0.プロローグ
うだる暑さもとうに去り、明け方は少しだけ肌寒い日が続いていた。
日が昇り陽気な気候に誘われて思わず外に出れば、畑は黄金色の麦が風に揺られ山々は黄色に赤色にと衣替えを済ませた頃合いだった。
「いい天気ね! 気持ちがいいわ」
「そうだな。こんなに落ち着いた生活ができるんだって分かっていたら、リリィを連れてきてもよかったかもな」
与えられた宿舎から少し離れた町に向かって歩いていたアダムとエマは、王都に一人預けてきた娘に思いを馳せる。
「でも、来たばかりの頃は毎日忙しくて余裕も無かったし。それにあの子、凄く周りに気を配るじゃない? 連れてきていたら後悔していたかもしれないわ」
春先に東の砦に移動してから夏が過ぎ、やっと生活が落ち着いたところなのだ。
今日は交代で回ってくる非番の日がめずらしく重なったので、冬支度の買い出しへいくところだ。
「確かにな。こうしてゆっくり会話できるようになったのも夏の終わり頃からだしな」
「本当よ。救護物資の備蓄をそろえるだけで、書類を出せ、理由を説明しろってうるさいったらないわ!」
エマが仕事の愚痴をこぼし始める。こういう場合は、全面的に味方について褒めるにかぎる。
それに、彼女は西の砦の後方支援を取り仕切っていた手腕を持つ猛者だ。
部外者が下手なアドバイスや相手を擁護するようなことをいうものではない。
「それでも、全てやり通したんだろ? 大したものだな」
「当然よ! 全部論破してやったわ。西より豊かなくせに備蓄が碌に揃っていないなんてあり得ない!」
横領に持ち出し、管理不足による経年劣化。用事もないので見向きもされなかった備蓄庫は悲惨であった。
「『持ち出しが記録されていないのに、在庫が無いなんておかしいじゃないですか』って言われたのよ。こっちが聞きたいわよ!」
思い出したせいで腹が立つ。エマは苦虫を噛み潰したような顔をして歯ぎしりをした。
「エマが気づいて対応してくれたから、戦いで負傷したときに手当が受けられるな」
「本当よ! 東の砦の平和ボケは噂以上で恐れ入ったわ」
ひとしきり吐き出すと、エマは落ち着きを取り戻した。そうなると今度は夫の職場環境が気になってくる。
「あなたの方はどうなの?」
「こっちも噂通りだな。とりあえず西から連れてきた部下は他部隊へバラしたよ。やっと統率がとれそうだ」
もともと東の砦にいた部隊は、春先に全員王都と西の砦に配置換えされた。
その玉突きでアダムたちは東の砦へとやってきたのだ。
当初は東の大国同士の開戦に驚きすぎて自分たちの境遇に疑問を持たなかった。が、勢いで東の砦にきてからアダムは思った。
――内情が分からない者だけを新たに配置するなど、正気の沙汰ではない
地形も条件も分からず戦うなど、不利でしかないというのに。
その疑問は、判断を下したゴルド公爵家子息のディランに半ば縋るように相談されて判明する。
『東は長らく平和で安泰の地であったため、正直、兵士というより貴族の次男三男の就職先みたいになっていた。悪事を暴いただけで結構な人数に処罰が下った。残りは悪事すら働く気力のないものばかりしかいなかった』
どれも名家の子息で学歴は良い。最も学歴すら金でなんとかできるので信用できるかは怪しいものではあるが。
『東の砦で戦争がはじまると聞き、ほぼ全員から異動願いがでたこともあって、ならば早めに入れ替えてしまうのが、まだマシだと判断した』
――まだ、マシ……
よりにもよって、そんな理由で危険な賭けに出たことを知りアダムは久方ぶりにショックを受けた。
歩んだ人生が人より少し過酷なアダムは、もう何年も驚いたりしたことがなかっただけに、そんな自分にさらに驚き、そして笑った。
『大変だったんですね、ディラン殿。できることがあれば協力しますよ』
面白すぎて、思わず協力的な姿勢を示した。
というのも、このときアダムはディランが絶対に貴族を優遇するだろうとタカをくくっていた。
アダムは平民出や落ちこぼれ貴族の左遷先と名高い西の砦の統括者である。
貴族出身のディランがそんな奴らを優遇するはずがないのだ、と。
そうとは知らないディランは、アダムの好意的な態度を額面通りに受け取ってひどく感謝した。
『ええ、あなた方全員を呼んだのはそのためです! よろしくお願いしますよ』
その言葉を皮切りにディランは西の砦出身者をあからさまに優先した。
びっくりである。
あっというまに王都から来た部隊と派閥ができてしまったが、人数は西の砦出身者が多くて、数でゴリ押しできるよう調整されていた。
