第百三話
魔獣。
この世界に蔓延る、かつて生命体だった兵器だ。魔界の濃厚なマナによって、その体は生物としては終わった物に変化する。
微かな変化だったり、別の生命体として確立されたり。しかし、その多くは生存さえ制限された、短命の兵器だ。それは易く命を散らす存在であり、多くの生命体からは……
「脅威……の筈だったんだけどなぁ。」
「だから、大型でもないのにガタガタ言うなって。」
「ソルさん、小型でも普通は怖いですよ?」
獲物を追い詰める捕食者のように、易く制圧するのはストラティ率いる部隊。その得物で斬られた魔獣は、ほんの数瞬呆けている。
そこを一撃。喉、眼窩の奥、急所は変わらない。
「どうかな? ケントロン王国の人から見て、彼等は。」
「俺はケントロン出身ではないけど、凄まじいですね。」
「上手いというより、強い。巧く噛み合ってはいるけど、獰猛な獣みたいだね。」
ベルゴの評した言葉は、受け取りかたによっては侮蔑にしかならない。けれど、エミオールは笑った。
「無法地帯の生き残りだからね。歴史も伝統も失った、研鑽と生きるって覚悟だけの武術さ。」
「西が無くなったのは、三十年程前だもんね。南の崩落のすぐ後だ。」
程なく魔獣が殲滅され、僅かな休憩を挟む。それだけで彼等は英気を取り戻した。
朝からこの調子だが、昼を過ぎれば魔獣の襲撃は減っていった。
「そろそろ近いねぇ。」
「魔獣が出てきまくる所に、都市はつくんねぇもんな。」
「これだけの部隊が出たのも、掃討の意味もあったのかもねぇ。」
ベルゴが御者台から、馬車の中に移りながら呟く。戦闘のように複雑に状況が変わらないなら、レギンスに任せれば勝手に前についていってくれる。
近いとはいえ、着くのは夜と言っていた。あと半日間、遠くに見える村の影でも見ながら、揺れるしかする事もない。
「国って、どっから国なんだろな。」
「さぁ……村があって、街があって、都市があって、情報とか繋がってればじゃない?」
「曖昧だなぁ。」
「人生だねぇ。」
「二人とも、考えるの疲れてます?」
あまりにも呆けた様子の二人に、シラルーナが若干の呆れを含んで見る。
とはいえ、本当に暇なのだ。ただただガタつく馬車に、揺られるだけの移動。景色は単調な平原、それが延々と続くのが見える。いや、時折、村や生活圏の跡地も見えるが、面白くはない。
「そういえば、北の山、かなり近づいたよねぇ。」
「そうか? まぁ、今までで一番北まで来たけどさ……まだかなり離れてね?」
「凄く大きいから、近いと感じるのかもしれませんね。」
麓は霞んでいるが、山頂は雲の上。結局、それは壁のように聳え立つだけだ。
なんとはなしに、大山脈を眺めながら微睡む。思えば塔を出てから三ヶ月あまり。色々と起きた。
「出た頃は暑かったなぁ。」
「なんの話?」
「今頃、魔界の中の話。」
「御師匠様の塔ですか? そういえば、今はすっかり寒くなりましたね。」
シラルーナが話に乗ってくる。ベルゴも聞く姿勢に入ったので、ソルは独り言から更に記憶を辿った。
「どっか暮らせる所を探そうって出てから……最初は、氏族長の所で巻き込まれたな。嗜虐の奴と、嫉妬の魔獣と。」
「でも、ピリピリしてる状況で、獣人の国はソルさんが行けそうに無くて……」
「待って待って、悪魔と原罪の魔獣を、同時に相手どったの? 頭オカシイよね?」
「氏族長に言ってくれよ。」
「あぁ、「隻眼の黒狼」かぁ……なんというか、大概な遭遇運してるよね、あの人……人? も。」
変な呼び名がついてるなぁ、とソルが他人事な感想を思う。そんなソルをシラルーナが少し恨みがましく見た。
「その後、ソルさんってば私の事を置いてきぼりにして。」
「いや、氏族長のとこなら安全そうだったから、つい。」
「な~んか、別な目的見つけたんでない? 今もそうっしょ?」
「闇の崩壊が知りたいだなんて。一つしか無いじゃないですか。」
次は置いて行けないかな、いや王国で知人が増えれば……なんて思考を巡らせている間に、ベルゴが話題を変えた。ソルは内心で誉めておく。
「そんで、どうしてたのん?」
「アナトレー連合国に行った。といっても、最南端の場所だけど。」
「あそこの最南端……最近変わったよね。え~と……」
「エーリシってとこ。マモンに邪魔されたけどな。」
彼処でも世話になった人は多い。借りは返したとは思っているが、元気にやっているかは気になった。
「シラちゃんは?」
「私は獣人の国で、お手伝いを。ソルさん、帰ってくるって言ってケントロン王国にいましたけど。」
「いや、マモンの残滓を狂信者……ってか拒絶の魔人が持ってったからさ。復活されたら堪んないだろ?」
「それで居たのかぁ。」
「言ってなかったか?」
「多分、聞いてないよん?」
ガッタンと大きく馬車が跳ね、会話が止まる。危うく舌を噛むところだったベルゴが、大袈裟に額を拭った。
「そんで、そこでは悪魔に魔人二人に、魔獣の群と原罪相手に大立回りな訳だ。」
「最悪だった……」
「ケントロン王国の王都で良かったねぇ。あれ、他の所だったらさ、百も数えてたら滅びてた。」
「氏族長達が来てたのも幸運だったな……アルスィア、仕留めておけば良かったか?」
ソルが、冷ややかに呟けば、ベルゴは肩を擦る。大袈裟なリアクションに、つい意識を持っていかれる。
