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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
炎と飾り
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第86話

 悲痛な叫びは辺り一帯の生き物の鼓膜を揺らし、脳に不快で耐えざる負荷を与える。一瞬にして平衡感覚を奪われた者が倒れ伏す中で、アルスィアが空気振動を相殺して立ち上がる。


「落ちるよ!」

「何が……!?」

「蝙蝠だ。目を射抜かれて姿勢が崩れたらしいね。あの大きさでも、翼で飛んでるなら落ちはするさ。」

「そうじゃねぇよ、なんで落ちてんのかって。」

「知らないよ、見える距離じゃない。それより、今のうちに斬る!」


 妖刀を抜き放ち、長い距離を風に乗って駆け抜ける。首を断つ、その一心でいる。

 やっぱり余力あったのか、とソルが呆れるより早く、シュンが鎖でアルスィアを引き戻した。折れるのではないかという程に背を曲げた彼の目の前で、地面が溶け始める。


「あれは……」

「横を。何か吹きかけたようです。」

「嫉妬の魔獣!? いや、虚飾か。もう出てきやがった。」

「ねぇ、もう少しマシな止め方は無いわけ?」

「では周りをよく見てください。」

「影が無いんだよ、いま。」

「目があるのでは?」

「……君、いい性格してるよね。」

「はぁ、ありがとうございます。」

「ねぇモナク。僕、コイツ嫌い。」

「じゃれてる暇があんなら、あの悪魔どうにかしろよ。」


 ソルの示す悪魔とは、漆黒の鱗に身を包む大蛇の事。白磁の角は半分ほど黒く染まっている。


「あの角が黒くなったら吐く霧に警戒しとけよ。自分の不調を他人にも押し付ける。」

「相変わらず非生産的で傍迷惑な趣味してるよね、嫉妬のヤツ。」

「どっかの誰かみたいにな。」

「なに、嗜虐の事かい?」

「こんな時だけ他人のフリすんなよ、お前だお前。」


 よろ着きながら立ち上がったソルが、再びその目を紅く染める。少しは魔力が戻ってきたらしい。


「ちっこいけど陣を出す。あの狼が暖めまくってくれたおかげで、吸収するエネルギーには困らないからな。マトモにやれるまで少し持たせろよ。」

「ふぅん、それが君のお願いする態度なんだね。不遜の名でもあげようか?」

「……塔についたら好きな書籍を一つ、持ってっていいぞ。」

「嘘は無いね?」

「好きにしろ。」

「乗った。」


 形をとってくれたのなら好都合である。喰われた記憶に腸が煮えくり返るような衝動が、掘り起こされ、いつになく頭が冴える。どうも自分は、存外に執念深いらしいと新しい発見に興奮を覚えつつ、アルスィアは刀を握る。

 らしくないのは分かっていた。悪魔相手に昼中から突っ込む等。しかし、嗜虐の記憶がそうさせる。おそらく、蝙蝠を守るための虚飾の策略だとも分かっていようとも。


「はは、ぶった斬れろよ!」

「テンション高いな、アイツ。」


 ソルの元まで届くような風圧で押し潰し、刀で両断したアルスィアが半開きにした瞼の向こうに映る。上がった土埃を眼前から払いつつ、小さな結晶の欠片を蝙蝠の方へと放った。無論、攻撃にはならない。捜索用だ。


「何を飛ばしたのですか?」

「俺の結晶は周囲のエネルギーを吸着統合して成長する性質がある。どんなエネルギーが入ったか集中してれば、何がそこにあるのか分かるんだよ。」

「何がありました?」

「まだそれが引っかかるほど大きく……もう動けたのか。」


 言っている最中に引っかかったのは、ソルには記憶にある魔力。執着と呼べるような忠誠と深い深い憎悪。懺悔と敵意の混ざりあったドス黒く、深い藍。


「誰だったのですか?」

「動く鎧。」

「……人ですか?」

「多分な。ほら、ここに来た時に獣人達を叩き潰してたろ。」

「あの方、生きていらしたのですか?」

「殺してやんなよ……しかし、あれに届く弓なんてな。誇張じゃなかったのが驚きだ。」

「弓が、アレに……」


 人の力で引くものが、人の力を超えることは無い筈だ。だが無駄を全て削ぎ落とすことさえ出来れば、人の力は矢をあの高さまで飛ばせるらしい。


「あの蛇相手ならアルスィアでも十分……でもないか。不死身なんじゃな。」

「ほんとにあの悪魔は不死なのでしょうか。」

「まぁ、死なないって意味なら悪魔は全部そうだけど……あれは消えないんだよ。操り人形を壊しても傀儡師が死ぬわけじゃないだろ?」

「ならば、本体を狙えば。」

「虚飾の悪魔に本体があるとしたら、随分と虚ろだろうな。」


 何も無い人間が虚勢を張る時の見栄の感情、それが虚飾だ。実態の伴わない飾り気が概念として人の形を取ったのなら、それは「飾り」だけで動く物となるのは必然だったのだろう。

 相手への敵意など、自分への認識が薄い感情は実態を持たない方へ移ろうことが多い。火や風といった特性を得やすいのである。虚飾はその中でも最たる例であろう。自分がそれを得ているという傲りから付与の特性こそ得ているが、その傲りでさえ自己意識からは出ていないのだから。


