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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
炎と飾り
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第85話

 少し加減を間違えたようで、ソルの視界がチラつく。ソルには慣れた魔力欠乏の症状に、とりあえず飛行を諦め、結晶の塊として地面に落ちる事を選んだ。


「何故、その中に閉じこもっているのです?」

「あれ見たら分かるんじゃないか。」

「僕を見世物にするつもりかい?」


 渦を巻く風に包まれ、虚空に妖刀を振り回すアルスィアを見ても、当然なにも分からない。首を傾げるシュンが、直後に結晶に包まれた。

 自然、一人だけ無防備にされたアルスィアだけが踊る。


「モナク! このワンワン五月蝿いのは君の客だろ!」

「音なんかあったか?」

「垢でも詰まってんの? もっと五感を使いな、よ!」


 残り魔力も少ないだろうに、ソルの結晶を削ぎ去る暴風を送ってくる。再び篭ろうともどうせ斬られるので、仕方なく耳に集中する。それよりも早く、周囲に散った結晶の欠片に反応があった。


「蟲か!」

「それも訳が分からないくらいにちっぽけな、ね!」

「潜り込まれる前に潰さねぇと。」

「内蔵を食い荒らされたく無いなら、そうするべきだろうね。」


 とはいえ、ソルに効率よく防ぐ術などない。虚飾の魔法で偽っているのなら、羽虫の特性として風や水滴があれば飛べないだろうが……ソルにそれを自由に操れるほどの特性はない。魔術で再現するにしても、規則的なそれはそのうち攻略されるだろう。コロコロ変えていては、気が散るばかりだ。


「しっかし、こんなの何処で見たんだか……」

「ベルゼブブじゃないかい? あれが何処にでもいる訳は、分裂するからなんて巫山戯た噂が真実ならね。」

「考えたくもない説をドーモ。」


 耳と口を結晶の塊で被るように覆うと、ソルは魔獣の方へ駆け出す。近場へ落ちていた槍を取り、「白い羽根」のメンツを囲んだ結晶を叩く魔獣に振りかぶる。

 短い尾を掠めて踵の位置へ深く差し込まれた槍に、悲鳴にも似た咆哮が魔獣から漏れる。ついでとばかりに上書きされた空間に、ソルのマスクと身体付与が解かれる。途端に、耳の奥に痛み。油断も隙もない。

 再び力場でめちゃくちゃに掻き回しながら離脱し、軽鎧とマスクを創り直す。ついでに創った槍も放ったが、それはインターバルが間に合ったようで上書きにより霧散した。


「つまらないことをしてくれるねぇえ?」

「どっちが……!」

「その子はただ、飢えているだぁけだとも。急成長した肉体に、栄養が足りてないんだぁよ。可哀想じゃないか。」

「そりゃ、何を模した演説だ? 随分なご高説垂れてくれるが、餌の命はどうでもいいらしいな!」

「そりゃそうだぁとも。この子とはそこそこの付き合いでぇも、それらとはなんの面識も無いかぁらね。」

「魔獣の事も何か可愛い訳でもあるまいに!」


 即座に【捕らえる力】で捕まえ、零距離で「闇の崩壊」を展開する。肩を竦めて溶けた虚無の悪魔を追えず、右往左往する光の鞭が残る光景に、思わず舌打ちが零れる。少ない魔力で無駄打ちさせられるには、力場の魔法は効率が悪すぎる。


「おぉい、ソル! これ割れねぇのか!」

「出てきたらさっきの悪魔に中から食われるぞ。」

「そりゃ……ゾッとしねぇな。ならお前みたいなマスクにしてくれよ。このデカブツだけでも撃退できりゃ楽になるだろ。」

「その残存勢力で出来ねぇだろ。」

「いや、まぁ、前回の半分にも満たねぇけどよ……それでもこのままって訳にゃいかんだろ。」

「個別に顔に合わせて創るの面倒なんだけど……」


 渋るソルに、魔獣の前腕が振り下ろされる。魔法で迎撃すれば上書きされるし、この位置だとミフォロス達の結晶も巻き込みかねない。おそらく、敵意や害意に対して無意識的に発動しているので、ただの防御ならば上書きされないのだろう。

