19.嫉妬(2)
「っ! ――――なら、最初っから入ってこないでよ。目障なのよ」
リリィは登りきった階段の踊り場で立ち止まった。
急に低い声で早口に言われた言葉が理解できず、思わず聞き返す。
「すみません。上手く聞こえなくって。今なんて――」
「あのね、あたしは聖女候補生になるために頑張ったし、なったあとも凄い努力したの。それなのに今は仕事が回ってこなくて、辞めたあなたにばかり簡単な仕事が回されることが納得いかないのよ」
「え――。でも、それは」
「自分は関係ないって顔しないで。王太子の側近は誰もがなりたくて努力してなるものなのよ。わかる? なりたくもない、挙句簡単な仕事しかしてないとか、そういう人たちが見たらどう思うかしら」
「……」
「教えてあげる。むかつくし、邪魔だし、目障りだし。身の程をわきまえて辞退すべきだって思われているのよ」
ポピィの声に鋭さが増す。
いつも笑顔を絶やさない柔らかな表情が、見る影もないほどに厳しいものに変わっていた。
「ちゃ、ちゃんと難しい仕事もしています」
「例えば?」
「そ、それは、その」
獣人と竜人の話も、妖精の話も、陣で転移魔法を実験していることも。
他言していいのか分からない。
リリィしかできない仕事は全てが極秘の仕事ばかりだ。
「答えられないんだ。図星だからって嘘ついちゃだめよ。まあ、側近になって簡単な仕事しながらアーサー様の側にいられるの、美味しい仕事だもんね。そりゃ辞退なんてしたくないわよね」
リリィのエプロンポケットに入っていたターニアが、気づいてもらおうと足を叩いて合図を送っている。
そのモゾモゾとした動きに気付けたリリィは、顔を上げてポピィに叫んだ。
「わ、私、急いでいますから。お先に失礼します!」
そう言いって話を切り上げて、走り出したときだった。
「ちょっと、逃げる気? 待ちなさいよ!」
ポピィが思いっきり腕をつかんで引っ張ったせいで、リリィはバランスを崩して倒れ込んだ。
今上ってきたばかりの階段に背を向けて、落ちていく。
リリィは、視線の先に立つポピィの険しい顔に目にしたあと、衝撃に備えてぎゅっと目を瞑った。
―― ボスン!
リリィは、想像と違うやけに柔らかいものの上に落ちたことに驚いた。
ゆっくりと起き上がると、そこはアーサーの執務室だった。
ポケットがモゾモゾ動いて、中からターニアが這い出して来る。
「もおおおおおおおお! なんなのですかあの小娘は!」
ヒュンヒュン飛び回りながら怒り散らすターニアと、ソファの上に落ちてきたリリィに驚いたのは、執務室にいたアーサー、ダニエル、ノア、銀、エリオット、ロビンである。
ターニアの叫びは何があったのか聞き取りづらく、リリィは呆然としていて周囲に気付いていない。
「リリィ、なにがあった?」
アーサーの声に、リリィの肩がびくりと震える。
ゆっくりと振り向いてアーサーの顔を見ると、安心したせいでリリィの目からはぽろぽろと涙が落ちた。
「あの、ちょっと、びっくりしちゃって」
「そんな可愛いものではありませんわ! 階段の上から突き落とされましたのよ!」
「ターニア、待って――」
「そもそも、急に怒鳴りだして! 我が主に対してあのような愚行を働く者は許せませんわ」
言葉にしたことで怒りが余計に滾ってしまったターニアを、ロビンが回収する。
ただ、すでに話された内容だけで、居合わせた全員に緊張感が走っていた。
ターニアの言葉が本当なら、リリィは故意に危害を加えられたことになるので、ちゃんと調べる必要があるだろう。
「リリィ、話せそうか?」
「……」
アーサーに問われたが、リリィは未だ混乱したままで首を横に振った。
そうこうしているうちに、事態を呑み込んだ者たちはターニアに続いて怒りだした。
「リリィに危害を加える奴がいるなんて信じられません。今すぐ見つけて僕が成敗してやる!」
「おい待てよ、エリオット。勝手にやめろよな。リリィは怪我してないんだから」
「銀、リリィはお前の主なのに。どうしてそんな悠長なことが言えるんですか!」
「そうですわ! あんなところから落ちたら怪我では済まないかもしれませんのに! 許せませんわ」
「ターニア様、リリィを突き落としたのは誰だか分かりますか?」
「ポピィという女ですわ! ノア、あの者は事あるごとに我が主に余計なことを言ってくるのです! 許せませんわ!」
「ポピィさん!? ――へぇ。男爵令嬢ごときが、へぇ」
周囲の言葉を聞いて、リリィは今起きた出来事が間違いでないのだと実感した。
ポピィの険しい顔が頭から離れず、思わず首を振った。
「少し、落ち着く時間を、ください」
リリィは一生懸命会話を思い出して、なにが悪かったのかを考え始めた。
ただ、どんなに考えても、ポピィが怒るほどの話をしたようには思えなかった。
それよりも、あの顔。
憎しみの籠ったあの目がどこか懐かしく、思い出すだけで心が冷えていくのに気が付いた。
(あの目は、見たことがある)
西の砦に不当に攻撃してきた人たちの顔が、ありありと浮かんだ。
捕虜になった者たちが、リリィに向けてきた目に酷く似ていた。
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