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ねじねじゴーレム



「暑い」

 工場を一歩出ると、真昼の太陽がじりじりと地上のものすべてを焦がしていた。

 コンクリートの地面は、仕返しとばかりに空に向かって熱気を吹き上げ、花壇の草はその熱気に煽られて、ちりちりと萎れている。

 工場内も暑いが、それでも外気よりはまだマシだ。熱を放出する巨大な機械がたくさんあるため、エアコンがフル稼働している。

 それだけで莫大な光熱費がかかる。

 業績がよくない会社にあって、一円でも無駄な出費を節約することは、製造主任であるゼファーの仕事である。だが、いったいどこから手をつければいいのかと悩む毎日だ。

 本当はゼファーは、エアコンの冷気があまり好きではない。人間が機械で作り出した涼しさは、木々を渡ってくる夕風の涼しさとは、まったく違う。

 空気が、どこか無理をして干からびてしまったという肌触りをしている。

 だがエアコンを止めれば、大気も太陽も、人間に敵意を持って襲ってくる、という気分になる。

(アラメキアの自然そのものが、少しずつ異変をきたしていると、ユスティナは言っていた。だが地球も、それと同じなのかもしれん)

 青すぎる空に目を細めながら、ゼファーは思った。

「この暑さで僕のアパート、とうとうエアコンがイカレちゃったよ」

「うちは冷蔵庫だ。氷ができねえから、たったひとつの楽しみの焼酎ロックにならねえんだ」

 従業員たちの会話が聞こえる。

 どこの家庭も、この暑さで特別な出費が強いられているようだ。

『ボーナスが少しでも出せればいいんだがなあ』

 今朝、事務室で坂井社長が頭をしきりにこすっていた。だが、魔法のランプならぬ禿げ頭からは、何も出てくるはずはない。

 坂井エレクトロニクスでは、この二、三年夏のボーナスは出していない。冬は、田舎に帰省する工員たちを気遣って、「餅代」だと二万円ほどを支給している。

 だがそれも、坂井社長が生命保険を解約して自腹を切っていたのだと、後でわかった。

 今年の夏は、それに比べれば多少の余裕はある。天城博士の発明した【全自動高速乱切り機】が、少しずつ売れているためだ。

 だが、それでも相変わらずの苦しい経営であることに変わりはない。

『金庫にある金を使えば、出せないことはないんだが』

『やめておけ。どうせ月末になれば、また資金繰りに苦しむことになるんだろう』

 ゼファーの指摘に、社長は苦笑いをこぼした。

 確かに今の会社にとって、経営を立て直すことが先決で、賞与などは夢のまた夢だった。

 一応反対はしたが、ゼファーも内心は彼らにボーナスを出してやりたいと思っている。

 薄給にも愚痴ひとつ言わず、どんな無理な残業でもこなしてくれる52人に対して、たとえわずかでもいいから、その労に報いてやりたい。

 だが、そのために新たな仕事を取ってきて残業を強いるのでは、意味がなかった。今の資金繰りでは、余分な原材料を仕入れることもできない。

 なんとかならぬものか。

 思案に暮れているゼファーに、資材係の重本が近づいてきた。

「主任、ちょっと」

 彼の「ちょっと」には、いつもひやりとさせられる。だが、今日は少しばかり違った。

「これを見てくれよ」

 資材倉庫に入ると、重本は片隅で埃をかぶっているダンボールの山を指差した。

「全然使ってねえ古いボルトやナット類が、いっぱいあるんだ。場所ふさぎだけど、捨てるに捨てられねえし。いったいどうしよう」

 ダンボールを開けて中身を確かめると、ゼファーは顔を上げた。

「返品処理は?」

 重本は頭を振った。

 これを製造した部品メーカーは二年前に倒産してしまったのだ。だから、返品が利かない。

 かと言って、今の工程ではまったく役に立たない部品ばかりだった。在庫帳簿を確認すると、各種三千個ずつはある。

 ナイロンの袋にぎっしりと詰められた小さな部品をじっと眺めていると、ゼファーの頭にひとつの考えが浮かんだ。

 もし、この不要部品をうまく有効活用して、新しい製品を生み出すことができれば。



「おかえりなさい」

「おかえりなしゃーい」

 家に帰ると、佐和が家計簿とにらめっこしている。

 雪羽があせもだらけになってしまったため、去年の夏、瀬峰家ではとうとうエアコンを買った。そのローンと電気代が、この夏も家計を圧迫している。

