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いつか来た場所



 不幸のどん底にあるときほど、神さまは小さな幸運をプレゼントしてくださるものだ。

 黒猫のヴァルデミールが頭をうなだれて道を歩いていたとき、ヒゲに何かが触れる感触があった。

 なんと、五百円玉だ。

(お金が欲しいときには、あれほど探してもニャかったものが、こんなときに限って見つかるんだニャ)

 ヴァルデミールは硬貨をぱくりと口にくわえて、また歩き出した。

 しばらく行くと見えてきたのは、以前よく夜を過ごしていた公園だ。中年の路上生活者がひとり、ベンチの上に寝そべっている。

(見覚えがあると思ったら、あのときお弁当をもらってくれた人だ)

 五百円玉を拾ったふりをして、売れ残りの弁当を、そのお金と引き換えに押しつけてきたのだっけ。

 近寄ると、黒猫はベンチの上にひょいと飛び乗り、くわえていた硬貨を男の頭のそばに、そっと置いた。

 しばらくして男が目を覚ますと、枕元に五百円玉が置いてある。

「ふうん。不思議なこともあるものだ」

 路上生活者は銀色に光る硬貨を手にして眺めていたが、突然「そう言えば」となつかしげな声を出した。一日じゅう誰も話す相手がいない彼にとって、ひとりごとは珍しくない。

「前にも五百円を恵んでくれた奴がいたな。そいつがくれた弁当は、うまかった。何ていう弁当屋か、覚えておけばよかったな」

(相模屋、相模屋のお弁当ですよ。日本一のお弁当、相模屋)

 木陰から様子をうかがっていたヴァルデミールは、そう叫ぼうとしたが、猫に人間のことばが話せるはずはなかった。

(それに、もうわたしには、相模屋の弁当を売ることはできニャいんだった)

 彼はあの日から、仕事をずっと休んでいるのだった。もう理子に会わないと決めた以上、工場に出勤することなどできない。

(働きたいニャあ)

 あの巨大な炊飯器から立ち上る暖かい湯気。まな板の上でトントンと響くリズミカルな音。魚の切り身を焼く香ばしい匂い。従業員たちを指図する社長の大声。

(あそこに帰りたいよ)

 大きな目から、葉っぱの上にぽとりと雫が落ちた。あわてて肉球で雫を堰き止めようとしていると、驚くようなことが起きた。

 小さな猫だったはずの体がみるみるうちに膨らんでいくのだ。



「何度やってみても、ちっとも元に戻らニャかったんです。シュニン」

 公園の茂みの中で人間になってしまったヴァルデミールは、あわてて先ほどの路上生活者に声をかけた。いきなり素っ裸の男から声をかけられた路上生活者は腰を抜かしていたが、なんとか頼みこんで、工場にいるゼファーに連絡を取ってもらったのだ。

「どうして、こんなことにニャったのか、さっぱりわかりません」

 寒さに震えつつ、ゼファーが持ってきたシャツやセーターを着こんでいる従者の様子を、ゼファーは目を細めながら観察した。

「おまえの魔力である変身の能力が、一時的に不安定になったのだろう」

「それって、どうしてですか」

「実は俺も、ひどく落ち着かない気分がしてならなかったのだ」

「え、シュニンも?」

 ふたりは顔を見合わせた。

「もしや、アラメキアへの扉が開いた?」



「確かに、先ほど数分間だけ、転移装置を試運転した」

 急いで天城研究所へ到着すると、天城博士が戸口に現われた。 「結果は上々だ。まあ、入れ」

 研究室の中は、いつもに増してひっくり返っていた。三歩歩くたびに何かを押しのけ、またぎ、踏みつぶしながら、ようやく奥までたどり着くと、真新しい、以前よりもずっと巨大な転移装置が完成していた。

