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ウェディング・ブーケ


 海に近づくにつれ、濃厚な香りが鼻腔をくすぐる。

 ヴァルデミールは大きく伸び上がり、心のヒゲを風に震わせた。

「ほら、魚のにおいがしてきました」

「わかった。わかったから、窓から頭をひっこめろ。危ない」

 堤防沿いに車を停め、港に向かった。

 桟橋の倉庫の床にところせましと置かれた木箱の中で、獲れたての魚介類がぴちぴち跳ねている。ここの港の名物、浜の朝市だ。

 相模屋弁当の社長と専務は、週に一度の定休日の夜明け前に起き出して、理子の運転する小型トラックで魚の仕入れにやってくるのだ。

「あっ。この魚安い。おいしそうニャのに、どうして」

「兄ちゃん、目利きだねえ。これは関西ではベラと言って高級魚なんだけど、関東では水臭いって捨てちゃうところもあるんだよ。煮付けや南蛮漬けにすると美味いよ」

「買う、買う。たくさん買うから、おまけしてぇ」

「はは、猫なで声も堂に入ってるな」

「あんた、いい若い衆を手に入れたね」

 古くからのなじみのおばさんが、気さくに理子に話しかけてきた。

「人当たりはいいし、ひとめで魚を見分けちまうし、あの年でたいしたもんだ。どこで拾ってきた?」

「さあ、公園だったかな」

「は?」

 仕入れた魚を保冷箱に入れて荷台に積むと、理子とヴァルデミールは堤防のテトラポットに並んで腰かけた。

 暑かった夏もようやく終わるのか、浜風は秋めいて心地よい。

「今週も無事に、安くていい魚が仕入れられましたね」

 ヴァルデミールは持参の鮭のおにぎりを、幸せそうに口いっぱい頬ばった。「お弁当を買ってくれる常連さんたちが、きっと喜びます」

「ヴァルが塩鮭を買い付けるようになってから、しゃけ弁当の売上げがずいぶん伸びた。おいしいと口コミで評判になっているらしい」

「いい塩鮭を見つけると、自然と口の中がよだれでいっぱいにニャるんですよね」

 理子は、彼のうなじで揺れている長い後れ毛を、赤い眼鏡の奥からまぶしそうに見た。

「おまえのおかげだ。おまえがいないと、もう相模屋弁当は立ち行かない」

「そ、そんニャことありません」

 ヴァルデミールは恥ずかしそうに答えた。

「いまだに一万円札と五千円札を間違えるし、せっかく立ち上げた『150円弁当』も赤字続きだし、わたくしは会社の役に立つどころか、損ばかりさせています」

「だが、安いと言って、みんな喜んで弁当を買ってくれる。今はそれでよいのではないか」

「はい……は……はっくち!」

 ヴァルデミールは、小さなくしゃみをした。「風が冷たいよぉ」

「もう秋だなあ……って、おい、何をしてる」

「猫は寒いのが一番苦手ニャんです」

 ヴァルデミールはちゃっかり、理子のふくよかな胸に抱きついて、風を避けているのだ。

「ふわふわであったかーい」

「こら、普通の恋人同士なら、男が『寒いだろう』と女に上着をかけ、腕の中に抱き寄せてだな……」

 理子はため息をついた。

「ま、いいか」

 ヴァルデミールの長い黒髪をゆっくりと撫でてやる。「私たちは、普通の恋人同士じゃないもんな」

「……社長」

「なんだ」

「……あんまり気持よくて、ニャんだかムラムラと」

「ば、ばか。こんなところで何を考えてる」

