5.出発と再会(2)
早朝、二頭の飛竜を連れたエリオットが、王都の郊外へと降り立った。
まだ日の出までは少しだけ時間があり、周囲には誰もいない。
(少し早く到着してしまったかな。遅れるよりはいいか)
楽しみにしすぎて眠れなかったエリオットは、起床刻限の三十分前に我慢できずに飛び起きた。
そのあとも支度を済ませると、さっさと番の飛竜を連れて出発してしまった。
先程から懐中時計を出して時間を確認しているが、分針は不思議と少ししか進んでいない。
飛竜に括り付けてある鞍を確認したり、持ってきたリンゴを食べさせたり。
そのうち、やることがなくなると、地面の土を蹴って時間を潰した。
やっと東の山間の空が明るくなり、太陽が顔を出したとき、ダニエルと銀のやってくる姿を見つけた。
ただ、なぜ二人しかいないのだろうかと、エリオットは首を傾げる。
「あれ、リリィは?」
「体調が悪くなっちゃって、今回は残念だけど行けなくなったって言ってた」
「そう、か。残念だけど、仕方ないな」
しょんぼりと肩を落としたエリオットに、銀は少しだけ罪悪感をもつ。
本当はターニアの様子がおかしくて、行くのを止めにしたからだ。
銀はリリィを説得しようと試みたが、彼女は頑なで、最後には銀ひとりでアーサーの仕事を片付けてくるよう命令してきた。
(あいつ、いっつも流されるくせに、時々すげぇ意思が固いんだよな)
銀がリリィと従者契約してはじめての命令は、城まで行って顔も知らない『ダニエル』という人物へ伝言を繋ぐという無謀なものだった。
そのときもリリィは強い口調で銀を言い負かしていた。
命令となると従うしかないので、銀にはどうすることもできない。
今は、笑って楽しい雰囲気を振りまくしかない。
「いっぱい楽しんで、土産話をしてやろうぜ!」
「――そうだな」
銀の言葉に頷き、エリオットは残念な気持ちを振り払った。
ここから先は、自分が先導し案内するのだ。招待する側として、なにひとつ落ち度のない様に気を付けなければならない。
先ほどから、しげしげと飛竜を眺めるダニエルを鞍に乗せ、エリオットは転換した子犬の銀を抱きかかえると、自らももう一匹の飛竜にまたがり、離陸の合図を出した。
一度空高く上昇し、雲の中を北へと進む。
体に受ける風の抵抗が激しくて、ダニエルは目をぎゅっと瞑って振り落とされないよう手綱にしがみついた。
(これは、――中々厳しいな)
ダニエルは早々に死の存在を近くに感じたが、乗っているだけで連れて行ってもらえるので、ひたすらに耐えた。
プラータ山脈近くまで来るとエリオットが合図をだし、飛竜が急降下する。
「――っ!」
地面近くで、飛竜が翼を煽りその風で勢いを緩める。
ふわりと浮いた体が、ゆっくりと地面に降りた。
「プラータ山脈の麓までたどり着きました。この後は山頂近くまであがるのですが――ダニエル殿?」
「――うん、ちょっと、――まって」
ぐったりと倒れこむダニエルに、エリオットは驚いた。
「エリオット、俺もちょっとつらかったから、ダニエルは大分きついと思うぞ」
懐に入れていた子犬の銀もぐったりしながら抗議してくる。
「そ、そうなのか? これでもきついんだな」
エリオットは、気を遣って緩やかに飛んできたつもりだった。
いつもは飛竜ではなく、己の翼で今の三倍はスピードを出して帰るので余計である。
「なら少し休んでから、山を旋回して上昇しましょう」
地上に降りた銀は、その体を大きくするとダニエルをくるんで冷えた体を温めてやった。
ダニエルは昇天しそうな顔をし、深い毛並みに埋もれて休んだ。
しばらくして二人の体調が整ったことを確認したエリオットは、再び飛竜に合図を出した。
巨大なプラータ山脈を旋回しながら登るのは大分時間を要したが、今度は銀もダニエルも景色を楽しむ余裕がもてた。
