第六十二話
朝になり、日が昇る。カーテン越しに強い日差しが届き、ソルは目を覚ました。
「朝か……さて、ベルゴは帰ってきてるかな。」
タイミング的に考えても、ベルゴがマモンの残滓を手に入れたのは違いない。それで人を財布として連れ出す精神の持ち主なら、堂々と帰ってくる位するだろう。
部屋を出て、食堂に向かう。昨日は遅かったから、日が昇るまで寝てしまった。いつもの日課は、無しである。日が出てから剣を振ると、人が急に飛び出てきて当ててしまった事があるからだ。ちなみにミフォロスである。
「あっ、兄ちゃん。おはよう。」
「おう、オディン。おはようさん。」
食堂の掃除をするオディンに挨拶をして、外に出る。本当なら食堂で待ち構えようと考えていたが、掃除中に邪魔することも無いだろう。
ベルゴの部屋は一階なので、外から確認すれば良い。裏に回ると、ソルの髪を食むのが一頭。
「うわ!? レギンス、久し振りだなぁ。」
嘶くレギンスの鬣を撫でてやると、嬉しそうに小突いてくる。
「あん? ソルじゃねぇか。何してんだ?」
「よう、カローズ。老人孝行してたんだよ。」
「あぁ、そのデケェ馬か。老いてる割には頑丈だな?」
「みたいだな。レギンス以外の馬を初めて見てから、気づいた事だけど。」
ソルが手を離して歩き出したのを、不満げに鼻を鳴らすレギンス。カローズの脇を通って、ベルゴの部屋の前に行く。
「何してんだ?」
「そればっかだなぁ。ベルゴが居るかと思ってな。」
「ベルゴ……? あぁ、あのケーキ男か。まだ帰って来てねぇぞ? 一晩中此処に居たけど、灯りも物音も無いからな。」
「一晩中って、なんで?」
「打倒アジスの為に、最終確認してたんだよ。そろそろ仕掛けようと思ってな……!」
アジスが魔獣を薙ぎ倒す所なら見ているが、対人はどうなのか。
少なくとも自分には関係ないな、と考えながらソルは宿を後にする。向かう先は決めていないが、甘そうな匂いがする所なら何処でも良いだろう。
「そう、例えば此所とか、な。」
ソルが来たのは、いつぞやの高台。並ぶ屋台の向こうに、半壊した屋台が見える。しかし、その向かいのお菓子屋はまだ開いていない様だ。
「あ~ダメだったか……というか、よく考えたらあいつ出禁にされたとか言ってたわ。」
時刻は既に昼前。遅い朝御飯をその場で買い、食べた。
この時間まで開かないのは流石に遅い。休みでも無さそうだし(王国では休みの店は看板が出ていた)、何かあったのか近くの人に尋ねる事にした。
「すいません、あの店は何故開かないんでしょう?」
「あぁ、あの店? 何でもね、一人息子が、居なくなったんだってさ。」
「探してると?」
「そうみたいだね。なんつったか、アリムだっけ? 客商売の息子とは思えない生意気なガキンチョだよ。」
「へぇ……そうなんですか。ありがとう。」
手をつけていなかったパンを、男に情報の代わりに渡すと、彼はついでとばかりに教えてくれた。
「気分もいいから言うけどな、最近この辺りで狂信者の一斉粛清が行われたろう? あの一件より少し前から、行方不明者が多いんだよ。上も所々隠したがるし……悪魔、じゃねぇかな。」
「物騒ですね……王国では、少ないのでは?」
「教会も最近どうだか……教祖様はともかく、大司教様は油断ならないお人だし。伝統続く誇り高い聖地……王国民としては信じたいけどさ、いつまでも続く物でも無いよねぇ。」
教会の話も少し興味をそそられたが、今はベルゴだ。味方か敵か、目的さえ定かではないのに、マモンの残滓を持たせていて良いとは思えなかった。
まずは本人に話を聞かねばならない。その話が嘘か本当かは、その時の話の内容と反応次第だろう。
ソルはベルゴの事をよく知らないことに、今さらの様に歯噛みしながら王都を巡る。何故、あんな怪しげなのを野放しにしたのか、今はそれが悔やまれる。
(無いとは思うけど、アイツが狂信者な可能性もある。最悪、マモンとベルゴ、拒絶の魔人や潜んでる悪魔と全面戦争だ。そうなったら、実体のないマモンや悪魔は人間の手には負えない……俺に勝てるか?)
