とある女魔王の結婚・終
長々くどく、しつこく!続いておりましたが!
女魔王のエピソードはこれにて閉幕にございます。
皆様、有難うございました。
どんな戦いにも、いずれは終わりの時がくる。
その決着は果たして勝ちか負けか引き分けか。
それらの判断をつけるのは、きっと周囲で見守る観衆達の目なのだろう。
とある女魔王の結婚・終 ~年貢を納める時はいま~
一切の身動きを封じられ、藻掻こうとも足掻こうとも許された以上の範囲で動くことは叶わない。
「く…っ 離さぬか!」
「そんなことをしたら俺がアドニスに殺されるだろ!?」
麗しき星の如き女魔王セネアイーディ様、妙齢31歳。
彼女の幻惑するように魅力的な細い肢体は今、勇者に抑え込まれていた。
いわゆる、背後からの羽交い絞め。
観衆の一部から、羨ましげな溜息と野次が漏れた。
にこり、と。
そんな二人の姿を見せつけられているように感じて白き神官は微笑む。
「勇者、必要以上に密着したらその両手両足を***しますよ?」
「お前がやれって言ったんだろー!?」
勇者による魔王への羽交い絞めは、神官の指示だった。
そう、それは試合が始まるよりも先。
今回の計画を立てた段階で、決まっていた予定調和。
身体能力を神官達の魔法で底上げに上げた勇者が、死力を尽くして突撃。
仲間達の援助を受けて、魔王の身体を抑え込むというのは…
「理屈ではありません。これは感情論です!」
「もちっと冷静になれ聖職者!!」
「恋は理屈ではありません!」
「神職が恋に生きるってどうなの!? 信仰に生きろよ…!」
「人間が恋に生きずして、どうやって子孫繁栄するのです!」
「種族単位に話もってくなや!」
「貴様ら口論するくらいであれば、妾に触れるこの汚らしい手を離さぬか…!!」
抑えつけられた女魔王が、藻掻く。
しかし彼女の体を戒めるのは、勇者の腕ばかりではない。
足に纏わりつくウエディングドレスは、少々無理な力を加えただけであっという間に引き裂けるだろう。そうして二度と復元できないに違いない。
妖精の作った繊細な晴れ着の衣装は、魔王の力を抑え込めるものではない。
だからこそ、逆に彼女の身体を戒める。
万が一にも破損させてはならないと、慎重という名の臆病さを植え付ける。
母の形見がもたらす効果は絶大だ!
女魔王が孝行娘であったことが、勇者達に利している。
娘を思う母の心が、娘本人を追い詰めた。
そして拘束された彼女に、スタスタと近づいてくる者がいる。
女魔王に絶賛求婚中、白いとは名ばかり姿ばかりの神官アドニス。
彼は妙に慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。
その背後に巫女と吟遊詩人と牧師を従え、歩いてくる。
「な、何をするつもりじゃ…!」
「いえ、少々対象者が『素直になる』秘術を…」
「なんじゃその怪しい秘術!?」
じたばたと藻掻くセネアイーディ様。
目を見開いて見つめる瞳に映るのは、果たしてどのような感情か。
嗚呼、ああ、だが無情。
彼女は避けられぬ被害を前に、唇を噛んで耐えるしかない。
「それじゃあ、私から…」
初めに手を出したのは、巫女シェルカ。
その手にはアドニスから受け取った、 筆 が握られていた。
真っ白な筆の先に浸された、インクの色が目に鮮やか。
蛍光どピンクだった。
鮮やか過ぎて、目に痛い。
その筆は、明らかにセネアイーディ様を狙っていた。
「ま、待て…! 貴様ら、何をするつもりじゃ!?」
「恨みはありませんけど、ごめんなさい!」
「待てというに………!!」
「えい!」
べちゃり。
巫女の手に握られた筆は、思い切りのよすぎる勢いで。
セネアイーディ様の顔面に、着地した。
そのまま、ぷるぷると震える指が筆を走らせる。
「なんということを…!」
目を見開いて、信じられないと驚くセネアイーディ様。
さほどの時をかけずして、彼女の頬にはがたがたに震える筆跡で、無残にもみすぼらしい花の絵が描かれた。
そこらの子供の方が、まだマシな絵を描くだろうというくらいに下手だった。
「こ、これで私の分は終わりです!」
「それじゃあ、次は私が一発」
申し訳なさそうに、恐縮と言う様子で。