 ユーラスがその横で、カップラーメンをすすっている。

「おまえが弁当を運んでくれぬから、この数日、余の夕食はこんな有様だ」

 うらめしげに言いながら、少年はヴァルデミールをじろりと睨んだ。

「ご、ごめん。誰かに配達を頼んでおけばよかったよ」

「まあしかし、実験中は、あまり他人に立ち入ってほしくはなかったからな」

 天城博士が肩をそびやかして言った。

「今日は、新理論によってアラメキアとの交信に成功した、世紀の日だ。物理学会の奴らがここにいたら、尻をからげて逃げ出すぞ」

「だが、アラメキアへの穴をつなげるには、膨大な電力が必要ではなかったのか」

「確かに、人間が通れるほどの大きな穴ならば、東京二十三区の供給量分の電力が必要だ。だが、今回は、針のように小さなゲートをわずか数分開けただけだからな。今回の目的のためには、それで十分だったのだ」

「今回の目的ってニャに?」

「アマギは、アラメキアで助手をひとり雇っておいたそうだ」

 ユーラスが代わりに説明した。

「その助手に電波を使って伝言を送ったのだ。『トール神のもとへ行き、ミョルニョルの一撃を放ってくれるように頼め』と。それがうまく行き、電力が確保されれば、アラメキアへの通路が開く機会が、大幅に増えるらしい」

「増える? 七年に一度ではなく、か」

 ゼファーは、訊ね返した。

「ふむ。それが今度の新理論のすごいところだ」

 天城は、得意げに白い顎ひげを引っぱった。

「いわゆる『超ひも理論』の元となる考えだ。地球は実空間にある星、アラメキアは虚数空間に存在する星と考えれば、わかりやすいだろう」

 天城博士は、片方の腕を水平に、もう片方の腕をそれに対して斜めに立て、手首のところで交差させた。実空間と虚数空間の関係を表しているつもりだ。

「虚数空間を公転する星が実空間を通過する瞬間がある。つまりアラメキアが実空間に現れる瞬間だ。このときだけは、アラメキアと地球は同じ世界に存在する。これはけっこう頻繁にあって、月に二回ぐらいだ。まあ、満月と新月みたいなものだな。

もっとも、アラメキアが実空間で現れる場所は地球に近かったり遠かったりする。それゆえアラメキアと地球のゲートは、両者が極めて近く、わずかなタイミングを見きわめられる時しか開くことができないと考えられておった。それが七年に一度なのだ。

だが、あのネコじゃらし草が振れるのを見たとき、わしはピンとひらめいた。自然に存在する『量子的揺らぎ』を人工的に拡大させればよいのだ、と。

そうすれば、アラメキアが実空間に現れる全てのチャンスにゲートを開く事ができるというわけだ。わしが今回発明した『真・転移装置』は、まさにその揺らぎを人工的に拡大する装置なのだ!」

 完璧な解説に満足し、ふと見やると、ゼファーもヴァルデミールも、実験をずっと見てきたはずのユーラスまでが、目を点にしている。

(ふふふ。これだけの錚々たる美男が、そろいもそろってアホ面をさらしているところを見られるのが、科学者の醍醐味というものだわい)

 天城博士は、心の中ですっかり悦に入った。

「つまり要するにだな。今まで七年に一回しか開くことができなかったアラメキアへのゲートが、これからは月に二回開くことが可能ということだ」

「す、すごい」

 ヴァルデミールは、ようやく博士の発明の素晴らしさを理解して、身震いした。

「月に二回、助手さんがミョルニョルの雷撃の力を送ってくれれば、この装置を好きニャだけ使えるんだね」

「まさに、その通り」

 天城はうなずいた。

「ただし、実用化までには、まだ実験を重ねなければならぬ。いきなり人間を送るわけにもいかぬから、まず動物で実験することになろう。マウスか……もう少し大きな動物がよいかな」

