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聖女になりたい訳ではありませんが【書籍化・コミカライズ】  作者: 咲倉 未来
第2部:聖女候補生編(後編)

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24.王太子の仕事(3)

 アーサーが執務室に戻ると、机の上の書類はすべてなくなっていた。


 そしてダニエルは、リリィとターニアに責められながら頭を抱えている。


「えーと、ここは丸で、こっちは古代語で、ここに棒が入るんだけど――」


「ダニエル様、丸が三角になっています。古代語の手本に乗っていない文字ですが大丈夫ですか?」


「うう~ん。頭の中にはあるんだ! ちゃんと綺麗に覚えているんだよ」


「しっかりしてくださいまし! 我が主のためにも、ここは圧倒的成長をあなたに要求しますわ」


 ダニエルは羽根ペンを雑に置き、手で顔を覆ってしまう。


「私は絵だけは、なんでかダメなんだよ。もう無理、古書店で地道に本を探す方に一票!」


 書籍を一読しただけで、すべて頭に記憶できるダニエルだが、彼は頭に思い出したそれらを紙に描くことには難儀した。

 そのために、全ての書籍を保管して説明する時にはその絵を見せていたのだが、それらは綺麗さっぱり吹っ飛んだので手元にはもう存在しなかった。


「今戻った。今度は一体何を始めたんだ?」


「おかえり、アーサー。ターニア様が転移魔法を扱えるって話を聞いて、魔法陣と組み合わせたら長距離移動用の陣が出来るんじゃないかって仮説を立てていたんだ。ただ陣が上手いこと描けなくてね」


「ダニエル様しか知らないので、頑張ってもらうしか方法がないんです」


「ほら、我が主のために練習なさい! 何事も練習して積み重ねることで、はじめて成長できるのです」


「た、ターニア。あまりダニエル様につらく当たってはダメよ。頑張っているんだから、ね」


「はぁ、ぐやじい。本さえあれば、すぐに実験に入れるのに」


 楽しそうに騒ぐ三人とは別の場所で、銀とエリオットとロビンが円を組んで語り合っている。彼ら全員が大人しいと、それはそれで気になってしまう。


「そうそう、仕事は全部片付いているから。ノア君が全部返却しに行ってくれた。今日の午後は時間がとれるから気になっていることがあれば検討しよう」


 陣の書き出しを諦めたダニエルは、アーサーと仕事をすることにした。興味はあるが出来ないことを繰り返し続けるのは気分が滅入る。できることをサクサク進める方が気持ちも晴れやかだ。

 ダニエルがアーサーと仕事を始めると宣言すれば、リリィとターニアは机の上を片付けて移動していく。


 アーサーが執務室に戻るまでのあいだに感じた息苦しさは、すでにない。

 この何気ない日常は、当たり前に手に入るものではないのだと痛感した。守らなければ簡単に他者に踏み荒らされて壊れてしまう。


 目の前で起きた問題を対処し続けているだけでは、ダメなのだ。


「――先々を考えて、俺が軍の総帥の位に就こうと思っているのですが、叔父上はどう思いますか?」


 アーサーの唐突な話題にも、ダニエルは顔色ひとつ変えずに頷いた。


「今の体制だと、東の砦で開戦となれば宰相が付くことになるね。ただ、彼は歳だし、見習いを引き受けているデュランが拝命するかもってところか。アーサーが総大将で立つ気なら、今のうちに総帥の位を持ってしまう方がいいだろうね」


「叔父上は、反対しますか?」


「まさか。やれるように、やりたいようにするのが一番だよ。あ、もしかして止めてほしい方の話だった?」


 少しアーサーの様子がおかしくも見えたが、すぐに穏やかな笑顔を見せたので問題ないようだ。


「いえ、聞いてみただけです」


「ならいいけど。アーサーが総帥なら、私は軍師になれたりするのかな? そっち系も興味があるんだよね」


 敵方の知略を想像しつくして、騙して嵌めて陥れる計画を立てるなど、非常に楽しいに違いない。ダニエルはうっとりと妄想し意識を遠くに飛ばしてしまった。


「実はリリィにも、協力して欲しいことがある」


「私ですか?」


 唐突に名前を呼ばれて、リリィは首を傾げた。すぐに荷物を机の上に置くとアーサーの目の前まで歩いていく。


「西の砦のコープル辺境伯から、隊長のアダム殿とリリィに戻ってきてほしいと嘆願が出ている。ただ東の砦の人員はやっと落ち着いてきたばかりで移動は出来ない。そういった理由で、先にリリィだけ移動させる話があがっている」




「――私、ひとりで、西の砦に、戻されるんですか?」


 リリィの悲壮感をまとう掠れた声が部屋に響いた。

 両親も親類も誰もいない。西の砦に一人で戻るなど想像しただけで手が震えだす。


 主の心の変化に反応し、ターニアがリリィの肩に乗りその頬をなでる。銀も思わずリリィの方に顔を向けて成り行きを見守った。


 リリィを手放すということは、ターニアと銀も一緒に手放すということになる。ならロビンとエリオットはどうするだろうか。

 考える必要はなく、そんなことをアーサーは望んではいない。



「いや。俺はリリィを手放したくはない。一緒に東の砦に行く約束は必ず守る。――だから、俺の側近に加わってほしい」


 真剣な顔でこちらを見るアーサーに視線を奪われたリリィは、ひとつずつ言われたことを頭で反芻していく。


(アーサー殿下の側近になったら東の砦に行けるってことよね。お父さんもお母さんも東の砦からは動けないって言ったのよね)



 アーサーはリリィを見捨てたわけではない。ただ周囲からそういった話が出ているから助けてくれようとしているのだ。


(なんだ、なーんだ。びっくりしちゃった)


 強張ったからだが解れていく。安心したリリィだったが、アーサーの話はまだ続きがあった。


「すまないが、聖女候補生も辞めてもらいたい」


 アーサーがなんだか申し訳なさそうな顔をしたのは気にはなったが、あれもこれも役割が増えるのはリリィとしても好きではないので、その提案は非常に良い話に聞こえたのだ。


「いいですよ。聖女になりたい訳ではなかったので、そのお話、謹んでお受けします!」


 だから、大きな声で元気よく、アーサーのお願いを快諾したのだった。

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