慌てて筆を手放そうとする巫女から、牧師が筆とインク壺を受け取った。
常と変らぬ微笑みが、今は心なしか上機嫌に見える。
「な…っ この上更に追い討ちをかける気か!?」
女魔王は慌てて更に暴れるが、勇者の腕はがっちりと身体に回って動かない。
時折勇者の呻き声っぽいモノが聞こえるが、きっと気のせいだろう。
そして牧師は、何の躊躇いもなく筆を走らせた。
恐れ多さに指の震えていた巫女とは大違いの、大胆な筆致である。
「き、貴様ら何のつもりじゃー…!!」
堪ったものではないので女魔王が暴れるが、牧師の図太い心臓はそれを気にしない。さらさらさらさら筆が走る。
やがて、セネアイーディ様のお顔には…
見事な蛍光どピンクで、中二病臭い『第三の目』が描かれていた。
大作だった。
おまけに縁取りや周囲を取り巻く模様など、無駄に気合いが入っている。
見事な文様を描き出しているのが、殊更に痛い。
「はい、それでは次の方」
「は、はい!」
促しを受けて、吟遊詩人マリウスが筆を受け取る。
もう女魔王様は言葉もない。
ただ、顔面を引き攣らせて睨みつける。
しかし吟遊詩人は睨まれていることに気付かなかった。
「え、えっと…どうしようかな」
「眉毛でも繋げてみてはどうです?」
牧師が余計な助言をした。
「ついでに瞼に目を描いてみましょう。定番ですから」
「えっと、定番なら…」
「待て。待て、待て…! 妾の顔をどうするつもりじゃ貴様ら!?」
流石に女魔王も黙っていられない。
むしろこれで黙っていられたらおかしい。
我慢がならぬと抗議を上げるが、しかしそれは目の前の敵には届かない。
害を被るのは筋肉が悲鳴を上げ始めている勇者のみ。
あっさりと黙殺され、吟遊詩人は筆を女魔王の目に向けた。
そして………女魔王の麗しきお顔は、見る影もないほど笑えることに…。
「う、ひぅ、く………何たる恥辱。いっそ殺せ…」
物凄く意気消沈する、魔王。
このような目に遭わされて、女魔王様はさめざめと泣きたい気分だ。
平然としていられる妙齢の女性がいれば、むしろお目にかかりたい。
「カロム、もうよろしいですよ」
「………おう」
ぐったりと疲れた勇者が下がると、神官が改めて前へ出る。
その手には、大きな手鏡が握られていた。
「ご覧になられますか…?」
「貴様は鬼か」
女魔王の顔が、怒りにしかめられる。
しかし神官は穏やかな顔を崩さす、告げた。
「セーネ様、私の使える神がなにか知っていますか?」
「………このような時に、何の話じゃ」
「私がお仕えする真実の女神は、『真実』を求める者に常にお力を貸して下さる」
「知らぬ。人間の崇める神々のことなど、妾は知らぬわ」
「この顔面落書きが、私の仕える女神のお力に由来する秘術だとしても…?」
「その女神、絶対に性格悪いじゃろう」
神官は、にこりと微笑むだけで女魔王の問いに答える。
彼が指先をひらりと動かすと、それだけでセネアイーディ様の顔面に踊るインクがピンクに輝きだした。
「今から、四つの質問を行います。貴方の顔に筆を走らせた人数に応じた質問を。
我が女神は虚偽を嫌いますので、必ず正直に『真実』を語って下さい」
そう告げる神官の髪は淡く光り、目は澄んだ意思に染まっていた。
「な、何をするつもりじゃ!」
「我が女神の秘儀は、『真実』を得る為のもの。これからする質問には『是』か『非』でお答え下さい。
真実を語る都度、貴女の顔のインクは空に解けて消えいくでしょう。ですが嘘を口にすれば、『落書き』は一生顔に刻み込まれます。何をやっても消えません。
――その顔で一生をお過ごしになりたいのであれば、どうぞ虚偽を 」
そう言って、そっとアドニスは手鏡を掲げる。
そこに映る己の顔を見て、セネアイーディ様の顔が引き攣った。
「それはどう考えても明確な脅迫じゃ…!」
「我が女神の秘儀によるものです。それでは、第一問!」
「強引に流しおった! そうまでして、何を問うつもりじゃ!?」
「何度も言いますが、是か非でお答え下さいね」
そう言って、神官が口にしたことは。
「私をお嫌いですか?」
じわり、と。
女魔王の胸の内から、何かが込み上げる。
こんな嫌がらせめいた手段で己を追い詰めて、このような公衆の面前で。
この男は、自分に一体何を問うつもりなのかと。
