13.真実の愛と、その代償(1)
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樹海の森に滞在して三日目の昼過ぎ、昼食を摂り寝かしつけられた赤子と子犬たちの側で、アーサーとリリィはのんびりと過ごしていた。
食事の世話やおしめなどは、頻繁に顔を出してくれる村人たちが全て対応してくれる。
その合間の遊び相手や何かあった時の検知役として、常に見ていることを求められているだけなのだ。
意図せずのんびりとした時間に身を置くことになったアーサーは、空を見上げて目を細めた。
夏至祭前の山積みの仕事も、頭を悩ませていた面倒ごとも、目の前で寝ている赤子と子犬に振り回されて、すっかりどこかにいってしまった。
(戻ったら大騒ぎになっているだろうな。仕事は……夏至祭の間になんとか片付ければいいか)
そのまま、東屋の座敷の上にごろりと横になる。視界から空が消え天井が目に入った。
(不思議な建物だ。木を組んで作ってあるのか。壁はどう見ても土にしか見えないし、信じられないな)
王都はレンガか土魔法を使った混凝土が使われる。藁と土を混ぜて固めた土壁が、どのくらいの強度の壁として成り立つのか疑問がわいた。
(叔父上が国を出て異種族の国を回りたいといっていた気持ちが、なんだかわかってしまったな)
この村でアーサーは、一人の人間としてしか扱われない。雑ではあるが気疲れせず、急かされることもないのは気楽だった。
それに異種族の文化は興味深い。実際に見て聞いて理屈を知るというのは非常に面白いのだ。
(表面部分しか関わっていないのに、目新しいことばかりだからだろうな。一日があっという間に過ぎていく)
仕事に追われていた日々もあっという間に一日が過ぎていたが、終わり方が全然違った。
日々何かを削ぎ取られるような疲労と喪失感とは正反対の、充足感や穏やかさに包まれている。
「アーサー殿下、少し寝られますか?」
「いや、目を瞑っているだけだ。起きている」
リリィは目を瞑ったままのアーサーを凝視する。王都に来る途中で聞いていた通りに、彫刻のように整った顔立ちだなと感心した。ただ、目の前の彫刻は目を閉じたまま微動だにしないので、余っていた布をお腹の上にかけてあげた。
「……寝てないと言ったんだが」
「なんとなくです。気にしないでください」
心地のよい風が通り抜けていき、ゆっくりと時間が過ぎていった。
一匹の子犬が起き出して、ちょこちょこと東屋から降りていく。リリィが少し離れて付いていくと、入口近くでコロリと赤子に転換した。すでに何度も目撃して見慣れていたリリィは、慌てることなく赤子を回収しようと歩いていくが、抱き上げる前に獣人の男が赤子を持ち上げる。
「すみません。ありが――」
思わず息を呑んだのは、その男の顔が酷く腫れて痛々しかったからだ。
「君が面倒を見てくれている子か。数が多くて大変だろう」
「いえ、えっと。少し、しゃがんでもらえますか?」
「?」
赤子を抱いたまま男性にしゃがんでもらい、リリィはすぐにその顔に治癒魔法をかける。
(お、おおお!)
見る間に傷が消え腫れはひいていき、三白眼の精悍な顔が現れた。がっしりとした体格とあいまって頼れる兄貴分の雰囲気が漂いだし、リリィは頬を染める。喧嘩で負けてボコボコにされる頼りない人物を想像していたせいで、思わず照れたのだ。
男は赤子をリリィに手渡すと、自分の顔を触り不思議な表情をする。
「もしかして、傷を治してくれたのか?」
「はい。痛そうだったので」
「――ありがとう」
ふわりと笑いかけられて、リリィは思わずぺこりと頭を下げた。
男はお礼だと言い小さな包みを差し出した。開けると、ふわりと甘いかおりが微かに漂い、小さな突起がいくつも付いた丸いものが入っていた。
「これは何ですか?」
「金平糖という飴だ。甘いものは嫌いだったか?」
「いいえ。ありがとうございます」
獣人の飴は不思議な形をしているなと、リリィは一つ取り出してじっくりと眺めたあと口に入れる。
甘味が口内に広がり、形特有の舌触りを堪能してから、もう一度丁寧にお礼を言った。
そんな和やかな空気は、手伝いに来た別の獣人の大声で打ち消される。
「あ! 律。こんなところで油売って。村長が呼んでたよ!」
律と呼ばれた男性は慌てて出ていき、代わりに入ってきた恰幅の良い女がリリィに向かいにっこりと笑いかける。
「すまないねぇ。律はきっと子供の顔を見たかったんだろうけど。みんなまだ昼寝中かい?」
「はい。まだぐっすり寝ています」
「ならちょっと待たせてもらおうかね。きっと少ししたら起き出す頃だろうし」
そう言うと女は持ってきたおやつと冷茶の入った入れ物を取り出して、東屋に置いてある茶器でテキパキと三人分の盆を用意した。
「わたしは紅。銀の叔母だよ。銀からリリィちゃんのことを聞いて、ここの順番が回ってくるのをまってたのよ~。そっちはアーサー殿っていうんだろ? さぁ、子供が起きる前に食べようか」
紅から、湯のみと笹の葉で包んだおやつの乗った小さな盆を受け取る。
冷たいうちに早く食べた方が良いと勧められ、リリィは笹の葉を止めてある紐をほどき葉を開いて、その中身に驚いた。
(こ、これは……!)