 離れようとした時はすでに遅く、理子の胸元で、男もののシャツに包まった黒猫が、申し訳なさそうに「にゃあん」と鳴いた。



「どれ」

 と天城博士は、手を伸ばした。

「これが、ベラの南蛮漬けか。なかなか美味じゃな」

「だろ?」

 ヴァルデミールは得意げに胸を張った。天城一家には、毎日の弁当の配達のときに、ときどき150円弁当の試食係を頼んでいる。

「でも、原価が150円以内におさまらニャくて、赤字続きニャんだよね」

「確かにな」

 ユーラスがひとつずつ箸の先で数え上げる。

「ベラの南蛮漬け、野菜の皮のきんぴら、大豆の煮物の油揚げ包み。もやしとベーコンのオムレツ、野菜くずの浅漬け。大きなおにぎり二つ」

「捨てる食材や安い食材をうまく使っていますが」

 マヌエラが嘆息した。「これでは150円に収まるわけありませんわ」

 儲かるどころか、売れば売るほど赤字が出てしまう。

 それでも、日々ぎりぎりの暮らしをしている路上生活者や日雇い労働者が涙をこぼさんばかりに150円弁当を喜んでいるのを見ると、やめることなど到底できないのだ。

「ほんの少しでも、儲けがでればニャあ」

 彼の次の目標は、相模屋弁当で作るすべての弁当に、紙の弁当箱を使うことだ。

 だが、環境に良いと言われる紙やエコファイバーの弁当箱はプラスチックの二倍の原価がかかるとあっては、なかなか踏み切ることができない。

「それはそうと、これはなんじゃ」

 弁当の横にさりげなく置いてあるカードに、天城博士が気づいた。

「請求書か」

「『寿』のシールを貼った請求書ニャんかが、どこにある!」

「ほう、結婚式と披露宴への招待状か。でもいったい誰と誰が」

 博士とユーラスはニヤニヤと、わざと意地悪く訊ねる。

 憤慨したヴァルデミールは、さっと招待状を手の中に取り戻した。

「博士とニャブラ王は欠席。王妃さまだけ出席」

「おい、待て」

 ユーラスはあわててヴァルデミールの肩を抱いて、なだめ始めた。

「余が行かなくていいのか。いろいろと助言が必要だろう」

「シュニンに頼むから、いらニャいよ」

「魔王は、結婚式など一度も挙げたことはないから役に立たんぞ。それに比べて余は、三回もの経験者だ」

 ひとつだけゼファーに勝てることが見つかり、十歳の勇者は気分を良くしている。

「そ、そりゃまあ」

 言われてみると、確かにそのとおりだ。ゼファーと佐和は入籍しただけで、結婚式を挙げていない。

 主人にならってヴァルデミールも、お手軽にそうしたいところなのだが、いかんせん四郎会長がガンとして譲らないのだ。披露宴も盛大にして、得意先をたくさん招待するのだという。

「ホテルの大広間を早く予約しろだとか、お色直しは最低二回だとか、すごい張り切りようニャんだ」

「女にとって結婚は一生の晴れ舞台です。父親として、できるだけのことはしてあげたいのですわ」

 マヌエラは自分の華やかな輿入れを思い出し、深く同感する。

「でも……」

 ヴァルデミールは、爆発で煤だらけの天井を見上げながら、悲しげな吐息をついた。

「社長とわたくしの結婚は、会長を騙すことにニャらないかなあ」

 四郎会長は、「早く孫の顔が見たいのう」と口癖のように言っている。でも、魔族のヴァルデミールでは、人間との間に子どもが生まれるはずがないのだ。肝心なときには猫に変身してしまうのだから。