「虚偽なく、真実でお答え下さい? 嘘をついたらその瞬間に、貴女の顔は一生そのままになってしまいますから」
その笑顔が小憎たらしく、殴りたくて仕方ない。
だが、殴れない。
何故か殴れなかった。
「さ、お答えは?」
「……………」
ぽつりと、小さな声。
もしかすると聞こえないくらいの小さい声。
だけどそれをしっかりと拾って、神官の笑みが深まる。
恋愛免疫のない女魔王様の顔が、じわりと赤く染まった。
そこからは、神官の独壇場。
彼一人の為に、時間は進んでいくようだった。
「私の他に、私以上に結婚したい殿方がいらっしゃいますか?」
「………否、じゃ」
渋々と答える女魔王は憮然とした顔を保とうとする。
けれど、無自覚に目元は薔薇色に染まり、隠しようがない。
見ている者全員に、それは明らかで。
神官は更に調子に乗った。
「私のことが好きですか?」
「………………………」
「お答え下さい。私のことは、お好きですか?」
そうして、問いはどんどん答え辛くなる。
今もう、この時点でセネアイーディ様は倒れてしまいたくて仕方がないのに。
卒倒して、そのまま死んでしまいたいくらいに恥ずかしいのに。
恐ろしいことに、問いはあと一つ残っているのだという。
何を聞くつもりなのか…
それは、聞かずとも何となくわかる気がして。
女魔王は両手で顔を覆い尽くし、もう恥も外聞もなく蹲り、背を丸めてしまう。
消えてしまいたい思いで身を縮め、一生今の顔で過ごしてやろうかと意固地な気持ちが顔を出す。
質問に一つ答える毎に落書きは一つ、また一つと消えていくのだが…
よりにもよって、一番痛いモノが残ってしまっている。
神官が仕組んだのではと思ってしまうほど、鮮やかに。
花の麗し妙齢、31歳の女盛り。
結婚を望む女魔王様に………このような痛々しい落書きを生涯刻みつける度胸は、到底見つけられそうにない。
神官が最後の問いを投げかけた。
今度もまた、正直に答えねばならない。
そうしなければ、セネアイーディ様は己の顔を生涯隠して生きていかねばならなくなってしまうのだから。
そうして、神官が最後に言葉にした問いかけは。
「私と結婚してくださいますか?」
最後通牒。
今まさに命を刈り取られんとしているかのような、恐怖。
ぎりぎりまで退路を塞いで逃げ道を潰して。
セネアイーディ様を追い詰めてきた神官が、とうとう最後の勝負に出た。
これが、とどめ。
そうして、最後の賭け。
女魔王は息を呑み、顔を覆っていた手も思わず外して神官を見る。
神官は静謐に、真っ直ぐな眼差しで女魔王を見つめていた。
ここで、是と言うか非と言うか。
それで二人の運命が決まってしまう。
例えそれが嘘でも真実でも。
もしもここで女魔王が『否』を唱えれば…
その時、神官はもう全てを受け入れ、潔く諦めるつもりだった。
捨てることはできないかもしれないが、忘れる努力を。
彼女に対して保ち続けた恋心の全てを、堅固に封じ込めて。
この魔境を離れ、二度と近づかず。
後はもう、ただただ信仰にのみ生きようと。
己の恋を形作ってきた、全てに蓋をしようと。
だけど是と答えてくれたのならば、もう二度と逃がしはすまいと。
そう、考えていたのだけれど。
無言を貫き、ただじっと神官の顔を見上げる女魔王様。
彼女がようよう観念して、腹をくくるのにはそれなりの時間を要した。
正直な思いの言葉を口に乗せるのに要した時間は、一時間と二十分。
その間、神官は急かすこともせず、忍耐強く待ち続けた。
観衆も息をつめ、恥じらい、狼狽え悶え、苦悩する女魔王様を見つめ続けた。
やがて待ち続けた時が来る。
長く待ち続けた答えを耳に届かせるまで。
皆が皆、女魔王様が観念するのをじっと堪えて待っていた。
やがて、腹をくくったのか。
諦めたのか、正直になることを決めたのか。
如何なる思いが胸に渦巻いていたのかは、わからないけれど。
震える唇で、女魔王様はそれまでのどの答えよりもはっきりと。
時間をかけた分を取り戻すかのように、己には後がないと思いきる様に。
鮮明な声で、震えながらも答えを告げた。
自分のことをずっと待っていた、白い顔の神官に。
「――是、じゃ」
その瞬間の、観衆からの大歓声ときたら!