 ヴァルデミールは、はっと身を固くした。

「次の実験はいつになるのだ」

「アラメキアの助手に送った伝言では、地球時間で二週間後の金曜日正午ということにしておる」

「ふん、土日にしてくれたら小学校が休みなのに。余が見られないではないか」

「しかたないだろう。ゲートが安定して存在しうる時間は、今の技術では……」

 ユーラスと博士の会話を聞きながら、ヴァルデミールは一心不乱に考え込んでいた。

「ヴァルデミール?」

 ゼファーが、従者の思いつめた様子に気づいた。

「あの、博士」

 おずおずと、若者は申し出た。

「その実験に、わたくしを使ってくれニャいかニャ?」

「ええっ」

「……一日も早くアラメキアに……帰りたいんだ」



 赤く色づいた公園の木の葉がはらはらと落ちる早朝の光の中を、ヴァルデミールはゆっくりと歩いた。

「あ、こないだの素っ裸の兄ちゃん」

 いつもの路上生活者が、新聞にくるまって寝ていたベンチから起き上がり、彼に声をかけた。

「先だっては、お世話にニャりました」

 ヴァルデミールは、ぺこりと頭を下げた。

「ひとこと、おじさんにお礼を言ってから行きたいと思いまして」

「どっかへ行くのかい?」

「はい」

 ヴァルデミールは、にっこりと笑った。「とっても遠い遠いところニャんです」

「……そうか、元気でな」

「はい。おじさんもお元気で。あ、それから、ここでよく寝ている、けばけばスカートのおばさんに会ったら、よろしく伝えてください。――それともうひとつ」

 とても重要なことを言う、もったいぶった調子でヴァルデミールは声を落とした。

「相模屋、相模屋のお弁当です。もしおじさんが社長さんにニャったら、社員全員に買ってやってくださいね」

「あはは、そんなもんに一生なれるかよ」

 公園を出ると、ヴァルデミールはゼファーのアパートに向かって歩いた。

 どこもかしこも、まばゆいほど色とりどりの秋に輝いている。けれども、そんな美しい風景も目に入ってこない。

 もう会えない人と同じ空気を吸っていると考えるだけで、身が切られるように痛いのだ。

 瀬峰家では佐和が大きな鮭のおにぎりを握って、二つずつ竹の皮に包んでくれた。

「向こうに着いても、家までは遠いのでしょう。三日分のお弁当を作っておいたわ」

 涙が出そうになって、あわてて床に両手をつく。

「ありがとうございます。奥方さま。長いあいだお世話にニャりました」

 そのそばでは雪羽が目を泣きはらして、グスグスとすすりあげている。

「どして……ヴァユ……雪羽をおいて、行っちゃうの」

「ごめんニャさい。姫さま」

 とうとう我慢していたものがあふれ出て、手の甲にぽろりと一滴落ちた。

「だいじょうぶよ、雪羽。ヴァルさんはすぐに帰ってくるわ。ね、そうでしょ、ヴァルさん」

「は……はい」

 それまで、じっと黙っていたゼファーが、口を開いた。

「相模屋の会長と社長のところには、別れを言いに行ったのか」

「……いいえ」

「あれだけ世話になったのに、いとまも告げずに行くつもりか」

「お言葉ですが……」

 ヴァルデミールは、水の足りない草のように、うなだれた。

「わたくしは、申し訳ニャくて、とても社長に会わせる顔がありません」

「なぜだ」

「だって社長は、『私の気持を返せ』っておっしゃいました。わたくし、お金は1625円しか持っていませんし、一体どうやって社長に気持をお返ししたらいいのか、いくら考えてもさっぱりわからニャいんです」