 だが、夜も眠れずに痒がる雪羽を見れば、そんな浪費は何でもないことのように思えてしまうのだ。

 雪羽といっしょに風呂に入り、幼稚園で習い覚えた童謡を全部聞かされる。風呂上りには、タオルでよく拭いた身体にパウダーをはたいてやる。

「もうどこも、かゆくないか」

「うん」

 もともと色白で、夏でも全然日焼けしない雪羽の肌は、粉のせいでますます白く、透き通るように見えた。

 四月から公立の二年保育に通い始めた娘は、他の園児たちとは、どこか違っていた。

「言うことが変」

「普通の子どもらしくない」

 という声が漏れ聞こえてくるたびに、佐和が気をもんでいるのがわかる。もちろん、雪羽の前では、不安な様子は決して見せないように努めているらしいのだが。

 夕食の支度が整うまでのあいだ、ゼファーはカバンの中から、茶封筒に入れて持ち帰ったボルトやナットを取り出して、眺めた。

 工員たちにも相談してみたが、これを再利用するというのは、かなり難しそうだった。そもそもが、材質が悪いので次第に使われなくなった部品なのだ。

 いつのまにか雪羽が隣にちょこんと座って、しげしげと見つめている。

「これ、なあに」

「工場で使う部品だ」

「これ、ゴーレムのおめめ?」

 六角ナットをふたつ手に取って、雪羽は自分の目にかざしてみた。

「それで、これはゴーレムのお手手」

 アイナットと呼ばれる先の円い部品を卓袱台の上に置き、六角ナットの下に並べた。さらにボルトやワッシャーやコイルばねを次々と並べていく雪羽の手の下には、みるみるうちに小さな人形が出来上がった。

 少女は満足そうに笑った。

「ね、ゴーレムができたよ」



 天城の研究室では、ナブラ王ユーラスが山のような宿題を前に、うめいていた。

「確か教師は、9月まで休みだと言ったぞ。だが、これでは勉強場所が家に変わるだけで、全然休みになっていないではないか。おまけに『自由研究』とは何なのだ。なぜ自由だと言っておきながら強制する」

「ばかもの。いつまでもぐだぐだ言ってないで、せめて夏休みに勉強の遅れを取り戻さんで、どうする」

 ユーラスとアマギは、今では誰が見ても、長年暮らした孫と祖父そのものだった。

 その傍らで、弁当を届けに来たヴァルデミールが膝を抱えて、ほおっと大きな溜め息をついた。

「なんだ、おまえでも溜め息をつくほどの悩みというものがあるのか」

 ユーラスがからかう。

「溜め息をつきすぎて、身体が軽くニャった気がするよ」

 ヴァルデミールは、物憂げに答えた。「ニャにをする気も起こらニャい。塩鮭も一切れ食べられニャいんだ」

「そいつは、重症だぞ」

 天城は、ペン立てに差してあったネコじゃらし草を、ふるふるとヴァルデミールの前で振ってみせた。

「にゃっ!」

 とうとう我慢できずに、両手で飛びついたヴァルデミールに、ユーラスと天城は大笑いする。

「おまえの悩みなんて、どうせこの程度だ」

「ひ、ひどーい」

 ヴァルデミールは元通りに膝をかかえて、すっかりスネてしまった。

 研究室がしばらく、しんと静まり返った。ユーラスが口を開いた。

「聞いてやるから、話せ」

「スズメが二羽いると、思いニャよ」

 ヴァルデミールは、待ってましたとばかりに、口の中でもごもご言い始めた。

「一羽は、とてもきれいなスズメなんだけど、まだヒナで小さい。一羽は少々食べごろが過ぎてるんだけど、ころころに太って柔らかい。あんただったら、どちらを選ぶ?」

「なんだ、それは」

 ユーラスは、目をむいた。「余はスズメなど食したことはない。そんな問いに、いちいち答えられるか」

「じゃあ池の鯉が二匹いて……」

「池の鯉も食したことはない!」

「ははあん」

 さすがに年の功だけあって、天城にはぴんと来た。

「おまえもお年頃というわけだな。ヴァル――女のことだろう」

 言い当てられて、とたんに純情な若者は浅黒い肌を真っ赤に染めた。

「そ、そうはっきり言わニャいでほしいニャ」

「つまりは、好きな女がふたりいると」

 ヴァルデミールは、観念したように、こくんとうなずいた。

「ひとりは、とても大切なお方で、わたくしには絶対に届かニャい高嶺の花で、でも見ているだけでドキドキして幸せニャんだ。……もうひとりは、見てても全然ドキドキしニャいけど、あったかくて、ほわほわしてて」