凄まじい怒号と興奮の渦で、魔境中が呑み込まれそうなほど。
遠く貴賓席ではわざとらしく側近が手拭で涙を拭い、によによ笑いの衝動を堪えることもなく破顔一笑。
巫女は祝福の華をばらまき、吟遊詩人は祝福の歌を奏で歌い上げた。
大騒ぎに有頂天で、逆に静かにも思えるほどの意味をなさない叫びの数々。
だけどそこには隠しようもなく、確かな祝福の声が高らかに響く。
もう耐えきれないとブーケに顔を沈め、魔王は更に小さく縮こまってしまう。
可憐なその姿を見て、神官はただただ嬉しそうだった。
やがて、拡声器越しに側近の声が響く。
『――以上をもちまして、魔王セネアイーディ陛下と人間の神官アドニス・ヴォーダ卿の婚約式を終了いたします。
ご列席の皆々様、どうも有難うございました。皆様が此の度の証人です』
女魔王が、思わず真顔で顔を跳ね上げた。
…いま、自分達は求婚とその返事を終えたところではないのだろうか。
婚約式とは、何のことか…と。
信じられない顔で見上げる先には、良~い笑顔の側近がいる。
奴は、ご機嫌な様子で拡声器越しにノリノリで演説をこいていた。
『つきましては、明日一番より魔王陛下ご成婚の儀を行いますので、皆様お誘い合わせの上、どうぞご参加下さい!』
「ちょっと待てぇぇええええええええっ!!」
ご成婚の、儀。
その言葉に一際大きく観衆が歓声を上げて騒ぎ立てる。
しかし女魔王様は、それどころではなかった。
聞いてない。聞いていないぞ、そんなこと。
女魔王様も思わず絶叫、緊急事態。
権力者の結婚とはそれはもう準備に時間と手間とお金がかかるものなのである。
だというのに、まだ心の準備も出来ていないというのに。
そもそも答えなど、たった今出したばかりだというのに!
だのに、明日の朝一番で結婚式だという。
なんだ、この急展開。
思わずぎらっと目をやれば、側近以外の四天王全員がさっと目を逸らした。
「貴様らもグルか…っ!!」
やはり、女魔王様に優しい部下はどこにもいないらしい。
いや、優しいことは優しいのだが…独断が過ぎるというか。
どう考えても、結婚するセネアイーディ様ご本人に内密に、しかし抜かりなく準備を進めていたとしか思えない。
王の結婚となれば、普通は国家事業。
王は王でも魔王なので、そこは人間の国々とは多少事情が異なるが。
それでも、大事には間違いない訳で。
その準備が、さっさと出来る筈もない。
たった一年や二年で進められるようなことでもないのである。
茫然としながら、つい先ほど己の未来の婿君の座をもぎ取った神官に目をやると…気まずそうに、微笑まれた。
その笑みで、全てを悟ってしまうのは何故か。
思えば、三年前。
勇者一行が、魔王城に乗り込んで来た時。
魔王の王配にと名乗りをあげ、決意を神官が告げた最初の時…あの時から、そういえば側近は乗り気であった。
そう、鬱陶しいくらいに。
もしもあの時、側近に釘を刺すなど、何かしらの行動を取っていれば…そうすれば、このようなことにはならなかっただろうか?
