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結晶の魔術師  作者: 古口 宗
炎と飾り
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第82話

 影の中で起きたこと、それは隠された内なるもの。心の源流、その故郷の出来事は、精神と記憶には刻み込まれるが肉体にまでは影響しない。

 故にアルスィアがどこまでやったのか知らないし、どこまでやられたのか知らないが。こうして、ここに獣人の男がいる以上、すぐに動ける状態では無いらしい。心神喪失、という奴か。


「使えねぇ奴……!」

「そう言ってやるな、我の前では等しく獲物なのだから。」

「はん、言ってろ。」


 降ってきた狼を力場の拳で殴り飛ばし、追撃に何本か槍を放つ。

 それを空中で引っ掻き、掴み、弾いて結晶の上に着地し、滑ると判断した瞬間に腰を落として跳ねた。

 先程飛ばされたばかりだと言うのに跳ね上がるとは、空中で何が来ても対処出来る自信の表れか。事実そうなるだろうと結論付けて、顔を歪ませたソルは次の魔術を準備する。


「さぁ、灼けてもらおうか!」

「お断りだね! 「旋風鳥乱」!」


 羽ばたき乱れる鳥達が、爪を振り回す獣人を取り囲む。炎に消される中で生き残ったもの達が、その身の気圧差によって毛皮を割いて飛び回り、突き立ったところで結晶化する。


「お前の肉体までは焼けないだろ?」

「炎が怖くて戦人が務まるとでも?」

「普通は務まるんだよ。」


 まさか体内に差し込まれた破片ごと焼き払うとは思わなかった。というより、媒介は爪や牙ではなかったのか。


「っぁあ……ヒリつくな。」

「勝手に一人で燃えてんだろうが……」

「そう言うな、貴様のおかげだ。もっと我が身を滾らせよ!」


 足の爪が発火し、結晶の表面を焼き抉っていく。その窪みを足がかりに、宙に配置されたものまでも足場にし、ソルの死角を探るように回り込む。

 だが、結晶に足を置く時点でソルからは逃げられない。結晶に流れ込む紅い魔力が、教えてくれている。


「そこだ!」

「ほぅ、剣も素人ではないか。」


 毛先を落とす程度に掠めた切先が、赤いものを宙に引く。揺れたそれが燃え上がり、ソルの顔を熱波で包んだ。

 熱と乾燥が、本能を刺激して目を閉じさせる。その一瞬の隙、情報が途絶えるのではなく、情報量が減るというほんの僅かな隙でそれは起きた。

 トン、という軽い音と共にソルの肩に重みがかかり、ついで位置が分からなくなる。結晶が焼き払われた、と認識してから再び周囲を探る間に爪が這う。


「遅いな、魔法使い。」


 炎と共に血が散り、ソルの視界が明滅する。咄嗟に魔方陣を創り、魔力をありったけ押し流せば、「暴爆」の魔術が周囲を薙ぎ倒した。


「なんだ、貴様も燃えるではないか。」

「熱量が出やすいだけで、お前みたいな火じゃねぇよ。」

「ほう、飛ぶか。」

「死にたくないからな、届かないところからやることにするよ。」


 自身の周囲に結晶があれば防壁にはなるが、アレ相手では足場にもなりかねない。空中に散らばっている結晶も全て回収し、地表の戦陣に集中する。


「……やはり貴様はつまらんな。」

「狩りの基本は、いかに安全にヤるかだろ?」

「ヒリつかぬ命のやり取りなど、何のためにある。」

「殺すためだろ、普通に。」

「それだけでは満ちぬ、渇くのだ!」

「知らねぇよ!」


 地を這うスレスレを飛翔する剣が、獣人の足を執拗に狙う。炎も驚異的だが、四肢を使う機動力こそ一番の脅威だ。それを奪ってしまえば、敵に此方を討つ術は無くなるのだから。