 ヴァルデミールの言っているのが、雪羽と相模理子だということは、天城にはすぐにわかった。伊達に結婚経験があるわけではないのだ。

「どちらも好きで、どちらを選べばよいかわからんのだな」

「……」

 天城は、もう一度ネコじゃらしを手に取り、ふるふる振った。

「にゃおん」

 ヴァルデミールは間髪をいれずに、また飛びつく。

(こいつの辞書に、忍耐や待つなどという文字はないな。さだめし、目の前に餌がぶらさがれば、すぐに飛びつくことだろうて)

 にやにやしながら博士が考えていると、研究室の扉が開いた。

「シュ、シュニン!」

 話題が話題だっただけに、主人の出現に従臣はあたふたと慌て始める。

「どうニャさったんです。こんニャむさくるしいところへ」

「おまえに言われたくはない」

 ユーラスは不機嫌に言うと、入ってきたゼファーの前にゆっくりと立ち上がった。

 かつての敵同士、魔王と勇者。ふたりは互いを今でも警戒しているが、しかし同時に尊敬もしているのだ。

「邪魔をする。ナブラ王」

「何の用だ、魔王」

 ゼファーは、持ってきたダンボールをどんと作業台に置いた。

「これを見てくれぬか、天城博士」

 中には、不要品のボルトやナットの一部が、ぎっしりと詰まっていた。

「なんだ、これは」

「この部品を元にした機械を、何か考えてもらいたいのだ」

「たったこれだけでか」

 天城は白いあごひげを引っ張った。

「こんなものは、ただの外側の部品にすぎぬ。中心に据える電子基板や半導体がなければ、機械にはならん」

「――だろうな」

「こっちのは?」

 ユーラスが横から手を伸ばしてきた。部品の一番上に、手のひらほどの人形が乗っている。ボンドで張り合わせただけらしく、触ると継ぎ目がぐらぐらした。

「ああ、それは『ねじねじゴーレム』だ」

 ゼファーは笑いをこらえるような表情になった。

「ねじねじゴーレム?」

「ああ、昨日の夜、雪羽が作って命名した」

 ゴーレムとは、魔族がしもべとして使役する石の人形で、魔力を動力として動く。

「確かに、ゴーレムそっくりだな」

 ユーラスは、そのボルト人形をいとおしげに撫でた。「おまえの娘は、アラメキアのゴーレムを見たことがあるのか」

「いや、一度もない」

「不思議だな。なぜ、見たこともないものを、これほど似せて作れるのだろう」

 確かにそれは、ゼファーもいつも不思議に思うことだった。地球で生まれ育った雪羽に、アラメキアの記憶があるはずはないのに。

 ねじねじゴーレムをじっと眺めていたユーラスの顔に、突然、喜色が現われた。

「そうだ。余の夏休みの自由研究は、これに決めたぞ」

「自由研究?」

「魔王よ。この部品、いくつかもらう。赤や黄に色を塗り分けて、いろいろな姿勢を取らせる。――知っておるか? この世界では、戦いの大将は赤を着ると、相場が決まっておるらしいぞ」

「やれやれ」

 ゼファーはがっかりして、頭を掻いた。

 ボーナスの資金を稼ぐために役立てようと考えていた部品は、どうやら小学校の工作の材料になりさがってしまったようだ。



 ところが、ゼファーのこの考えは少々間違っていた。

 数日が過ぎたころ、工場にいた彼のもとに、興奮したユーラスの電話がかかってきたのだ。

「あの鉄の材料を、あるだけ全部、研究所に持ってこい!」

 あわてて駆けつけると、天城の研究室ですでに、ユーラス、天城博士、ヴァルデミールが勢ぞろいし、作業台にボルトやナットを広げて、ハンダづけをしていた。

「この、ねじねじゴーレムは売れるぞ」

 九歳の勇者は、勝ち誇ったように叫んだ。

「余が作ったものを、学校の登校日に持っていった。あっというまに学校中で評判になり、欲しいという者が続出した。もしやと思い、おまえの従者に、これを売る店を捜させたのだ」

