第77話
「……えっと、つまり。彼女は死にたがってるってこと? 目的を見失ったから?」
「端的に言えば。」
「うーん、これは……簡単なようで難しいね……」
書きとめたものを眺めつつ、薄らと広がった顎髭を撫でつつ唸るロイオスが羽を置く。インク壺に刺された羽がジワと黒を吸い上げ直した。
「要は、生きる理由ってものを求めてるんだよね。墓石を磨いて……贖罪をしていたみたいな。」
「あれも後ろ向きな理由だと思うけど。」
「まぁね、でも既に失っていようと、本人には残ってるものだったんでしょ。あの街も石になった人も。大切なものを守りたいって理由なら、生きる理由ってもんでしょ。」
「ん〜、よく分かんねぇや。無いもんは無いだろ。」
「君と彼女、気が合いそうにないもんね。」
「それは知ってる。」
彼女の言う愛と、自分の思う愛がかなり乖離していたのは話していて理解した。思うに、彼女は期待が大きい。己の望むものを有るとして捉えることが得意なのだろう。
ソルはそれがない。失ったものは無理に拾うことは無いし、解釈は直線的だ。故にすれ違う事もあるかもしれないが、それで離れたものを追うことも無い。要は、彼女程の執着が無い。
「どうしても離れたくないって気持ち、俺は分かるけどな。俺もこの街とそこに有る生活を愛してるからね。」
「故郷ってやつか?」
「君には無いかい? 失いたくないもの。」
「離れたら離れた時じゃないか? 引き離すってんならその腕を握り潰してやるけど。」
「例えば、妹弟子さんとかは?」
「シーナは俺から離れないし。」
「うーん、そっかぁ……俺達とは順番が違うのかな、愛してるから掴むんじゃなくて、そこにあるから愛するみたいな……」
「知らん。」
段々と話が逸れてきた。おそらく、ソルも抱き込めるならそうしたいのだろうと察して、分かりやすく不機嫌に紙の束に腰を落とす。
肩を竦めた彼は、咳払いを一つ作って話を続けた。
「ま、求めてるものが分かったのはいいとして。問題はそれを用意出来ないこと。」
「なんで?」
「彼女の愛着を俺達は持ってないからね。ここは見知らぬ土地、見知らぬ人々だ。彼女が守る意味も理由もないんだよ。逆に他の理由を探すなら、それこそ俺達とは関係ないとこで生きるだろうし。」
「愛着なんて、時間を過ごしてりゃ出来るもんじゃないか?」
「そのきっかけが無いんだよ。彼女がここにいる理由が無い。おそらく、アゴレメノス教団が放っておかないからね。今はシラルーナちゃん……だっけ? 彼女の治療の為に居るけど、それが終われば? 誘われればついて行くんじゃないかな。彼女なら、多少マトモな奴らなら嫌ってもないと思うんだよね、聞く限り。」
どうだろうか。彼女の悪魔への嫌悪は中々に強いと思う、というのがソルの正直な感想だった。悪魔崇拝者ばかりでは無いとはいえ、少数であることに変わりは無い。まして、会話ができる者をそこから探すのは至難の業だろう。
――分かっているのなら、そういう者で選んでこっちに来るかもしれないが。向こうからしても、貴重な同類には違いないのだから。
「俺達の何かを守るものとして認識させちゃえば、目的は達成なんだけどねぇ……」
「孤児院にでも連れてったらどうだ? 子供で懐柔とかよく聞くと思うけど。」
「雑だなぁ。それで失敗したら不味いから幾つか手を打っときたいのに。」
「するにはすんのかよ……」
「本人の望みでもあるなら良いでしょ。別に騙くらかそうって訳じゃないし? 利益があるなら、それを重ねてしまえば友達だよ。商人的に言えばね。」
「悪魔とでも?」
「それで友達と縁が切れないなら、ね。そんな悪魔は聞いた事ないけど。」
多方面に恨まれ、崇められ、敵視され、羨望を受ける。悪魔とは人の業の代替であり、良くも悪くも大きな感情が動く。それは諸刃の剣であり、リターンを得るには……派閥が違いすぎた。
「あとは彼女、何か自分のことを話してたかな?」
「そういや、弟がどうとか? 白かったらしいよ。」
「へぇ、まぁ東の生まれならそういう事もあるかもね。しかし、それは少し賭けだなぁ、触れない方が安全かな。」
「そうかもな。」
「……君が踏み込んでくれても良いよ?」
「あ、今のってそういう事か。まぁ気分が向いたらな。正直、狂信者どもが動かなけりゃなし崩し的に居座るだろ、行く先ないだろうし。」
「戻るかもよ、あの土地に。」
「死ぬ気かよ……死ぬ気だったな。」
「死んでも良い、が近そうだけどね。」
ソルには違いが分からないが、きっとその差は大きいのだろうと納得する。でなければ、わざわざ訂正するような男ではない。
