15.真実の愛と、その代償(3)
「ターニア様! よかった」
ロビンがターニアの側に飛びよると、ゆっくりと起き上がったターニアはロビンを見て怪訝な顔をし、ついで周囲を見渡して困惑する。
「――――ここは、どこなの? わたくしは死んだはずなのに……」
どう見ても死後の世界には見えなかった。見知った姿は獣人だと分ったし、多分だが人の子もいる。そしてなにより自分の従者であるロビンが側にいるのだ。
「渡したのは半死の薬です。俺がターニア様に毒薬を渡すわけがない」
その言葉の意味を理解したターニアは、徐々に事態を飲み込んでいく。
ロビンはターニアの死を偽装して連れ出したと言っているのだ。
それからどれくらい経っているのかは分からないが、追手が放たれるのは時間の問題だった。
「ど、どうしてそんなことしたのよ! ロビンまでお尋ね者になってしまうわ。今からでも遅くないから、あなたは直ぐに戻りなさい!」
「もう手遅れです。ターニア様も俺も罪人として樹海の森中を捜索されていますから」
嬉しそうに幸せそうに笑うロビンにカッとなり、ターニアはその頬を張った。
パンっと小気味よい音が響く。
「この大バカ者! どうして、そのまま殺さなかったの。せっかく、せっかく……」
―― せっかく、全てを諦めると決めたのに
薬を飲み干す前の記憶が鮮明によみがえり、ターニアは思わず頭を抱え、その頬には涙が伝う。
人など叩いたことのない手から、ジンジンと痛みが伝わってくるが、それよりもロビンの愚行で頭が痛かった。
(落ち着くのよ。何とかロビンが助かる方法を探さないと)
信用の置けない従者から視線を外すと、見知った顔を探す。どれも覚えのない顔だったが、一人だけ見慣れた姿の娘を見つけて問いかけた。
「獣人の巫女役の着物を着たあなた。名前は?」
「っ……あ、杏と申します。ターニア様」
「夏至祭まであと何日ほどですか? 大樹の里から妖精はすでに派遣されているのですか?」
「……夏至祭は明日です。何日も前から沢山の妖精の力を借りて道を開きましたが失敗ばかりで。準備は終わりましたが明日の闇市の道を開くのは、難しいって話がでています」
思った以上の時間の無さと状況の悪さに、ターニアは息を呑む。
「なら、ここに居る方々は、わたくしとロビンの罪を知っていて、捕らえに来たということですか?」
「いいや。たまたま居合わせただけだ。特にこの二人、アーサー殿とリリィはターニア様を治療しただけで、全く関わりがない。俺や杏も、どちらかと言えば共犯扱いになると思う」
「ぎ、銀兄!」
「杏、知らなかったら何をしても咎められないわけじゃないんだ。やったことは責任を問われるんだよ」
俯いてしまった杏と、居合わせた人々の厳しい顔つきで、ターニアは外で最悪の事態が起きているのだと理解した。
自分の私怨に巻き込んでしまった者達に、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「大丈夫よ、獣人の娘さん。わたくしを差し出しなさい。その辺で倒れているのを捕まえたとでも言えばいいわ。あとは知らぬ存ぜぬを通すのです。オベロン様はわたくしと、この――っ!」
言いながら太腿の付け根に手を伸ばしたターニアは、慌てて立ち上がると腰回りを確認する。
「無い! 無いわ! 短剣が無い――ロビン、わたくしの持っていた短剣が無いわ!」
盗んだはずの妖精殺しの短剣が見当たらない。あれと一緒にターニアを差し出さなければ、この事態は終わらない。
泣きそうになりながらターニアがロビンをみると、彼は変わらずニコニコと笑っていた。
「短剣なら、俺が隠しました」
「! なら早く出しなさい」
「嫌ですね。どうしてターニア様を短剣と一緒にオベロン様に差し出さないといけないんですか」
「元を正せば、あなたが毒薬を渡さなかったせいよ! そのせいで関係の無い人まで沢山巻き込んでしまったわ。反省なさい!」
先ほどまで寝ていたとは思えないほどの勢いで、ターニアはロビンの胸ぐらに掴みかかった。
「嫌です。絶対に嫌だ! オベロン様がターニア様と婚約破棄するって知っていたら、俺は諦めたりしなかった!」
「わたくしの従者のくせに、どうして、いつもいつも命令を無視するのよ!」
「あなたこそ、ターニア様が俺の全てだって何度言えば分ってくれるんですか!」
―― ターニア様、俺はあなたのことが好きです。
初めてそう言われたとき、驚いて思わず座っていた葉の上から落ちそうになった。
ターニアはオベロンの婚約者で、だから、その気持ちは受け取れない。忠誠心としてなら受け取れると伝えたら、嬉しそうにロビンが頷いたのは、まだお互いの顔に幼さの残る年頃だった。
それから何度同じことを繰り返しただろう。『好き』が『愛している』に変わっても忠誠心としてなら受け取ると返せば、ロビンは変わらず嬉しそうに頷いていた。
幼い頃にオベロンの婚約者として大樹の里へと嫁いだターニアは、大人へと成長する。
はじめは理解できなかったことも、時間が過ぎれば嫌でも知ることになった。
オベロンはこの婚約に乗り気ではなかったということ。