「相模屋弁当が弁当を納めてる駅の売店やコンビニに、試しに置かせてもらったんです」

 ヴァルデミールも、目をきらきらさせている。

「そしたら、一日で売り切れてしまって、次の納入はいつかと矢の催促ニャんです」

「『ねじねじゴーレム』を、さっそく登録商標として出願しておいたぞ」

 天城が抜け目なく、にやりと笑う。

 それから毎日、四人は仕事以外の時間をすべて使い、『ねじねじゴーレム』を作り続けた。

 『ねじねじゴーレム』の可愛さが口コミで知れ渡ると、注文が殺到し、作っただけ飛ぶように売れてしまった。

 三千個がすべて売り切れたのは、わずか一ヶ月後のことだった。



「なんだって?」

 出勤して工場の事務室に入ると、ゼファーはとんでもない事実を知らされた。

「売り上げはたった60万?」

「だって」

 会計担当の事務員は、申し訳なさそうに帳簿を見せてくれた。

「一個200円の商品が三千個ですよ。どう計算したって、60万円にしかなりません」

 ゼファーはがっくりとソファに座り込んだ。

 一ヶ月、昼夜ぶっつづけの手作業で作り続けたのに。

 そもそも小学生であるユーラスに、最初に値段を決めさせたのが悪かったのだ。200円なら、確かに安さゆえに売れるだろうが、普通に作れば採算割れだ。

「おまけに、梱包やラベルなんかの諸経費もかかっていますから、差し引き……」

 53万円。これは、社長やゼファーも含めた従業員全員が、ちょうどぴったり1万円ずつ貰えるだけの額だった。

「あはは」

 脱力して、無性に可笑しくなったゼファーは、ソファにひっくりかえって大笑いした。

 やはり、タダ同然の部品で大儲けしようだなんて、それほど世の中は甘くはないということか。

「あのう。次に売るときは、もう少し単価を上げてみてはどうでしょうか」

「残念だが、そうもいかない」

 あの部品を製造していた会社は、もう倒産してしまった。二度と同じものは手に入らないということだ。不思議なことに、いくら工夫しても、あのボルトやナットでなければ、アラメキアのゴーレムにそっくりな可愛い人形は作れなかった。

 『ねじねじゴーレム』は、ひととき、この地域の人々に熱狂的に受け入れられ、そして幻のように消えてしまったのだ。

 坂井エレクトロニクスの従業員たちに、焼け石に水のボーナスを残して。



 残暑がまだ厳しい八月の終わりの夕方、瀬峰一家は連れ立って家を出た。

「やっぱり、はんばーぐ!」

「ハンバーグにするの?」

「やっぱり、おむらいす!」

 雪羽は両親の腕のあいだで大はしゃぎだ。

 出たばかりの1万円のボーナスをはたいて、ファミレスへ夕食に行くことにしたのだ。ヴァルデミールは一足先に天城博士と悠里を迎えに行き、向こうで落ち合うことになっている。

 たとえわずかな金額でも、ボーナスを出せた。坂井社長や従業員たちの満面の笑顔を思い出すと、ゼファーは心地よい疲労と、しみじみとした充足感を覚えていた。

 だが同時に今度のことで、自分が営業に関して何も知らなかったことも、つくづく思い知らされた。

 いい製品を作っても、必ずしも成功するものではないのだ。販路の開拓。適正な価格設定。買う側の要求を適確に汲み上げるフィードバック。

 今まで会社に欠けていたものが、おぼろげにわかったような気がする。

 気がつけば、夕方の風が、ずいぶん涼やかに感じられる。暑かった夏も、もう終わりだった。

「うーんと、やっぱりね、雪羽、しゃけのおにぎりがいい!」

 ゼファーと佐和は、顔を見合わせてほほえんだ。

 雪羽のポシェットには、『ねじねじゴーレム』が、歩くたびにカチリカチリと揺れていた。

 




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