26.国王と王妃
白を基調に銀色と水色の調度品で統一されたサロンで、聖アウルム王国の王妃モルガン・アウルムは本を読んでいた。
時折持っていた本をテーブルの上に置くと、宙に手をあげ指を動かしながら仕草を確認をしている。
そんな彼女の元に、前触れなしに国王陛下が訪れた。
「まぁ、陛下。いらっしゃいませ。今お茶を用意させますね」
「いらん。人払いをせよ」
その乱暴な言い方に、王妃は笑顔で頷き返すと言われた通りに人払いをし、何やら興奮している夫を椅子に座らせる。
「また何か問題でも起きたのですか? わたくしで良ければ、お話をお聞きしますわ」
何ができる訳でもないが、モルガンはトマスの話し相手として重宝されている。
トマスは話しながら考えがまとまるタイプであり、悩んでいるときなどはテンポよく相槌を打ち余計な意見を言わないモルガンが、一番適任であった。
役立つアドバイスなど一つも出ないが、トマスは承知の上でモルガンに話したがるのだった。
「聞いてくれ王妃よ。息子がな――」
トマスは、最近のアーサーの豹変ぶりをモルガンに全て伝えて腹を立てた。
元々従順で仕事も難なくこなす優秀な王太子だったのに、急に歯向かってきたのである。しかも優秀だったがゆえに弁が立つ。
大嫌いな弟に似ている雰囲気もちょっとだけ感じて、余計に腸が煮えくり返った。
「ダニエルを側近にしたせいで、アーサーがアイツに毒されてしまった!」
あんなに叩いて追いやったのに、まだ影響力をもっていたなんて忌々しい。
子供の頃は教育係がこぞって褒めるほどに優秀で、成長してからはトマスから見ても唸るような見解を、さも当たり前のように出してくる。ダニエルと話していると、いつだって自分が凡人で劣る人間だと思い知らされて嫌になる。
その大嫌いな弟側に、大切な息子が取り込まれてしまったのかもしれない。
こんなことになるなら、ダニエルがアーサーの側近になりたいと言ったときに断っておけばよかった。
後悔しきりのトマスの話を聞きながら、なぜかモルガンは笑顔で、その表情はキラキラと輝きだす。
こんなに苦しんでいる夫を目の前にして、なんでそんなに嬉しそうな顔をするのか。
あまりにショックでトマスは珍しく妻の意見を仰いだ。
「お前はどう思うのだ?」
「わたくしは嬉しゅうございます。だって、アーサーに反抗期がきたということでしょう? あの子、仕事はちゃんとできていますけど、普段はしゃべらないし何を考えているか分かりづらいし。婚約破棄もあっさり受け入れるし、とっても心配していたのです」
「は、反抗期?」
「ええ、婦人会のお茶会で聞いたのですが、外では評判の良い子息達も、家では母親に文句を言ったりするのだとか。父親と喧嘩もするそうですよ。無口なことで反抗しているのかとも思っていましたが、遅かっただけですのね!」
モルガンは、どんな話も否定的に受け取らない考えの持ち主であった。
「し、しかしだな。そんな一時的な感情で国政をないがしろにしては、まずかろう」
「アーサーは自分で考えた方法でやりたいと言ったのでしょう? ならこれは自立ですわ」
「じ、自立?」
「わたくし、従順すぎるアーサーのことを少しだけ心配していましたの。だって陛下が倒れでもしたら、わたくしは国政に疎いから助けてあげられないでしょう。あの子が自ら考えて進んでいくことが叶ったなら、本当の意味で頼れる王太子になると思いますわ」
「し、しかしだな」
「陛下、これは婦人会でよく聞く話なのですけどね、幼少期から親が口を出し続けたせいで、四十過ぎても親に聞かないと、何一つ決められない子息を抱えて困っている家が結構あるのですって! そういったお家は、年頃で一度結婚しているのに何故か今は一人身なのです。その理由は、息子が親を庇ってお嫁さんを苛めるからだと相場が決まっていると、みんなが言っていました!」
社交を一手に引き受けるモルガンは、その手の話を何度も耳にしていた。聞くたびに、うちの息子は大丈夫だろうかと少しだけ心配していた。しかも一度失敗すると、後で親が反省して態度を変えても、問題の息子はちっとも改善できなくて途方にくれているという話まである。
「陛下、これはとても重要な分岐点ですわ。先々アーサーが立派な国王になれるのかどうかが掛かっています! 国政には口を挟みませんが、息子の教育方針は別です。母として陛下と敵対してでも、わたくしは参戦いたします!」