 それを聞いた佐和は、ぷっと吹き出した。

「いやだわ、ヴァルさん」

 晴れやかな佐和の笑い声に、ヴァルデミールはぽかんと顔を上げた。

「何か、おかしいですか」

「理子さんの欲しいものって、もっと、とても簡単なことなのよ」

「ええっ」

「気持には気持を、心には心を返せばいいの。理子さんは、あなたの本当の気持が欲しいだけなのよ」

「ど、どういうことですか。ますますわかりません」

 ヴァルデミールは、おろおろするばかりだ。

「とにかく、理子さんのところに行って、ヴァルさんが思っていることを全部しゃべってごらんなさい」

「わ、わ、わたくし、いったい、ニャにを思ってるんですか?」

「いいから、早く行きなさい!」

「は、はいっ」

 ヴァルデミールは、あたふたと転げるようにして、走って家を飛び出した。

「佐和」

 ゼファーは苦笑しながら、妻の肩に腕を回した。「そういうことだったのか、あのふたりは」

「ええ、そういうことなのよ」

 雪羽は、両親の間に交わされている笑顔を見てすっかり安心し、つられたように、にっこりと笑った。

「そーゆーことだね」



 相模屋弁当工場まで全速力で駆けてきたヴァルデミールは、ぜいぜいと息を切らしながら理子を捜し回った。

 工場にいないと知ると、相模家の玄関でドアのチャイムを鳴らそうとし、またウロウロとためらった挙句、ようやく、力の限りボタンを押した。

 たっぷり一分ほどの間があってから、ドアが開いた。

「何の用だ」

 幽霊のように蒼ざめた理子の顔が、ドアの隙間からのぞいた。

「あの……実は、ふるさとに帰ることにニャって、ひとことお別れを……」

「そうか」

「あの……会長は?」

「おまえが出て行ってから、ずっと寝込んでいる」

「ええっ」

 ヴァルデミールは思わず玄関に駆け込みそうになったが、理子がキッと眉を吊り上げ、ふくよかな体で押し返した。

「入るな。おまえが故郷に帰るなどと聞いたら、ますます具合が悪くなる」

「あ……はい」

 ヴァルデミールはしょんぼりと肩を落とした。「会長にお元気でと、お伝えください」

「……誰が伝えるか」

「さようニャら。お世話にニャりました」

 理子の冷やかな視線を背中に浴びて歩き始めたが、佐和に言われたことを思い出して、振り返った。

「あの、社長……」

「なんだ」

「ひとつだけ、お話したいことがあります」

「……言ってみろ」

「わたくしの気持のことです」

 ヴァルデミールは、勇気を出して、ぐっと顔を上げて理子を見た。

「わたくしは、日ニャたぼっこするのが大好きです」

「はあ?」

「でも、同じ日ニャたぼっこと言っても、気に入った場所とそうでニャい場所は、全然違います。冬は風が当たらニャくて、ちょうどいい具合にあったまった車のボンネットの上や、いい匂いのする枯れ葉の上は、とても居心地がいいんです」

 そして大きく息を吸って、吐いた。

「わたくしにとって社長は、日ニャたのお気に入りの場所みたいでした。そこにいると、ふわふわして、あったかくって、懐かしくって……いつか来たみたいで、いつまでもいたいと思える場所でした」

 理子は目を見開き、たちまち頬を赤く染めた。

「社長が魔族のわたくしを見て、とても怖がっておられるのを見て、わたくしは、とても苦しかったです。もう、ここにいてはいけニャいのだと思いました」

 彼は、ぐしっと手の甲で涙をぬぐった。

「わたくしのこれっぽっちの気持では、社長の大切な気持をお返しできニャいことはわかっています。でも、それでもお礼が言いたかったのです。美味しいお弁当を作ってくださって、家に泊めてくださって、ありがとうございました。……さようニャら」