 しかし、立体的な戦闘から一点、平面的な攻撃は実に捌きやすいようで。火も使わずに刃を避けて叩き落としていく。火や風と違い、結晶では触れて迎撃が出来る分、追い詰めるのは難しそうだ……が。


「いつまで続くかな、それも……」

「疲労がいつもより早い……この不可解な水晶のせいか?」

「だったら、どうする!」


 聞きながら魔力を集中し、戦陣から光線を射出する。炎を準備していた獣は目を輝かせ、楽しそうにその爪を振るった。光が避けるという信じられない現象を起こしつつ、その熱と圧力は毛皮に掠めることも無い。


「返答を聞く気は無かったようだが?」

「確定した事を聞く必要、あるか?」

「ふむ、迅速な判断は悪くはない。して、どう来る?」

「投げる。」

「は?」


 不可視の手が掴みあげ、獣人の男を投げ飛ばす。あの男なら落下した程度でダメージにはならないだろうが、下が水なら話は変わる。

 出てくるまで時間がかかるだろう。毛皮を生まれ持った訳ではない世代の獣人だ、その身で泳ぐのは不慣れに違いない。というより、西の地方以外に泳げる場所が限られる。深い川や湖など、そう多くない。


「よし、とっとと蝙蝠を落として帰るか。」


 そもそも、ここに来たのに明確に目的は無い。シュンがこの地に残るのに、ちょうど良さそうなものがあると思ったくらいで。それも、彼女が何処かでノックアウトされては意味もない。

 想定外な悪魔と獣人に手こずったが、それだけで……


「まてよ? なんであの獣人、湖の中に寝てた蝙蝠を知って……」

「余所見とは感心せんな、魔人。」


 感知するより早く攻撃を受ける。その嫌な確信に従い、回避より防御を優先する。己を結晶で包んで固め、上へ射出する。

 深く抉れた結晶を霧散させ、裂けた首筋は力場の魔法にて圧迫止血を試みる。動脈は逸れてくれたようで、すぐに意識がフラつくことは無かった。

 眼科で着地する獣人が、垂れる水滴を振り払う。だが、その跡は明らかに小さく、とても毛皮から垂れる物には見えなかった。


「なるほど、認識さえ強めちまえば、相手が無意識のうちに通ると思い込む……魔法に対していえば、アルスィアの魔法より特攻かもな。」

「何が言いたい?」

「アレも少しはやるんだなって事だ、よ!」


 彼の周囲に結晶を打ち込み、中に魔法陣を仕込んでいく。少し時間がかかるが、気にする事はない。アレの炎はもう……ソルの結晶を焼けはしない。ソルがそう信じていられる限り。

 なぜなら、それは悪魔の絶対の契約でも特異な魔法でもない。ただソルがそうだと知っており、それを見せられただけのもの。つまり……


「演者の割にはせこい小細工が好きだな、虚飾!」

「演者から細工を取り上げないで欲しいね。」


 完成した魔方陣から伸びていく「闇の崩壊」に、擬態を諦めた虚飾が翼を広げ離脱する。効く、と確信した魔法や魔術なら、本来の性能を発揮してしまう。悪魔殺しに有用なのは、体感するまでもなく理解できていた。

 そうでないのなら、先程の結晶のように「そうなる」と見せてしまえば邪念が宿る。マナを結合させているのは魔力、ソルの意識だ。それを誤魔化せる虚飾は、魔法そのものも惑わせるのである。