 サッとそう結論付けたソルは、平たい壁でその爪を受ける。そのまま魔法で押し出した壁で魔獣を引きずり、湖の方へ叩きつける。魔力切れにクラリとくるが、ここまでやればそれでいい。


「アルスィアぁ! やれ!」

「は? ちょっと……!?」


 力場の魔力で掴みあげ、魔獣の首へとぶん投げる。下は水、落ちれば蟲は気にしなくても良い。


「短絡的な……! 【切望絶断(エルピスコーノ)】!」

「流石に看過出来なぁいよねぇ。」


 アルスィアの姿を取り、同じ刀で斬り返す。根元から切断された互いの妖刀が、頬に浅く掠めていった。


「そっちは飛べる上に両手があるなんて……ズルいね。」


 暴風に乗って陸に戻ったアルスィアだが、そろそろ限界も近い。肩は喰いちぎられ、精神世界では何度か死にかけている。意識が遠のくなかで、目の前に万全な自分が立ちはだかるのは、中々に来るものがあった。


「その子は殺らせないよ、僕の利益の為にもね。」

「含みのある言い方、ムカつくよ!」

「君の言い方なんだけど、ね!」


 振り上げられた暴風に、両手に構えた二刀を振り回して応戦する。嵐の中に道を作った虚飾が、踊るように継ぎ目のない動きで一気に肉薄し、袈裟斬りにする。

 アルスィアにとって己の魔法は絶対的な矛、受ける選択はなく、避けるしかない。髪が数本、宙を舞うほどのギリギリに刃が通り、心臓が喧しく騒ぐ。


「余裕が無いみたいだけど、まだ粘るのかい?」

「君こそ自覚した方が良い、この魔法に余力なんて関係ないってね!」


 横薙ぎに振られた一撃に、拒絶は下へ潜り回避する。曲げたバネが伸びるように、素早く攻撃に転じた悪魔だが、影の魔法に対しては熟知が足りなかった。そう、日の向きである。