「物騒だねぇ。まぁ、残った魔人二人もだよ? そこまで派手には、やんないんでない? 多分、受けた影響は小さく無いよ。」
「拒絶の魔人は、結構変わってたな。なんというか……少し落ち着いてた。」
「おっ? 恋かな、ソル君。」
「黙ってろ、脳内お花畑道化師。」
「楽しそうな人だねぇ。」
お前の事だ、とソルがベルゴを小突く。そんな二人を見ながら、シラルーナは呟く。
「……旅は楽しいけど、お別れが寂しいですね。」
「……かもな。」
孤独の魔人であるソルは、寂しさについて少し考える。会ったから寂しいのか、会えないことが寂しいのか。ソルは少しその辺りが鈍っている。
ずっと一緒に居るのは、少数な者、特異な者には難しい。よく分からない普通であると言うことが、得難い事が孤独なのだろうか、と。
「まっ、お兄さんはずっと一緒だよ☆」
あまりにも場違いなベルゴの態度に腹が立つ。一瞬、本当に埋める墓を作ろうと考えたが、拳大の結晶を投げつけるだけにしておいた。精一杯の優しさだ。
「わぁ! 暴力反対!」
「うっさい。」
「ベルゴさんは寂しくないですか?」
「俺はどこでもやっていけるかんね。特別な友達がいるのですよ、風っていう爽やかな味方が、さ。」
ベルゴが立ち上がって髪を払う。目にかかる手前の緑髪は、風に吹かれて揺れる。
「うぜぇ。」
「そんなぁ、兄さんと呼んでくれてもいいくらいの、爽やかな格好よさが無かった?」
ソルには無い距離感のベルゴに、ソルは少し距離を取る。
「引かれた!?」
また馬車が跳ね、ベルゴは頭から底板にこけた。
「いたぁ!?」
「板? 痛?」
「いや、どっちでもいいじゃん……?」
「大丈夫ですか?」
「ソル君にもその優しさ分けてあげて?」
「えぇ? えっと、どうぞ?」
シラルーナがソルに、何も無い両手を差し出す。唐突過ぎて困惑しているのか。とりあえず、ソルは手を握ってみた。
「はい! これで俺にも優しく」
「優しさで寝かせてやる。」
「物理的に!?」
座ったベルゴを突き飛ばして、底板に転げさせておく。途端に馬車はまた跳ねる。
「おぉう、本当に優しさだった。」
「街道に入るぞ~!」
「黙ってろよ、舌噛むぞ。」
先を見るソルの目に写るのは、ガタガタの地面だ。道を作るにあたり、一度掘り返して石などを詰めて固める様で、作りかけの道は掘り返されている。そこに土を被せては叩き、平らになれば表面を平たくした石を敷いていく。少し先には平らな土、そしてもう少し先に石畳の街道が見えた。
先ほどから跳ねていたのも、これの所為だろう。馬車を降りた方が良かったかもしれない。石畳に上がる際、ソルは「飛翔」で馬車をあげた。かなり上昇しなくてはいけず、他の馬車の様に棒や板であげるのが面倒だったからだ。想像以上に石は分厚かった。
「ここまで丈夫な道である必要があるか?」
「仕事が欲しかったんでない? 体力を使わせとかないと、危なそうなのもいるし。」
何しろここは既に法が届かない。何をしても生きる為なので仕方ない、そんな場所だった。無理に集めても、有り余る体力は喧嘩の元でしかない。それに働けば報酬を払う力があるという事を、分かりやすく示せる。発展も急ぐが、それでも内部分裂にはかなり気を使う時期だ。多少は無駄でも、手間と時間のいる大掛かりな物にしているのだろう。
「人を集めれば効率がいい、って訳でもないんだな。」
「それは安易だよ、ソル君。」
「色々な事が学べそうですね。」
「俺は勉学は嫌いだ……」
遠くに見え始めた都市の影。段々と西に傾く日が、それを背後から照らす。
ケントロン王国とは比べるべくもない、小さな都市。しかし、そこには新しい可能性が集う。昨晩、エミオールと並んで歩いた時を、ソルは思い出した。
『僕はね、誰もが怯えることの無い国を作りたいんだ。その為には、育むべきものもある。』
『聞きました、テオリューシア王国の目標だと。』
『うん。そのためには、護る力も、伝統や歴史も、退ける力も足りない。でも、それは他の国を見習って、人材を取り込んでいけばいい。』
『そのための行商ですか?』
『うん。技術者も研究者も乗ってる、学ぶ為に。』
山を消し飛ばしてでも、送り出す訳だ。とはいえ、一歩間違えばその馬車も巻き込まれていそうだが。
次の道をどうしようか、と考えるエミオールに、ソルは尋ねた。
『あの、それなら育むべきものは?』
『んー、誰もがなんて言っておいて、少し恥ずかしいけど。必要なのは排除する力だと思ってる。』
『排除?』
『そう。悪意の集まり具現化する根源……魔界を。』
そう言った時の顔を、ソルは多くの人に重ねた。しかし、エミオールのそれは誰よりも深かった。
人を、魔獣を、悪魔を恨むでもなく。王はその根源を、分かりやすいまでに存在する根源を憎んだのだ。
大きすぎるそれは、未だに未開の現象。それを排除というのは、物を上に落とし、冷やして蒸発を促すと言うのと大差のない。
そんな世界の前提を壊す様に、魔界の無い世界を知らないソルには思えた。
「ソルさん?」
「いや、なんでもない。」
覗き込むシラルーナに、少し笑ってソルは答えた。妄言で終わらせるつもりもないのは、ソルも同じだ。
確実に滅ぼすと決めた炎の悪魔を思い、夕日に浮かんできた都市を見つめていた。