「タネが割れれば不意打ちにしか使えないな。なんで自分だって分かるような事したんだか。」

「君が我様の、渾身の初登場を看破してくれたかぁらね。」

「そりゃそうだろ、あれの炎は浴びてる。」

「浴びて生きてるモノを見たことは無ぁくてね。まさか、あの恐怖にそのまま呑まれてくれなぁいとは思わなかったんだぁよ。」

「アレが聞いてりゃ怒りそうだな。」


 復讐の悪魔にとって、恐れられることは邪魔にしかならないだろう。どうやら、目の前の悪魔には演じるヤツを詳しく知る必要は無いらしい。例えば……


「依頼のツレ、程度で言い訳だ。情報が自分と相手にあれば、再演するだけだもんな。」

「ほう、そぉんな事を言うなんて意外だぁね。君なら獣達の事は知っているだぁろ?」

「それよりも、悪魔を知ってるもんでな。特にアスモデウスは欲を煽るのが上手いしな……」

「そぉれなら、ここまでは知らないだぁろ? アレは二重に契約を交わした存在、魂に代償を深く入れ込んだ身だぁよ。」

「二重に? あの炎、アスモデウスの依頼とは関係無いのかよ……」


 てっきり、新しい力に溺れて手を貸していたのかと思ったが。そうでも無いらしい。いや、それよりも前だろうか? どちらにせよ、二度も悪魔の恩寵を受けて正気でいられるはずも無く。アレが襲ってきたのには納得した。

 もう一つの契約も気にはなるが、それはアルスィアが抑えている今は知らなくてもいいこと。それよりも、目の前の悪魔だ。


「よっぽどご執心らしいな、あの禿げ鳥に。」

「あれは卵を産まなぁいし、嘴もなぁいよ。」

「細けぇな、お前……」

「演出家は拘ってこそ、だぁからね?」


 パチン、と鳴らされた指が、ユラリと大気を揺らす。自分を別の存在と誤認させる魔法、次は何に化けるつもりか。既に正体が知れた上で飾られようと、孤独の魔人であるソルを芯から欺くのは難しいが。

 せめてもの意趣返しに、蝙蝠だけでも落としてやろうと上空の結晶に魔力を貯めていくソルだが、次の瞬間には目を見開いた。


「お前は、」

「本物は空を飛ぶことは無いが……確かに知り得た顔だろう。君の……殺した顔だ。」

「人形手繰り……」

「さて、これはどうかな?」


 ヒラリと手をかざして、下に倒れている肉塊を起き上がらせる。なるほど、あの力は人型ならなんでも良いらしい。

 とはいえ、虚飾の悪魔にその力は無い。動いて見えているだけか、付与で簡易的に再現したものがそう魅せられているだけか……どちらにせよ、ソルにとって大した脅威にはなりそうにない。とはいえ……自分の手で殺した人間を目の前に出されては不愉快極まりない。


「悪いけどな、潰れた死骸を壊すのに罪悪感を抱けるほど悪魔が消えてねぇんだよ。」

「君の神経を逆撫でする事には成功したようで何よりだ。」

「どこまで知ってんだよ。」

「彼の悪魔の知る範囲ならば、聞き及んでいるが? 気に入られているようでね。」

「そういや、アイツの目……あぁ、クソ。やっぱアイツ嫌いだ。」


 腕の一振で数十の動く死体を貫いて止め、目の前の男には多数の剣を創って囲む。

 目の前の存在にそれが意味をなさない拘束ではあるとしても、戦陣を広げたソルにとって微々たる消費である以上、敵に与える損失の方が大きい。


「ふむ、まだアレは逃げ切らんか。」

「逃がしてどうするんだ?」

「彼の悪魔に返還するよりほか無い、あの可能性の獣は我らの手に余る。」

「なら潰す方が良いってこったな!」

「悪魔の発展は君にとっても都合が良いのでは無いのかね? その身の事を知らぬのは怖かろう。」

「自分の道は自分で決める性分なんだよ。」


 一斉に剣を踊らせ、掌に魔方陣を仕込んで飛び込む。直接「闇の崩壊」を叩きつけようと【破裂】と共に打ち込むが、いつの間にか消え失せた虚飾には当たらない。


「やりづらい奴……」


 ソルの舌打ちが、冷えた空気の中で落ちていった。その先で、冷たい終わりがソルに合図を送るまで。

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