18.妖精の契約魔法(2)
ターニアの転移魔法は完璧であった。
しっかりアーサーの執務室に辿り着いた。――が、少々出てきた位置が高かったため、アーサーとリリィは床に落ちて転がった。
派手な物音を立てて落ちてきた二人に、執務室に残っていたダニエルとノアが、二人そろって椅子を蹴って立ち上がる。
「「あああああああ!」」
ダニエルとノアは待ち人二人の名前を口にしたつもりであったが、衝撃が大きすぎて叫び声しか出なかった。
「うぅ、いたい」
「大丈夫か、リリィ」
打ち付けた体の痛みで、それどころではない二人は、何とか体を起こして周囲を見渡す。
「あ、ノア従兄様だ」
「うわぁぁぁ! リリィ――」
うっかり目を離した隙に忽然と姿を消すこと三回。激しいトラウマを植え付けられたノアは、一目散にリリィを抱き上げ、そして締め上げた。
「ぅ、いだっ。ノアに、ぐるじ……」
「うぅぅ、リリィだ。良かったぁぁ」
永遠の別れになりそうなほど締め上げられたリリィは、視界がぼやけて身の危険を感じた。
瞬間、ノアの腕の中から再びリリィは消え失せた。
「っ! いやぁぁぁぁ!」
絶叫するノアの後ろで、ソファーの上にリリィが落ちてきた。
「我が主を締め殺そうとするアレは、一体なんなのです?」
リリィの目の前で怒りをあらわにするターニアが、ノアを警戒して体を盾に庇ってくれる。
「ターニア、あれは一応私の親戚でして」
「ですが、危険ですわ。どこかに飛ばしてしまいましょう」
「まって、まって。そんなことしたらダメよ!」
新しい人生のスタートを切り、やる気に満ち溢れたターニアの動きと判断がキレキレであった。
「え、妖精? うそ、本物?」
ダニエルが、ターニアの姿を認識すれば彼の知識欲が一気に膨れ上がる。
待ち望んでいたアーサーの帰還そっちのけで、細い目を大きく見開き、食い入るようにターニアを凝視した。
「おい、お前! ターニア様をジロジロ見るな。失礼だぞ」
ターニアに降りかかる全ての出来事に敏感なロビンが飛び出せば、ダニエルの興味は二人目の妖精にすぐに移った。
「え、二人もいるの! 妖精が? どういうこと、アーサー!!」
興奮したダニエルがアーサーに掴みかかり、場は混乱する一方であった
「ちょっと、全員落ち着いて! 叔父上も、俺が戻ったと報告を入れるのが先でしょうが」
ダニエルとノアは、ぴたりと止まり、互いに目線を合わせると、不気味な笑いを浮かべてアーサーを見やる。
「……なんだ、二人とも。どうした?」
「いや、アーサーの行方不明はバレてないからさ」
「はい、ちょっと執務室に引きこもって仕事に集中してますってことにしておきました」
「――はぁ?」
まさか行方不明がバレていないなどと思っていなかったアーサーは、唖然として固まった。
「大変だったんですよ。ねぇ、ダニエル様」
「そうそう、どんなに断っても会いたいって突撃する奴もいたしね」
「…………よく、バレなかったな」
「エリオット君も途中から参加してくれてね、最後のほうは無理やり追い払ったよ」
急に部屋の隅で背景に馴染んでいたシーツが、ゆらりと動いて移動してくる。ダニエルの後ろまで移動したシーツの隙間から、赤い目が恨めしそうに睨んでいた。
「あー。夏至祭に間に合うように帰ってきたのに、銀君もリリィも居なくてさ。今日は夏至祭に置いていかれたと思って不安になっちゃったんだよね」
「夏至祭は明日からよ、エリオット」
「……」
エリオットは黙ったままシーツの隙間を閉じると、ダニエルの後ろに下がっていった。
たとえ自分の勘違いでも、置いていかれたと不安になった心は、立て直しがきかずに戸惑っているのだった。
「明日にはきっと元気になっているよね、エリオット君。みんなで一緒に夏至祭へ行こうね」