「あれがここにいる理由は蝙蝠だ。それを排せばさっさと引くさ。目的意識なんてものも無いからな、自分で判断はしない奴だ。」

「お詳しいのですね。」

「夢を見るもんでな。」

「はぁ……?」


 現状、最優先は蝙蝠の討伐か撃退。だが、ソルは警戒されているだろう故に、下手に介入すれば虚飾の擬態が変わる可能性がある。

 なら、ソルもノせられてやるしかない。せいぜいが戦陣を広げて付与を撒くくらいしかできないが、それでも注意が蝙蝠に向いていなければかなり手薄になる。


「悪魔は俺とアルスィアで引いとく。墓守様、蝙蝠の方を手伝ってやれるか?」

「勝算はあるのでしょうか?」

「あるとか無いとか言うよりは……あれ、止まんないと思ってな。」


 ソルが示すのは各々の武器を手に駆け出している人の群れ。すぐ側からもだが、街からも。どうも、怪我人を運ぶにしては数が多い。防衛戦力までこっちに回してそうだ。


「あれは許されるのでしょうか?」

「さぁな。状況が変わったか、単純に考えていないのか……とりあえず、乗っかった方が得だろ?」

「そうまでして落としたいのですか? アレを。」

「アスモデウスへの嫌がらせになりそうだし。」

「何かされたのですか?」

「いや、別に実害は今のところ無いけど。」

「その悪魔を随分と目の敵にされているようですが……」

「単純に気持ち悪いんだよ、あれが向けてくる好奇心が。」


 それに乗っかったのは、悪魔であるモナクスタロだったのだが。感情を持たない悪魔には嫌悪という感覚は分からなかったのだろう。

 アルスィアは実害があったからだろう、最近に限っても頭をぶち抜かれている。というより、徹底的に利益や庇護を突きつけてくるアスモデウスには、良い感情を抱く方が難しい。所詮は悪魔、人の機微等知れる事は無いのだろう。


「まぁ、頼んだよ。墓守様なら、悪魔もノーマークだろうし。」

「その評価は癪ですが……良いでしょう。魔獣の被害に関しては、私も瞑目するのは心苦しいですから。 」

「そういや、元々はそういう街なんだっけか。」

「被害を防ぐと言うより、受け皿としての場所でしたが。」

「同じだろ、方向性は。消して利益を得るやつと、与えて利益を得るやつと。それくらいしか違いなんて分かんないよ、俺はそこまで社会ってものに沿って生きてないし。」

「……悪魔を消して生きるなら、それはどちらになるのでしょうね。」

「さぁな、利益なんて出てないから分かんねぇよ。もし誰かがそれで得したなら……悪魔が損な存在だったってだけだろ。」

「でしたら。貴方は何故、その状態でも悪魔に挑もうと?」

「悪魔が嫌いだから。俺がしたいからしてるんだよ、結果的に偽善者に見えてようと、同じ方向に利益が向いてるやつと縁が残ってるだけだよ。アンタみたいに何が正しいとか罪とか、小難しいもんは考えてない。それで案外、じいちゃんとか周りのヤツは満足してそーだしな。」

「私に説法を説けるなんて、貴方くらいでしょうね。」


 ふ、と吐息を漏らして口端を緩めた彼女が、杖を作り出して歩き出す。何か笑うような事があったかと首を傾げつつ、広げた戦陣からエネルギーを回収しつつ、アルスィアの状況を見る。

 蛇の噛みつきに対してヒラヒラと回避する彼は、魔法を撃ち込んで牽制している。魔獣に対しては体積が多い分、無駄打ちになりにくい故、悪手ではないのだが……それは魔獣ならの話。


「おーい、そんな魔力が残ってんのか?」

「煩いな! 横から口を出すなら君がやりなよ!」

「ソイツに何やっても無駄そうだから無駄打ちしたくない。」

「無駄打ちにならないものがあるとでも?」

「それを今から確かめたいんだよ。」


 魔方陣は持っていない。記憶を頼りに再構築し、結晶で創るそれに魔力を注ぐ。少なかろうとも流し続ければ、微量ではあれどマナが引かれ循環する。規定値さえ満たせれば、現象は起こる。

 細く頼りない弱い光だが、尾を引き畝り、迷い、しかし確実に大きな魔力反応へと進む。肉体を持たずとも物理現象を引き起こせるほど、強大な思念へ。悪魔へ。


「辿る力と躱す力、消耗しない力が弱い! 簡単に散るから上手く守ってろよ!」

「簡単に言ってくれるね……!」


 影を知覚するアルスィアには、光を放つそれを認識するのは易い。だが、どこに向かうか分からない不規則なそれを、動き回るデカブツから守れよとは、随分な注文である。

 刺し伸ばされた舌を回避し、刀を振り下ろす。先端が僅かに切り落とされるも、それに怯む様子もない。殺陣を演じる役者に殺気も死相もないように、魔法で現界している虚飾には痛みも危機感も無い。演じることを辞めればいいだけの代物だ。


「これをどう抑えろって!?」

「あの狼頭を投げる策にはノってやったろ! こっちはお前がやれよ!」

「なら君が頭を使うべきだと思わないかい? 足りないのは目を瞑って上げるからさ。」

「随分な評価をドーモ、なら答えだ。全部斬り捨てろ!」

「正当な評価じゃないか……!」


 影のない日中にアルスィアの斬撃は見た目通りの太刀筋しか描けない。片腕で振り回すには限度がある中で、風にのせて強引に範囲を広げる。気圧の差でしかないそれも急激な差とアルスィアの魔法にかかれば、瞬間的には太刀と変わらない。

 無数の太刀筋を使えば細い舌も酸の霧も面で制圧できる。そんな無茶が続く限りは、だが。


「急ぎなよ!」

「俺に言うな!」


 虚飾の魔法か、急速に冷え込んでいく空気を影の太刀が引き裂いた。

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