第37話 別離
地上と中層で殖えているギードヌは、基本的には同じ種類の物のようだった。鋭い棘や樹皮の特徴が一致していた。
ギードヌはとても硬いが、松明などにも使用できるくらいの可燃性がある。
なので、森につけた火も、すぐに燃え広がるはずだった。
しかし、中層と地上では木以外の環境があまりに違っており、そこが盲点だった……。
ペペロンチーノがその事に最初に気づいたのは、灼熱の渦奔流を使ってさっそく火付けを始めようとした時。
彼女の手のひらから放たれた業火により、辺りは一瞬まばゆい光に照らされた。
その時、ギードヌの枝の幾つかの表面に、まるで何かで濡れているような光沢を確認できたのだ。
それが気になったペペロンチーノは、棘の枝をじっくりと観察する。
すると、その枝から何となくいい匂いがしているのに気が付いた。
実は、ギードヌの表面に付着していた液体には血に近い成分が含まれていた。
それらは中層の魔物に殺された冒険者たちのものや、上層から迷い込んできた弱い魔物に由来するものだった。
周りの森の地面や木々などにも、そういったいい匂いは染みついているようだった。
上層では、植物の匂いの方が遥かに強かったため分からなかったが、よくよく五感を研ぎ澄ませてみればこのダンジョンはずっと血のような匂いで満ちている。
しかしだ。植物だらけの自然地形型で、どうしてそのような吸血鬼の喜ぶ香りがするのか。
それはペペロンチーノには皆目見当もつかなかったが、とにかくこの赤黒い液体が付着している所は湿り気が強く、燃え方があまり良くなかった。
彼女は、自分の気づいたことを、まだ近くで作業をしていたラザルスにも伝えた。
「ラザルス君っ なんか枝が血みたいなもので濡れてる所があるの。そういう所は火が付きにくいから避けた方がいいと思う」
「血ッ?!うげッ、ここのギードヌには血がついてるのか?」
「うん。たぶんそうだよ」
「わ、分かりました。暗くて見にくいけど、なるべく善処する」
その後、二人は二手に分かれて森に火をつけて回った。
その際にペペロンチーノは灼熱の渦奔流を、ラザルスは魔法が付与された炎の剣を使用した。
森の中心ではクライシスやマルティ、ダリアの三人が魔物を引き付けてくれている。彼らのためにも、早々に火計の準備を整えねばならなかった。
しかし何度も魔法を連発しているのにも関わらず、森に火の手はなかなか回らなかった。
「どうして! このままじゃ、間に合わないよ……」
ペペロンチーノは焦りを感じていた。それに気づいて、彼女は自分にこう言い聞かせた。
(ダメだよペペロンチーノ!想定外のことが起きても取り乱してはいけない。そうクライシス様に教えてもらったんだもん)
だがそうはいっても、予定していた作戦の完了時間はとっくに過ぎていた。
そして森の燃焼箇所は、まだ三分の一にも満たない。
その頃、ラザルスも現在の作戦が失敗するかもしれないという危機的状況に気づいていた。
それまで別の場所で火を付けていたが、様子が気になって近づいてきた。
「あのさ、なんかマズい状況じゃないか? 全然森が燃えていないような気がするんだけど」
「うん、マズイと思う。でも本当になんで? ちゃんと一本一本の木に火はついてるのに……」
「うーん…… たぶんだけど、ダンジョンの中って事が関係しているんじゃないか?」
「え?それってどういうこと」
「要するに、ここには太陽の光が差さない。だから光合成に必要な葉が付かない。そのせいで、隣り合う樹木の接触面積が少ないから、火が燃え移りにくいんじゃないかな」
「んへぇ、そうなんだー??? せっしょくめんせきぃ???」
するとその時、クライシスの所から駆けてきたマルティ達が二人の元に到着した。
「マルティ? なんで。マスターと一緒に魔物と戦ってるんじゃ…… ねえ、マスターは無事なの?」
「クライシスさんはまだ戦ってるっス。森への放火が遅れてるみたいだから、アタシたちだけこっちに手伝いに来たんスよ」
「そ、そうだったんだ」
「ハァー、マジで何やってるんスか!そっちの二人がチンタラしてるせいで、アタシ達みんな大ピンチっスよ。ねえ、一体何があったんです?」
「うん。実は……」
そう言うとペペロンチーノは、火付けが上手くいっていない現在の状況について、マルティとダリアに説明をした。
「するとつまり、作戦はもう失敗したって事か?」
話を聞いたダリアははっきりとそう言った。
