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聖女になりたい訳ではありませんが【書籍化・コミカライズ】  作者: 咲倉 未来
第2部:聖女候補生編(後編)

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22.王太子の仕事(1)

 聖アウルム王国の王太子、アーサー・アウルムの婚約破棄で一番影響を受けたのは、実は破棄された当人ではなく国王であるトマス・アウルムではないか。

 アーサーは密かにそんなことを考えていた。


 東の大陸の中でも格段に気候が良く羽振りの良いオーロ皇国と和平を結ぶための婚約は、聖アウルム王国にとっては願ってもない話だった。オーロ皇国側から見ても、国境続きにある物流豊かな聖アウルム王国が魅力に見えたことも想像に難くない。


 双方の国にとってメリットのある婚約だったが、婚約者当人たちの間柄は義務的なものしかなく、逢瀬もたいして重ねていなかった。

 そのため破棄による精神的ダメージは、少なくともアーサーには全くといっていいほどに無かったのだ。


 ただ、その後に起きた聖アウルム王国を取り巻く状況の変化は、アーサーの執務に多大な影響を及ぼす。

 王太子に負荷がかかるのならば、その前に国王陛下とその側近にこそ影響が出るはずである。


 実際に婚約破棄から数ヶ月で、判断力も決断力もあり勢いのあった国王の威厳に影が落ち、身近にいたアーサーには、それが直ぐに分かった。

 直後、国王はアーサーに御璽(ぎょじ)を渡すと、『お前も次期国王になる身。好きに治めてみよ』と言ったのだった。


 国王陛下が治め続けるのが筋だが、彼がしくじっても成功してもその後を継ぐのはアーサーだ。

 不安を覚え自信を失くした者に、イチかバチかで試された結果の後始末を押し付けられるのも嫌なので、アーサーは御璽を黙って受け取ることにしたのだった。


 幸いアーサーの側には、有り余る時間で知識を吸収しつくした頭脳明晰な叔父のダニエルがいる。彼に相談すれば、あらゆる方向性の意見を聞けて、いくつかは長年温めていた解決方法も提示してくれた。


 アーサーから見た国王(ちち)王弟(おじ)は、どちらも優秀であった。

 ただ、双方のタイプが全く違うだけだ。

 一定の成長を遂げた国が衰退しないよう、盛り上げて治めることが得意なトマス。

 混沌とする国の問題を解決し続けて、平和を維持し続けることを望むダニエル。


 どちらも王の器だと思ったが、聖アウルム王国の今の情勢で指揮をとることがトマスには苦しいのだと理解する。


(父が国王で、叔父上が宰相だったなら、今の治世も盤石に治め続けられたと思うのだが――)


 二人の間の溝は深く、今さら協力ができるような状況にもない。出来ないものは仕方ないので、やはりアーサーが引き受けるのが、まだマシだという結論に落ち着いた。


 出来るかどうかではなく、やるしかないという状況に置かれてしまったアーサーだったが、ダニエルが側近に入り、獣人と竜人の繋がりを持つノアの従妹であるリリィを雇うことができた。ついでに妖精まで匿ったが、アーサーの手札は増え続けている。


 山ほどの仕事を消化するだけで精一杯だった以前に比べて、執務の処理は早くなり、空いた時間で懸念事項の検討ができるようになってきた。ジルバ国と樹海の村との交渉事も、エリオットと銀に話を聞くことで、短い期間で相手方と良好な交渉をすることが叶っている。


 出口の見えない暗闇から、やっと光の差し込む方向が見えたような気分であった。




 そんなアーサーの元に、先ほど父である国王陛下から声がかかる。

 アーサーが彼の部屋を訪ねると、人払いがされていて国王陛下以外は誰も居なかった。


(御璽を渡されたとき以来だな。――嫌な予感しかしないのだが)


 内心溜息をつきながら、アーサーは席に着く。


 国王は最近体の調子が良くないという話を雑談交じりで語ったあとは、腕を組んで声色をかえるとアーサーに命令を下した。


「東の砦の要員を交代する。まずは総大将としてダニエルを送り出せ」


「――陛下、東の砦は沈黙しています。急いで総大将を置く必要はありません。それに局面が切迫したなら、総大将は俺が立ちます」


 元々そのつもりで準備もしていたアーサーは、その命令を断った。


「アーサー。すでに東の戦争の影響は国に出ている。今後も民の不満はたまる一方だ。戦争が始まれば、そこにさらなる制限をかけざるを得ない。それにオーロ皇国やゾラータ国と本気で戦えば、わが国に勝ち目などない」


 国王は組んだ手に顎を乗せて、淡々と自分の考えを述べた。


「戦争に負けて賠償金を支払うことになるだろう。幸運にも和平が結べたとて負債が残る。国を立て直すために向こう何十年と民に負担を強いるのだ。仕方ないと思わせるだけの理由が必要になる。王族が一人も死なずに終戦したなら反感を買うだけだ。犠牲を払い続ける民と同等の犠牲を、王族も払わねばなるまい」


 だから、ダニエルを向かわせて、彼の死をもって国民の情を煽る演出をしたいのだ。


「わざわざ王太子が死ぬこともなかろう。それに(アレ)はずっとお荷物として居座っていた。最後に華々しく退場できるなら王族としての立場も守られる。そのためにお前の側近にすることを許可したのだ。これでアーサーが命令しさえすれば事が済む。アイツは私の言うことは聞かないだろうからな。丁度良かった」


 あまりの内容にアーサーが黙り込めば、国王はさらに命令を続けた。


「それから西の砦の守備が危ういとコープル辺境伯から再三嘆願が上がってきている。東の砦に向かわせた、アダムとかいう隊長と王都に居るリリィという娘だけでも返して欲しいと言ってきた。名指しで呼び戻すなどと不躾な話だが、他で確認したところ状況が良くないとの話が出たからな。リリィと言う娘は聖女候補生の一人であろう。三人のなかで一番成績も悪いといっていたから、西の砦に返してやれ。そうすれば、とりあえず大人しくなるはずだ」




 目の前に、真っ暗な闇が果てしなく続くような、そんな感覚に包まれた。




 ――ダメだ。許容できない

 頭の中で警鐘が鳴り響く。


(――跳ねのけるなら、一度だ。一度で全てを打破しなければ、逆上した国王に片っ端から強行されて終わる)


 冷えて感覚の鈍くなった手を握りしめると、アーサーはすぐさま気持ちを立て直す。


「一度、持ち帰って検討します」


「アーサー、私の見立ては正しい。言う通りにせよ」


「以前、俺に好きなように治めよと言ったのは陛下だ。なら検討する時間くらい頂けてもいいのでは?」


「ふん。まぁ好きにしろ。どうせお前も同じ答えに辿り着くだろうさ。国を治めるための最良の選択肢など、そう多くはないからな」


「お心遣いに感謝します。それで話は終わりですか?」


「ああ、以上だ」


 アーサーは席を立つと礼をとる。


「聖アウルム王国に栄光を」


 グルグルと気持ち悪いほどに回る頭に、こみ上げる衝動を抑えながら、アーサーは早足でその場を立ち去った。

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