完全復活には少なくない時間と代償が必要だ。せめてそれだけは防ぐ為に、全神経を張り巡らせてソルは捜索を続ける。
路地裏で暗い道を走っていたのも、そんな時だったからだろう。すぐ後ろから迫る斬撃に気づけたのは。
「っ!!」
「あれ? 斬ったと思ったのに。」
剣で受け止めたのは、妙に曲がった細い剣だった。水に濡れているように光沢のある表面は、黒い波紋が浮かび上がり怪しく光っている。
人の背丈は有るような大きな刀だ。それを左に握るのは黒い外套に身を包んだ青年。ソルにはその声に聞き覚えがあった。
「お前、拒絶の魔人と居た……! アルスィア、だったか。」
「うん? 僕はあの時……あぁ、あの影にいたのは君か。半信半疑だったけど本当にいたとはね。」
刀を構え直し、フードの奥の目を紅く光らせたアルスィア。彼が刀をその場で振ると、足元の影が無数の刃の波になって襲いかかる。
「【蛮勇なる影】。」
「くっそ、なんで俺と戦う必要があんだよ!」
とっさに「光弓」で影を払い、僅かに進行を遅めたソルは空中に固定した結晶を創り、「飛翔」でそこに降り立つ。
「なんで、か。僕も欲しいからだよ、マモンの残滓が、ね?」
「はぁ? 持ってねぇよ。」
「なら、誰が持ってるの? 残滓とはいえ、悪魔を取り込むなんてのは、影の特性を持つ悪魔か、白い忌み子か、何故かモナクスタロ、君位だ。後は何でも出来そうな原罪連中か……」
「何が言いたいんだよ。」
「まぁ、つまり。君以外、持っていく理由と力がある奴が、居ないでしょ? それだけだよ。」
「通じるようで話が通じてないな?」
「信じてないだけで通じてるよ。」
実際、ソルがシラルーナを助け出したあの日。先の二つの探索時間があればマモンの残滓を取るのは可能だ。むしろ、一人ならば高確率で近場から探していただろう。ベルゴの行った二つは近場だ。
そして、ベルゴの事などソルに追われていた狂信者達には、知りもしない事だ。無論、そこから情報を得る事が多い悪魔や魔人も。
「まぁ、いいさ。僕が貰うだけだから。【鎖となる影】。」
「ちっ!」
裏路地を囲む高い建物の壁。それを覆う影から飛びだした黒い鎖を、ソルは結晶を霧散させ自由落下により避ける。
地面に着くと同時に斬りかかるアルスィアの刀を、ソルは剣で受け止める。強く押し出し、逆らわねば斬られる状況に持っていく。幸い、力は拮抗しているようで鍔迫り合いとなった。
「とにかく俺は持っていない! 持ってんならもうとっくに破壊している!」
「そうかな? 随分と不安定に見えるけどね。取り込むつもりなら安定するまで持ってる、そうだろモナク!」
ソルが右手の中指に嵌める指輪を見て、アルスィアは視線を戻す。
結晶を纏っておいて、今さら違うとも言えない。せめてもの反抗心で、刀を横に弾いたソルがフードを「飛翔」で取り去る。
「……その角、お前っ! 絶望か!」
「ははっ、バレちゃったか。久しいね、モナク。」
「一体どうやって名持ちに……」
「君のお陰だよ。【切望絶断】!」
横一文字に降りきられた刀が、ソルの剣を切り裂く。黒い光が淡く刀身の軌跡を描けば、ソルの剣が絶ち切られ地面に刺さる結果を呼んだ。
勿論、それによって守られる筈だったソルの腕にも赤い線が走る。魔法である剣とは別に、ソルの腕は単純に強度に負けた結果だが。
「思いを絶ち切る魔法……! 健在みたいだな。」
「それだけじゃない。縁、意志、記憶、そんな目に見えない繋がりの、全てだ。」
「絶望、いやアルスィア。そこまで力をつけて、マモンの残滓を欲しがるのは何でだ?」
「足りないからだよ。名持ちになって、魔人になって尚、僕は足りないんだ。」
悪魔の力と本懐の感情は比例する。強い力には強い感情が伴うのだ。孤独の魔人であるソルは、不安定な融合の所為でいつも二人でいるような錯覚もあった。それに縁にも恵まれた。
しかし、アルスィアは違ったのだろう。絶望を誤魔化せる物が無かった。故にそれを捩じ伏せるだけの力を欲した。悪魔が名持ちを目指す、そのままの勢いで。
「そんな事をしても」
「黙れ、モナク。僕の道は僕が決める。たとえそれで絶望しか残らなかったとしても。」
「……そうかよ。なら、俺は降り注ぐ火の粉を払うだけだ! 【具現結晶・破裂】!」
「なっ!? 素手!?」
剣ばかり警戒していたアルスィアを、左手から放たれた結晶化する衝撃が穿つ。吹き飛ばされたアルスィアの腹からは、統率から離れた魔力ではなく、肉体に流れる血が溢れた。
「本当に魔人だったんだな。まぁ、どうせ死なないだろ? 【具現結晶・牢獄】。」
小さな結晶が無数に集まり、アルスィアを閉じ込める。ついでとばかりに魔力を奪われていく。
しかし、それも僅か数秒。実体、肉体の存在は何もしなくても潰れることに反発する力がある。マモンの様に強い力場の特性を奪わなくても、強引に抜け出せる。
「……随分と喋るようになったけど。すぐに居なくなる所は、全く変わってないみたいだね。」
腹いせとばかりに結晶を吹き飛ばすと、アルスィアは立ち上がる。すぐに霧散し始める結晶が、近くにソルがいないことを物語る。
「もし仮に、マモンの残滓や僕の贄を持っていったのが、モナクでないとしたら。一体何が此処に潜んでいるんだか……」
夕方に差し掛かり、西の空は赤い。まだ昼のように青い真上の空を見上げながら、ソルは大通りを歩く。
「はぁ、まさかアイツがいるとは……多分、この街に着いた時の少女って、アイツがやったな。随分とえげつなくなったもんだ。」
布切れ一枚で放置しておいた自分を棚にあげ、ソルはアルスィアを要注意人物として記憶に刻んでおく。しかし、ベルゴを探し回るとまた見つかる可能性もある。宿で待つ方が懸命かも知れない。
「はぁ、俺の目的はアラストールだった筈なんだけどな……まぁ、同じ悪魔だし、ほっとけないけどさ。」
むしろ、アラストールの居所さえ分からなくなった。マモン、アルスィア、生きているなら拒絶の魔人。
増えた敵と搭を出た時の事を思い出す。
「西、かなぁ。」
時が来るまでは、と呟くソルの吐息。取り敢えずは目の前を片付ける決意を抱き、ソルは宿に歩を進めた。