『派閥などどこでも生まれますし、なにごとも強者が勝つ。西の砦の者たちは階級が低いので人数で勝てるようバランスを取りましたから』
はなから派閥ありき、揉め事ありきの采配をしたディランに、アダムは開いた口がふさがらなくなった。
こいつヤバい奴だった! と気づいたものの後の祭りである。
その後、ディランと協力して砦内の体制を整えようと話し合ったのだが、結局彼もまた『戦慣れしていない貴族』なため本当の意味で分かり合えることはなかった。
最後には、状況が落ち着いた体にしてディランに王都へお帰り頂くことにしたのだった。
それらを思い出し、アダムは半目になって遠くを見つめた。
あの後、派閥を解体して風通しを良くするのに大分苦労したのだ。
「あなた、大丈夫?」
「ああ、今はもう大丈夫だ。つくづく部下たちに助けられたよ」
貴族出身の部下が顔見知りを見つけて取り入り、平民出の部下は八つ当たりされても気にせず愛想よく接し続けてくれた。
王都から来た連中も、いざ何かをしようとすると互いに牽制し合ってしまい、どうしたらいいか分からずに困りはてて徐々に態度が軟化していった。
そこを狙って、『一緒に協力して乗り切ろう』と誘ってやると、ついに頼ってくれるようになったのだ。
体制が整った今は、東の大陸に諜者を放って状況を探っている。
いつこちらに戦いの火の粉が飛ぶか分からない。そう考えるとやはり娘は王都に預けておくほうがいい。
「せめて、もう少し王都と行き来がしやすかったらな。今日みたいな日に顔を見に行けるのにな」
「そうね。――でも手紙では元気そうだし。友達もどんどん増えていたわ」
「王都なら変なものに巻き込まれないだろうから、リリィにやっと普通の友達ができて安心だ」
きっと心配するだろうと、リリィは銀やエリオット、ターニアにロビンの種族は伏せて手紙を書いていた。
そのため両親はリリィの友人が全員人外であることを知らない。
ついでに近くにいる人間は王族しかいない。普通とは言い難い環境でもあったが、そのあたりも適当にはぐらかしていた。
ノアを振り切って花祭で闇市に行ったことも、ノグレー樹海の獣人の村に何度かお邪魔していることも手紙には書いていない。
そんな事件を書かなくとも、毎日騒がしいのでネタに困らないのだ。
仕事で大変な両親に、リリィは気を配ったのである。
事情を知らされないアダムとエマは、気楽に構えてリリィの平和な日常を想像し、喜んでいた。
「お友達は男の子が多いみたいだし、ボーイフレンドがいたりするのかしらね」
「……」
「ギン君とエリオット君の名前がたくさん出てくるから、私はどっちかが怪しいと思っているのよ」
「まだ十三歳なんだから、……早すぎるだろう」
娘に悪い虫がつくことを心配する父親のような顔をしたアダムに、エマは目を丸くする。
「女の子は成長が早いから、心構えをしておいた方が良いと思うわよ?」
「早すぎるだろう」
「あなたでも、そういう感情を抱くのね」
「別に心配するのは悪いことではないだろう? 東の大陸の情勢が分かったら、報告がてら王都に行ってくる」
アダムはむすっとした顔で、娘への擁護欲を露わにした。
「ダメでしょ。隊長さんが砦を離れたら。ちゃんと王都からくる連絡係に伝えてください」
アダムが返事をしないので、これはどうにかして王都に行く方法を考えているのだろう。
これは何としても止めなければならないと思い、エマは自分が行くことを提案した。
「それなら私の方が調整がきくから顔を見に行ってくるわよ」
「ダメだ。道中危険だからエマひとりで行かせるなんてできない」
「でも、そんなこと言ってると、いつまでも会えないわ」
どうしたものかと二人で話しているあいだに町に到着し、会話はそれきり終わってしまった。翌日、再び仕事に追われる日々が始まれば、あっという間に時間は過ぎていく。
決して娘を蔑ろにしている訳ではない。
ただ、今のまま東の砦が戦火に包まれるのは余りにも過酷すぎるのだ。
せめてもう少し何とかしなければ犬死にするしかない。
困難な状況が分かってしまうが故に、必死になんとかしようと全てを投げうってしまうのだった。
アダムとエマは、まだ知らない。
二人が仕事に追われているあいだに、リリィが東の砦に辿り着くすべを手に入れることも。
言いつけ通り『正式な手順』を踏んで『戦力』として乗り込んでくることも。
十三歳の娘が、そんな偉業をなしえるなど想像もしていないのだ。
キャラクター紹介ページ(イメージ画像あり)を作成していますฅʕ •ﻌ• ʔฅ♬*゜
下のリンクから移動できますので、ぜひ作品と合わせてお楽しみください!




