声クエスト:迷惑な客】が開始されます。承認しますか?』という一文が現れた。
スライドさせて読んでいく――と、どうやらこの手のクエストを進めると《名声》というゲーム世界での“いい人度”のような物が上昇するらしい。
名声が上がるとNPCの方から直接クエストを依頼されたり、報酬が増えたりするようだな。
――なんにせよ。
『【承認しません】が選択されました。クエストは破棄されます』
脳内アナウンスを合図に、男性を含めたNPC達が何事も無かったかのように散り散りにバイキングへと戻っていった。
ここまで極端だと不気味だが……拒否権のあるクエストも普通に存在するらしいな。
こっちは腹を空かせた娘達が待ってるんだ、悪いがチンピラの相手はしてられない。
肉と野菜、そしてデザートを多めに盛って娘達の元へと戻った。
腹ごしらえが終わると、丁度オルさんから『おう、いつでも取りに来い』という返信が届いていたので、これから心命に向かおうと思う。
大まかにエリア分けされた王都のマップを開き、商業区13番通りを探した。
「商業区の他に工業区、高層住居区に中層住居区……低層住居区って、結構細かくあるんだな」
マップにあるエリアを指でなぞりながら、説明と共に並ぶ様々な区の数に脱帽した。
世界最大の大きさを誇るとされる王都の情報に偽りなしだ。
庶民から貴族まで住む場所がしっかりと区分けされているため、建物の質が境目に従って変わっていることがわかる。
「俺たちがいるのは商業区の10番通りだから……オルさんの店はこの三つ先の通りだな」
正直、マップが無ければ間違いなく迷子になるレベルに広いこの王都。10番通りから13番通りに行くまでにもかなりの距離がある。
世界観を損なうからか、機械開発等の工業は盛んなのに、車等の便利な機械は見当たらない。
――バイクとかがあるならトルダが手を叩いて喜びそうなんだがなあ。
そんなこんなで徒歩移動し、13番通りに到着した。
途中、ダリアが花屋に行きたがったり、部長が菓子屋に行きたがったりと、かなり道草を食いながらも、目的の場所にたどり着いたのだった。
「木造の店で店名は《心命》……ここだな」
周りが石造りの店だっただけに、オルさんの店は遠くからでも一目でわかった。
一人の男が、金属をハンマーで叩いている様子を絵にした看板と共に、心命という店名が大きく描かれていた。
外には古ぼけた剣や斧が入った樽が置かれ、入り口は観音開きの扉がこしらえてある。
ゲームである鍛冶屋のレイアウトをそのまま引用したかのようなその店は、男心をくすぐる仕上がりとなっている。既に年季が入っているような色合いの木も味があって良い。
「ん? おお、来てたのかダイキ。着いたなら遠慮せず入れよ」
水を捨てに出てきたオルさんが、頭にタオルを巻いた姿で現れた。
店の前で佇んでいた俺たちに向かって、親指を立て、クイックイッと動かし、中へ入るように促してくる。
「外観に見惚れてたんですよ」
「うるせえ。早く入れ」
お世辞でもない本心からの言葉だったが、オルさんは照れ臭そうに踵を返し、店内に戻っていった。