「ヴァル」

 ユーラスが恐いほど真剣なまなざしで彼を見た。「ひとつ言っておくことがある」

「ニャ、何?」

「おまえ、披露宴のときも、その憂いを含んだ顔でいろ。いつもより百倍は男前だ」



 相模屋弁当の工場へ帰ってくると、従業員のひとりがあたふたと飛び出してきた。

「大変です、ヴァルさん」

 『センム』と呼ばれるのが大の苦手なヴァルデミールは、絶対にそう呼ばないでほしいとみんなに頼んでいるのだ。

「『情報まんさいテレビ』の取材が、来てるんです」

「えっ」

 工場の中は、カメラや照明や反射板を持つテレビ局の人たちでいっぱいだった。

 その中央で、きちんと工場のお仕着せを着た若い女性リポーターから、インタビューのマイクを突き出され、理子がおろおろしている。

「あ、ヴァル」

 理子は天の助けとばかりに、エアカーテンの中に入ってきたヴァルデミールに駆け寄った。

「こ、この人が、150円弁当の発案者です」

「ひえ?」

 カメラと照明が、一斉に彼に向けられた。

 晩酌のとき四郎会長が居間でテレビを見ているので、ヴァルデミールもテレビがどういうものか、なんとなくわかるようになった。

 あの四角い箱の中にこの工場が映って、たくさんの人が彼のしゃべることを聞いてくれるのだろうか。

「150円弁当を思いついた最初のきっかけは何ですか」

 リポーターの質問に、ヴァルデミールはマイクに向かって叫んだ。

「あ、あのっ、普通の500円のお弁当だと、公園や路上で生活する人たちには高すぎるのです。今はますます仕事がニャくって、みんニャ食べるものに困っています」

「でも、たった150円でお弁当を作るのは大変でしょう」

「だから、いっぱい工夫したんです」

 彼は、リポーターの女性の手をぐいと引っぱると、《全自動高速乱切り機》の前に連れていった。

「これが、《坂井エレクトロニクス》が作った、すばらしいニンジンの機械です。野菜をすごいスピードで切ることができます。ご注文は、《坂井エレクトロニクス》へどうぞ!」

「あ、あの……」

「どんなすごい機械でも、野菜の皮や切りクズが残ります。それをニャんとか再利用しようと、けばけばスカートのおばさんが美味しいおかずにしてくれました」

「それは、すごいアイディアですね」

「それでも、150円ではまだ赤字が出てしまいます。だから汁の出るおかずを揚げで包んだり卵でとじたりして、ニャるべく仕切りやホイルカップをニャくすようにしています」

「ニャるほど」

 ヴァルデミールの勢いについ乗せられたリポーターは、言葉が移っているのも気がつかない。

「本当はもっとゴミを減らすために、紙やエコファイバーの弁当箱を使いたいと思っています」

「ゴミ問題は深刻ですからね」

「はい。あニャたも公園や路上で暮らせば、ゴミの多さにびっくりしますよ」

「一度やってみます」

「もし、みニャさんが相模屋の500円弁当をたくさん買ってくれたら、その儲けを使って、環境にいい弁当箱を使えるし、150円弁当をもっとたくさん作って、ホームレスの人に喜んでもらえます」

「ほんとにそうですね」

 ヴァルデミールはカメラに突進して、レンズをかかえこむようにして訴えた。

「相模屋、相模屋のお弁当ですよ。日本一のお弁当、相模屋。よろしくお願いします!」



 『情報まんさいテレビ』の放送があった次の日から、相模屋弁当には倍の注文が舞い込むようになった。

 普通なら、必要のない部分は編集で大幅にカットされてしまうのが常だが、日系移民らしき若い男が、たどたどしい言葉で懸命にしゃべっている様子が珍しかったのか、ヴァルデミールのインタビューはほぼノーカットで放送された。