今更応援にきた二人が火付けに加わったところで、火の勢いをこれ以上どうにか出来るとは思えない。マルティもダリアも更なる炎を生み出す術を持たなかったからだ。
すでに最大火力のペペロンチーノが全力で事に当たっており、それでも事態は改善していなかった。
シンプルに絶望的に思えた。
かといって、魔物だらけの中層から、彼らが脱出するなんてことも出来るはずは無かった。
ただ今だけは違っていた。
クライシスがほとんどの魔物を一人で引き付けてくれていたおかげで、もしもの選択肢も今だけは可能だった。
「事情は分かったっス。でも時間がないからとにかくやらなきゃ。アタシたちも手伝いますから、手分けして火付けを再開しましょう」
「そうだねっ 急がなきゃ」
マルティはペペロンチーノから粉塵爆発の袋を受け取り、二人でまだ火のついていない方向を目指して走っていった。
それを見て、ダリアはこう言った。
「オレ達もいくぞ。オレっちにもさっきの燃える袋を分けてくれ!」
「いやダリア、チャンスだ。今なら二人で逃げられる。今のうちに逃げよう」
ダリアは、ラザルスの思わぬ言葉に驚き、彼の方を振り返った。
「き、聞き間違えだよな。 …まさか、逃げるって言ったのかよっ」」
「ああ、そうだよッ。あんな奴らに付き合ってお前まで死ぬ必要なんかない。さあ、気づかれないうちに安全な上層に戻るんだ」
するとラザルスはダリアの手を引っ張り、森の外側へと誘導しようとした。
だがダリアはその手を振り払い、怒気をはらんだ声でこう叫んだ。
「フざけんな!!! あいつらを見捨てて行けって言うのか?! ラザルスッ、お前どうにかなっちまったんじゃねーのか!」
だがその直後、ダリアは自分の首元をとても強い力でグイっと握り掴まれる感触を味わった。
「馬鹿が!おかしくなったのはテメーだよッ、ダリア!!!」
「っ……?!! ラ、ラザルス?」
ラザルスがここまで感情的になるのを、ダリアは初めて目撃した。
「僕は何も間違ったことは言ってないぞッ! お前はきっと、あの冒険者のあまりの強さに、ビビって我を忘れてしまっているんだよ。しっかりしろよ!!!」
「クライシスに、オレっちがビビってるだと??? まさか……そんなことは…………」
今までダリアにそういった感情は無かった。
だがラザルスに指摘されたことで、自分がクライシスに対して感じていた強さへの憧れや憧憬の中に、畏れも含まれているのではないかと考えてしまった。
実際に殺されかけたこともあった。故に、それはより根拠のあるものになった。
その疑いは小さなものであった。しかしダリアは口を閉ざしその場で思案を始める。
そんな彼にラザルスはこう言った。
「ダリア。あの事も忘れたなんて言わないよね? ダリアは……いや、僕たちは物語に出てくるような英雄になる。そうマリーブ村から旅立つ日に誓ったじゃないか!」
「……英雄。そうだ、オレ達が憧れた世界も救うようなオトギ話の主人公になるために、あの田舎からを出てきたんだ」
「そうだったろ。だからさ、こんな訳も分からないところで死んでる場合じゃないぜ。さあ、ここから出よう」
それを聞いてダリアはうなずいた。
「ああ、分かったぜ」
そういってラザルスは再びダリアの手を取ろうとする。しかしその手は空を掠めた。
その時すでに、ダリアはこちらに背を向けていた。逆に燃え盛る炎の森に歩みを進めていたのだ。
「……英雄になりたいんじゃなかったのかよ!」
「だからこそだよ。ここで逃げたら、きっともうダメなんだ……!」
「はぁ?いつも言ってる事より、余計わけわかんねーよ!」
「後悔するって言ってるんだ。仲間を見捨てるような奴は、絶対に英雄になんかなれない」
「大丈夫だ。 誰も見ていない!バレやしない!」
「違う!!! オレが本気かどうかの話なんだッ!!!」
ラザルスには、ずっと感情論でしか語らないダリアが無策で無謀にしか思えなかった。
だが朧気な理想論に反し、彼の瞳はとても澄んでいた。
恐れや憧憬など、朧気な何かに取りつかれているようにはとても見えなかった。
二人の付き合いもそれなりに長かったので、ダリアにはもう何をいっても通じないと分かってしまった。
「だ、だったら死んでもいいのかよッ!」
「ああ、そうだ。 ……逃げたきゃ一人で逃げてくれ。じゃあな、相棒」
ダリアはラザルスの制止を振り切ると、そのまま先に行ったペペロンチーノ達の方へと去っていく。
もはや彼を止めることなど出来なかった。
そしてラザルスはしばらくその場で立ち尽くしていた後、トボトボと反対方向へと歩き出した。