鼻息荒く宣言されて、トマスが苦虫を潰したような顔になる。自分の気持ちはちっとも汲んでくれない上に反対意見を押してきたのだ。
こんなの、いつもの妻じゃない。
「……もういい」
「よくありません! 他には? 折角ですので教えてくださいませ。陛下が気にしていることなら何でも聞きたいですわ」
上目遣いで見上げられ話を聞きたいと言われれば、可愛いと思ってしまう。
トマスが惚れて頼んで輿入れしてもらった妻である。
頭が悪いから王妃は無理だと散々断られたが、その天真爛漫さや朗らかさが気に入ったのだ。
得意なことで役立ってくれればいい、苦手なことは全部トマスが引き受けるからと言って口説き落とした。最後には頷いてくれて本当にうれしかった日のことは、まるで昨日のことのように覚えていた。
愛する妻に尋ねられて、トマスはややあって悩み事を口にした。
「――婚約者の件も、なんとかしたいと思うが、これは良い案が浮かばなくてな」
アーサーが聖女候補生を募ったことで、そこに漏れた令嬢の親がトマスに不公平だと訴えてきていたのだ。アーサーが選定してしまえば済む話なので無視していたのだが、息子は一向に妃を選ぶ気配がない。そろそろ無視し続けるのが苦しくなってきたところであった。
「わたくし聖女候補生の娘たちとお茶会をしましたけど、アーサーの好みは分からないので何とも言えませんわね」
「お前は、誰か気に入ったか?」
「わたくしでございますか? うーん。頭のいい娘と、勢いのある娘と、平凡な娘でしたわ。わたくしが言うのもなんですが、三者三様で決め手にかけますね。アーサーがこの子が良いと言ってくれたなら、どの娘でも仲良くしたいと思いましたわ」
誰とも敵対することのないモルガンは、相手の人柄を瞬時に見抜いて忌憚を的確に見極める。当たり障りのない、けれど心地の良い会話が続くのは、彼女のそういった特殊能力の賜物であった。
そんなモルガンから見た聖女候補生は、それぞれ違って面白い。ただそれだけであった。
「ふむ。なら三人から選ばない可能性もあるということか。――面倒だな」
「陛下、そんなに急がなくてもよいではないですか。反抗期と自立のほうが大切だと思います」
「ぐ、しかしだな。方々から話が舞い込んでくるのだ」
「でも、もしアーサーが王太子妃を選んで子供ができたら、わたくし、おばあちゃんになってしまいますわ。先日、同い年のお友達の息子夫婦に子供が生まれたのですけどね、孫は嬉しくても自分がおばあちゃんになったことはショックだと言っていましたの。とても気持ちが分かってしまいましたわ。だってわたくし、まだ三十五歳ですし。あなたも三十七歳でしょ。もう少し先でも良いと思うのよね」
「お、おばあちゃんに、おじいちゃん」
間違ってはいないが、この齢で爺呼ばわりされるのはトマスも嫌だった。
この時点で部屋に入ってきたときの怒りは、トマスの中から完全にどこかに飛んでいった。
今や息子の反抗期と自立、婚約に孫に、ジジババへのクラスチェンジで、頭の中はいっぱいだった。
「――アーサーもまだ十七歳か。婚約を数年先にしたとして、おかしな話ではないな。公務優先で婚約者選定は落ち着いてからということにするか」
「そうですね。そうだ! もう一人わたくしたちが頑張るというのも可能性はゼロではありませんよ?」
「はぁ?!」
「側室を迎えて産んでもらう案と、どちらがよろしいですか?」
側室を薦めてくるなんて、やっぱり、いつもの妻じゃない。
「~~なんで急にそんなこと言うんだ。――頭が痛くなってきた」
「まぁ、大変! そうそう、わたくしマッサージの本を読んで勉強していましたの。いまから披露しますから、あちらに横になってくださいませ」
言う通りに長椅子に寝そべると、モルガンはトマスの頭や背中を丁寧に揉み解していく。
最近、原因不明の腰痛や頭痛に悩まされることが多いトマスだが、モルガンのマッサージが一番心地よくて痛みが和らいだ。
痛いし、気持ちいいし、頭はいっぱいだし。
それらをモルガンがマッサージで優しく解きほぐしてくれたことで、トマスはアーサーに対して少しだけ寛容になれた。
「――アーサーの件は少し見守ろうと思うが、どうだろうか?」
「ええ、わたくしもそれが良いと思いますわ」
こうしてアーサーの前に立ちはだかっていた国王陛下は、とりあえず王妃と一緒に王太子の判断を見守ることに決めたのであった。