 おかげで、《坂井エレクトロニクス》にもぽつぽつ、テレビを見たという人から問い合わせの電話が来るようになった。

「まったく、あんたにこういう才能があったとはな」

 営業の春山は、ヴァルデミールの顔を見ると、苦笑まじりで誉めちぎった。

「おじさんの言うとおりでした。赤字覚悟でインドパキスタンのある宣伝をすれば、相模屋弁当全体の売上げが上がるって本当でした」

 今やすっかり時の人となり、どこへ行っても声をかけられるヴァルデミールは、ちっとも疲れた様子も見せず、朝から晩までうれしそうに働いている。



 またたく間に日は過ぎ、とうとう結婚式の当日となった。

「ど、どうしましょう」

 ヴァルデミールは、朝からうろうろと居間を歩き回っている。

「ちょっとは落ち着け。テレビ出演のときのほうが落ち着いていたぞ」

「突然引っぱり出されるほうが、あれこれ考える暇がニャくていいんですよ」

 理子は一見、泰然自若だが、よく見ればソファのクッションの下に隠した手の爪先が少し震えているのがわかる。

 当然のことながら結婚が初めてのふたりは、今日の華燭の典を迎えて急に不安になっているのだった。

 ガラリと引き戸が開いた。

「もう用意はできたか」

「あ、会長」

 ヴァルデミールは走っていき、紋付き袴の四郎会長の足元にガバとひざまずいた。

「お父さん。長い間、お世話になりました」

「こらこら、それは花嫁のセリフじゃ」

「あ、間違えた。お父さん。お嬢さんをわたくしにください」

「ヴァルよ。おまえはどうもピントがずれとるのう」

 呆れたようなため息をつく。

「だが、おまえに『お父さん』と呼ばれるのは、うれしいものだ。今日からおまえは、わしの息子になるのじゃなあ」

「わたくしのような者が、相模家の一員にニャるなんて、ゆるされるのでしょうか」

 ヴァルデミールはしょんぼりとうなだれた。彼は結婚すれば相模の籍に入ることになっており、そのことについて理子の兄姉は、あまり心良く思っていないらしいのだ。

「家を出た兄さんや姉さんには、ひとことだって文句を言わせるものか」

 理子は吐き捨てるように叫ぶ。

「なあに。付き合ううちに、きっとあいつらもヴァルのことを気に入るさ」

 四郎は、にこにこと笑みをたたえている。

「さあ、そろそろ式場に行くか」

「あの、その前にひとつだけ」

 ヴァルデミールは居住まいを正した。「お話しておきたいことが、あります」

 理子はその隣で「えっ」という顔をした。

「なんじゃ」

「実は、わたくし本当は、人間――」

 そのとき、玄関の扉ががらりと開いた。

「社長、会長、ヴァルさん!」

 ヴァルデミールとともに専務を務めている古参の社員が駆け込んできて、悲鳴に近い声を上げた。

「どうした」

「そ、それが受注係が注文を大量に間違えていたのです」

「ええっ」

「今日の四時までに納品しなければならないのに、用意した分だけでは五十個足りません!」

「い、急いで追加を作れるか」

「材料はなんとかなりますが、この時間では、みんな帰宅したところです」

「大至急、呼び戻せ。秋川のおばさんは特にだ!」

 理子は仁王立ちになって、怒鳴った。

 そして、ヴァルデミールとうなずき合うと、用意していたバッグや靴を放り出して、工場へと走っていった。



 ホテルの結婚式場の前の廊下では、ゼファーたちが新郎新婦の到着を今か今かと待っていた。

「いったい、どうしたんだ。ヴァルは」

 ユーラスはイライラと、靴の先で毛足の長いじゅうたんをほじくっている。

「家にかけても誰も出ないし」

「まさか、道で迷子になってるんじゃないだろうな」

「浮かれてドブに落ちたとか」

「怪我した仲間の猫を見つけて、病院に付き添っているとか」

「ヴァルさんひとりならともかく、理子さんがついてるんだから大丈夫ですわ」

 マヌエラが明るく言うが、みなの表情は晴れない。

「もうすぐ、式の時間になってしまうぞ」

 そのとき雪羽が突然、高い声を張り上げた。

「ヴァユは、そこの角を曲がったところだよ」

「なんだって」

「ほら、いっしょうけんめい走ってる。理子さんもいっしょだよ。背中におんぶして」

「……どうして、そんなことがわかるの、雪羽」

