Mr.バレンタインの惨劇 決着のサプライズ編
うわーっっっ
ギリギリ、バレンタインに間に合いませんでした…。
ごめんなさいー…!
戦いに勝利した時、勇者様は全身で息をつきながら、苦い感情で一杯だった。
何しろ、相手は自分の為に思いを込めて作られた菓子。
どう見ても菓子には見えなくなっていたが、菓子は菓子、らしい。
なんとも後味苦く、気まずくて仕方ない。
だが、勇者様は負ける訳にはいかなかった。
何故なら、負ければ漏れなくゴーレムと化したクッキーを食わされるからだ。
擬似生命体と化しただけでなく、沼地をそのまま剥き出しで闊歩、暴れていた様な相手だ。
衛生面諸々の面で、食べるには不安すぎた。
それに勇者様は、相手が信用できない場合や状況で物を食べる習慣がない。
と言うよりも、そんな状況にならない様に忌避し、遠ざけていた。
過去十九年、何度も一服盛られた経験は伊達ではない。
いくら常人では越えられない薬の耐性を付けたと言っても、気をつけるに越したことはない。
念は、入れすぎて悪いと言うことはないのだ。
むしろ入れすぎるくらいで丁度良い。
本気で襲いかかってくるクッキーと、あわよくばそのクッキーを食わせようとする制作者。
勇者様は、本気でその両者に辟易していた。
だから、クッキーを完膚無きまでに崩壊に追いやったのだ。
幸い、先頭場所の立地条件は沼地。
そして相手はクッキー(の、擬似生命体)。
勇者様にとって、有利な戦いだったことは否定できない。
だが、相手もさることながら。
原材料小麦粉とは思えないくらい大胆で、強く激しく、暑苦しい勢いだった。
獰猛この上なく、まるで闘争本能丸出しで、クッキーは襲いかかってきた。
熾烈な戦いであった。
クッキーはガチガチと歯を鳴らして、勇者様の頭を食いちぎろうとした。
避け損なっていたら、今頃食い物の筈のクッキーに逆に食われていただろう。
恐らく、大胸筋より上は無くなっていたに違いない。
自衛という意味でも、クッキーを放置はできなかった。
何故なら、クッキーが狙いを定め襲いかかった相手は、勇者様だけではなかったのだから。
クッキーとしてもゴーレムとしても己の母であるはずの制作者、ミュゼにまで手を伸ばした。
制作物に襲われかける、ミュゼ。
制作者であるミュゼさえも、襲おうとしたクッキー。
仄かなバニラと優しいバターの香りを撒き散らしながら、クッキーは狂った笑い声を上げる。
狂気と、飢餓と、怖れを知らぬ愉悦の混じった声であった。
いつしかクッキー・ゴーレムは、狂おしき暴走へと己を掻き立てていった。
この世に恐怖など無い。
がちがち、がちがちと歯を鳴らしながら。
クッキーは手当たり次第、泥と濁を食いちぎる。
食い殺さんと歯を向けても、勇者様は素早さを活かして避けるから。
代わりに、勇者様がいた空間を食いちぎっていく。
母を腹に納めんと牙を剥けば、勇者様がミュゼの庇い引っ張り上げる。
途中からはミュゼが呼び出した、彼女の特製ゴーレムがミュゼを連れて逃げ回る様になった。
一層、クッキー・ゴーレムは最も欲しい物を…
血の滴る生肉を得ること敵わず、代用するように違う物で腹を満たしていくしかない。
逃げる相手を追って、次々に其処にある物を食いちぎっていく。
沼に広がる、揺るんだ土を。
生い茂る葦の、青々とした束を。
どんどん、どんどん腹を膨らませていく。
汚泥を混ぜ込んだ、沼の水を染み込ませながら…
小麦粉と卵とバターからなる被造物は、響きわたる嬌笑の中。
ゆっくりと、崩れ落ちていった…。
食べづらいことこの上ないクッキーには、永遠に食べられない仕様になって貰った。
そこに籠められた乙女の気持ちだとか。
制作者の目の前だとか。
色々なことを考えたら体が竦んで胸が罪悪感で切り裂かれるけれど。
勇者様はただ、自分の命が惜しい一心だった。
そうしてクッキー・ゴーレムは沼地に沈み。
完璧なまでに崩壊して、地に返った。
最早、沼地で自然成形された粘土と一体化し、ドロドロで何が何だか分からない。
どこからどこまでが、クッキーで。
どこからどこまでが、粘土なのか。
制作者であっても、それは最早分からないだろう有様だった。
胸をずきずきと痛めながら、勇者様は乙女の気持ちを踏みにじった。
それが正しかったのかどうか、勇者様には分からない。
ただ一つ言えることがあるとすれば、それは…
それは、これがどう考えても紳士としてあるまじきことだと言うことだけ。
しかし生命活動を平常に続けていく為に、勇者様は自分の心を鬼にしたのだった。
勇者様はもう、密度の濃い一日に疲労困憊、疲れ果てていた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
ミュゼが、泣いていた。
