12.ジルバ国滞在記 蔵書室(1)
ダニエルは笑顔を顔に張り付けて、念願の蔵書室の扉の前で、穏やかな雰囲気を絶えず演じた。
その目の前、扉を背にして立つのは、先日出会い頭に悲鳴をあげて走り去ったリーラである。
彼女は少し首をかしげ、顔を強張らせて不満の圧をかけてくる。
(平常心、平常心。彼女に追い出されたら古書にありつけないからね)
刺すような視線に嫌悪感むき出しの空気は肌に懐かしく、ダニエルの振る舞いは自然と緊張感のある完璧な紳士に切り替わる。
つまり、聖アウルム王国の王弟ダニエルが降臨したのだ。
ニッコリと隙の無い笑みを顔に張り付け、最低限の当たり障りのない言葉しか口にしない。
「本日はリーラ様が案内してくださるとお聞きしました。お時間を割いていただきありがとうございます」
「ええ」
「利用方法や注意事項は事前にエリオット君に聞きましたので、出来る限りお手を煩わせないよう過ごします」
「そうですか」
しばしのあいだ、リーラはダニエルを睨みつけたあと、気が済んだのか振り返ってカギを取り出すと開錠した。
扉を開いて彼女に続いたダニエルは、すぐに足が止まる。
「っ!」
ひやりとした空気に、鼻につく独特の香り。柱と本棚は木製で黒塗りの艶めく仕上げを施した様相だ。
壁に埋め込まれた太い柱の間は全て造り付けの本棚で、二階は吹き抜けてその隅から隅まで分厚い背表紙の本がならべられていた。
「置いていきますよ」
呼ばれて視線を戻すと、リーラは大分先まで進んでいた。
彼女は曲がり角の手前で立っていて、この蔵書室には、まだ先があることを示している。
ダニエルは慌てて歩き出し、その広さと量の多さに目を輝かせた。
リーラに続いて角を曲がれば、通ってきた倍以上の奥行きが眼前に広がる。
もちろん、壁作り付けの棚が続き、他に自立した本棚が規則正しく間隔を空けて並んでいる。
「素晴らしいですね」
「この程度で驚かれるなんて、ずいぶん水準の低いお国の出なのですね」
嫌味なリーラの言葉も、いまのダニエルは気にならなかった。
「歴史も浅いですし、知識を蓄えることに重きを置いていませんから、高いとは言えないですね。ここに来ることができたことは僥倖でした」
「そうですか」
「大陸西の書物を、できれば陣に特化したものがある棚を教えていただけませんか?」
「こちらですわ」
リーラに案内され、大体どの範囲がそうなのか聞いたところ、このあたりは全てそうだと言われて途方にくれた。
とりあえず一冊取り出して開けば、古代語らしき文字が並んでいて、さっぱり読めないのだった。
「リーラ様、申し訳ありませんが古代語の学べる本はどちらにありますか?」
「……読めないのですか?」
「お恥ずかしい話ですが、エリオット君に習ったジルバ国語を覚えるだけで出発当日を迎えてしまいました」
リーラの顔は盛大に歪んだのだが、ダニエルは変わらぬ笑顔で頼むのだった。
◇◆◇◆
始終不満げな態度のリーラだが、彼女は意外にも協力的であった。
ダニエルに古代語の習得基礎の本を渡したあとは、探し物を聞き出すと、それに準ずる書物を数冊探し出してくれたのだ。
「言葉が読めずに探そうなどと愚かな。知見のある者に頼るという単純なことすら思いつかないのですか?」
ただし、お小言が山ほどついてきたのだが。
「お恥ずかしい。なにぶん勝手が分からず自らで何とかしようと足搔いていました」
「今から滞在期間中に古代語を習得するなどと無謀です。目的を果たそうという信念が感じられません」
「そうですねぇ」
「それと、あなたが持ち込んだ書物ですが、劣悪すぎて読んでいるだけで頭痛がします」
「そうですか」
リーラの見解にダニエルは凹んだ。
今や一冊のみ手元に残っている本に限らず、今まで読んできたものは、全て劣悪だったかもしれないという事実に傷ついたのだ。
「手に取った本が劣悪では、時間をかけて学んだとて愚かな知識が増えるだけだというのに。お粗末ですこと」
「そうですねぇ」
延々と続くリーラからの悪口で、ダニエルはある人物を思い出した。
自分のことが大嫌いな兄――トマスである。
(うん、彼女の話の持っていきかたが、愚兄にそっくりだ。これは相当嫌われているなぁ)
許すつもりも逃がすつもりもない。けれど仕留める気もなくて。
袋小路に追い込んだ獲物に、気の済むまで感情をぶつけてくるのだ。
ダニエルは納得すると、目の前の古代語学習に全力を向けた。
(どうでもいいんだ。愚兄も、彼女も、どうでもいい。必要なのは滞在期間中に知識を吸収しきることだ)
ダニエルの瞳から光が消える。
すべてを拒絶してやり過ごすのは得意だ。
「もし陣の資料が見つかっても古代語が読めなければ、解読できませんね。短慮ですこと」
「そうですねぇ」
「語学というものも、軽く学ぶ程度では深く意味を理解できませんのよ。お勉強の仕方もお粗末なことをお気づきですか?」
「そうですねぇ」
ダニエルはリーラの言葉を聞き流しながら、本の内容を読みふけった。
暫く絡んでいたリーラだが、ダニエルの様子がやんわりとした拒絶に切り替わったことを悟り、沈黙した。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。
人の気配にダニエルが顔をあげると、エリオットが立っていた。
側にいたはずのリーラはいつの間にかいなくなっていたようだ。
「ダニエル殿、その。大丈夫、でしたか?」
一瞬なにを問われたか理解できず、ダニエルは呆けていたのだが、机を見渡して自分が今いる場所を思い出した。
「あ、ああ。ずっと古代語の勉強に夢中だったから、少々記憶が飛んでいたみたいだ。とても有意義な時間を過ごせたよ」
「そうですか。ならよかった。あ、陣の資料もまとめられたのですね」
「ん?」
エリオットが指さす先には、数枚の紙が置かれていた。
聖アウルム王国の文字で転移魔法陣について細かくまとめられている。
「これで目的は達成したのですか? 明日は僕たちと一緒に国を回れますか?」
「あ、ああ。そうだね――」
ダニエルは置かれていた紙に目を通しながら、エリオットへの返事を出しあぐねいた。
「明日は、どうしようかな」
これらは、間違いなくリーラが用意してくれたのだろう。
嫌われていると思ったが違うのだろうか――。
ダニエルは、珍しく思考のまとまらない頭に戸惑うのだった。
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