考えても終わったこと、詮なきこと。
わかってはいたが、セネアイーディ様は頭を抱えた。
既にそれが決定事項として、今しがた魔境中のモノどもに通告されてしまった。
きっと、側近が拡声器で宣言かましたタイミングで。
あの無駄に有能な側近であれば、そのくらいはやると魔王陛下には読めた。
もう、逃げ場はない。
正式に通達がなされた今、外堀は完全に埋め立てられていた。
それはもう、堤防ができそうな勢いで。
いきなりの展開に、乙女心はついていくのが大変で。
しかし、もう自分は逃げられないのだろう。
だって先程、観念してしまった。
身も心も、もう逃げ場などないのである。
それを自分ではっきりと悟ってしまったから。
女魔王セネアイーディ様の眉は、情けなく下がる。
両手で顔を覆って、意味のない呻き声が出そうな衝動に耐えた。
もう、決まってしまったのである。
やはり心は展開に追いついてなどいないが…
決まったことは、決まったこと。
魔王ともあろう者が、潔さと胆力の無さを曝す訳にはいかない。
一度は腹をくくったことも、確かなのである。
だから。
セネアイーディ様は覚悟を決めて、ぎゅっと拳を握り、立ちあがった。
一先ずは側近を五、六十発殴ろう。
眼先のやるべきこととして、それを固く決意して。
魔境の名ただる強者達が、武闘大会という名目で集まっていたこともあり。
急な招集であったが、特に滞りもなく。
翌日、晴天に見舞われた気持ちの良い朝のこと。
結婚をしたくても難のある状況に長年耐えていた女魔王、セネアイーディ。
初恋をこじらせた、白いような黒いような不思議な神官、アドニス。
色々な意味で似合いの二人の、華々しい式が挙げられた。
極秘裏に準備されていたとは思えないほどの、盛大な式。
そう、二人の結婚式。
こうして周囲にはめられ、乗せられ、外堀を埋め立てられ。
何やかんやと周囲が振り回し、巻きこみ、怒涛の勢いで押し流し。
勢いばかりが凄まじいお膳立てにより、女魔王は結婚を遂げた。
少しばかり………いや、かなり不本意な形ではあったものの。
それでも結婚は結婚。
とうとう、セネアイーディ様の念願は叶ったのである。
魔王という激務に疲れ果てた己を、夫に支えてほしい。
叶いそうにない願いを半ば諦めながらも切望した少女はもういない。
彼女の隣には、全魔族が色々な意味で『有望』と太鼓判を押した夫がいる。
元より女魔王にべた惚れの神官。
彼は甲斐甲斐しく女魔王に尽し、時に下剋上し、時に夫婦喧嘩の苛立ちを周囲に撒き散らし、時として魔境を黒い手腕で混沌に陥れながらも妻に従順に振舞った。
その名は敵に回してはいけない婿がねとして、長く轟き渡ったという。
ついでに勇者は神官に指先一つであしらわれ、最終的には意気消沈して故郷に帰った。傍には妻になった巫女がいて、子供までいたのだから本人もそこまで辛くはなかっただろう。
何より魔王との協議の末、百年は人間に喧嘩を吹っ掛けないという確約が保障されていた。なので、成果なしという訳でもない。むしろ手土産としては上々だ。
その約定を手柄に故郷へ戻った勇者は、その後、何があろうと魔境に寄りつこうとはしなかった。
あそこには鬼がいる…そう言って、頑なに故郷に留まったらしい。
吟遊詩人と牧師はそれぞれ四天王の女性と縁を結び、遠くに行ってしまった勇者とは違って近くから女魔王と神官の日常を見守った。
それぞれに問題はあったけれど、そのような者、魔境にはごろごろいる。
神官と吟遊詩人と牧師の交流は生涯途切れることもなく、偶に妖しく黒い密約や計画が発動しては、周囲を混沌に陥れた。
だがしかし、それもいつしか日常として受け入れられていく。
魔境は混沌の地。
争乱に満ちているようであって、それが平穏であった。
このような経緯で以て、始まった魔王と神官の夫婦生活。
それは時として側近が茶々を入れ、四天王がなだれ込み、混沌に満ちていた。
そかしそれも、やがて年月とともに周囲も生活も落ち着きを取り戻し、違和感だらけの結婚生活も馴染んで穏やかなものとなっていくのだが…
その全ては魔王家の記録に残されるのみ。
長い年月とともに伝わり、子孫は笑いながら寝物語に聞いていた。
そして結婚式の全て、一連の祝辞を側近は魔王城わきの大木から吊るされたまま、気持ちわるい笑みで見守っていた。