息をつく勇者様の前、跪く様な格好で謝り続ける。
「こんな即席で準備もなく、一時の感情に振り回されて、冷静さを欠いていたから…」
彼女が掻き抱き、腕から零すのは泥にまみれた土塊。
それと、土塊に混ざり込んだドロドロのクッキー。
ミュゼの落涙は、泥にまみれた沼地で何より澄んで見えた。
まるで、磨きだした水晶の様に。
「ちゃんとしたゴーレムに生んであげられなくて、ごめんなさい…」
「って、そっちか! ごめんなさいってゴーレムにか!!」
「ごめんなさい…! 悪いお母さんを、許して……」
結局勇者様には一言も謝ることなく。
ミュゼは最高傑作である特製ゴーレムの腕の中。
振り返ることなく、駆け去っていった。
泣きながら駆け去ったミュゼの姿に心は痛んだけれど。
追いすがってフォローを入れる気にもならない。
そんなことをしようものなら、先ず間違いなく面倒な事態になることが目に見えていた。
それに彼女が本当に気にしているのは、どうやら勇者様よりもゴーレムのことだったようだし。
ゴーレム制作者は職業意識は高いが、他に割り振る感情は少々低めの様だった。
精神衛生上、大変悪影響を及ぼす一戦であった。
勇者様は己の心を守る為、あのクッキーとの戦いのことは一刻も早く忘れようと思った。
幸いと言うべきか、今ここに、他に人気はない。
勇者様を追っていた女達は、、クッキー騒動のどたばたに追い散らされて近くから逃亡。
もう既に影も形もなく、遠くに避難して消えた後だった。
今、誰に気兼ねすることもなく、心の行くまで休むことのできる穏やかな空気が広がっている。
僅かばかりの時間かも知れないが。
クッキーが問答無用で暴れてくれたお陰で、勇者様は束の間の休息時間を手に入れていた。
普段なら。
これが、もっと切実な状況なら。
逃走に振りになるので、休める様な時間の隙間でも、絶対に座り込んだりはしないけど。
気の弛みは容赦なく体から力を奪い、そして此処が魔境だと思うと深刻になる必要も感じない。
だから。
勇者様は逃げる心配を忘れて、腰を地に下ろし、完全に休むことに決めた。
そよそよと、穏やかな風が吹く。
蒼く伸びゆく緑の草々が、風に吹かれてゆっくりと戦いだ。
切実さも、焦りもない。
ただ平穏で、ぼんやりとできるくらいに平和だった。
穏やかで、ゆっくりとした時間が流れる。
何を考えるとも無し、勇者様は久々のぼんやりと何も考えなくて良い時間を手に入れていた。
風に踊る草が、勇者様の頬を擽る。
ふと思いやってみてみると、それは葦の葉で。
何気なく持ち上げた右腕に、今朝リアンカが嵌めてくれた葦の腕輪。
今日付けて貰ったばかりだというのに、度重なる騒動で、既に端に綻びが見えた。
何を考えることもなく、腕輪を見続ける。
思い立った訳じゃ、ない。
だけど勇者様は何気なく、側の葦へと手を伸ばす。
そうして寝転がっていた姿勢から身を起こし、手元へと意識を寄せる。
いつの間にか、勇者様は集中して葦を編む作業に熱中していた。
その完成品の形は、勿論…。
「次で、最後かな…?」
手元のリストを見比べて、勇者様は納得の頷き。
リストの通りだと手紙が何通か余るが、問題はないらしい。
どうやら作ったは良いが、現状村にいない相手の分まで含まれてしまっているらしい。
いない人の分は持ち帰ってくるようにと、リストには書いてあった。
何だかんだと色々な騒動で時間をめっきり潰してしまったけれど。
何時までも休んでいる訳にもいかないし。
ほんの少しの急速を得た後、勇者様は再び、リアンカからの頼まれ事に取りかかっていた。
即ち、残りの手紙の配達である。
手紙の束は厚く、何通もの量だったけれど。
地道に一人一人に手渡して、長かった激動のお使いにも、終わりが見えてこようとしていた。
「お届け物です」
気持ち穏やかに声をかけて、リストにあった最後の人物に封筒を渡す。
もう、何度も繰り返された光景。
封筒を受け取った相手は、驚きを見せた後、嬉しそうに顔を綻ばせる。
中から取り出されたカードに、同封された腕輪に。
にこにこと笑って、勇者様にもありがとう、お疲れ様と声をかけるのだ。
「終わった…」
物凄く疲れたけれど。
達成感も、その分一入で。
ほうっと息をつき、勇者様は胸を撫で下ろした。
無事に頼まれ事を達成できたことが、嬉しくて仕方なかった。
「………ん?」
だけそ、勇者様のお仕事はそれで終わりではなかったようで。
チェックを付け終わったリストの後ろに、今まで見落としていた文字。
そこには、丁寧な文字が微笑んでいる。
『勇者様の、背中側。剣帯に注目!』
勇者様は首を傾げて、書いてある文字の示す場所を…
自分の剣帯を見ると…
「え?」
何時の間に挟んだ物か。
そこには、勇者様本人の知らぬ間に、紐が吊されている。
邪魔にならない、絶妙な長さに調節された紐。