聖アウルム王国が徐々に小さくなり、南に広がるノグレー樹海、その向こうには海と地平線までもが現れる。
そのまま眺めているだけで、景色が流れ、東の砂漠地帯とその向こうには、オーロ皇国の建物らしき影までうっすらと見えた。
それらが視界から消え、今度はプラータ山脈の北側に入っていく。
大陸沿いに伸びる険しい山々が遠くまで連なり、眼下には切り立った崖と激しい海流がある。
そこを抜ければ、大陸西の大地があり平野の先には緑と小さな建屋が集まって点在していた。
本の簡単な絵と文字で知っていたことが、次々と視界に飛び込んできて、ダニエルは息することも忘れて、ただ景色を眺め続けた。
山の中腹より上あたりまでくると横穴があり、エリオットは中へと進んだ。一瞬の暗闇の後は、大きく開けた場所に出る。
天井には無数の星空が広がっていた。それが岩壁に埋め込まれた蛍石の瞬きであることを、ダニエルと銀は知らない。
「すっげえな! 洞窟の中に空があるのか?」
「あれは蛍石の魔石だよ。人工で作られた空なんだ。この先の居住区は今だと太陽石が出て昼が投影されているはずだ」
「竜人は空を作るのか!? すげーなぁ」
銀はエリオットの懐で忙しそうに首を振った。なにひとつ見落とすまいと夢中なのだ。
一方ダニエルも、言葉を失いただただ周囲を見回すことに忙しい。
好感触な二人の反応に、エリオットの口角が自然と緩む。
ジルバ国を見てもらい感動してもらえたことで、招待してよかったと安堵したのだ。
人工の空など序の口で、見せたいものはたくさんある。
非公式とはいえ、関係者には話を通して調整し二人に喜んでもらえるように日程も考えてあった。
(きっと、もっと喜んでもらえる)
エリオットは上機嫌で、停留場所に降りるよう飛竜に指示を出した。
降り立ったあと、近くにいた武官に飛竜を預けると、エリオットはダニエルと銀を連れて通路へと入っていった。
通路の壁は、黒曜石を含む岩肌の表面が適度に磨かれ艶を帯び、歩く通行人の姿を映した。
脇には一定間隔で朱色に塗られた燈台が立ち、置かれた紅玉が炎を纏うように光って周囲を明るく照らしている。
「もう少し進むと王宮の一角に出ます。今からは来客室へ案内します」
通路を抜けると、まるで昼間のように明るい場所に出た。
目の前には、ひとりの女性が立っている。
銀色の長い髪に、幾重にも重ねられた薄く白い布の羽織が揺れる。
どこかで香を焚いているのか、あたりには甘い香りが漂っていた。
「エリオットですね。ごきげんよう」
「リーラ様。――ごきげんよう」
予定外の人に遭遇し、エリオットは内心慌てた。
ここから来客室までは、普段なら誰もいないはずなのに。
「今は、友人を非公式で招待しているところです。急いでいますので、これで失礼いたします」
頭を下げ、ダニエルと銀の紹介をあえて避けると、エリオットはその場を離れようとした。
が、リーラはゆっくりと近づいてきて、少しだけ首を傾げた。
その紫の瞳が、大きく見開かれる。
ついで眉間に激しく皺が刻まれ、そこに描かれていた花鈿が、くしゃりと歪む。
「い、いやあああああーーー!」
まるでおぞましいものに遭遇したかのような悲鳴を上げると、リーラは身をひるがえして走り去った。
三人は、リーラの姿が見えなくなるまで硬直していた。
間違いなくあれは拒絶の反応であり、なら相手はエリオット以外の二人しかいない。
「お、俺かな。狼ってジルバ国にはいないのか?」
「いや、獣人は母上を助けてくれた方がいるから、見識はあるはずだけど」
「なら、私かな」
自国でそれなりに嫌われているので、嫌悪の反応には免疫がある。
けれど目の前で絶叫され、逃げ出されるのは初めてであった。
「私は、他国でも嫌われる運命なのかな……」
自分で言っておきながら、ダニエルはその言葉に深く傷ついたのだった。