ダニエルの手がエリオットの頭をなでると、シーツが少しだけ動いて頷いたように見えたのだった。
「夏至祭か。俺はちょっと行けそうにないな。不在のあいだに溜まった仕事を――」
アーサーは、綺麗に片付いた机を見て言葉を失う。行方不明前ですら書類の束が二つは出来ていたはずだが、それが無いのだ。
再びダニエルとノアが互いに目線を合わせ、不気味な笑いを浮かべてアーサーを見やる。
「うん十年ぶりに、本気で頑張らせてもらったよ」
「終わった仕事は休み前に全部各部署に返却しましたから。残りも休み明けに返しにいくだけです」
あまり動じることの無いアーサーも、この出来事は脳が理解を拒否してしまい、思わず口元に手をあてた。
その、世にも珍しいアーサーの驚愕顔を見たダニエルとノアが、笑いだす。
アーサーは未だに理解に苦しみ、事態を飲み込めずに首を傾げ続けたのだった。
「そうそう、これはアーサーに一読してもらわないといけないから、よろしく」
そう言って、ダニエルは一枚の資料をアーサーに手渡した。
先ほどから衝撃の連続で呆けたアーサーは、渡されるままに資料を受け取り、その内容を読んでピシリと動かなくなった。
ニコニコ笑うダニエルは、そのままアーサーの意識が戻ってくるのを待ち続けた。
「――っ。父と、話を、したのですか?」
「そっち? そこが気になったんだ」
手渡された紙は異動届であり、ダニエルがアーサーの側近になる旨がかかれていた。
同意者の欄は、国王陛下の名前が書いてある。
「あとは、御璽を押せば正式なものとして受理される。いやー大変だったよ。三時間くらいネチネチと嫌味と文句を言われた。本当に、良くそれだけのことを覚えていて長々としゃべり倒せるなって、最後は変に感動してしまったよ」
あれほど仲が悪く、会議すら最低限のものも出ることを拒否し続けていたダニエルが、国王陛下と直接対峙したのだ。しかも一人で、だ。
戻ってきてから知った事実の中で、一番信じがたい出来事であり、アーサーの顔は珍しく歪んでしまう。
「まー、私もそこまで良い人材じゃないんだけどね。だって人脈が無いからさ。アーサーのために、ちっさな案件一つ通すこともできないよ。でも知識と思考は他の人たちよりも自信があるからね、雑務の片付けならある程度は役に立てる」
ある程度どころか、アーサーの山積みの仕事をダニエルは全て終わらせていた。
そしてアーサーはダニエルの優秀さを良く知っている。アーサーでも困るような事案は、ダニエルにかかれば、あらゆる検討が成された良案が出てくるほどだ。
「――どうして」
国政に積極的に関わることを避け続けたダニエルの突然の方向転換の理由が、アーサーは気になって仕方なかった。
先日は、ついに国を出たいと言い出したのだ。そしてアーサーも樹海の森でその魅力を体験した。王族という肩書も関係なく、他種族の文化を知り、異種族ゆえに深入りしない関係は気楽で楽しく充実感があることを知ったばかりであった。
「それが、一番良いと思ったから、かな。アーサーがひとりで苦労しなくたって、みんなで協力すれば簡単に済むことが山ほどあるからね」
国政に関わる仕事がアーサーに回され御璽まで押し付けられたことを、ダニエルが知ったのだと理解した。
知った上での答えが、アーサーの配下に下ることであったことに、言いようのない気持ちがこみ上げる。
「――ありがとう、ございます」
「こちらこそ、お世話になります。アーサー殿下」
なんとなく良い雰囲気を察したリリィとターニアとロビンが、パチパチと手を叩いた。
その横では、しっかりと事態を把握したノアが内心ガッツポーズをとりながら、手を叩いたのだった。