先を引っ張ると、蒼い封筒が紐の動きに合わせて踊った。
小さな封筒。
それは、勇者様が配った封筒よりも一回り小さくて。
開いてみると、中には三行の文字。
『 最後のお届け先です。
【勇者のライオット・ベルツ】さん
この人に、最後の手紙を届けて下さい! 』
「最後…?」
首を傾げて、余りの封筒をよくよく見てみると…
「これは、えーと…」
宛名がない青い蒼い封筒の一通を除いて。
それ以外の余りは、よく見ると中身が無い。
どうやら、たった一通を紛れ込ませる為のブラフだった様で。
本物の残った手紙は、たった一通。
そしてそれは、勇者様に宛てた物なのだという。
自分でもおかしくなるくらいの緊張で。
指先がちょっと震えて、勇者様は笑った。
困った様な、面映ゆい様な。
何とも言いがたい気持ちで、勇者様は封筒と睨めっこしてしまう。
見ていても仕方がないから。
勇者様は手近な木の根本に隠れて、自分に宛てた物だという封筒を慎重な手つきで開いた。
果たして出てきた物は、今までに何度も見た物と同じで。
今日一日、沢山の人に勇者様が送り届けた封筒の中身と同じで。
葦の腕輪は勇者様の腕、封筒には入っていないけれど。
金の飾り文字。
踊る様な流麗な縁飾り。
手の平に収まってしまう様な小さなカードが、手の上にぽんと鎮座する。
二つ折りのそれを開くと、見慣れたリアンカの軽やかな文字が勇者様を待っていた。
『 口に出しては言えないけれど、わかってほしいこと。
言葉にして伝えきれない、かんしゃのきもち。
忘れてないよ。いつもちゃんと感じているよ。
勇者様、いつもありがとう
つきましては、このささやかな思いを形に変えて。
気持ちを目に見える感謝にして。
内輪の宴に、あなたをご招待したいと思います! 』
同封されていた地図に従って、勇者様は足を向ける。
指定された場所に行くと…
「あ、勇者様!」
リアンカをはじめとした皆が、そこにいた。
思ったよりもお早いお着きで、と。
此方の苦労なんてみんな分かった様な顔で。
笑って許してとばかりに、弾ける様な笑顔を向けてくる。
そして勇者様も、その苦労もやるせなさも苛立ちも。
全部が全部、吹っ飛んでいた。
受け取ったカードを見た時点で、全て些細なこととして消えてしまっていたけれど。
この場に、整えられた会場に来ると改めて全部昇華してしまった。
指定された場所。
村の南側の、広場。
勇者様のお使いでは、ルートに外れて少しも近寄らなかった場所。
今なら分かる。
あのお使いも、全部全部、勇者様を此処から遠ざける為の物。
会場は色とりどりのリボンと飾り布で飾られて。
掲げられた魔法石が、蓄え混んだ光を淡く放つ。
幻想的な光景の中、幾つものテーブルには白いクロス。
そして、色とりどりに。
溢れんばかり、数えきれないくらいの種類と数と、圧倒的な量で溢れる物。
一つ一つのテーブルに、テーブル一杯に飾り立てられたフルーツとお菓子。
正に山の様に。
だけど不格好にならない様、見栄え良く整えられて。
まるで一つ一つのテーブルそれが、大きな菓子篭のようで。
それらのテーブルを纏め、周囲を幻想的に飾り立てた会場そのものも、巨大な菓子篭の様で。
予想もしていなかった光景に圧倒されて、勇者様は目を奪われていた。
「凄いでしょう。準備、すっごく頑張ったんですよ?」
イタズラっぽく笑うリアンカは、小さく胸を張って得意げで。
得意になる気持ちも分かって。
素直に笑うリアンカに、勇者様も自然と笑っていた。
「確かに、凄い」
それしか、言えない。
「本当は一人一人に、お菓子の篭を配ろうかと思ったんです」
「でも菓子篭は、『愛』なんだろう?」
「みんな愛してたって、良いじゃないですか。友愛だって親愛だって家族愛だって、みんな愛ですよ」
けろりとした顔で、リアンカが言う。
弾ける笑顔は、花の様だった。
「でも、みんなみんなに一つずつより、みんなで一緒に楽しみたかったんです」
だから頑張ったのだと。
リアンカは言う。
お菓子を焼いて、果物を用意して。
会場を飾り立てて、招待状も兼ねたカードを書いて。
お菓子作りは少しお母さんに手伝って貰っちゃったけれど。
それでも間違いなく、全部自分で用意したのだと。
慈愛を感じさせる、揺るんだ顔でリアンカが笑う。
「溢れんばかりの愛だから、本当に菓子篭を溢れちゃったんですよ」
そんな風に言って。
溢れたその愛を、地面に零れ落ちる前に。
みんなで楽しみましょう。
そう言って、リアンカから。
この場に集まった全てのヒトに、大好きとありがとうと、大好きの。
仲良くしてね、これからも一緒にいてねと気持ちを込めて。
はっぴー・ばれんたいん!
みんなに愛を、贈りますv
珍しいことですが。
リアンカちゃん、天使のターンvでした!




