手紙
ちょっと重いです
栄養ドリンクの蓋をパキキとひねる。
その音は静かなオフィスに驚くほど響いた。
だいぶ前に定時は過ぎた。
同僚の姿は殆どなく、ほんの数人がPCと睨めっこしているのが見える。
小瓶を一気に飲み干し、
んはぁとため息を一つ。
「お、なんだまだやってたのか?」
振り返ると、そこには成田部長の姿があった。そして成田部長は腕時計を見るなり「うし、今日はこの辺にして飯でもいくか」と言い出した。
「や、でも……」
「仕事が行き詰まったら、無理して残るよりいっそ明日に回したほうが上手くいくかもしれんだろ? ま、明日のお前が大変になるだけかもしれんけどな」
やや無責任な物言いだが、行き詰まっていたのも事実だ。俺は少し画面と睨めっこした後、帰りの支度をはじめた――。
*****
成田部長と俺は、老舗の定食屋にやって来た。
カウンター席に座るなり、成田部長は店員のお婆さんに注文する。
「ママ。肉野菜炒め定食二つね」
俺は手に持っていたメニュー表を戻す。
カウンター奥でお婆さんの「あいよぉ……」というか細い声が聞こえてきた。
「すげえ店だろ?」
壁や柱や天井を見ながら、楽しそうにそう聞いてくる。
「すげえとは?」
「時代を感じるというか」
「それ聞き手によっては失礼でしょ」
「褒めてるからいいんだよ」
そう言って、成田部長は親指を立てた。
確かに言われてみれば、創業何年かは分からないが、様々な写真やサインと、古き良きポスターが色褪せたその空間はどこか時代を感じさせる。
多くの人に愛されて営業している――という印象を受けるお店だ。値段も安い。
運ばれてきたのはいい香りの漂う大盛りの肉野菜炒め。大盛りのご飯と中華スープが付いており、500円でこの量は破格である。
いただきます――。
俺達は無言で食べはじめる。
店内にはしばらく咀嚼音だけが響く。
この量はダリアなら一瞬だな。
いや、野菜があるから無理かな?
青吉にも魚以外を食べさせていかなきゃだよなぁ……ベリルは好き嫌いないから助かるけど、それはそれで寂しいというかなんというか。
これは俺がワガママなのか?
好き嫌いしないのが寂しいとかおかしいよな。
おもむろに箸を置く成田部長。
「なんかあったか?」
俺は、その質問が今日ここに連れてきた本当の理由であると一瞬で察した。
完食した皿の上に箸を置く。
ふぅ――と、ひと息つく。
「俺の親父のこと、聞いていい?」
成田部長は黙ってそれに頷いた。
両親はダメな親のお手本のようだった。
忙しさを理由に家に帰ってこない父親。
父親がいないのをいいことに、別の男の家へ毎日のように遊びに行っていた母親。
俺が小学校高学年になる頃には、一ヶ月のうち2回か3回母親に会えればいい方――というくらい、俺はずっと一人で過ごしていた。
一人でいる時は、寂しいとかそういう気持ちはもう感じなかった。けれど、学校の帰りやスーパーへ買い出しに行く中で家族仲睦まじく歩いている所を見ると、寂しさ以上に虚しさが襲ってきたのをよく覚えている。
うちは、なんでこんななんだろ。
悲しいよりも恨めしい気持ちが募る。
そこから中学・高校を経て、ほどなくして父親が死に母親は俺が成人したと同時に消えて失くなった。縁あって親父が勤めていた会社に就職し、今がある。
「父と何かした記憶って、7歳くらいの時に行った植物園くらいしかない。あの時も結局仕事が入ったとかいわれて午前中には帰宅して――そこからは、ずっと母親と二人で暮らしているような気分だった」
「……」
黙って聞いてくれる成田部長に、俺は止めどなく溢れる言葉を口から全部吐き出す。
「その頃から母親が家を空けるようになって、会うたびに違う匂いが漂っていたのを覚えてる。昔好きだった母の匂いは、いろんな香水と、化粧と、嘘と、男に消されてしまった」
わかってる、自分がなんでこんなに参ってるのか――アルデの件を体験したからだ。
〝本当の親子〟というものに触れたから、本当の親子であるはずの親父と母親の事を思い出し、暗い過去が頭から離れなくなっていた。