中心部の黒い丸いものを半透明の何かが包んでいる。丸く曲線を描くボディは、とある生物によく似ていた。
「す、すらいむ?」
「あはは! これは水饅頭だよ。初めて見たかい?」
「みず、まんじゅう?」
「中は餡子で皮はわらび粉を使うけど、わかんないよね。冷たくて夏にぴったりのお菓子だから、食べてごらん」
異種族交流は基本相手に合わせるのがモットーのリリィは、そのぷよぷよボディに勢いよく噛りつく。
モチッとした触感にねっとりとした甘い餡は、初めて食べたが面白くて美味しい。気づけばぺろりと平らげていた。
「口に合ったならよかった。銀が言う通り村の女の子たちと変わらないねぇ。そういえば律の顔が治っていたけど、あれもリリィちゃんのせいかい?」
「はい。お礼に金平糖を頂きました」
ちゃんと対価をもらったことを紅に伝えると、彼女は溜息を零して愚痴り始めた。
「今、村の連中は律には優しくできないからね。リリィちゃんが優しくしてくれてよかったよ。夏至祭の準備が上手くいっていないのは妖精達の不手際だけど、それに輪をかけて混乱しているのは律が村の運営でやらかしたせいだからね」
紅はつらつらと今の村の状況をしゃべりだした。忙しすぎて同年代の女性たちと愚痴を零す余裕もなかった彼女は、話し出したら止まらなかった。アーサーやリリィが村の内情に関わらず、知ったところで影響がないこともあって、彼女が好きなだけ喋ることができた。
「男前だったろ? 若い連中は男も女も、みんな律に憧れて新しい村に移動したんだ。律も頭が良くて人望もあったからさ、みんな気持ちよく送り出したんだ。音沙汰もないから、てっきり上手くやっているんだと思っていたんだけどね」
花祭が終われば獣人は出産の季節を迎える。この村でも数人の女性が子供を産んだ。みんなで面倒を見て賑やかに過ごし、そろそろ夏至祭の準備を始めようかと話していた頃だった。
「長老がさ、律の村に急に出かけたんだ。あっちの赤子の顔を見るんだって我儘を言い出してさ。まあ、長老はいつものことだしいいんだけど。それで律の村に入ったら、出産した娘が沢山いて夏至祭の準備どころか畑の作物すら手入れできてなかったっていって、そこからはもうあっという間に大事になってねぇ」
新しい村に送り出したとき、番の夫婦は数組で春先にもし出産があっても大変になるはずではなかった。
まだ一人身で番を見つけていない男女も沢山ついていったので、世話する手も足りるだろうと誰もが思っていた。
ところが、移動した先の土地で周囲の村と交流したときに、運よく番を見つけた者が沢山でたのだ。
めでたいことだと、その度に祝言を上げて律は村に相手を引き入れた。
決して贅をこらした祝言ではないが、それでも数が多いと出費もかさむ。それに人数が増えれば日々の消費も増えていく。
人手が増えたのだから畑を増やし、仕事を頑張れば済む話であり、律も村人も一生懸命働いたのだった。
そうやって協力して村を盛り上げていた矢先、春に子供を授かった夫婦が思った以上に出た。
めでたい話ではあったが、当てにしていた世話人も出産することになり、ぎりぎりで回していた日々の暮らしは、あっという間に破綻してしまった。
「すぐにさ、助けてって言ってくれれば良かったのに。カッコつけたいのか知らないけど、自分達だけで何とかしようとしちまってさ。産後の娘たちまで、這って赤子の世話をしていたって聞いて送り出した親がカンカンに怒っているんだよ」
長老は帰り道に点在するよその村に立ち寄り助けを求めた。そして戻ってくると大人を連れて、もう一度律の村に向かっていった。先に入った村の人達の助けにより、大きな事故や事件は起きずに済んではいたが、悲惨な情景を目の当たりにした親族の怒りは、律に集中したのだった。
話を聞くうちに、リリィは目の前の紅や今まで会話した村人に不信感を抱いた。
銀も律も、規律に反したのだろうが、それでも殴って罰を与えるやり方はどうかと思った。
いつもは異種族のやり方には口を出さないのだが、仲の良い銀の怪我や先ほどの律の怪我を治療したリリィは、思わず紅を責めるように尋ねてしまう。
「どうして殴るんですか? 誰も止めないんですか?」
「? ダメなことに怒るのは普通だろう。その怒りを張本人にぶつけるんだよ。黙って我慢しても怒りは消えるもんじゃない。溜めておくほうが危険なんだ。溜め込んだ本人に扱いきれなくなれば、それこそ取り返しのつかない発散の仕方をするからね。起きたことは、そのときにちゃんと清算しておく方が良い」
「でも、殴られた人は死んでしまうかもしれないでしょ?」
「やだねぇ。わたしらは小さい頃から喧嘩慣れしているから、殺すような喧嘩はしないよ。敵を殺すときと身内を怒るのは別さ。怒りに身を任せて相手を殺しちまうのは、加減を知らない奴がいきなりやるからだろう。人の国は喧嘩ぐらいで相手を殺すのかい?」
「えっと。――わかりません。いるかもしれないです」
「へぇ、怖いねぇ。人と付き合うときは喧嘩を避けたほうがよさそうだ」
なぜか人間が怖いような話になってしまい、リリィの脳内はパニックになった。
(分るような、分からないような……。やっぱり分かんない!)
リリィが異種族と深い交流を避けるのは、こういった理解できそうで全く理解できないことが起きるからだった。
住んでいる世界が違えば正義が違う。自分の物差しで相手を測ることほど危険なものはない。
夢中でしゃべる紅の横を子犬が走って庭に降りて行く。振り返ると、連鎖反応で赤子が目を覚まし始めたところであった。
「どれ、おしめの具合を確認しようかね」
「なら、俺は子犬の相手をしてこよう」
二人が動き出したので、リリィも紅にくっついて手伝いを再開したのだった。