「今、回転ドアをくるくるって入ってきたよ。エレベーターじゃなくて、階段を上がってくる」

 彼らは雪羽の声につられて、ホールのほうを見つめた。

「ほら、もう少し。あと五秒」

 みんな知らず知らずのうちに、心の中でカウントダウンを始めた。

 ゼロの瞬間、理子を背中に背負ったヴァルデミールが、ものすごい勢いで汗をまき散らしながらホールに駆け上がってきた。

「お待たせしました!」



 その夜、瀬峰一家はバス停からの家路をゆっくりたどっていた。

「いい結婚式だったな」

「ええ」

「正直、相模屋弁当の社長が、あれほどきれいな女性だったとは思わなかった」

「ヴァルさんも、とても凛々しく見えたわ。理子さんのご友人たちが、何度もため息をついていたもの」

「ナブラ王と天城博士は、最初から最後まで腹をかかえて笑っていたがな」

 ユーラスの忠告に従って、ヴァルデミールは披露宴の間、せいいっぱいのしかめっ面をしていたのだった。彼は黙って眉根を寄せていると、とても美男子に見えるのだ。

「精霊の女王も会場の花の陰から、嬉しそうな顔でこっそり覗いていた」

 雪羽は両親に手をつながれて歩きながら、少し眠気がさしてきたようだった。

「父上ぇ。だっこ」

「ああ」

 ひょいと娘を抱き上げると、ゼファーはまじまじと妻の顔を見つめた。

「すまない」

「え?」

「とうとうおまえには、結婚式を挙げてやれなかったな」

「まあ、そんなこと」

 佐和はくすくす笑い出した。「私はそういう華やかな場って苦手なんです。第一、ウェディングドレスを着るような柄じゃありません」

「いや。きっと、地球やアラメキアのどんな女よりもきれいだ」

「ゼファーさんたら」

 佐和は頬が熱くなるのを感じて、立ち止まった。それは、彼が昔愛した精霊の女王よりも、ということだろうか。「嘘ばっかり。本気にしますよ」

 魔王は娘を片手に抱いたまま、もう片方の腕で彼女を抱き寄せた。

「俺が嘘を言うほど器用な男だと思うか?」



 夜遅くなって家に帰ってきた新婚ほやほや夫婦は、父親が自室に引き取ったあと、居間のソファに並び座った。

 明日からさっそく、朝四時起きの毎日が始まる。弁当工場の経営者は、新婚旅行に行っている暇などないのだ。

「ああ、おなかが空いた」

 二回のお色直しで、披露宴のご馳走を食べる暇もなかった理子は、結んだばかりのおにぎりをパクついていた。

「ニャんだか、すごく長い一日でしたね」

 重い理子を背負って工場からホテルまでの二キロの道をひた走ったヴァルデミールは、ほうっと疲れきった様子でソファにもたれた。

「お弁当五十個も無事納品できたし、式にも間に合ったし」

 そして、ぽりぽりと頭を掻きながら、恥ずかしそうに付け加えた。「それに社長は、どのドレスのときも、とても美しかったです」

「ヴァル」

 コンタクトをはずして元通りの赤い眼鏡をかけた理子は、おにぎりをごくりと飲み込むと、夫を見つめた。

「ニャんですか」

「その『社長』と呼ぶのをやめて、名前で呼んでくれないか」

「え……」

「私たちは、今日から夫婦なんだぞ」

「はい。ノリコ……さん」

 ヴァルデミールは、おそるおそる確認するように上目遣いで理子を見た。

「亡くなった母は、私のことを『リコ』と呼んでいた」

「リコ」

 そのとたん、勝気な女の目からぽろぽろと涙がこぼれた。

「大切な誰かに、そう呼んでもらえる日が来ればいいと、……ずっと思ってたんだ」

「リコ――リコ」

 呪文のように繰り返すと、ヴァルデミールは妻のほっぺたについていたご飯粒をぺろりと舐めた。

 そして、そのまま唇まで移動した。ゆっくりと味わいつくすように、何度も口づける。

「ヴァル……」

「ああ、そろそろ、猫にニャりそうです」

 目をつぶって、夫の顔にヒゲやふかふかの毛が生えてくるのを覚悟していた理子は、いつまで経ってもそうならないので、いぶかしんで目を開けた。

「あれ?」

 一番驚いているのは、ヴァルデミールだった。「猫にニャらない?」

 テーブルに置いたウェディングブーケの白バラの間から、精霊の女王が微笑んだような気がした。

 




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