「俺は母も好きではなかったけど、父親は嫌いだった。母がああなってしまったのには父親に原因があるからだと考えていたから。でも最近になって、その……親ってものを深く理解できた瞬間があって、俺の両親は本当はどんな人たちだったのかなと思って」
うまく言葉にできないな――と、頬を掻きながらそうまとめると、タバコの煙を大きく吐きながら、成田部長は呟いた。
「ここはな、お前の親父と良く食べにきた定食屋だった。といっても、アイツの帰り道は決まって会社の方向だったけどな」
そう言いながら、胸の内ポケットから古ぼけた封筒を取り出し、俺の方へと差し出す。
「大樹へだ」
裏面を見ると、親父の名前があった。
俺は封筒の中の手紙を読んでいく。
「大樹へ――」
大樹へ。
いまさら父親だなんて言うのもおかしな話だが、俺が過労で倒れてそのままポックリ死ぬ前に、色々話しておきたい事がある。
まずはお前を一人にしてすまなかった。
父親らしい事をひとつもできず悪かった。
母さんのことも、本当にすまなかった。
お前が産声を上げ俺達の元へ来てくれたこと、お前が初めてパパと呼んだ日のことを、今でも鮮明に覚えてる。
お前は立って歩くまでが早かった。名前を〝大樹〟にしたお陰だと、日々成長していくお前を見るのが本当に生きがいだったんだ。
お前が2歳になった頃か――
この頃から頭を抱えるような仕草をよくしていた。気になって病院で診てもらい、俺は愕然としたよ。お前は重い病気を患っていた。
治すには膨大な時間と、お金が必要だった。
手術は成功したが、問題はその後だった。
うちは裕福な家庭じゃなかった。
お前の治療費を稼ぐため、俺は最初〝大樹〟のため〟だと仕事に明け暮れた。それはもう、同僚に怒鳴られようが母さんに会いたいと呼ばれようが、毎日遅くまで仕事をした。
また以前の幸せな家庭に――
大樹が立って歩いて、喋って一喜一憂していたあの頃に早く戻ろうと、その気持ちだけが俺の支えだった。
治療費分だけじゃない、大樹が将来やりたい事、行きたい学校に行かせられるように貯蓄も必要だった……のに、うちの銀行に貯められていたはずのお金は、ほとんど残って無かった。
しばらくして、自分が必死に稼いだお金は、長い間母さんが浮気相手との遊ぶ金に使っていたこと知ったよ。虚しかった。母さんは俺よりも先に疲れ切ってしまったのかもしれない。
大樹へ。
幸せにしてやれなくてごめん。
お前との時間を大切にできず、すまなかった。
「……」
俺は無言で手紙を閉じる。
読み終えるのを待っていたのか、
成田部長が口を開いた。
「自分勝手な言い分だよな」
「本当にそう思う」
父親として必死に俺の事を生かそうと頑張ってくれていたのは分かる。分かるが、もう少し家族との時間を大切にしてほしかった。
たくさんの子供たちに囲まれている今だから分かる――子供には親が必要なんだ。どんなにしっかりした子でも、親は必要なんだ。
「まぁ、大樹の父親はドが付くほど真面目というか、一つのことに取り憑かれる人間だった。昔の楽しい日々をこの先もずっと過ごしたい、そのためにはお金を稼ぐ必要がある――ってそれだけなんだよ、アイツの中にあったものって」
灰皿に押しつけられたタバコがジジジと音を立てながら消える。
「綺麗なもんじゃないよな、本当のことを全部知るってのは。聞かなくて良かったこともあっただろうし……でもまぁ、これがお前の父親だった人間だよ」
幻滅したか?
その問いに、俺は黙って首を振る。
「自分の父親について殆ど何も知らなかったから、今回それが知れて満足した――って所かな。少なくとも、俺に無関心じゃなかったのが分かったから、いくらかマシかな」
強がりととられただろうか?
成田部長は吹き出すように笑う。
「父親としては最低限も最低限だぞ?」
「反面教師として、今度は俺が親父の思い描いていた〝幸せな家庭〟を築けばいいよ」
俺の言葉に成田部長は「強いな」と、小さく笑った。それから俺達は一杯だけ日本酒を飲んだ後、帰路についたのだった。