けれど力の弱まった大樹の里のテコ入れには、妖精王の血を継ぐ姫の輿入れは必達で。
例え形だけの夫婦だとしても、オベロンもターニアも役割を全うするのだと思っていた。
だから、ターニアはロビンの告白を、毎回はっきりと断った。
でも、ターニアに興味を示さないオベロンと、側にいて尽くしてくれて愛を語るロビン。
年頃のターニアの心はどんなに頑張ってもロビンに傾いた。それでもターニアは自分を律して役割を優先する。
獣人との古の契約に従い、移動魔法を祭りのたびに発動した。獣人と交流し巫女たちと仲を深めて、やるべきことは全て完璧にこなしていたというのに――。
それは突然だった。オベロンが、ターニア以外の女性に懸想している。そういう話が舞い込んだのだ。
ターニアにとってオベロンの振る舞いは悪でしかなかった。彼のために役割を優先し、全てを諦め抑え込んできたターニアの心は、一瞬で怒りに染まる。
――我慢し続けて、努力し続けて、結果を出し続けた結末が、見向きもされないまま捨て置かれるだなんて、ありえない
オベロンがターニアに会いに来ない日常も、裏で他の女と愛を育んでいたと知ったせいで許せなくなった。
今さらオベロンから愛されたい訳ではない。アイツだけが愛を手に入れて、それを慈しんでいるのが赦せないのだ。
――彼が守る妖精殺しの短剣が紛失し、妖精王から咎を受けて、その座を追われたなら許してやってもいい
ターニアだけが何もかも手に入らないのは不公平だ。愛を手にする代償に、オベロンだって全てを失えばいい。
妖精殺しの短剣を盗み出し報復してやろうと準備していた矢先、ターニアは冤罪で捕らえられ婚約破棄を突き付けられた。
確かに短剣は盗んだが、オベロンが言い渡した罪状はヘレナにつらくあたったという根も葉もない噂を信じたものだった。
――真実の愛を手に入れたと語るオベロンがゆるせない。
――自分を正義だと信じて疑わない、この愚か者が赦せない。
全てを失う程度の報復では、とうてい満足できないほどに、ターニアはその身を怒りに燃やした。
その後は、牢屋の中で毒薬を運んでくる兵士が現れるときを、静かに待った。
兵士を牢に引き込み殺したあと、闇に紛れてオベロンとヘレナを殺してやろうと狙い続けていた。
それなのに――
――どうして、あなたなの。ロビン
あなたでなければ、迷わず殺せたはずなのに。
真っ黒に染まった憎悪の中で、ロビンへの思慕が小さく光った。まさか自分の恋心が、全ての怨嗟を止めてしまうなどと思いもしなかった。
「――いつもいつも、あなたのせいで。あなたがいるから!」
「そうですよ! ずっと側にいたのは俺なのに、ターニア様はいつだって俺を選んでくれない。見向きもしない奴ばかりを選ぶんだ」
「違うわよ! わたしくしは、最後は――」
ロビンを殺すくらいなら、たとえ恨みも悔しさも晴らせなくともいいのだと、死ぬほうがマシだと、そう思ったのだ。
だから毒を煽って、すべてを諦めたはずだったのに――
「い、今は言い争っている場合ではありません。わたくしの命と短剣を差し出せば丸く収まるのです。収めねばならないのです!」
「待ってください、ターニア様! 移動魔法はターニア様じゃないと無理です。ヘレナ様は昨日倒れて、オベロン様も今は具合が悪いと言って姿をくらましています。前はターニア様一人で出来ていたことが、あの人たちじゃ出来ないんです。このままだと闇市が開けない。闇市の仕入れを献上する先にも迷惑がかかってしまいますし、他の村から避難している人たちと合わせて先々の物資だって足りなくなっちゃう。助けてください!」
「っ! そんなに、あの方々の力が衰えていたなんて……」
ターニアが一人で作業するのを上出来だと上から目線で褒めていたオベロンは、一体どういうつもりだったのだろうか。
(嫌だわ。オベロン様って、とんでもなく小さな男だったのね)
呆れすぎて報復を願っていたことが馬鹿らしくなり、ターニアの頭は一瞬で冷えきった。
「……タイミングを合わせて移動魔法を使えば、バレずに手助けできるかもしれないわ」
「っ! ターニア様は、あんな目にあったのに、まだオベロン様を助けるんですか!」
「違うわよ! オベロン様じゃなくて、迷惑をかけた獣人の皆様にお詫びをするのよ。この、あんぽんたん!」
痴話げんかの続くターニアとロビンに、闇市の心配事が消えて笑顔を見せる杏を前に、銀は未だに渋い顔をしていた。
その横で、アーサーとリリィは息を潜め、成り行きを見守っている。
いや、リリィは嫌な予感に心を苛まれて、思わずアーサーの服を掴んでいた。
その反応にこたえるように、アーサーはリリィの頭を撫でてやる。
「アーサー殿下。私、嫌な予感しかしないです」
「俺もだ」
小声で会話を交わしつつ、逃げることもままならない二人は、あるかどうかも分からない自分たちの出番を待ち続けた。
「なんじゃ、こっちに勢ぞろいして、なんかあったんかぁ?」
まるで気配を感じなかったことに驚き、全員が声のした方を振り向き視線を落とす。
そこには、杖をもった長老が首をかしげて立っていたのだった。