縋るものがないから、それがあった場所に戻る。もしソルに人の故郷の記憶があるなら、そうなっていたのかもしれない。無かったから、行く宛てもなく魔界を彷徨ったのだ。場所がわかると言うのは、ある意味で呪いなのかもしれない。
「まぁ、それだけ。出来れば、彼女にここに残るように言ってみてよ。」
「女くらい自分で口説けよ。」
「言うようになったねぇ、ソルくん。」
「元からこんなんだろ?」
「はは、そうかもね。」
「……まぁでも、気をつけろよ。この辺に飛び回る鉄の脚の男も居たからさ。」
「鉄の脚? 噂に聞く彼かな……分かった、警戒しておくよ。はぁ、探し物がいっぱいだぁ。」
「んじゃ、これは貰ってくぞ。俺も探しもんがあるもんで。」
「何それ? あぁ、退魔薬の製法書か……いいよ、別に。作ったところで原罪の悪魔に狙われるんじゃ、独占の価値も無い。むしろ、回収を諦めるくらい分散してくれた方がいい。少なくとも悪魔憑きは無力化できるようになるかもしれないしね。」
「なら遠慮なく。」
自分で覚えたら燃やすつもりだったが、そういう事ならエルガオン商会への手土産にでもしよう。ティポタスのいるテオリューシアなら、リスクは低い。
サッと目を通したところ、一般的な薬品に思う。毒物であるものや、そうでないもの。毒物の解毒作用を持つ物もあることから、代替が見つかれば必要な者は大幅に改善されそうだ。
「てっきり魔術的なものと思ってたけど、そうでもないんだな。」
「一時的に人体の機能を狂わせるという力業で解決してるもんでね。」
「それ大丈夫なのか?」
「大丈夫な訳無いよね? 犠牲は多かったよ、魔人の子達も皆が皆、温厚だったわけでも無いからね。優先順位って奴があったさ。」
「それであの器具か?」
「まま、色々あってね。こっちも慈善事業じゃない。君としては複雑かい?」
魔人の同族意識でも気にしてるのか、と下らない感想を抱きながら、羊皮紙を丸めて懐にしまう。
「いい気分では無いな。悪魔だってんなら、むしろ賞賛するけど。」
「なら、しておくれ。悪魔だって、力以外は所詮、人の業でしかないさ。唄が本当ならね。」
「唄?」
「知らない? かつて現世の〜ってやつ。」
「あ〜……まぁ、知っちゃいるけど。」
「きっと、悪魔の不死性や終着点を意味してると思うんだよね……意味もなく唄う題材でも無いし、何かしらの根拠のある内容だと思うけど……どうかな?」
「知らん。」
「そう? 残念。」
魔界のことを聞く相手としては正しいのだが、如何せん興味が無いことに対して知識が無さすぎる。マギアレクの方がまだ知っていることはあるだろう……単純に過ごした時間と生きることへの余力という意味で。
「元々、魔人だった子達もいる。異形化が小さくて、悪魔が満足しちゃってるような子は生きていたんだよ。そのまま悪魔が残ってる子も中には……居るけど。」
「そんな厄ネタ、よく残してるな。」
「逆だよ、放り出したり害したりしようもんなら、中の悪魔が黙ってないのさ。実によく馴染んでるらしい。心臓? とやらが未完成でソルくんみたいな力は無いけどね。」
「誰だよ。」
「陶酔って言ってたよ。」
「よりにもよって、面倒くさそうな奴……近づかないようにしとくよ。」
「あれ、そう? まぁいいけど。」
魔人同士、気になるとでも思ったのだろうか。確かに肉体のサンプルは欲しい。しかし、距離を取りやすい拒絶でさえ、ソルには面倒くさかったのだ。陶酔など……結果は見え透いている。
まして、ソルには記憶にない悪魔だ。固有魔法も知らない。自罰の例もある、知らない悪魔との接触など御免だ。どこで恨みを買っているかなど分からないのだから……悪魔に恨みなどという感情があればだが。少なくとも脅威には思われている筈だ。
「うーん、困ったね、そろそろ手札が無いよ?」
「そもそも俺を懐柔しようとするな。」
「だァって君がいちばん有力な協力者候補……待って、誰か来たみたい。歓談はここまでだね、ありがとソルくん、セッティング頼んだよ。」
「はいはい、気が向いたらな。」
来訪を気にするくらいだ、ソルがここに居るのはあまり大っぴらにしたくないのだろう。サッと窓から飛び降り、影に溶けて裏手に回る。廃墟とまでは行かないが、瓦礫や整えられてない生垣が目に痛い。
「テオリューシアは順調に成長してたけど……そうだよな、まだ世界的にみりゃ衰退の道を歩いてる。」
テオリューシアで聞いた王の言葉、夢。魔界の消滅。もしそんなことが叶うなら……こういう街も減るのかもしれない。その光景が、ソルには上手く思い描けなかった。