 足元に伸びた影が交錯した場所に、アルスィアのナイフが落ち刺さる。その瞬間、身体に重みと緊張を感じて悪魔の動きが鈍った。


「【楔刺す影(スフェーノ・スキアー)】、奥の手なんだけどね。」


 その一瞬で彼には十分であり、一太刀が間に合う。そして一太刀あれば、彼の勝利だ。


「【切望絶断(エルピスコーノ)】、載せて【統制消失(コマンドロスト)】。」

「あららぁ……やられちゃったぁね。」


 擬態も剥がされ、肉体も透け始めた悪魔が肩を竦めている。消せてない、その事実に切り札を二枚も切らされたアルスィアは苦い顔をする。


「核が無いのかい? その身には。」

「演者に表現者の命が必要かぁな? 人形は手繰ってこそだぁよ。」

「人形一つ壊すのに随分と割に合わない事させられたよ……」

「ここまで魔力が削られるとぉも、思ってなかったさぁ。」

「なら消えなよ。」

「お断りだぁね。」


 荒れ狂う暴風から涼しい顔で逃れた悪魔が、霞となって姿を隠す。こうなるとアルスィアに有効打はない。風の魔法を常時展開するのも厳しく、水の中へ逃れるか思案する。


「アルスィア……! 飛ばれるぞ!」

「飛ぶって何が……あぁ、こっちか。虫と違って羽が濡れてもいいわけね。」


 不格好にバタつきながら飛び上がる蝙蝠により、辺りを影が覆い隠す。昼中のそれは薄い帳だが、アルスィアには十分だ。


「失せなよ、【躊躇いの影ヘジテーション・スキアー】。」


 細かい虫を捉えていては間に合わない。纏めて夢を見ていて貰う。まだ近くにいた大部分は今ので削りきったと想定し、悪魔がここに居座る原因に向き直る。


「思ったより高く飛ぶな……モナク、あれ落とせるかい?」

「あの狼面を投げたのでカラッケツだ。何本か飛ばすくらいなら出来るだろうけど、流石に落とすのは……」


 倒れ附したまま、ソルが口だけ動かしてくる。踏みつけたい感情を抑え込み、アルスィアも隣へと腰を下ろした。そろそろ足が言うことを効かない。


「急がないとあの悪魔起きてくると思うよ? そこまで未練ったらしい奴じゃ無さそうだったしね。」

「そもそも悪魔相手にあの魔法は対して効果無いだろ。もう一個の方で良かったんじゃねぇか?」

「全部呑めるか分からないのに? 現実と影で別れて虫から逃げるのはゴメンだね。僕はそこまで器用じゃない。」

「分かったからあれ落とせよ。影の道通ればいけるだろ。」

「あの高さからどう帰るのさ。無事に上書きをすり抜けて首元まで行けても、斬った後に影に溶け込める保証なんて無いよ。」

「めんどくせぇな……」

「君が飛べばいいだろ?」

「お前があの獣人を殺せてれば飛べたけどな。」

「調整くらいしなよ。」

「戻ってこられるとマジで死にそうだからヤダ。」

「……まぁ、それはそうか。」


 悪魔が起きる前に降りてこないか、願いを込めて見つめるも高度は下がらない。飛び去る気配は無いため、獲物として見定めてはいるようだが。


「シュン・ネペイアなら届く術を持ってないかな。」

「シュン……あぁ、墓守様か。飛ばせても上書きされるだろ。光の魔法で唯一遅いヤツじゃん、あれ。」

「なら物を投げるしかないね。モナク、出番だ。」

「届くか。魔力が無いって言ってんだろ。」

「元気な癖にかい?」

「元気に見えるか?」

「そんなに。」

「だろうな。」


 傭兵達とシュンを囲っていた結晶が霧散し、ソルの目が紅から戻る。マナを手繰る力が、表面に届かなくなったようだ。

 すぐに周囲を警戒し、鎧や衣服から飾り布をちぎって口に巻いていく傭兵達とは裏腹に、悠々と歩くシュンがソルを担ぎ上げる。


「退きましょう。」

「あんなのが街の傍にいたら傷も癒せないぞ。」

「では、この場で何ができますか? あれだけの手傷、去れるうちに去る可能性もあります。」

「確実じゃない。」

「貴方がこの街にそこまでの労力を割く意味が?」

「だってよ、モナク。移動手段を確保して次に行くべきだね。滅びる街なら馬車の一つくらい失敬してもバレないさ。」

「ここの連中のしぶとさを知らないから言えるんだ。」

「理由をつけていい顔したいだけだろう? アスモデウスの思い通りになるのは非常に癪に障って仕方ないけど、打つ手が無いなら退くべきだ。無いならね。」


 どうも居座ると思ったら、ソルの隠し玉でも期待していたらしい。ということは、多少状況が悪化しても、街に戻ってリツや荷物を回収して逃げおおせる余力はあるのだろうか。


「お前……」

「なんだい? まさか僕らの仲で全て曝け出してるなんてお気楽な思考に染まっている訳じゃないだろう?」

「こんな時にやるか? 普通。」

「僕にとっては、こんなという程の時でも無いからね。」

「付与の特性の魔獣が出てか?」

「人として生きようが魔王を目指して生きようが、そのうち斬る事になるんだ。今に拘るつもりは無いよ。」

「黒い方の仰る方が現実的かと。知古の居る街、肩入れする気持ちも分かりますが、貴方にはすべきと思うことがあると伺っておりますので。」

「お前がそれを気にすることもないだろ。」

「貴方に生きてもらった方が、私には都合が良いのです。早くに家族や民達に会いたいのも事実ですが、悪魔に送られたとあっては死んでも死にきれませんので。」


 返す言葉はない。ソルとて今回の旅の目的を変えるつもりは無いし、シラルーナの準備は獣人の領域に入ってからでも間に合いそうな程に治療は済んでいる。

 アスモデウスの狙いがなんにせよ、自分の持つ特性と同じモノに手を出すのは放置したくないが、妙に手練の獣人の契約者と虚飾の悪魔は、想像以上に厄介だったのも事実としてある。


「……はぁ、分かった。」


 渋々、とソルが頷きかけたところで、風の唸る音と悲痛な咆哮が降ってきた。

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