 そこまで言って頭を下げたヴァルデミールは、首筋をむんずと掴まれたのを感じた。

 靴を脱ぐ暇もないまま、理子に廊下をずるずると引きずられ、気がついたときは、居間のソファの上に投げ出されていた。

「ここで、あのときと同じことをやってみろ」

 叫ぶ理子の顔は、苺のように真っ赤だ。

「あのとき?」

「私の目の前でもう一度、あのときのように猫に変身してみせろ。あれが手品じゃないことを証明しろ。そうしたら、おまえの言うことを信じてやる」

「で、でも」

 彼女の剣幕に、ヴァルデミールは震え始めた。

「怖くニャいんですか。またわたくしのことを、『化け猫』って呼ばニャいですか?」

「呼ばニャい!」

 理子は動転しきって、言葉が移っていることも気がつかない。

「だから、おまえが嘘をついていないことを見せてくれ」

「わかりました」

 ヴァルデミールは意を決して、ぐっと息をつめると、目を閉じた。

 彼の体はみるみるうちに縮み始めた。顔からはピアノ線のようなヒゲが生え、浅黒い肌は黒い艶やかな毛で覆われた。

 理子が瞬きも忘れている間に、からっぽの男物の服の下から、おずおずと這い出てきたのは、一匹の黒猫だった。

「にゃあん」

 猫は理子にすりよると、ピンク色の舌で彼女の手をぺろりと舐めた。

「……嘘だろう」

「にゃあ」

 猫はぶんぶん首を振った。

「こんなの嘘だ。もしおまえが本当にヴァルなら、お座りをしてみせろ」

 ヴァルデミールはすぐさま後ろ足を畳んで、ソファの上にちょこんと座った。

「その場で、くるりと回ってみろ」

 回った。

「踊ってみろ」

 踊った。

「ほんとうに……」

 理子はとうとう猫を抱き上げると、ぎゅっと力のかぎり胸に抱きしめた。

「おまえなんだな――ヴァル。私が嫌いで、嘘をついていたわけじゃなかったんだな」

 ヴァルデミールはその瞬間、自分の言いたいことがはっきりとわかった。でも猫に人間のことばが話せるはずはない。

 理子の胸に顔をすりつけながら、彼はもう一度目を閉じて、人間に変身した。

 そして、ゆっくりと顔を上げて、理子を見た。

「社長。わたくしは社長のことが大好きです」

「ヴァル……」

 理子は、赤い眼鏡の奥でぼろぼろ泣いていた。

「私もだ。ヴァル。おまえのことが大好きだ」

 そのときちょうど、居間の引き戸が開いた。

「ヴァルが来ておるのか、理子……」

 『相模屋弁当』の創業者、相模四郎が見たものは、ソファに座って泣きじゃくっている娘と、その胸に抱かれている全裸の若者だった。

「……邪魔をしたな」

 するすると引き戸が閉まった。

「社長」

 ヴァルデミールは伸び上がって、理子の目から伝い落ちる涙をぺろりと舐めた。そして、唇にちょんと自分の唇を押し当てた。

 たちまち理子は、へなへなとソファの上に崩れ落ちてしまう。

 ゼファーが、どんなにアラメキアに帰りたくても地球にいる理由、佐和のそばから絶対に離れない理由が、ヴァルデミールにはわかったような気がした。

 ここはアラメキアよりも懐かしくて、暖かい。ずっと捜していたけれど来られなかった場所に、彼は今ようやく、戻ってきたのだ。

 不意に胸が熱くなり、四つんばいになって、もう一度理子の唇に触れようとした。だが、今の自分の恰好の、あまりのはしたなさに気づいて、ますます頭に血が昇ってしまった。

 そして――

「にゃあん」

 理子の胸には、ふたたび一匹の黒猫が抱かれていた。



「……というわけで、すみません、実験台にニャれなくなってしまいました」

 その夜ヴァルデミールは天城研究所に行き、平身低頭してあやまった。

「せっかくアラメキアとの同期も成功して、スタンバイしておったのに、送られてきたエネルギーが無駄になってしまった」

 天城は実験を台無しにされて、ぶつぶつと怒っている。

「まあよいではないか」

 ユーラスは取り成すように言った。

「それで、社長とは少しは進展したのか」

「し、し、進展ニャんて」

 浅黒い肌を耳たぶまで赤くして、大慌てで否定する。

「そんニャわけありません。……ニャにしろ、いざというときに限って、猫に戻ってしまうんですから」

「わはは」

 天城とユーラスはお腹を抱えて大笑いした。

「笑いごとじゃありません!」

「まあ、せいぜい頑張ってくれ。それより、明日からまた弁当を届けてくれるな。もうカップラーメンの毎日はこりごりだ」

「もちろんです。毎度ありがとうございます」

 ヴァルデミールは、「じゃあ、シュニンに報告してきます」と満面の笑顔を残して、帰っていった。

「なんだかんだ言って、幸せそうだな、ヴァルのやつ」

「ああ」

 ユーラスは、彼の後姿が遠ざかる夜道を、窓からながめた。

「魔族と人間の恋――うまくいくと思うか、アマギ」

「まあ、前途多難であることは確かだが、こういうことは、ヴァルのように、あまり考えすぎない奴のほうが、うまく行くものだて」

「そうかな」

「色恋など、くだらぬ。明快で美しい科学の世界に住むわしには、およそ遠い世界だ」

「余も同じだ。うるさくてわずらわしい女どもには、当分関わりたくもない」

「だが……ちょっぴり、うらやましくもあるな」

 祖父と孫はちらりと視線を合わせ、自嘲するように笑った。




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